
左から井上さん、渡辺さん、秋山さん。
― 秋山さんも元々は立ち上げのお手伝いをやろうと思っていましたよね?それがプレイヤーもやろうと思ったのはどの辺りですか?
(秋山)私は正直に言ってしまうと、最後まで裏方でいたいなと思っていたんです。とり六はたしかに楽しかったんですけど、楽器もそれほど得意じゃないし、ドリルも特段そんなに好きではないし・・・。
(長崎カメラマン)ピッピ―。
― あー、言っちゃった(笑)。
(秋山)でも、まあ何というか・・・。

といいつつ練習している秋山さんの姿。
(井上)やってやってもいいと(笑)。
(秋山)「やるよね?」と言われて。準備会の皆さんも、わぁーって盛り上がっていたので、「いや、僕はいいです」とは言いづらくて。それで、「とりあえず楽器もあるし試しにやってみます」ということで始めたんですけど、最終的には結構楽しくやれているので。
(一同)結構?!
― どこで楽しくなりましたか?(笑)
(秋山)私の場合は、Returns!がスタートしてからかもしれませんね。定着して人もいっぱい集まってくれて。
Returns!がなければお会いすることもなかったような先輩方とも沢山お知り合いになることもできましたし。楽器も、現役の時は正直そんなに真剣にやってたかなって。
(井上)なに?!そうなの?!
(秋山)いやいやいや。あの・・・。
― 聞き捨てならない(笑)。
(長崎カメラマン)ピーですね。
― ピーばっかり(笑)。
(秋山)大人になってやると、結構真面目に練習して頑張ろうかなという気になってきたというのもありますので。
― 何で頑張ろうと思ったんですか?
(秋山)楽しみが出てきたというか、頑張ればできるようになるんだなと。学生の時は、私の場合は他にもやりたいことが色々渦巻いちゃってて。今は、楽器を持ち帰って家で練習したりと熱意が新たに生まれてきて、学生の時もこれくらいもうちょっと頑張ればよかったなとも思います。
― 昨年 5 月の第一回演奏会はいかがでしたか?
(秋山)色々経験を積むことができましたし、工藤先輩が喜んでいる姿や打ち上げで皆さんが盛り上がっている姿を見ると、Returns!という組織であれだけのものを作り上げたという達成感がすごくありました。初めて準備会メンバーが集まり、Returns!発足に向けてスタートした時点では、まさか 2 年後に江戸文(江戸川区文化センター)でステージができるとは思ってもいませんでしたし、やっぱりみんなの力はすごいと思いました。そして、それを導いた工藤先輩の力もすごいなと演奏会を経験して改めて再認識しました。
― 井上さんは最初からプレイヤーもやろうと思ってましたか?
(井上)オーディションに受かれば、ですね(笑)。相当門が狭いようなことをおっしゃってましたから。

第一回定期演奏会でかっこよくソロを吹く井上さん。
(秋山)私は絶対落ちるなと思ってましたから安心していたんですよ(笑)。
― (笑)。じゃあ、どこでプレイヤーもやろうとなったんですか。
(井上)とり六のイベントをやったところ、これだけ OBOG がいっぱいいて誰でも来ていいよと声かけしても、思うように人が集まらなかったんです。トランペットあたりはプレイ人口も多いはずなんですけど。これじゃあ、俺やんなきゃダメじゃんという流れでしたね。プレイヤーとしてももちろんなんですけど、とりあえず企画から器材を運ぶ担当をしていて車を出していたんです。そうやってお役に立てて、皆さんが楽しく盛り上がっているのは嬉しいなと思って。別に儲かるわけでもないですし、ボランティアですけど、皆さんが楽しくやってくれているのに幸せを感じてやっています。

2015年9月のイベント。

2016年2月のイベント。チアも含め大勢集まったものの、トランペットやクラリネットのメンバー集めはかなり苦戦。
― 立ち上げ準備をしている時は、本当にバンドができるのかという思いもあったようですが、どのあたりでReturns!はイケると思いましたか?
(渡辺)立ち上げ当初、練習回数を重ねていくうちに、こんな感じで楽しくやっていけるのかなというふうには思っていましたが、演奏会に向けてという意味では、練習に毎回全員来るわけではないので、参加人数が今日も少ないなぁ、大丈夫かなと思っていました。お客様に聴かせられるもの、見せられるものがきちんと仕上がるのかという不安は途中までずっとありましたね。

