<岡山競馬場>
=古岡山競馬場(西大寺競馬場)=
古岡山競馬場は地方競馬規則に基づき上道郡西大寺町の吉井川河川敷に開設されたという。同競馬場では昭和2年10月30日から7年秋季開催まで競馬が行われた後、岡山市原尾島の旧岡山競馬場に移転廃止となった。
=旧岡山競馬場=昭和22年10月7日撮影。USA-R516-3-64 。この写真は南が上になっているため、下の写真では補正した。
旧岡山競馬場では昭和8年春季開催から地方競馬規則に基づく競馬を開催し、以後、軍馬資源保護法、地方競馬法、現行競馬法に基づく競馬を開催し、昭和28年の途中で新岡山競馬場に移転、廃止となった。
馬場の1周は1000m、現在地は岡山市原尾島2,3,4丁目。
=新岡山競馬場=昭和36年7月18日撮影。MCG612-C11-438
新岡山競馬場では昭和28年の途中から競馬を開催し、昭和33年の開催をもって廃止された。
馬場の規模は不明。現在地は岡山市江並のセイレイ工業、内山第2工場の工場地。
<倉敷競馬場>昭和22年10月1日撮影。USA-R512-3-17
倉敷競馬場は、地方競馬規則に基づき開設され、昭和4年11月3日開催から13年春季まで開催。軍馬資源保護法の施行により廃止。
馬場の1周は1000m。現在地は倉敷市老松町4丁目の倉敷工業高校、倉敷平成病院、老松小学校・幼稚園・保育園等。これらを囲む道路の一部に馬場の形態を残している。
<広島競馬場(別名:広島第1競馬場)>昭和14年12月6日撮影B26-C3-34
広島競馬は、大正14年に安佐郡深川村に常設競馬場が作られたのが初めという。この深川競馬場は競馬規程に基づく競馬場か競馬取締規則(大正14年広島県令第50号)に基づく競馬場か不明である。
昭和2年には広島市観音町に移転し、地方競馬規則に基づく競馬を開催。
昭和6年秋季開催からは宇品町に移転、更に昭和8年秋季開催からは、大洲町に移転した。その後、軍馬資源保護法に基づく競馬も行われたが、戦争の激化とともに開催を休止し、以後再開されることなく、五日市競馬場に移転し、地方競馬法に基づく競馬は同場で行われた。
馬場の1周は1000m。 現在地は広島市東区大洲2,3,4丁目。
ところで、昭和4年には、福山市野上町に広島第2競馬場が開設されたという。この福山市の広島第2競馬場は昭和8年秋季開催から休場となり、以後再開されなかった。現在の福山競馬場とは別の位置にあり、系譜的にも広島第2競馬場は現在の福山競馬場につながっていない。広島第2競馬場の馬場規模は不明である。
<五日市競馬場>昭和23年3月19日撮影。USA-M850-A-43
五日市競馬場は、昭和21年に地方競馬法に基づく競馬場として開設された。21年に1回5日間、22年に3回13日間、23年に1回5日間の競馬を開催したが、競馬法に基づく競馬は開催されないまま、福山競馬場に移転廃止となった。
現在地は、広島市佐伯区五日市中央6丁目の造幣局周辺。馬場の規模は不明。
<福山競馬場>昭和36年5月30日撮影。MCG613-C9-326 (なお、この写真は上が西になっているため、下の写真は、補正した。)
福山競馬場は、競馬法に基づく地方競馬場として、昭和24年に五日市競馬場から移転、開設され、同年から現在まで地方競馬が開催されている。馬場の規模は、1周1000m。
上記空中写真は、福山競馬場が写っている最古のものである。次の年代の空中写真は昭和50年2月4日撮影のCCG746-C4-50 。最新の空中写真は平成17年6月14日撮影のCCG20051X-C17-48 。
<大歳競馬場>
大歳競馬場は地方競馬規則基づく競馬場として昭和2年開設、同年秋季から昭和5年秋季開催まで競馬を開催。湯田競馬場に移転、廃止。
