お待たせしました。団員インタビュー第四弾です。
今回は、応援部のリーダー出身で、かつ吹奏楽経験がないという異色の経歴の持ち主であるパーカッションの山本さん(東京大学 H1年度卒)です。そして山本さんの現役時代を知るホルンの村山さん(東京大学 S63年度卒)とトロンボーンの酒巻さん(東京大学 H2年度卒)にもインタビューを行いました。名付けて山本さん with T大軍団。それでは、東大ワールドをお楽しみ下さい。

実はサタデーナイトフィーバーをイメージしてポーズをとっていた山本さん(;'∀')
― 少し時間が経ってしまいましたが、昨年の秋に東大野球部が15年ぶりに勝ち点を挙げたということで、おめでとうございます!
(一同)そうですね~。
― ということで、まずは皆さんが現役時代に東大の野球部の実績がどうだったか、もし覚えていらっしゃったら教えてください。
(一同)簡単に思い出せますよ(笑)。
― では、まずは山本さんからお願いします。
(山本)1勝80敗です。
― 負け数も覚えてらっしゃるんですね。
(山本)基本的に全部負けると80敗なんですけど(笑)、1回だけ勝ったから。
(村山)慶應に勝ちましたね。
(山本)(慶應卒のインタビュアーに向かって)どうもすみません(笑)。2年の秋(87年)の初戦ですね。
(村山)僕は3年で。
(酒巻)1年で。

勝ち数が少ないから数えやすいのか(失礼!)
東大だけあって計算に強かったり記憶力がよかったりするのか。
― それ以外はありますか。
(村山)僕が1年の時は野球部が強くて、立教から勝ち点を取って5位になりました。ピッチャーの市川さんが甲子園経験者で、結構良かったんです。
(山本)2年で慶應から勝った時は、慶應のリーダーがうさぎ跳びをさせられていて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
― それが東大野球部200勝目ですか。
(酒巻)それは199勝目でしたね。
― 私が現役の時に東大が200勝をした記憶があるんですが。
(酒巻)それは91年春なんで、我々がもう卒業した後ですね。
(山本)当時、村田兆治の200勝が先か、東大の200勝が先かと言われていましたが、簡単に先に行かれましたね。(注:村田兆治の200勝は89年)
(村山)199勝と同じくらいの時期に、東大通算1000敗というのもありましたね。
(酒巻)そんなのもありましたっけ(笑)?
― 皆さん、なかなか勝てない野球部をずっと応援されてきたわけじゃないですか。そのモチベーションはどこにあったのかということをぜひ伺いたいんですが。バンドの場合は演奏会という場もありますが、山本さんはリーダーのご出身なのでどうだったんでしょうか。
(山本)これはもう修行ですね。
― 修行!?
(山本)勝つと思ってはいけない気持ちと勝ちたいという気持ちを自分の中で上手くバランスを取りながら。欲を出したら、余計にダメージが大きいじゃないですか。また負けた、また負けたって。雨の中で誰もお客さんがいない、そんな状態で16対1とか2とか。まあ1点あればいい方で。その中でモチベーションを出すためには、勝とうと思わない。その一方で応援をするという、ちょっと哲学的な。アウフヘーベンですね。
(一同爆笑)

修行中?!の山本さん。
― アウフヘーベン?!それは東大ならではですか(笑)?
(村山)俺にも理解できないな(笑)。それはアウフヘーベンなのか?
(酒巻)当時お客さんは少なかったですよね。
(山本)今は東大が一番(お客さんが)多いんですよね。
(酒巻)応援団よりも少なかったですね。何人かしかいないという時もありましたね。
― 土日もですか?
(村山)土日はまだしも月曜日になると全然いなかったですね。
(酒巻)そうだ、雨で流れたりして。勝って月曜日になることはなかったから(笑)。
(山本)そういう時、リーダーは「観音」って言うんですけど、上段の観客席に散らばって。お客さんはいないけれどスタジアムに向かってひたすら応援するという。
(酒巻)お客さんがいない状態で客として応援するということですよね(笑)。
(山本)そうですね(笑)。
― 山本さんは、そういうことを分かっていて入部されたんですか。
(山本)いや、そこまでは分かっていなかったです。私は、「一週間だけやってみろ」と3年の先輩に言われて。一週間経っても辞める理由が全くなくて、そのまま4年間やりました。
(一同爆笑)
(山本)Returns!も一週間だけやってみろと言われて(笑)。

