別世界への旅立ちについて
ゴーイング・ホームの最後には「別世界への旅立ち」という曲が収録されている。
この曲は、亡くなったばかりの人に聴かせる曲である。
1曲24分くらいあるのに、実際は7分くらいの「お導きの文言」を何度も繰り返す。ちなみに、聞いてもあんまりおもしろくないので、わざわざエクササイズとみなしてはやってない。死んでから聞かないと、効果のほどはわからない。
そもそも『ゴーイング・ホーム(患者用)』が、「患者用」なので、特に余命を意識するような病の床にない私が聞くのは適当でもなかったりするけど。
以前は、ゲートウェイは1から6までしかなく、収録されているフォーカスレベルはF21までだったので、当時は死後世界を体験したければこれしかなかった。
今そっちの探索をやりたいならゲートウェイの7、8を買うといいのだろうけど
私が『ゴーイング・ホーム(患者用)』を当時何がなんでもやらなくては!意気込んで入手したのは理由があった。
それは父親の癌との闘いが後半に差し掛かったからだった。
ヘミシンクと身内の死と誕生の年表
ここで私のヘミシンクとの出会いと挫折の年表を書いてみる。
2011年
母が死去。ヘミシンクの存在を知るがまだ手を出さない。
2014年
いくつかCDを入手し、試し聞きしはじめるが、さしたる進展もないまま。寝るか、集中して3~40分間を聞きとおすことができず、半年くらいでギブアップ。ヘミシンクどころか反スピリチュアルになる。みんな嘘をついているに違いないと信じる。
2016年
結婚する。結婚の報告を父にしに行った際に、肺がんが見つかったといわれる。
2017年
父の肺がんはすでにステージ4だということがわかる。脳に転移があるため、手術で取り除くことができないので投薬治療を開始。なんでも分子標的薬というのが出てきたせいで、劇的に薬の精度が上がったんだと、治るようなことをいつも口にしていた。
2018年
息子誕生。
2020年
ヘミシンクをもう一度やろう、と思い立つ。きっかけはまるの日さんの著作
の『非物質ガイドとの探索3』を読んだこと。
ヘミシンクに出会ってなかったら、そのままの人生だったという世界線の話が強烈に脳天を直撃した。私はまだ人生に納得していないと思った。
2021年
コロナ禍で父を訪ねなくなった。父と打ち解けた話ができるのは姉のほうで、姉を通じて悪い話がいろいろ入ってくる。つまり、薬を変えてもあまり芳しくないとか、もう使える薬がなくなってきたとか、骸骨みたいに痩せてきたとか、毛髪がなくなったとか。
この頃、『ゴーイング・ホーム』の購入を検討するようになり、入手する。父の病気に対しての恐れというか、狼狽というか。サポート用のCDが英語版ではあるようなのだが、残念ながら英語はわからないので患者用しかない。本人に聞かせるわけにもいかず、死後の世界をしるべきだという思いに突き動かされる。
2021年
年明けから肺に水がたまっただの、さらにいよいよだと思われる症状がではじめ、姉が父を入院させる。意識がないわけはないが、入院して数日で言語を発しなくなり、うなづいたり瞬きはする。おそらく脳梗塞も併発、寝たきりとなる。
主治医や看護師さんに説明をうけ、「いつもこれが最後だと思って会ってください」と言われる。ブドウ糖だったか?の点滴だけで何か月も持つということはないんですよ。と。余命みたいなことは言えないけど、そういうことなんです。と。
私と姉は地方に移住していた父の家に長期滞在の体制をとる。もうすぐ死んでしまうのだ、とわかって看取るつもりの滞在である。息子を東京に置いてきては、夫が仕事に差し支えるので、当時3歳の息子もつれてきた。時々夫も来てくれた。子供は病院に入れないのでそれが大変だった。
どうしたらいいのか、混乱する中、自宅(父の家)で最期を看取ろう。と思って退院と訪問診療の手配をしたのだが、帰宅日を待たずに病院で死去。72歳。
(同じ状況下にある方、一応介護休暇の対象になるので、お看取りが可能かご検討を。介護保険の申請はしないといけないけど)
2022年
ヘミシンクやっぱりできねーやと匙を投げる。1年間、早朝にしていたヘミシンクの時間を数学の勉強に充てる。
2023年
なんとなくヘミシンク再開。セミナーに初めて出てみる。まだ確信を持った体験をしていないが、ブログとか書いてみる(今ここ)。
「別世界への旅立ち」を父に聞かせたのか?