その所在地は明であるが、山口県内に大歳の地名をもつ場所は、周南市、周防大島町及び山口市の湯田温泉の隣駅の大歳駅がある。大歳競馬の主催者は湯田競馬の主催者と同じ吉敷郡・山口市産馬畜産組合であるので、湯田競馬場の近隣にあったと思われる。
馬場の規模は不詳。
<湯田競馬場>昭和22年9月23日撮影。USA-R507-3-49
湯田競馬場は昭和8年に大歳競馬場から、山口市大字下宇野令字彼岸田に移転、開設。昭和8年12月23日から競馬を開催。昭和13年秋季開催をもって、軍馬資源保護法の施行に伴い廃止された。
馬場の1周は1000m、現在地は山口市泉町周辺。
<柳井競馬場>
柳井競馬場は、地方競馬法に基づく競馬場として開設され、昭和22年から開催を始めた。次いで、競馬法に基づく競馬を開催した。昭和24年の開催をもって廃止。跡地は馬場をそのまま使用して、山陽オートレース場の前身である柳井オートレース場になったという。
空中写真は、昭和22年撮影のUSA-R516--1-44 には馬場らしきものがない。昭和36年、37年撮影(MCG626-C10-18 )のものには馬場らしきものがあるが、オートレースのコースかもしれない。
馬場の規模は不明。現在地は、柳井市柳井。
なお、柳井競馬場と下関競馬場(小月競馬場)の関係であるが、柳井競馬場は下関(小月)競馬場が競馬を開催していなかった間だけ競馬を開催している。地方競馬史第1巻では、この間を下関競馬場の「休場」としているが、1県内の競馬場の数の法令による規制を考えると、小月競馬場が柳井競馬場に移転し、柳井競馬場が下関競馬場に移転したというのが正確な事実ではないかと思われる。
<下関競馬場(小月競馬場)>昭和22年10月4日撮影。USA-R515-2-99
下関競馬場は所在地の名をとって小月競馬場とも言う。昭和5年に地方競馬規則による許可を受けて、翌年5月23日から競馬を開催。軍馬資源保護法、地方競馬法に基づく競馬を開催したが、昭和22年の開催をもって一旦閉鎖。柳井競馬場の廃止、移転という形で、昭和25年から競馬法に基づく地方競馬場として再開設し、競馬開催を開始。昭和38年の開催をもって廃止。
廃止前年の空中写真は、昭和37年5月22日撮影のMCG624-C2-6 。
馬場の1周は1000m。現在地は下関市小月小島1丁目のシマノ工場。
<宇部競馬場>昭和23年6月7日撮影。USA-R47-3A-27
宇部競馬場は、地方競馬法に基づく競馬場として開設され、昭和23年から競馬を開催した。引き続き、競馬法に基づく地方競馬場として開催を続け、昭和28年の開催をもって廃止された。
馬場は1周1200M。現在地は宇部市際波。
<高松競馬場>昭和28年4月1日撮影。USA-M125-43 。現在地は高松市郷東町の香川県警察学校、香川県立高松高等技術学校、香川県自動車学校等。
高松競馬場は、地方競馬法に基づく競馬場として開設。昭和22年から開催を開始し、引き続き競馬法に基づく地方競馬を開催。昭和29年の開催をもって廃止。廃止年には弦打村営競馬のみが開催されていた。
馬場の1周は1000m。変則6角形の極めて特異な形態の競馬場であった。
なお、造成中或いは地方競馬法に基づく競馬が行われた時代の空中写真は、馬場が鮮明には見て取れないが昭和22年10月8日撮影のUSA-R517-4-50 。
<仏生山競馬場>
仏生山競馬場は昭和4年、香川郡仏生山町大字百木目に開設。同年10月18日から開催。昭和13年秋季開催をもって、軍馬資源保護法の施行に伴い廃止。
馬場は1周1000M
以上で四国の競馬場の紹介を終える。いよいよ本州である。山口県から北上するが、前途遼遠である。
徳島県の競馬場の所在地は、今ひとつはっきりしないことを、まずお断りしておく。以下は推定の結果である。
