100nights+ & music

100nights+ & music

2020年の1年間に好きな音楽を紹介していました。2023年になっても見てくれる人がいたので、また書こうかと思います。
気に入ったら紹介した音楽を聴いてもらえると嬉しい、よろしく!

 

革新と伝統を持った特別なミュージシャン

 

 リチャード・トンプソンは、1960年代の終わりごろに伝統的なイギリスの音楽とロックを組み合わせた草分けのバンド、フェアポート・コンベンションでデビューし、現在も第一線で活躍しているミュージシャン。
 最初は、独特のイギリスっぽさを持った凄いギタリストとして現れ、名曲を連発する凄いソングライターとなり、とてもいいシンガーにもなった。というか、現存している最高の音楽家の一人だと思う。

 リチャードは、聞けばすぐわかる凄いギタリストだが、イギリスに多いブルースをベースにしたギターではなくて、ジャンゴ・ラインハルトみたいだったりバグパイプのような音を出したりする。
 表現が変かもしれないがペコペコした感じのギターサウンドは、ダイア・ストレイツのマーク・ノップラーも影響を受けているんじゃないかな。

 フェアポート・コンベンションの時代は、史上最高の女性シンガーだったサンディ・ディニーを中心にいつか書くかもしれないので、ここでは触れないでおく。
 バンドを脱退して、当時の奥さんと始めたグループ、リチャード&リンダ・トンプソンの1974年の最初のアルバム『I Want to See the Bright Lights Tonight』は、歴史に残るくらいの名作だった。
 とてもイギリス的な名曲がたくさん入っているのだが、まずはタイトルにもなっている少し明るめの曲を紹介したい。

I Want To See The Bright Lights Tonight

 

 リチャード&リンダ・トンプソンは、2人が別れるまでの約10年の間に6枚のアルバムをリリースした。最初のアルバムは別格だが、他のアルバムも、特にハードな音になっている6枚目は素晴らしいと思う。

 この時代が暗い曲ばかりという訳ではないが、いい意味で重くて湿った感じは、とてもイギリス風のダークさと重厚さがある。
ファーストアルバムの最後に入っている曲「The Great Valerio」はただの名曲の域を超えてすでに古典だ。
 歌詞では、サーカスの綱渡りをする名人ヴァレリオと、どこかで転落を期待しながら見る地上で見る観客、そしてサーカスを出て日常に戻る人々、一転して自分を支えてくれる人へのモノローグが語られている。

私たちは、偉大なヴァレリオを見つめている
彼が綱の上を歩く姿を
彼は決して、下で見上げる人々を見ようとはしない
どこか、バランスを崩して落下しないかと熱望する人々を

私はあなたのために綱の上を歩こう
もしもあなたがネットを支えてくれるのなら
この道のりにはいくつものつまずきがある
まだ私は首の骨を折ってはいないけれど

だけど降りておいで、降りておいでヴァレリオ
風が激しく吹き荒れ、そして綱はゆるみ下がり始めている
あなたはもう地面からすぐのところにいるのだから


The Great Valerio


 リンダと別れたリチャードは、1983年にすぐ新しいアルバム『Hand of Kindness』をリリースした。
 このアルバムは、これまでの重苦しい感じがなく、最初と最後に勢いのあるポップチューンが2曲入っている。やっぱり離婚する時期っていうのは、気が重くて大変なんだろうなぁ。

 ただここまで雰囲気が変わるのは、自分自身でも心機一転という気持ちが強かったんだろうと思う。

 このライブでの、アコーディオンやサックスが入ったバンドの演奏も最高だ。

Tear Stained Letter


 その後のリチャードは、ほとんど休むことなくアルバムリリースとコンサートを続け、1999年にメジャーレーベルとの契約を切ってからも、コンスタントにアルバムを出し続け、ライブでの演奏も続けている。

 ソロになってからの彼はずっと年寄りっぽかったので、年齢を経ても印象はあまり変わらない。
 20、30代の頃は、青年期の感覚を残した求道的な印象が強かったが、年を取って明るくなったようにも見える。でもそうではなくて本当の意味で成熟したんだろうと思う。