立ち上げ初回の集合写真。
― どのあたりで不安がなくなりましたか?
(渡辺)本番の 2 ヶ月前くらいからですかね。3 月後半から 5 月の本番に向けて集中的に練習していた時期くらいに、これは大丈夫そうだと思いました。
(井上)形になってきて、集中力も高まってきて、出席率も上がってきて。あれ、これはイケるかもとなりましたね。
(秋山)演奏会をやるかやらないかというのは、ずっと議論していましたよね。時期的なものもそうですし、ホールを借りて本当にやるのか、体育館みたいなところでやるのか、とか。
(渡辺)でも結局、どのタイミングで決まったかというと、ホールが取れてしまったというところですね。じゃあ、もうやるしかないよねと。たしかそういう感じでしたね。
― 実際に演奏会をやってみて、どうでしたか?
(井上)演奏会はやらなきゃいけなかったんですよ。さっき話した通り、本番が近づかないと出席率も集中力も上がらなかったので。本番がないとモチベーションが弱いんです。休みがちだったりしながら何となくダラダラとやっていても、それこそいつまでバンドが続くか分からない状態になっちゃってたので、やっぱり本番はなくちゃいけなかったし、本番は定期的にやっていかないと続かないなと改めて思いました。
(渡辺)今もそうですけど、「本番まであと何回しか練習できません」となると「もうそれしか練習できないのか」と逆算していき、今このレベルだと大丈夫かと多分焦ってくると思うんです。演奏会がないと、ただ練習に来て吹いて終わりという感じになってしまうので、目標がないといけないのかなとは思います。

第一回定期演奏会にて。
― Returns!存続という意味では、第一回の演奏会の成功が大きかったように思うんですが。
(渡辺)それは大きかったと思いますね。
(秋山)ただ、シーズン 2 を迎えられるかという心配もしていたんで。演奏会が終わって、燃え尽き症候群で相当の人が抜けるんじゃないかと。でも、意外と残ってくれましたよね。
(井上)逆に増えたのかな。辞めた人もいたけれど、新しく入った人の方が多いですね。
― 話を準備会のことに戻しますが、大変だったなぁと思い出すことはありますか?
(秋山)何にもないゼロの状態だったんです。スタッフも決まっていなくて、メジャーは多少は目星をつけていたようですが、六大で集まって 6 人でメジャーをやろうと言いつつ、最初は 3 人しか決まってなくて。器材や練習場所、役割分担など何も決まってなくて。そこを一から決めていくのが大変でした。
(渡辺)スタッフは、工藤さんがある程度決めて声をかけていると思うんですけど、それ以外の人たちは役割が決まっていなくて、準備会の時に「何をやりたいか」と聞かれて、「会計」と答えました。現役の時に会計をしていたわけではないんですが、家計簿を付けているんでお金の管理は大丈夫かなと思って(笑)。
― それがいつの間にか・・・。
(渡辺)そうですね、練習管理になりましたね。まずは練習場所探しということで、その際に参考にさせてもらったのが、澤木さん(明治大学H3年度卒)が作成した東京都内の施設の概要をまとめたリストです。それをもとに当時の理事の皆さんで手分けしてあちこち電話をかけたりしていました。
― 結構苦労しましたか?
(渡辺)そうですね。ドリルをやるというところが、うちのバンドの特徴かと思いますが、練習場所を探す際に、逆にそれがネックになってしまって。演奏のみであれば音楽室も候補になるんですが、ドリルをやるためにはそれなりな広さがないとダメで、高砂や南綾瀬などの区の施設だと、ホールを確保する必要があります。ただ、防音していないので音出しダメですと断られることがほとんどで。合唱とかでは使っているホールであっても、太鼓の音には難色を示されるんです。


渡辺さんは誠実な人柄で、練習についてきたメンバーのお子さんたちにも人気です!
(井上)Returns!の主要練習場になっている淵江高校も、「何であんなところでやるの?」とよく聞かれるんで すけど、都立高校に片っ端から電話をかけて、休日開放していて音出し可で、ドリルができる広さがあるところがそこしかなかったんです。
― そうやって練習場を探していただいて有難いですね。そういえば、最初は楽器を保管する場所がなくて渡辺さんの家に置いていたという話を聞いたんですが。
(渡辺)最初は井上の実家に置かせてもらっていて。それから一時期、私の部屋にベードラとかが鎮座していた時が 3 週間くらいあって。そのあと、田中(明治大学H7年度卒)邸のガレージに 2 ヶ月くらい置かせてもらって。その後は、ずっと森田さん(慶應大学S62年度卒)のご両親の?マンションの一室である浅草ですね。
― 浅草はいつからですか?
(渡辺)Returns!発足した年の夏頃ですね。もともとは、リフォームをして人に貸すので、それまでという話で。
2020 年の東京オリンピックに向けてリフォーム代が高騰していることもあって「オリンピックまでは(保管しても)いいよ」とおっしゃっていただいたりしましたが、いつまでも甘えるわけにはいかないので、理事会で検討した結果、淵江高校の近くに倉庫を借りることにしました。まだ若干、浅草に器材が残っていますが、ほとんど倉庫の方に移動しました。
― それでは、今皆さんが担当されている事務局の仕事を教えてください。
(井上)名称としては練習管理チーム・リーダーですね。練習場所の確保、練習日程、器材や譜面の調達や管理などをやっています。
― その中で今、苦労されているのは、器材車の調整でしょうか?
(井上)そうですね。練習日ごとに器材車をアレンジすることですね。
(秋山)私は総務チームのリーダーですね。といっても、チームメンバーは他にないんですけど(笑)。団員の入退団管理、練習日程と場所の周知、団員の練習出欠リストの管理、飲み会のセッティングとか。飲み会の案内は私がしていますが、大概工藤先輩が発案者で、「セッティングしといて」みたいな。
(渡辺)まぁ総務だからね(笑)。
(秋山)欠席の私がなぜか飲み会の案内をしていることも(笑)。
― 団員が探しやすいように、Facebook のグループページで演奏・ドリルの譜面を一か所にまとめてくれましたよね。
(秋山)あれは、もともとは総務の仕事ではないんですが、「譜面どこにあるの?」と皆さんが聞いてくるので、まとめちゃった方がいいかなと思いまして。バラバラだと探すのが大変ですからね。
― 運営の仕方もだんだんと進化していってますね。
(渡辺)私は理事ということで、事務局長をしています。広報、企画、練習管理、会計、総務というチームがありますが、各チームリーダーの総括的な立場ですね。スタッフ以外の裏方系は全部です。
― その中で苦労されているのは?
(渡辺)練習場所ですかね。前期は、雑司ヶ谷や江戸川区文化センターのリハーサル室や葛飾シンフォニーヒルズなどを借りたんですけど、やっぱりちょっと狭いんですよね。しかも予約がなかなか取れない。結果的に今期は、チームリーダーの井上と連携しつつ、淵江高校と高砂と南綾瀬(地区センター)の三か所で行う形になりました。そこが取れなかったときにどうするのかというのが大変ですね。また、淵江については、年度末の 3 月に翌年度分をまとめて申し込んでいます。競合団体がいると抽選になるので、申し込み通りに許可されないこともあります。また、申し込みの結果が分かるのは許可証などの書類が届く 4 月以降になるため、特に 4 月以降の練習日程については周知が遅くなってしまい、メンバーの皆様にはご迷惑をおかけしています。
(秋山)淵江は剣道場で空調がないので、夏暑くて冬寒くて練習できないというのがあって。急遽、ほかの練習場所を借りるということがありましたよね。