<徳島競馬場>昭和22年10月11日撮影。USA-R519-1-52
徳島競馬場は、昭和4年に地方競馬規則に基づく競馬時用として徳島市田宮町に開設。昭和5年4月1日から競馬を開催。軍馬資源保護法の施行により、一旦、閉鎖。昭和23年、現行競馬法に基づく地方競馬場として再開設。昭和30年開催をもって閉鎖された。閉鎖後であるが、上記空中写真の次の年代の空中写真は、昭和36年5月6日撮影の次の写真。MSI611-C12-7 。馬場が作り替えられている。
現在地は、徳島市北田宮4丁目の城北高校等。馬場の1周1000mと地方競馬史にはあるが、空中写真からは、それは公称であって実際には不足していたのではないかと思われる。というのは、地方競馬史に記載されている所在地は徳島市田宮町とあり、当該地域の空中写真からは、上記地しか、競馬場らしき画像が見られないから上記地と推定したのであるが、25000分の1地形図に落とし込んでみるとゴール前の直線が100Mちょっととしか見えないのである。もしかすると陸上競技のトラックかもしれない。
<鳴門競馬場>
鳴門競馬場は、昭和23年に地方競馬法に基づく競馬場として、鳴門市里浦町字平松片桐に開設されたという。その後、現行競馬法に基づく競馬を引き続き開催。昭和28年の開催をもって廃止された。馬場の1周は1000m。
<吉野川競馬場>
吉野川競馬場は、昭和8年開設。軍馬資源保護法の施行により、昭和13年春季開催をもって廃止。馬場の1周は1000m。地方競馬史第3巻では、その所在地を「板野郡川内村榎瀬及同中島地先」としているが、同時に他のページに載せられている地図では、三好郡の方に印が付けられており、混乱している。
混乱はもう一つある。吉野川競馬場の前身は、競馬規程に基づき大正15年に「徳島市下助任町大字大岡地内別宮川右岸河川敷」に建設された競馬場が、昭和3年に「板野郡里浦村字坂田」に移転し、昭和7年に「再び」?「板野郡川内村榎瀬」に移転したとある。一方、吉野川競馬場の年次成績の表では、昭和3,4年は「撫養」、昭和5年は「加茂」、昭和6年は里浦」、昭和7年秋は「加茂」で開催された旨の記載がある。
馬場の1周は1000m。
<三津浜競馬場>昭和22年10月18日撮影。USA-R521-7-55 。なお、この空中写真の北は、右斜め上方向である。
三津浜競馬場は昭和4年地方競馬規則に基づき、開設。同年4月12日から競馬を開催。地方競馬規則、軍馬資源保護法、地方競馬法、競馬法に基づく競馬を引き続き開催し、昭和30年の開催をもって廃止された。廃止後2年たった時点の空中写真は、MSI625-C13-1 。
現在地は、松山市春美町、辰巳町。馬場は1周1000m。
<三芳競馬場>昭和23年1月30日撮影。USA-M754-11
三芳競馬場は、昭和4年に地方競馬規則に基づく許可を受けて開設。翌5年4月11日から13年春季まで16回、競馬を開催し、軍馬資源保護法の施行により廃止。
現在地は、西条市三芳の日泉化学の工場の当たり。馬場は1周1000m。
11/3船橋JBCの売上げは、2,449,902,400円である。収支はどうだったのであろうか?おおよその計算をしてみた。
ところで、売上げに対するコストは、定額制のコスト、売上げに対する料率によるコスト、その併用コストがある。そこで、1定額制及び併用、2料率制に分けて、収支の概算をしてみる。
1 定額制及び併用
(1) 本場とWINS新橋での売上げは402,165,000円でであったから、払戻金75%を差し引いた粗利益率25%として、粗利益は100,541,250円である。