 1991年にリリースした『Rumor and Sigh』に入っている「1952  Vincent Black Lightning」は、ジェームス・ディーン的な古典的なストーリーの名曲。
 古いオートバイを愛する不良とその彼女の話で、強盗をした男が撃たれ、その死に際に彼女にオートバイのキーを委ねるという内容になっている。

1952 Vincent Black Lightning

 

 時代も変わり、自主制作で大物ミュージシャンがアルバムをリリースすることも珍しくなくなった中で、リチャードの音楽活動は変わらず順調だ。
 爆発的な売り上げは望めないとしても、十分以上の音楽的な評価を受け、2015年にはイギリスではアルバムチャートのトップ10にも入っている。

 アルバム単位では、1996年の集大成的な2枚組のアルバム『You? Me? Us?』や、メジャーレーベルからの最後のアルバムで自分の人生を振り返ったような『Mock Tudor』など素晴らしい。
 2024年には、変わらず良質なニューアルバムをリリースしている。

 ただ、ここで紹介したいと思うのは、どうしても彼の初期の特別な傑作になってしまう。
 ネット上に、誰かが『I Want to See the Bright Lights Tonight』に入っている「Calvary Cross」へ、映画『Buffalo '66』の映像を合わせた動画を上げていた。そのうち消えるかもしれないが、とても合っていたのでぜひ見て欲しい。

The Calvary Cross

 

 リチャード&リンダ・トンプソンの最後のアルバム『Shoot Out the Lights』に入っている「Wall Of Death」も、彼の傑作のひとつ。
 ウォール・オブ・デスというのは、大きな樽の中をオートバイが垂直に走るカーニバルの出し物のことらしい。退屈なメリーゴーランドや観覧車などではなくて、ウォール・オブ・デスに乗せてくれという内容になっている。

ウォール・オブ・デスの上では世界のすべてが生きている
おまえは少しの失敗で落下するかもしれない
でもそれこそが、おまえの見つけたもののなかで
いちばん生きているっていうことに近いんだ
俺をもう一度、ウォール・オブ・デスに乗せてくれ


Wall Of Death

 

 もしかすると日本ではあまり知られていないのかもしれないが、リチャード・トンプソンはボブ・ディラン、レナード・コーエン、ニール・ヤングなどと同じレベル(つまり最高の中での最高)のミュージシャンだ。

 気になったら、まずはネットでいろいろ探してみて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

西アフリカのカンカン・ブルース

 

 今日は、アフリカ、ギニアのギタリストであるカンテ・マンフィーラについて書いてみたい。

 カンテ・マンフィーラのことを好きになったのは、彼が世界的に有名になった後に、故郷に戻りアコースティックで制作した「カンカン・ブルース」という一連の作品がきっかけだった。


 そのシリーズ最終作『back to farabanah』に入っている、1曲目の「relaxin' at moribaya」は、ゆったりしてどこか物悲しいインストルメンタルの曲で、とても西アフリカ的だと思う。

 アフリカのイメージは人それぞれだろうが、珍しい西アフリカの曲ということでなく、伝統的な音楽をベースにした現代的な音楽としても、好きになる人は世界中にいるんじゃないかな。

relaxin' at moribaya

 

 カンテ・マンフィーラは1947年に伝統を音楽で伝えるグリオの家系に生まれ、ギニア東部のカンカンという場所で育った。
 プロの演奏家になったカンテは、マリに移って1970年代に「レ・アンバサドゥール」というバンドのリーダーとなり、西アフリカで大成功した。
 そのバンドのボーカルであり、後にアフリカ音楽の最大のスターになったサリフ・ケイタとは、何曲も共作している。

 2005年に、サリフ・ケイタ&カンテ・マンフィーラ名義で1970年代末だろうか、彼らのバンド時代に録音された未発表アルバムがリリースされた。その『The Lost Album』は、その頃の流行りに合わないという理由で発売されなかったらしい。
 そのアルバムは、全編が当時にしては珍しくアコースティック・タッチで演奏されている。「Djigui」などの曲では、盟友2人を中心にしたリラックスしたバンドの演奏がとても良いと思う。

Djigui

 