7月に行ったReturns!体験イベントに参加した時の東大メンバー。
山本さん、すでに溶け込んでますね~
― 辞める理由がなかったって感じですか(笑)?
(山本)いやいや。こちらはもっとモチベーションを持っています。音を合わせるという喜び。その一方でなかなか覚えられないという辛さ。それをどう昇華させるかという。
― もともと音楽にはご興味があったんですか?
(山本)(吹奏楽への興味は)現役当時からありましたね。
― じゃあ、本当は吹奏楽をやりたかったんですか?
(山本)吹奏楽団の人に「お前ちょっと一週間やってみろ」と言われていたら、そっちに先に行って、入っていたかもしれません。たまたま誘われたのがリーダーだったんで。
― たまたまですか(笑)。
(酒巻)そうなんですか?!(笑)
(山本)ただ、卒業してから吹奏楽をやりたいと思って楽器を買ったことはあります。みんなで息を合わせて一つのものを作り上げるのは素晴らしいと思って。
― 何の楽器を?
(山本)アルトサックス。
(一同)へぇー。
(山本)当時、長野に勤務していたので、山の中で一人で演奏していました。
(一同)山の中で?!(笑)
― 楽団に入られたんじゃなくて。
(山本)そう。誰も指導してくれる人がいなくてそれっきりになってしまって。今は、ご迷惑をおかけしながらも、皆さんに手厚く指導していただけて幸せです。

ピッチベードラ、まさにみんなで息を合わせて!って感じですよね。

東大の後輩である二村さんから手厚く指導を受ける山本さん。
― ありがとうございます。それでは、ちょっと戻りまして、村山さんと酒巻さんの現役時代の野球応援のモチベーションについても聞かせていただけますか。
(村山)僕は、神宮(球場)に行くときには「今日は勝てそうな気がする」となぜか毎回思っていましたね。
― それで勝てないと落ち込んだりとかは?
(村山)うーん、でも毎回なんで(笑)。毎回落ち込んでいたら体がもたないんでね。「今日もダメだったか。でも、明日は勝つような気がする」と。

神宮球場で指揮をする村山さん。このときの試合の結果はいかに。
― 実際に勝利されたときはいかがでしたか?
(村山)うーん、勝ったことは覚えてますが、あまり記憶にないですね。嬉しくて大騒ぎした感じもなくて。結構、僅差だったから、いつひっくり返されるか分からない状況で。
(酒巻)最後、ピンチで「不死鳥(が如く)」を吹きながら勝ったんじゃなかったでしたっけ?
(村山)ずっとハラハラしながら応援していて、「あぁ、勝ってくれた」とホッとした感じでしたね。
(山本)僕たちの気持ち、分からないでしょう(笑)?(とインタビュアーを見る)
― (笑)。では、酒巻さんの応援のモチベーションは?
(酒巻)もちろん野球部を応援していたけれども、どちらかというと試合に勝つうんぬんよりも、相手校のトロンボーンよりもいい音を出すというモチベーションがあったと思いますね。相手のトロンボーンの音を聴いて「ああ、いい音鳴ってるな」と思いながら、「自分が吹くときには、それよりもいい音を鳴らそう」とバンド同期と語り合っていたような気がしますね。それがモチベーションというか、楽しかったですね。
(村山)思い出してきたけれど、当時、そういう話は同期としていて、「試合には負けたけれど、いい応援だった」と東大のお客さんから言ってほしいみたいな話もしていましたね。
(酒巻)私が1年の時は、まだ守備の時も吹いていて、ピンチの応援というのをやっていたんですよ。
― そうだったんですか。私が入部した時(89年)には、守備は楽器ナシで声の応援だけでしたね。
(酒巻)当時、ピンチの時も吹いていたんですが、東大はピンチの時の方が多いんですよ(笑)。
(村山)圧倒的にね(笑)。
(酒巻)逆に、チャンスパターンはなかなか吹く機会がないんです(笑)。

酒巻さんがパーカッションをやっている貴重な1枚。2年生春合宿にて。
代替わりしてパーカッションがいなくなり、神宮でもしばらく叩いていたとのこと。
― ピンチの時の曲というのがあったんですか?
(酒巻)「不死鳥(の如く)」とか、ちょっとマイナー調の根性論的な。今でも使っているみたいですが。2年になったら急に吹く回数が減っちゃったみたいな感じがあったのは覚えてます。淋しかったですね。以前は、試合が盛り上がってくると両校が吹いていたから。
(村山)そうそう。相手に得点されたら、相手の攻撃が終わるまで学生歌「足音を高めよ」を繰り返し吹きっぱなしで。
(酒巻)点が取れたら「ただ一つ」を吹く。
(村山)ピッチャーが変わったら「不死鳥の如く」。
(山本)チャンスパターンならぬピンチパターンですね(笑)。
(村山)ピンチパターンは充実していたかもね(笑)。
後編【Returns!団員の素顔に迫る その4】に続く