「ダメな私には価値がない…」
自分を否定して頑張り続けるあなたへ
ネガティブ思考を飼いならし
"心の仕組み×癒し"メソッドで
ダメな自分を笑って許せるメンタルへ♪
毒親に育てられ自己肯定感が低いどころか
「レベル0」状態のどん底から
息子の不登校をきっかけに心理学を学び始め
「自分育成ゲーム」をしているかのように
自己肯定感のレベル上げをしていき
生きづらさを解消した
セラピストかおりです
はじめましての方
今まで何度か
ブログで黒歴史を公開してきましたが
今日は、
1番どん底だった頃の話と
今振り返って思うことを
読んでいる方があまり暗くならない様な
テンションで書いていこうと思います
どんなテンションだよ。笑
両親の離婚後
繰り返す母の自○未遂に
何年も悩まされていました
出だしからガツンと重いわ。笑
まだ息子が赤ちゃんの頃のことです。
夜中に母から電話がきたので出てみると
なんだか様子がおかしい…
うわぁ…酔っ払ってる
面倒くせー
最初はそう思っていましたが、
「ママがいなくなっても、元気でいてね」
「今まで、ありがとう」
と言われて
母が首を吊って苦しんでいる現場を目撃した
高校生の頃の記憶が蘇りました
まさか…また?
胸のあたりがザワザワして
血の気が引いていくような
なんとも気持ち悪い感覚になりました。
その頃なかなか寝付けないと言って
病院で睡眠導入剤を処方されていたので
実は今でも飲み続けています。
薬を大量に服用し
意識が朦朧とするなか
私に電話をしてきたのです
それからは
定期的に夜中に電話が鳴り
「ごめんね…もういなくなるから…」
「幸せになってね」
「元気でいてね」
など…
自○を匂わせる事を
言ってくるようになりました
息子を車に乗せて
何度母の元へ向かったかわかりません
だんだん
夜になると憂鬱になったり
電話が鳴るのが怖くなっていきました
私だけでは手に負えない…
そう思って一度だけ
救急車を呼んだことがあったのですが…
「昔、看護師をしていたから
自分が大丈夫だってことはわかる」
「救急車には乗らない。帰って。」
というような発言をして
救急隊員を困らせる始末…
中卒で学歴コンプレックスのある母は
若い頃に少しだけ
看護助手をしていた事が誇りのようで
知識があると主張し
「大丈夫だから帰って」の一点張りに
「無理に連れて行くわけには行かない」と
とうとう救急隊員は帰ってしまいました
せっかく病院に連れて行ってもらえると
思ったのに………
「もういい加減にして!」
そう怒っても母はまともな状態ではなく
何を言っても無駄…
もうこんなの嫌…
私の方が消えてしまいたい…
そう思っていました
母にコントロールされて育ち
自己肯定感が低かった私は
人に迷惑をかけてはいけない
私がなんとか頑張らなきゃ
私が潰れるわけにはいかない
こんな事に負けちゃダメ
そんな風になんでも一人で抱え込む性格で
「相談して助けを求める」
という事ができませんでした
それに、
今は誰でも簡単に欲しい情報が手に入り
同じ様な悩みを持つ人や
全国にいるカウンセラーの方と
オンラインで繋がることもできたり
相談窓口をテレビでも紹介していたり
助けを求めやすくなっていますが、
当時は
何処にどうやって相談したらいいのかも
わかりませんでした
私は自律神経失調症に苦しむようになり
体調不良や微熱が何日も続き
立っているのも辛い状態になったり
1%あるかないかの微々たる自己肯定感すら
消え失せてどん底に落ちました
離婚後
母に彼氏ができるものの長続きせず
今の旦那と再婚するまでの数年間
この自○未遂は続きました
再婚してからは
あっ…やってんな…
と思うような電話もありましたが
なんとか落ち着いていき
母が地元から離れたこともあり
再婚相手に任せて
かなり負担が減りました。
母と再婚してくれて
感謝してもしきれない
引っ越しの準備を手伝っているときは
解放される嬉しさを感じていました
母も毒親育ちでかなり苦労をしてきたので
苦労話を散々聞かされて
そりゃ〜そんな仕上がりになるよね
って思ってたけど…
これは
あまりにも辛すぎました。
私も母も毒親からの強いコントロールで
自分を追い詰めるような
思い込みや考え方になってしまい
「助けを求める」という選択肢すら
自分に与える事ができなくなっていたんだと
振り返って思いました
これを読んでいるあなたが
何か悩んで苦しんでいるのなら
どうか
助けを求める選択肢を
自分に与えてあげてほしい。
一人で抱え込まなくても大丈夫
助けてくれる人は必ずいるよ
良かったら私にも会いに来てね。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました
セラピストかおりでした