 1980年代以降のカンテ・マンフィーラは、ソロミュージシャンとして世界的に流行したワールドミュージックのフィールドでも何枚かのアルバムをリリースしている。

 1994年に現地カセットリリースされた曲に何曲かを加えて、その翌年にワールド・リリースされた『Ni Kanu』は、全体としては当時の音を加えすぎていて、あまり好みではない。
 ただ「Koufenko」という曲は、誰より強い声を持つサリフとは違う、カンテの穏やかな個性が出ていて気に入っている。

Koufenko

 

 2011年に亡くなったカンテは、1987年から数年ごとに「カンカン・ブルース」という、自分の生まれ故郷で友人や家族たちと録音したアフリカ・スタイルのアコースティックのアルバムを3枚リリースしている。

 カンテのギタースタイルは、マンデ・ギターと言うらしい。

 コラ、ンゴニ、バラフォンなど、西アフリカの伝統的な楽器の演奏を、欧米のギターを使って奏でることで、欧米のギタリストとはかなり感じの違う、どこか豊かな響きのするサウンドが特徴になっている。
 「カンカン・ブルース」は、その特徴が最もよく出ていると思う。

 シリーズ2作目の『N'na Niwale』は1994年にリリースされた。温かみのある落ち着いた雰囲気が特徴的だ。このアルバムは、特に聞く人の気持ちを穏やかにしてくれる。

Thienta

 

 ぼくが聞いたことのある彼のアルバムの中では、1998年にリリースされたシリーズ最終作『back to farabanah』が最も気に入っている。
 このアルバムは、カンテ・マンフィーラ with ファミリー&フレンズ名義となっていて、タイトルのファラバナというのはカンテが生まれた村だそうだ。

 「tougnatai」などの何曲かは、舗装されていないどころか、泥の道を歩行速度の車で移動しないと着かないというファラバナ村にある円形小屋で録音されている。

tougnatai

 


 カンテ・マンフィーラのことは、「スーパースターになる前のサリフ・ケイタと一緒にバンドを組んでいた人」というくらいしか最初は知らなかった。
 今でもあまり知っているわけではないのだが、彼の音楽はとても好きなので、ちょっとだけ曲を紹介してみた。気に入ってくれると嬉しい。

 

 

Salif Keita - アフリカの貴種流離譚 

 

 

 

 

ビリー・アイリッシュ

 

 今回は現代の売れっ子ミュージシャン、ビリー・アイリッシュについて書いてみたい。もしかすると年寄りの独りよがりな感想かもしれない、ピント外れだと思ったら笑って忘れて欲しい。

 2001年生まれのビリー・アイリッシュは15歳くらいから音楽を続けている。もし自分が10代だったら絶対夢中になるだろうし、年齢とは関係なく音楽がとても素晴らしい。

 彼女の音楽は、4つ上の兄であるフィニアス・オコネルと2人で制作していて、「ビリー・アイリッシュ」というイメージ自体が、プロデューサーでもある兄貴と2人で作った作品のようなところもある。
 シンガーソングライター&ポップアイコン、繊細なパンクねーちゃん、緻密な人工物と生身の人間性の両立という印象で、最初はビョークやアヴィーチのような北欧の人かと思った。
 あとは、とても守られているニルバーナのカート・コバーンという感じもしたな。

 彼女は2017年頃のシングルで注目された。

 2018年にアメリカのシンガーソングライター、カリードとコラボした「lovely」という曲は、最初のピアノがフィリップ・グラス(最後にリンクを入れておきます)を思い出させてとても印象的だった。

Billie Eilish, Khalid  lovely


 ビリー・アイリッシュは、これまでに3枚のスタジオアルバムと2枚のEP、コラボレーションを含むたくさんのシングルをリリースしている。
 17歳のときにリリースした2019年のファーストアルバム『When We All Fall Asleep, Where Do We Go?』は、完璧な内容だと思う。現代人の何かを代表させながら、最先端の売れる音でパーソナルな曲を彩る能力があり、弱さと強さの微妙なバランスをうまく両立させている。

 このアルバムは最初に何か変な声の曲?があって、次に大ヒットした「Bad gay」が入っている。この曲は、とてもキャッチーなのに実験性の強いところが素晴らしい。

bad guy

 

