年の瀬にさびしいニュースが届いた。著名な推理作家で弁護士の和久峻三さんの訃報だ。
新聞報道によれば、10月10日には亡くなっていたとのこと。
和久さんと初めてお目にかかったのは私が沖縄県宮古島で日弁連の過疎地向け弁護士事務所を営んでいたときのことだ。離島の弁護士活動をドラマ化されたい、と、取材に来られたのだった。
一日、私の事務所にも来られ、かの地の事件事情、弁護士活動の苦楽など、熱心にヒアリングされた。私は、和久さん、それに同行されたスタッフのみなさんもお誘いし、一夕宮古の郷土料理を楽しみ、さらには地元の湿気を帯びたスナック…。島の泡盛を飲みながらカラオケを楽しんだ。和久さんが、もんた&ブラザースのダンシングオールナイトを朗々と2回も歌われたのが忘れられない思い出だ。
和久さんは、帰京後、宮古島を舞台にした推理小説を上梓された。ご恵贈いただき拝読したが、たった二泊三日の取材旅行だったというのに、宮古島の自然を舞台にしたダイビングのシーンなど、たしかな知見に基づく実に生き生きとした描写。さすがプロの筆力というか、創造力に、まさに舌を巻いたものだった。生意気な言い方になるが…。
以来、ときおり時候のご挨拶を差し上げる程度ではあったが、お付き合い頂いていた。
あの場末のスナックでダンシングオールナイトをいっしょに聞いたスタッフの方ともご連絡は取り合っており、その方も今や大プロデューサーになられてるのだが、「和久先生はどうされてますかね。」と、先日も、ともに当時を懐かしんだばかりだった。もう、15年近くも昔のことだ。
和久さんの関西弁まじりの温厚な語り口も忘れられない。
謹んでご冥福をお祈りしたい。
政府は、ついにIWC(国際捕鯨委員会)を脱退するという。
要は商業捕鯨再開に向けて賛同が得られないから、というのであり、自国の主張が受け入れられないのを理由にした脱退なのだ。
あまりにだだっ子みたいだし、そもそも私はもはや、そんなにクジラを食べたいとは思わなくなった、諸外国に背を向けてまで…。それに、国際機関からの脱退というと「連盟よ、さらば」と啖呵を切って孤立化、戦争への道を歩んだ戦前の我が国を想起させる。だから脱退には反対だ。
…ところが、新聞を見てたら、日本が国際機関から脱退したのが、戦後なんと18例もあるという。知らなかった。また、今回の脱退報道に和歌山太地や宮城気仙沼といった捕鯨ゆかりの地は喜びに沸いているという。食文化とか伝統とか、非科学的な論理はあまり好きでないが、地域が元気になるとしたら、実に好ましい。脱退もありかな、という気持ちにもちょっと傾いてる。
また、言えることは、もう無理して食べなくていいと思うようになったのは、結局長いこと食べられてなかったからだ。制約されてるうちに、制圧されてしまった。クジラが可愛いとか可哀想とか、理不尽な外圧がまかりとおった結果に過ぎないのだ。
だが…と、また後ずさりする。これまでだって、食べようと思えば決して食べられなかったわけじゃない。そういえばウチにもまだどっかにクジラの缶詰めが2、3個あったような気がする。
それでも食べなかったのは、結局、牛肉の方がよほどおいしいからじゃないか。あのころはビーフなんてめったに口にできなかったからな。
「いや、そりゃ君、ほんとにうまいクジラ肉を食べたことがないだけだよ。尾の身の刺身なんて、ほんと絶品だぞ。」
…と声をかけてきたのはグルメで名高いN翁であった。
たしかにそうかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。しかし、知らなければそれまでといえばそれまで。
日本国憲法は国際協調主義をうたっている。それなのに、しかもこれまでIWC の議論の中心にいた日本がIWCを脱退してまでの商業捕鯨再開。やはり抵抗がある。それに、少なくとも今、捕鯨を再開しないとホントに困る、食べてゆけない、人権が侵害される…という人がどれだけいるのだろうか。やっぱり脱退反対。
…いずれにせよ平成最後の年の瀬に、急に降ってわいたような、今回の脱退問題であった。
クジラ肉だけにちょっとカタイ話になりました!
長時間電車の中で立たされてるのでブログでも書こうということになった。
年末ジャンボの広告が吊り下げられている、その真下。
こうしてド派手な広告で庶民の射幸心をあおり、しかし大多数の庶民には損をさせる。それが宝くじの実態なのだ。
「いいじゃないですか。みんな夢を買ってるんですから。」
思い出すのは若手弁護士界きっての宝くじ通、B君との会話だ。
「先生も買ったらどうですか」
「いや、買わんよ。どうせ当たるわけないからね。」
「なぜ、そう言い切れるのですか。誰かが必ず当たってるんですよ!」
「その誰かが、僕や君でないことだけはたしかと思うがね。」
「しかし先生、買わなきゃ当たらない、これもたしかですよ。」
「いや、断言するよ。買っても当たらないよ。」
…と、B君と私はいつも平行線なのだった。
B君は、きっと今年もドリーム・ジャンボを買ったにちがいない。
しかし、私は、そういうB君の人生をもちろん否定しない。宝くじだってギャンブルに違いはないと思うが、競馬や麻雀、パチンコなどとちがって、宝くじの買いすぎで自己破産したとか、自殺に追い込まれたとかいう人を、少なくとも私は知らない。それは、宝くじの場合、外れても決して、いつか自分の力で取り戻せる、取り返せる、という気持ちにならないからだとおもう。つまり、『やればできるはず』という思い込みや、ある種の成功体験が紛れ込む余地がなく、身を滅ぼすほどのめりこむ人が、そんなにいないというわけだ。宝くじのプロとか宝くじ評論家とかもいない。そういう意味では、ギャンブルはギャンブルでもまだ平和なギャンブル。B君の言うとおり、夢を買う、それが宝くじの本質かもしれない。
が、それにしても、その夢、ちとでかすぎると言えないか…。 一等前後賞合わせて、なんと10億円! ゴーン前会長の虚偽記載前の年収にほぼ匹敵する。巨人のエース、あの菅野投手の来季年俸をはるかに凌駕する。そんなとてつもないお金を、ただ運がいいだけの人が手にする。これってどこかおかしくはないだろうか?
それともおかしいのは私の方かな、B君。