駅の待合室にも、映画館や病院の待合室にも、役所のロビーにも、裁判所にも、火葬場の待合室にも、最近ではコンビニにも、もちろんホテルのロビーにもあるのに、銀行のロビーにはないもの、それは何かわかりますか?
答えは、トイレです。
私は、これは金融機関の顧客サービス上、かなり致命的な欠陥ではないかと思っている。
しかも、われわれ弁護士、銀行窓口に行くとなると、もちろんお金の振り込みとかは比較的短時間で終わるからまだいいのだが、相続手続きとか、後見関係の手続きとか、とにかく待たされる時間が、いつも非常に長くなる。しかも、私は加齢とともに――もちろん墓場もグングン近付いてきてるが――トイレがすごく近くなってて、この待ち時間の間がとてもつらいのだ。
今日はさる地方銀行にお邪魔してたのだが、いよいよ我慢できなくなって、行員の方に「どこかトイレはないですか」とせがみ、特例と思うが、厳重に施錠されたドアの向こうのトイレを案内してもらった。助かった。だからここは、大いによしとしよう!
ところが、いつか、ある都市銀行などでは、「トイレは向かいの駅ビルにあります!」と、冷たい案内を受けたことがあった。わたしは今にも膀胱が破裂するかと、苦しんだものである。なんとか立ち小便は思い止まったが…。
ただ、あまりに当然のことながら、銀行の支店にもトイレはあるのである。ただそれを一般客に開放していない、というだけなのだ。
他方、まさに駅ビルなどでは、逆に、「従業員もこのトイレを使わせて頂くことがありますが、ご了承ください」なんていう掲示に出くわすことすらある。もちろん、どうぞどうぞ…である。みんなの、というより、もともと駅ビルのトイレじゃぁないですか。しかし、少なくともこういう集客施設では、むしろトイレはお客さん優先…っていう思想があるのですね。銀行には、そのかけらもない。
さて、よく「今日もきれいに使っていただきありがとうございます」なんていう、ちょっぴり皮肉めいた掲示も、トイレでよく見かけます。(男性用トイレでは、だ。女性用トイレにこういう掲示があるかは、私はまったく知らない。)我が家でも、お客さんが来るときは、トイレだけは事前にきれいに清掃している。ゴミ屋敷の我が家で唯一まともな、人間の住居らしいスペースがあるとしたら、それは、トイレだ。
普通は、われわれ日本人はトイレをつねにお客さん目線で考えているということなのだ。銀行だけはそうでもないようだが。
…とまれ、今日丁寧に行内のトイレを案内してくださった、千葉銀行東金支店の行員さん、文字どおり気持ちのよくなる応対、ほんとにありがとうございました!
心から感謝申し上げます。
「地球防衛レストラン」という芝居を見た。
地上の征服をたくらむ地底人が、地上人と料理対決をするという、見るも無残な内容であった。私は最初、どうなることか、とほとんど諦めの境地で憂慮していたのだが、いつの間にか見ているうちにグイグイと舞台に惹き付けられている自分を発見した。
まず、ストーリーが、馬鹿らしくはあっても単純で明快だった。へんに奇をてらったところがなく、消化不良にならずにすんだ。また、頭の回転が鈍ってる我々世代にもちゃんとついていける展開、ほどよい起伏感なのであった。
さらに、役者の動線をよく計算に入れた、巧みな舞台演出にも好感がもてた。大勢いっぺんに登場するシーンとかでも、過剰なゴタゴタ感がなかった。
その上、役者さん達が(なぜか全員女性だったが)、あえていえば、曲者ぞろいで素晴らしく、どの役のどの役者さんにも、ある種の必然性が感じられた。こういう作品ってなかなか貴重である。
とくに、レストランのへんなお客を演じた橘あるひさんには「この人にはこの人にしかできないワールドがあるな!」と唸らせる、心地よいアクの強さがあった。また、主役の永友春菜さんには、ひと目見て「この人が主役にちがいない…」と気付かせる気高さがあった。
じつはこの日、私は、このブログでも何度か紹介した樹智子さんが目当てで本作を観劇したのだった。
彼女の演技も肩肘張ってなくてホントによかった。トカゲの串焼きを食べるシーンはほんとに食べてるみたいだったし(本作品はいわゆるグルメものでもあったが、実物の料理は1度も出てこない。そこが、いい)、催眠術にかかるシーンは、いつかのゾンビがのたうちまわるシーンを思い出させた。身びいきかもしれないが、彼女の美貌は際立ってたし、本領のダンス・パフォーマンスでは、彼女ひとりが周囲の共演者すべてを視野に入れつつ余裕で踊りを踊っていたように見えた。しかしながらそれでいて、あくまで全力投球なのである。…私が樹さんを尊敬してやまない所以である。
もちろん、ほかのキャストのみなさんも、ベテランから若手まで粒ぞろい、まさに力演、熱演、怪演であった! みなさんの衣装も出色。
…も一度作品自体の感想に戻るが、こういうドラマは、テレビや映画やコミックでは実現できない、まさに舞台ならではの作品。これぞお芝居じゃないか…と思った。
かなり軽薄で馬鹿馬鹿しかったが、不思議なのだ! とても後味がよかった。
…さて、ちょっぴり話が変わります。なぜ、戦争はいけないのか。あなたは考えたことがありますか?