葛飾区の施設利用は秋山さんの名前で申し込んでいるので毎度このような看板が。
― 一からバンドを立ち上げてみて良かったことは?立ち上げメンバーとしてご苦労も沢山あったと思いますが、逆に立ち上げメンバーにしか分からない喜びもあるのでは?
(渡辺)皆さんが楽しそうにやっている姿を見るのが嬉しいですね。準備会から携わっていなかったら、ただ来て参加してという感じにしかならなかったと思うんですけど、運営側の視点で客観的にバンドを見て、ここをこうした方がいいんじゃないかと考えるのも、大変なところもありますけど楽しいですね。
(秋山)渡辺先輩がおっしゃっていたことももちろん感じてるんですけど、工藤団長の思いを実現できてきている喜びがありますね。最初は工藤先輩自身も、やりたいけれど本当にできるのか半信半疑の部分もあったと思うんです。電話とかで「すごいことを始めちゃったけど、本当はすごく不安なんだよね」とよくおっしゃっていて、不安がっている姿も見てきたので、みんなが一緒になって一つのものを作り上げていき、工藤先輩の思いが形になっていく過程を最初から見てこられたのは立ち上げメンバーのメリットですし、将来的にこのバンドがどのように成長していくのかをこれからも見届けていきたいという気持ちも、やっぱり立ち上げたからこそあるのかなと思います。
(井上)すごいね、あとは任せた。ちゃんとバンドのことを考えているんだね。
(秋山)いえいえ。前向きなことも言わないといけないかなと思いまして。
(渡辺)前もって言うことを考えてきた?(笑)
(秋山)いやー、ネガティブなことは言っちゃいけないと(インタビュアーに言われたので)。
(一同爆笑)
(渡辺)基本的に温度感が低いよね(笑)。
― 井上さんはいかがですか?
(井上)素晴らしい先輩と同期と後輩に囲まれて嬉しいですよ。自校もそうですけど、六大学の仲間って非常に仕事がやりやすくて。皆さん自ら進んでされるし、苦労を苦労と思わないで乗り越えておられる方々ばかりなので、気持ちよく仕事をさせていただいています。現役当時からそうなんですけど、六大学って自分の中ではライバルだと思っていて、あいつが頑張っているから俺も頑張らなきゃというのがあったんです。ここにきて、みんなで一つのものを作っているんですけど、やっぱりその中でも、あいつには負けられないという気持ちはずっと持っていて、それが六大学のいいところだと思っています。敵わないところもいっぱいあるんですけど、考え方にしても実行力にしても自分よりレベルの高い人たち、よくできた後輩とか(と言いながら秋山さんを見る)
(秋山)ブー(と吹き出す)
(井上)に囲まれて何かができるというのは、自分のモチベーションが上がります。それがたまたまバンドづくりだったし、音楽かもしれません。
― 立ち上げメンバーに入ったことで、それをより実感した感じですか?
(井上)さっきも言いましたけど、こんな自分でもお役に立てているなと。充実感や達成感もあり。でも、いまだやり切れていない部分もいっぱいあるんですけどね。

インタビュー風景。実は2回にわたって収録しました。
― まだまだやりますか?(笑)
(井上)はい。
― 他のお二人もまだまだやりますか?(笑)
(渡辺・秋山)もちろん、はい!(笑)
― どうもありがとうございました。