 アルバムからのセカンドシングル「When the Party's Over」は兄が書いた曲で、とてもデリケートな曲調が印象的だ。
 ビデオはビリーがコップの不気味な黒い液体を飲み干し、それが彼女の体から染み出してくるという、何だか象徴的な映像になっている。

 もしかするとビリー自身には、パブリックイメージとは逆に自己主張はあまりないのかもしれない。ささやくような歌い方を聞いてどこかそう感じた。

静かに家に戻っていく私は
ただ一人ぼっち
私は嘘をつけばいい
「私はこれが好き、こういうのが好きなの」


when the party’s over

 

 2021年にリリースしたセカンドアルバムは売れ線の音をあまり入れない落ち着いたタッチになっていて、現代的でありつつも、どこか古典的なシンガーソングライターの作品のようだった。
 とても良いと思ったが、どこかダークで繊細すぎるこのアルバムが、10代のアメリカ人のあいだで最も人気のあるアーチストの2枚目で、それが世界中で広く受け入れられるということに後追いだが少し驚いた。

 その次の年には2曲入りのEP『Guitar Songs』をリリースした。音の感じはセカンドアルバムと似ている。
 ビリーの友人が事故にあって、そのちょうど1か月後の12月30日に書いた「The 30th」という曲は、わずか約半年後にはリリースされている。爆売れしている中で意識的にスピーディーに発表する感じも、現代のシンガーソングライターである彼女っぽい。

私を呼んだことを、あなたが覚えていないことは分かっている
でも私はあなたに、とても可愛いって言ったの
病院のベッドで、あなたが言ったことを覚えている
あなたは怖かったって
そう、私も怖いの


The 30th


 2024年にリリースした3枚目の『Hit Me Hard and Soft』も、とても良くできている。

 作品性が強く、昔のレコードのA面とB面みたいに前半5曲と後半5曲に世界が分かれている。後半はスターになりすぎた自分のことを歌っているのかもしれない。

 ビリー・アイリッシュは、ネット上のライブ映像が多い。どこか孤独な感じが拡大して見える巨大なスタジアムもあれば、親しみやすさが良く見える小さなスタジオの演奏もある。


 両方とも彼女の別の良さを出すことが出来ているが、ここではスタジオで少人数の前で演奏しているA面(笑)の「BIRDS OF A FEATHER」。
 兄貴のギターに加えて、ベース、ドラム、3人のコーラスでのビリーは、プロモーション映像とは違ってただ自然に音楽を演奏している。

BIRDS OF A FEATHER


 「ビリー・アイリッシュは、兄貴との作品だ」、みたいなことをビリーは言っているが、実際の彼女が壊れやすいだろう人だってことは、その部分をデフォルメした映像を見て世界中の人が知っているだろう。


 ビリーは2026年の時点でもまだ24歳だ。これからも良い音楽を作っていくに違いない。
 カレン・カーペンターやマイケル・ジャクソン、カート・コベインのようには下らない音楽ビジネスにスポイルされず、彼女なりの幸せな人生を永く歩んでいくことを祈っている。

 

BLUE

 

 

Philip Glass -静けさと生命力 

 

 

 

 

 



モモヨと彼の王国

 噂の映画「ストリート・キングダム」を見てきた。
 何だか走っているシーンが多くて「あいつらは多分、誰一人走ったりしないぞ」と思ったが、少年の頃の憧れだったミュージシャンのエピソードが分かりすぎてとても面白かった。
 彼らは自分より上の世代で、アルバム『東京ロッカーズ』や映画に出てくるバンドの音は少し後追いにはなったがほぼ聞いていたので、個人的な記憶と重なった部分も大きい。

 映画はフィクションとノンフィクションを混ぜていて、主人公は原作となった書籍「ストリート・キングダム」を書いた地引雄一とリザードのモモヨだった。
 リザードはとても好きなバンドだ。強いアンダークランドな雰囲気と独特だがポップなロックサウンド、アグレッシブで文学的な歌詞、モモヨのマーク・ボランみたいな歌い方に、ある時期、夢中だった。

 リザードの本体であるモモヨは、高校生の頃からバンドをはじめて1972年頃には紅蜥蜴という名称で活動をしていたらしい。
 オリジナリティの高い音楽を意識的に創っていた東京下町の天才児っぽい感じは、同時期にマンドレイクで活動していた平沢進に似ているかもしれない。