美しすぎる司法修習生のMさんによれば、答えは単純だという。それは、痛いから、疲れるから、苦しいから、つらいから、腹がへるから。…厳密にいえばそれを強制されるから。
自分の意思によらずに死ぬのが悔しいから。愛しい人との別れが悲しいから…。だから戦争はしちゃぁいけない。
しかし、この地上人と地底人の料理対決みたいに、痛くも悲しくもない戦争ならもしかして大いにアリではないか。少なくとも、痛い戦争は、来年こそ、世界から消えてなくなってほしい。
ところが、不戦国家なのに日本は、平成も終わろうという今、ついに空母まで持とうとしている。が、じゃあいったい憲法第9条2項にいう戦力とはなんなのか。
…観劇して丸一日たったいま、そんなことも考えたくなった傑作「地球防衛レストラン」。演出・脚本のゴブリン串田さんは、きっと、平和主義者なのにちがいない。そう、僕は思った。
彼に心から拍手を送りたい。
空港の中なんだから多少高いのはしょうがなかろう。
売店の片隅のイート・イン・コーナー。…わたしは、その「あぐーカレー」930円というのを、決然、注文した。「あぐー豚をぜいたくに!」というふれこみの一品である。わたしは、この「ぜいたく」という言葉に弱い。
待つこと数秒。
店員が、まず、お皿にご飯を盛った。そして、福神漬けをのせた。そしてそして、私が見てる目の前で、レトルトの袋を破り、その中身をご飯の上にダラダラーッとかけた。
「お待たせしました!」…いや、ちっとも、待ってなんかいないよ。ちゃんと3分あっためたのかい?
それにしても、せいぜい鍋でちょっこっとあっためるとか、多少は飲食店らしいことすりゃぁいいのに。まあ、うまければそれでいいが。……おぉ、うまい! 間違いなく、極上のレトルト・カレーの味わいではないか。あの、なんともいえないうまみというか、甘辛みというか、出来合い感というか、人工感というか、合成感というか。ひと味あるではないか。それに、この歯にはさまるかずかずの肉片があぐー豚なのだな、どいつもこいつも、よく煮え固まって、ひきしまってるじゃないか。俺みたいにブヨブヨしてない。それに、たしかにこれは牛肉でないと、よくわかる。豚の味わいだ。ほとんどカレー味だが。いや、それにしてもこの水、うまいな!
いずれにせよ、看板に偽りなし。完食した私は、十分満足し、しかし、店内を探し歩いた。きっとこのレトルトカレーが、店内どこかで売られているに違いない…と。
「あった!」
ちゃんと売られてるじゃないか。734円。…ということは、これに、ライスと福神漬けがついて、しかも高級感あふれるプラスチックの皿、銀色に輝くスプーン。食べおわったあと洗う手間もない。それを、あの綾瀬はるかさんみたいな美女店員がにこやかに差し出してくれる、カウンター越しだが。プラス196円ではだれがどう考えても安すぎるではないか。それにしても、こんなに単純明快に原価計算ができる飲食店、地球上どこに行ってもないだろう!
私は感動のあまり、しばらくそこに立ち尽くしていた。そしてその場から、見ていたのだが、実に、この「あぐーカレー」は、飛ぶように売れている。さすがに「空港」だけある!いや、くだらぬギャグ、失礼。いずれにせよ、このカレーはきっと空港の人気者なのだ。いや、人気者なのは、あの愛らしい店員さんかもしれない。レトルトカレーだって、どうせ破られるなら、ああいう美人に破られたいじゃぁないですか。
「あぐーカレー」の味覚にあまりにも取り憑かれてしまった私は、最初、これを何箱か東京に買って帰ろうとしたのだが、思い止まった。そう、また、ここに食べに来ればいいのだ、いや、絶対にまた食べに来るべきなのだ、ここに…と。
「ありがとうございました!」
いつまでも突っ立って、修学旅行生の買い物の妨害となっていた私を快活に送り出そうとしたのは、別の、谷亮子議員によく似た店員だった。綾瀬さんの出番はもう終わってしまったのか? いや、もしかしたら私の目の錯覚で、綾瀬はるかさんなんか、最初からいなかったにちがいないのだ。が、それでも私はこの「あぐーカレー」をひとりでも多くのカレー・ファンに味わっていただきたいと思っている。あ、間もなく出発の時間だ。