ここがヘンだよ日本人⑪ 言葉と実体がどんどんかけ離れて行ってしまう | 鳥頭三太郎の生活と意見と愚痴とぼやき及び鳥頭日記あるいはオポッサムの遠吠え且つ懺悔録または自己批判文及び居酒屋談義あるいは備忘録

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 私の日々思うことや、見た映画や読んだ本の感想や、ネットで見つけた情報なんかを皆様にお知らせしようと思います。
 なお、私のいうことにはいろいろ間違いもあると思いますので、100%信用してしまわないよう気を付けてください。

 自衛隊と憲法9条の関係で現在も問題になっているのですが、日本では言葉と実体がどんどんかけ離れて行ってしまうという現象がしばしば起こるようです。

 

 

 

 

 日本は日本国憲法第9条で「戦争放棄」した「平和国家」のはずなのですが、いつの間にか世界第7位の軍事大国になっているようです。

 

 

 

 

 

 

 自衛隊は英語では「Japan Self-Defense Forces」とされており、「Forces」は「軍隊」と言う意味ですから、「日本自衛軍隊」となるはずなのですが、国内向けには「軍」というのを抜いて「自衛隊」とソフト化してまやかしています。

 

 

 

 

 私も最近まで知らなかったのですが、国外に対しては堂々と軍隊と言っているわけなんですけど、いいのでしょうか?

 

 

 

 

 今はもういないようですが、ソビエト連邦崩壊以前は「日本には軍隊はない」という「知識人」が結構いたのですが、「知識人」のくせに英語ができなかったのでしょうか?

 

 

 

 

 謎だらけです。

 

 

 

 

 自衛隊の法的根拠は「自衛隊法」なのですが、憲法との整合性を持たせるため、「自衛隊の任務」を規定した第三条2項で、『武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において・・・実施する・・・ことを任務とする』とされています。

 

 

 

 

 

 この条文をすなおによめば、法律上では、自衛隊は「軍事力の行使はできない」ということになりますので、言葉の上では「軍隊ではない」ことになるのでしょう。

 

 

 

 

 しかし、日本国は、実体上日本国憲法の上に日米安保条約があるドミニオン状態であり、「お上」である米国の命令に逆らえない体制ですので、自衛隊は米軍の一部に組み込まれたような状態になっています。

 

 

 

 

 

 朝鮮戦争時に占領米軍が朝鮮半島に出動するための「米軍の代用品」として作られた警察予備隊から保安隊を経て自衛隊になったという経緯を見ても、元々日本を防衛するためではなく、米軍を補完する「軍事組織」という面が強かったようです。

 

 

 

 

 

 保安隊の段階で、英語では「National Safety Forces」となってますので、国際的には「軍隊」という位置づけになるのですが、国内的には「戦力が無いので軍隊ではない軍事組織」であるという屁理屈を当時の吉田政権は言い張りました。

 

 

 

 

 

 

 

 自衛隊もその屁理屈を受け継いで、国内と国外で言葉を使い分けているわけですが、世の中の右傾化に伴い、以前は「特車」というユンボやブルドーザーのような名称だったのを堂々と「戦車」と言い出してますので、危ない状況です。

 

 

 

 

 

 「戦車」と言うと、まるで「軍隊」のように思われてしまいますので危ないのではないかと思うのですが・・・。

 

 

 

 

 まあ、部や課の名前を変えただけで「機構改革」と言い張る役所が各地にありますが、国家公務員でも地方公務員でも言葉で実体をまやかすという思考様式は共通しているようです。

 

 

 

 

 もうだいぶ前のことですが、私の住んでいるF県では「土木事務所」が、いきなり「県土整備事務所」に名称が変わったので、機構改革で内部組織も何か変わったのかと思ったら、単に事務所の名前を変えただけでした。

 

 

 

 

 どうも、「土木利権事務所」とか陰口を言われるのを嫌がって名前を変えたようですが、「利権の巣窟」という実体は何も変わっていなかったようです。

 

 

 

 

 それはさておき、自衛隊は、かつての「イギリス領インド軍」のような植民地軍的な性格を濃厚に持っており、イージスアショアの例を見ても、日本国民を守る軍隊ではないようです。

 

 

 

 

 

 「アメリカ領日本軍」というのが、「自衛隊」の実体・本質を表現するのに近いようなのですが、そんな言葉を使えるはずもないので、言葉と実体がかけ離れている場合、実体は無視するのが「日本教」のようです。

 

 

 

 

 

 

 

 「日米安保条約(+地位協定)」というのは「日本を米国のテリトリー(=なわばり)にする」という内容の条約なのに、実体とはかけ離れた名称にして、米国が日本を防衛するような錯覚を日本人に刷り込んでいます。

 

 

 

 

 

 これは一つの例にすぎず、言葉と実体がかけ離れて行って、現実世界では有り得ないはずの「矛盾そのもの」が「実体のようなもの」として存在している例が、日本に結構たくさんあることを最近発見しました。

 

 

 

 

 

 これも官僚制の弊害なのでしょうけど、ご都合主義的なことを長年積み重ねてきたので、日本人(=日本教徒)の場合、高級官僚のような知的エリートでさえ論理的に考えることができなくなってしまっているとしか思えません。

 

 

 

 

 結果的に、現在の日本人は「地球平面説信者」のように現実離れしたことを信じ込まされているようです。

 

 

 

 

 

 なお、「名は体を表す」という慣用句は、元々は浄土教系の仏教用語で「南無阿弥陀仏の、阿弥陀様の本の功徳を表す」というのを短縮したものであって、現在のようななんでも「名前が実体を表す」というのは誤用みたいなのですが・・・。

 

 

 

 

 

 省略しすぎてもともとのありがたい意味とは全然違う意味になってしまっています。

 

 

 

 

               ありがとうございます