(2) 南関東電話投票SPAT4での売上げは、647,224,900であったから、払戻金75%を差し引いた粗利益率25%として、粗利益は161,806,225円である。
2 料率制
(1) 南関東各場及びその場外発売所での売上げに対する料率は15%が基本であるから、粗利益率は10%として、売上額661,777,600円の粗利益は66,17,760である。
(2) 他地区競馬場の内、当日開催場(北海道、名古屋、兵庫、荒尾。ただし、荒尾は九州共同トーターで非開催の佐賀と分けられないので除く。)での売上げに対する料率は基本13%プラスNRSセンター使用料が1%であるから、粗利益率を11%として、売上額299,219,000円の粗利益は32,914,490円である。
(3) 他地区競馬場の内、当日非開催場での売上げ及びBAOO等の場外に対する料率は基本15%プラスNRSセンター使用料が1%であるから、粗利益率を9%として、売上額312,564,600円の粗利益は28,130,814円である。
(4) 楽天競馬での売上げに対する料率は、基本11%プラス0.6%であるから、粗利益率を13.4%として、売上額108,090,900円の粗利益は1,484,181円である。
(5) オッズパークでの売上げに対する料率は、基本12.5%プラス0.1%プラス楽天銀行決済分2.4%であるから粗利益率は10%として、売上額18,860,400の粗利益は1,886,040円である。
以上、粗利益の合計額は405,940,360円である。固定経費の額はわからないが、そのうち賞金額は、当日総額346,630,000であるが、交流競走に係るJRAからの交付金が69,700,000円あったはずであるから差引、129,010,360円が残る。これは、売上げの5.3%に当たるが、これから諸々のコストを賄っても最低収支トントンに収まったのではないかと思う。
高知競馬は、江戸時代末期から明治初年に欠けて神馬による春秋2回の祭典競馬を行ったという。明治19年に至り高知公園東側広場に600m円形馬場を作って4日間の競馬を行い、以後、高知市周辺各所で乾田・畑等を掘り上げて作った馬場で祭典休日などに競馬が行われたという。
明治41年、競馬規程の施行後は、県内数カ所に常設の競馬場が建設されたという。
<桟橋競馬場、旧高知競馬場>
桟橋競馬場は、高知競馬場とも桟橋競馬場とも称していた。
大正5年、競馬規程に基づく競馬場として1周800mの馬場が建設され、以後、地方競馬規則に基づく競馬も開催された。昭和4年には、馬場が1周1000mに延長された。軍馬資源保護法の制定に伴い、昭和13年をもって、一旦、廃止された。
昭和25年、長浜競馬場が競馬法に基づく高知競馬場として廃止され、桟橋競馬場が新たな高知競馬場として再開された。そして、昭和60年、現在の高知競馬場である新高知競馬場に移転、廃止となった。現在地は、高知市桟橋通6丁目。
上の空中写真は、現行競馬法に基づく地方競馬が開催されていた頃の最古の写真である昭和27年12月5日撮影のUSA-M211-158 。地方競馬規則時代の空中写真は、一旦廃止の後であるが昭和22年12月15日撮影のUSA-M692-1-1-81 。新高知競馬場移転前の空中写真のうち、比較的近年のカラー写真は昭和50年9月9日撮影のCSI757-C4A-9 。
<山田競馬場>
山田競馬場は地方競馬規則に基づく競馬場として昭和2年に香美郡土佐山田町に開設された。同競馬場では昭和2年春季競馬から8年春季まで競馬を開催し、長浜競馬場に移転廃止となった。
馬場の1周は800m。現在地は不詳。
<長浜競馬場、古高知競馬場>
昭和23年10月19日撮影。USA-M1194-A-2 (なお、この写真は高解像度で閲覧しないと、馬場全体を見ることができない。) 。現在地は高知市長浜の長浜公園周辺