いやそんなことできないって。
「死亡診断」というのを医師がやってくれるまでは、「心肺停止」としか言わない。
人の生き死にを判定することができるのは医師免許を持った人間だけであり、本当は死んでても、事務的な理由でそれは素人はともかく看護師さんですら「死」と勝手に呼んではいけない。
ようするに、「死」とは、事務手続きのことである。末期の癌で入院してて、「心肺停止です」って言われたらこっちとしては他の受け取り方は最初からないというのに。本来その曲を聴かせるなら、この「心肺停止です」の時点でやらなければならない。多分。なぜ死んでるのに「別世界への旅立ち」を聞かせるのかというと、聴覚が最後まで残るから、ではなかっただろうか。
しかも、いつ死なせるかはちょっと交渉できる。全然どうでもいいと思ったんだけど、私たちが落ち着いて受け入れる準備ができるまでとか、立ち合いたい人を病室に呼ぶかどうか、色々気を使って病院側に聞かれる。大体すんでから医者を呼ぶ。
それが終わると、管を抜いたり、清拭されたり、エンゼルケアのような段階になる。父は肺に穴が開いてしまって、外からポンプを入れていたので、清拭中は追い出された。別にいいのにな。立ち会いたかった。死に化粧は参加させてもらった。ちょっとチークを失敗したのですまんと思った。
この間父の魂は?・・・ぜんぜんわからない!あれだけこの日のためにヘミシンクをやってきたのに、何にもわからなかった。
ヘミシンクをやっていない姉は、寝たきりの父が歩いてトイレに行って「あれ、N村さん(友人)は来てないのか?」とか父が言うという、夢をうたたねの時に見ている。
それから葬儀屋を手配したり、遺体を家に帰す用意をしたり、車で待たせている夫と息子に連絡をしたり、父の兄弟に連絡をしたり。病室の中でも結構忙しくて、それどころではない。実は「iPhoneのスピーカーで聞かせちゃおうか?」とちらっと思いつつ、個室だけど意外と人が出入りするのでできない。姉とも打ち合わせているわけではないので、姉の前でもいきなりはできない。そんなわけで結構ハードルが高い。
もしやるならば、
●看取りの際に立会者全員の了解を得ておくこと
●できれば自宅での看取り
のような環境でなければ実施そのものが結構難しい。
やっぱり自分で
私はエリザベス・キューブラー・ロス先生の本を読んで、死とは何か、死に向かっていくとはどういうことなのかを考えた。
ヘミシンクでお手軽に(そういうつもりではなかったけど)知ろうとせずに、まずはキューブラー・ロス先生の本を読んだほうがよかった。少なくとも、死を意識した人に寄り添うことがもっとできたのかもしれない。もっとも、ゴーイングホームはキューブラー・ロス先生の監修なのだが。
ヘミシンクが未熟な段階でいえることは少ないのだが、個性としての魂が存在し続けることを信じている。その証拠を掴みたいと思っている。
父も母も、自分なりに楽しくあの世ライフを送っているに違いないと思うけど。ちょっと平均寿命より二人とも早いので、その病気に特別意味があったのではないかとか、考えている。
今は、人に聞こうとは思わないんだよな。
信じられないんだよね、心からは。だから自分で確認したい。
母の時は、霊能者に依頼してメッセージをもらったけど「適当なこと言いやがって」という気持ちが消えないので、自分で体験するまで諦められない。
ガイドもそうなんだけど、人に見てもらっても、いまいち信じられない。「適当なこと言いやがって」と思ってしまう。
やっぱり自分で体験したいものだなあ。
















