奄美大島のユタ神様-61YYqGa6nVL.jpg
「奇怪島」異聞「よそ者が島の秘密をバラすのか!」南西諸島で今なお信仰される生き神 霊能力者 ユタ神様の真実 …奄美大島・加計呂麻島(鹿児島県奄美市・龍郷町・瀬戸内町/奄美群島)2008年10月28日、奄美大島の ユタ神である Kさん(78)が刃物で首を滅多刺しにされ殺害されるという事件が起きた。犯人の男が口にした「ユタ神に恨みがあった」という言葉―。 ユタ神 とは一体何なのか。そして犯人が「恨みをいだくこと」とは一体何だったのか。沈黙の集落‐中心地の奄美市名瀬から10分も車を走らせるとアパートや住宅地もまばらとなり、前方には緑を増して黒黒と見えるほどの鬱蒼と茂るジャングルが人家に迫るようにかぶさっていた。ここは亜熱帯の島である。山肌は本土では見慣れないシダやソテツなどの植物で埋めつくされ、圧倒的なその大自然の中に人々の暮らす集落が点在している。空港に続く幹線の国道から外れて県道を15分ほど走ると、やがて市境を越えて龍郷町に入る。はるか前方に沈黙を決めこんだような集落が見えてきた。スピードを落として集落内につながる路地へ車を進める。今にも雨粒が落ちてきそうな重く垂れこめた雲が、低い屋根の続く集落の上にのしかかっているようで、陰鬱な雰囲気をさらに助長していた。人が見あたらない。車を下りてしばらく海を眺めていたが、誰一人として出会うことがないのだ。80戸も寄りかたまって佇む集落であるあるはずなのに、家から出てくる者は誰もいなかった。それにしてもあまりに寂しすぎる集落ではないか―。前方の電信柱の上で不吉にもカラスの群れが何事か起こったように騒ぎ始めた。集落外れのゴミ置き場は、ここに住む人々の情念の吐き捨て場のような様相を呈していて、黒ずんで塊となったような澱(おり)のようなものが漂っている。それが何物なのかはわからないが…。私は今、この事件のあった場所に来ている。この集落の外れにあるただ一軒の売店に入り、パンと菓子を買ってレジに立つおばさんの前に立った。私が「この集落で、ユタ神のおばあさんが殺されましたよね」とたずねるとちょっと驚いたような顔で、私をじっと見つめたが、気を取り直して私が買った品物を袋に入れながらこう言った。「いい人で恨まれるようなことは絶対にないのですがね。この地域では本当に慕われていたおばあさんなんです」と、残念そうな表情を浮かべた。客は,私以外にいなかったので,しばらく話ができた。殺されたおばあさんは、やはりユタ神として地元の人々の信頼も厚く,集落の精神的支柱となるような人だったという。こういう人を失ってしまった失望感というものが、この集落に入ったときの重く、打ち沈んだような、元気のない印象そのものだったような気がする。「ユタ」とは何者か?奄美大島は以前から私の好きな島で、これまでにも何度か、足を運んだことがある。マングローブのジャングル、ヒカゲヘゴの大群落など、亜熱帯の植物が繁茂する自然の豊かさには、沖縄の西表島以上のものを感じていた。今から15年ほど前だっただろうか。私は奄美大島南西部にあたる宇検村という村のとある集落で、白装束の婆さまが男一人と女二人の計三人を従えて、庭先にある祠の前で祈り、祭事を行っている光景を見た。強烈な太陽の下、装束の白さだけが残像として残っている。押し黙ったまま緊張の面持ちで執り行われていた。この祭事の意味を聞くことはできなかったが、全員が一つの神の下でかしこみ、託宣を受けていることは一目瞭然だった。今から思えばこの白装束の婆さまこそ ユタ神 であったのだ。これは過去の実話としてじゅうぶん考えられることだが、近世、それも現代に至ってはまた別な意味でのユタ受難の実態があった。原因不明の病気にかかってしまい,どんな手だてもないときや,凶事がたびたび起こるとき、新築する屋敷の方位相談、運勢占いをしなければならないとき、結婚や家系相談など、およそ一人では推し量れないような問題を抱えた人は、その答えを出すために,ユタにみてもらう。そうした一方で、迷い事の渦中にいて判断力が弱っている人や藁をもすがる思いでユタの教示をこう人たちに、ユタを名乗る悪徳霊感商法など,詐欺師たちの悪の手が伸び、高額のものを売りつけられたりする詐欺事件も少なからず起きた。こんなこともあり、本来のユタが謂れも詐欺犯罪と十把一絡げにされてしまうこともある。「ユタの毎日の仕事は、お供えや水を神に祀ることである。