長浜競馬場は、昭和8年に山田競馬場から移転、開設。 長浜競馬場(1周1000m)では、昭和8年11月23日から競馬を開催し、以後、軍馬資源保護法、地方競馬法、競馬法に基づく競馬を開催し、昭和24年の開催をもって、桟橋競馬場に移転、廃止となった。
なお、縮尺が小さいが昭和22年10月13日撮影のUSA-M550-1-10
を高解像度で閲覧すると、長浜競馬場と桟橋競馬場が一緒に写っている。
<高知競馬場>平成4年4月20日撮影。CSI922X-C6-15
昭和60年に、旧高知競馬場(桟橋競馬場)から移転開設。移転当初の空中写真は昭和62年4月18日撮影のSI872X-C7-17
。最新の空中写真はMSI20033X-5-13
。
なお、上の画像の右下辺りに長浜競馬場があった。
<福岡競馬場>
福岡競馬場は、地方競馬規則の改正により、福岡県内に3競馬場が認められたことに伴い、昭和5年筑紫郡春日村大字小倉に開設。同年春季開催から7年春季開催まで競馬を開催。春日原競馬場に移転廃止。
馬場の規模、現在地とも不詳。
<春日原競馬場>
春日原競馬場は、昭和7年筑紫郡春日村大字春日に福岡競馬場から移転開設。昭和7年11月4日から競馬を開催。昭和13年秋季をもって、軍馬資源保護法の制定に伴い廃止。
馬場は1周1200m。現在地は不詳。
<福間競馬場>昭和23年10月18日撮影。USAwide-R408-52
福間競馬場は、昭和15年に軍馬資源保護法に基づく競馬場として開設。以後、同法に基づく競馬、地方競馬法に基づく競馬、競馬法に基づく競馬を開催した。昭和34年をもって廃止された。馬場の規模は不明である。襷の障害コースがあった。馬場の規模は不詳。
廃止直後の空中写真は昭和36年9月18日撮影のMKU613-C38-2
。現在地は福津市西福間4丁目ののスポーツセンター等。
<八幡競馬場>昭和35年6月5日撮影。KU601YZ-C4C-181
八幡競馬場は昭和25年に現行競馬法に基づく競馬場として開設。昭和31年をもって廃止。現在地は北九州市八幡西区洞北町。馬場の規模は不明。
<小倉競馬場>
小倉競馬は、「競馬開催を目的とする法人の設立及び監督に関する件」(明治39年閣令第10号)に基づき小倉に設立された競馬会の競馬に始まる。なお、この閣令によって設立された競馬会は、根岸・池上・目黒・川崎・板橋・松戸・函館・宮崎・鳴尾・札幌・京都・小倉・新潟・藤枝である。これらの競馬会は、後に函館・札幌・新潟・松戸・東京・日本レース(横浜)・藤枝・京都・阪神・小倉・宮崎の11倶楽部に再編された。これが中央競馬の源流である。
当初の小倉競馬場は、遠賀郡戸畑町に開設され、大正8年に小倉市三萩野に移転。更に、昭和6年に現在地に移転したようである。
小倉競馬場の最も古い空中写真は、昭和22年4月26日撮影の次の写真(USA-M279-43 )である。なお、翌年撮影のUSA-R238-No2-29 の方が鮮明であり、この写真によれば、芝コースの内側にダートコース、更にその内に両襷の障害コースが見られる。
この両襷の障害コースがいつから現在の片襷のコースに変わったのかは良くわからない。それがはっきり見られるのは昭和50年3月8日撮影のCKU747-C14-4 2 。この間の空中写真は、MKU613-C17B-8 及びMKU661X-C4-23 。
【追記】 国土地理院のホームページにおける空中写真の解像度が良くなった為、上記昭和36年10月8日撮影のMKU613-C17B-8において既に片襷の障害コースとなっていることが認められた。
以上で、九州の昔の競馬場の紹介を終える。次は、四国の競馬場を紹介する。


















