昔の競馬場=徳島県= | 堪忍袋=偏屈親爺の狷介録=

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アメンバー登録したら出来てしまったブログですので、ここには何も掲載しないと思います。←と言いましたが、私家版のブログにしました。タイトルも設定しました。

 徳島県の競馬場の所在地は、今ひとつはっきりしないことを、まずお断りしておく。以下は推定の結果である。


<徳島競馬場>昭和22年10月11日撮影。USA-R519-1-52


堪忍袋=偏屈親爺の狷介録=-徳島競馬場

 徳島競馬場は、昭和4年に地方競馬規則に基づく競馬時用として徳島市田宮町に開設。昭和5年4月1日から競馬を開催。軍馬資源保護法の施行により、一旦、閉鎖。昭和23年、現行競馬法に基づく地方競馬場として再開設。昭和30年開催をもって閉鎖された。閉鎖後であるが、上記空中写真の次の年代の空中写真は、昭和36年5月6日撮影の次の写真。MSI611-C12-7 。馬場が作り替えられている。


 現在地は、徳島市北田宮4丁目の城北高校等。馬場の1周1000mと地方競馬史にはあるが、空中写真からは、それは公称であって実際には不足していたのではないかと思われる。というのは、地方競馬史に記載されている所在地は徳島市田宮町とあり、当該地域の空中写真からは、上記地しか、競馬場らしき画像が見られないから上記地と推定したのであるが、25000分の1地形図に落とし込んでみるとゴール前の直線が100Mちょっととしか見えないのである。もしかすると陸上競技のトラックかもしれない。


<鳴門競馬場>

 鳴門競馬場は、昭和23年に地方競馬法に基づく競馬場として、鳴門市里浦町字平松片桐に開設されたという。その後、現行競馬法に基づく競馬を引き続き開催。昭和28年の開催をもって廃止された。馬場の1周は1000m。


<吉野川競馬場>

 吉野川競馬場は、昭和8年開設。軍馬資源保護法の施行により、昭和13年春季開催をもって廃止。馬場の1周は1000m。地方競馬史第3巻では、その所在地を「板野郡川内村榎瀬及同中島地先」としているが、同時に他のページに載せられている地図では、三好郡の方に印が付けられており、混乱している。

 混乱はもう一つある。吉野川競馬場の前身は、競馬規程に基づき大正15年に「徳島市下助任町大字大岡地内別宮川右岸河川敷」に建設された競馬場が、昭和3年に「板野郡里浦村字坂田」に移転し、昭和7年に「再び」?「板野郡川内村榎瀬」に移転したとある。一方、吉野川競馬場の年次成績の表では、昭和3,4年は「撫養」、昭和5年は「加茂」、昭和6年は里浦」、昭和7年秋は「加茂」で開催された旨の記載がある。

 馬場の1周は1000m。