これを何も告げずに放棄したとき、ユタは水神様によって殺されてしまう。」「ユタの呪文は、例えばひと言でも間違えると、その災いは全部自分に降りかかるという恐ろしいものでしたよ,ユタは水神様を祀って「ユタ」となるわけだけど、この根源を辿ればこの島の自然界すべてのものを溶かし込んで流れる水。そこに関わる自然も共生しているわけでしょ」ユタにみてもらう際には絶対に忘れてはいけないものが三つある。一つ目は「塩」。二つ目は「焼酎ニ合瓶三つ目は「御礼」―のし袋に 御神前 と書き中には3千円を入れること。私は、この三つを準備して、さっそく奄美市名瀬のど真ん中にあるユタ神様の家へ向かった。奄美大島でもっとも多くの配下のユタを持つ「親ユタ」と呼ばれる人物で、ユタ神の最上階に位置する人物である。その親ユタは、奄美では珍しい「男ユタ」だった。80歳を超える男ユタ・阿世知照信は、年期の入った白装束に着替え、私を祭殿の前に座らせた。数珠のようなものを両手でこすり合わせながら祭殿に一礼すると、初めは低く抑揚のない祝詞で始まった。軽く咳ばらいをしながら頭を上げ下げして、天空から何かを降ろしているかのようでもある。鏡を置いた祭殿には、神が降りてくるといわれる蜜柑の葉やススキを差した祭花瓶がいくつも立っている。つやつやと黒光りして古色をたたえるその祭殿は、一体どれほどの年月を経たものなのだろうか。相当に昔のものであることを感じさせる。祭殿は三段だ。最上段は神様がおわします場所で、大注連縄に米、栗の穂が付けてある。三種の神器である「鏡」がいくつも置かれ、祭花瓶、献酒盃、鳥をかたどった置物などの間には献納された御神酒の焼酎瓶が置かれている。そして所かまわずカラフルな数珠状のネックレスのようなものが掛けられている。彫り物の立派な祭殿にも圧倒されるが、その置かれているものの見慣れぬ形象にも度肝をぬかれる。全体的にはどこかで見たことのあるような妙なレトロ感が漂っていたり、まったく見たこともない不思議な形をしたものだったり…。男ユタの背中の後ろから、私も拝みながら聞き慣れぬ妙な祝詞を聞いていた。持参した焼酎のビンのふたを開けると、中味(酒)を大鍋に空けてしまい一度カラにして、そのビンには男ユタが用意している「清水」が詰め替えられた。祭殿の一番下、お供えの御花米(ミハナグミ)の横にそのビンが置かれると、何やらそのビンに映るものを見ているようだ。ユタのシャ―マン世界を解説する民族学者の本には、この清水の中に神が乗り移ってくるに従って、きらきらと光るもが,かたちを作ってくる。…と書かれている。神が清水の液体の中に,何かを描き出すというのだ。男ユタは、ぶつぶつと小声ながら「これは大丈夫だ。今すぐどうのこうのはないな」とご託宣を述べている。4、5分の祝詞が続いた後、やおら祭殿から,こちらに居直った男ユタの口から「こっちに寄って…」という言葉が飛んだ。「頭、下げて」言われるがままに頭を下げると,いきなり男ユタが口に含んだ御神酒を大きく二回、頭からプ―ツプ―ッと勢いよく吹きつけた。焼酎をかけて焼かれている火のついたままの焼き塩が、箸で手のひらのうえに置かれた。熱くはないが手の上で炎が上がるのは奇妙だ。消えるのを待つかのように、「はい、塩。舐めてからあたまの上に乗せて」と言われた。おき清めなのだろうか。言われる通りにした。「これは守り酒、身体を壊したときだけ二回に分けて飲みなさい。一回で飲んではだめ、一回は死に水だからね。薬などとはいっしょに飲まぬように」と男ユタは言い、水の入ったビンと、米と塩が入った袋を手渡した。「あんたは内臓…、胃腸がちょっと弱く映っとったがな。大事をとって過ごしなさいね。お父さんの手術後の経過は大丈夫だ。 心配ない。今日はこの清水を持って帰って家に置いときなさいねぇ。それからこの米はいつも持って歩くように。あなたを守るからね」家族のこと、親のこと、恋人のこと、男ユタの「阿世知照信」は、さまざまな具体的な教示や、示唆を私に与えるのだった。ユタ神。民間信仰といえば そうだろうと思う。このユタ神と呼ばれる信仰は、南島文化の中で生まれて、支持されてきた 一種の土着化した信仰、といってもよいだろう。奄美大島という壮大な自然界の中で、培われてきた一つの自然崇拝思想が,ユタ神というかたちになり,それが今も息づいているということなのである。
奄美大島のユタ神様-110506_090840.jpg