 紅蜥蜴がリザードに変わったのは1978年だった。
 1979年には、日本のポストパンク・バンドのオムニバス『東京ロッカーズ』と、ストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルがプロデュースしたファーストアルバム『LIZARD』がメジャーレーベルからリリースされている。

王国

 

 1980年は、リザードにとって激動の1年になった。
 モモヨが自分でプロデュースしたセカンド『BABYLON ROCKER』に加えて、自主制作で攻撃的なシングル『SA・KA・NA』と紅蜥蜴の音源が入ったアルバム『けしの華』がリリースされている。

 『BABYLON ROCKER』は、ファーストのような工場地帯というイメージではなく下町のエネルギーが溢れた名作だった。
 歌詞にはメチャクチャにいろいろな要素が入っていて、サウンドはダブの加工が目立っていた。このポップでイカレた感じが最高に気に入り、「日本にこんなバンドがあるんだ」と急激にリザードに夢中になった。

ある夜、闇の彼方から 誰かが俺を呼んでるぜ
カモンベイビー それが浅草六区

仲見世通りを駆け抜けて 夢のカケラを探すのさ


浅草六区 

 

 その年の終わりごろ、ヘロイン中毒になったモモヨが逮捕されたことを新聞で知った。このあたりの事情は知らないが映画ではそれっぽく描かれている。
 少しして、モモヨを支援するSave Momoyoというイベントが開催されることをロック雑誌で読んだことを覚えている。

 Save Momoyoで発表された3曲とこの頃の未発表バージョン3曲のミニアルバム『LIZARD Ⅲ』が自主制作でリリースされたのは、かなり後の1983年だった。
 このアルバムの音が、もしかすると最も好きかもしれない。シンプルなロックサウンドと深く沈み込む感じがとても気に入っていた。ファーストアルバムに入っている「ASIA」は、このバージョンの方がずっと良い。

絶望を追い出せ 悲しみを追い出せ
死の影を追い出せ 俺たちの王国から


ASIA

 

 1981年には、メジャーレーベルから『ジムノペティア』がリリースされ、モモヨはゼルダのファーストアルバムもプロデュースしている。
 リザードやゼルダの自主制作などを買い始めたのは、1981年頃からだったと思う。(周りにこのタイプの音楽を話せる友人は誰もおらず、ラジオや雑誌で情報を探してはいつも一人で行動していた)

 『ジムノペティア』は、当時のモモヨの心象風景のような深くダークな雰囲気と音楽的な成熟や緊張感が感じられる名作。このアルバムには本物のスピリッツと芸術への思いがある。
 ほぼソロ・アルバムのような感じだが、世界レベルの作品だと当時から思っていた。この音を必要とする状況にかつての日本はなかった。いまだったらどうだろうか?

 アルバムの中にはカードが入っていて、それを送ると写真と歌詞が載ったブックレットが送られてきた。メジャーだろうが自主制作だろうが、自分の届けたい作品を届けるんだというモモヨの意思を感じながら何回も歌詞を読んだ。
 このアルバムに入っている「亡命者」は、モモヨの最高傑作だと思う。

赤の広場で 別れた子供たち
待ってておくれ いつか帰るよ
世界をぼくの 喜びに溢れた
きらめく音で 満たせるその時に
ああ子供たち きみの世界を照らしだすために
ぼくは地球へと舞い戻る


亡命者


 リザードはここで活動を停止した。1985年と1986年にモモヨは打ち込みのパーソナルな印象を受けるソロシングルを連続で3枚リリースし、その後にリザードとして2枚のアルバムを出し2009年にもアルバムをリリースしている。


 この文章は、何年か前に途中まで書きかけてスクラップにしたものを映画「ストリート・キングダム」を見て書き直している。 行き止まり感から抜け出せない文章になったことがスクラップにした理由だった。

 

 モモヨにも行き止まりの時期はあっただろうが、彼はいつだって「その次」を向いている人だった。
 セカンドアルバムの「まっぷたつ」みたいな感覚は、年齢とは関係なく人生のスタイルみたいなもので、それは10代の頃の自分の救いになっていたことを久しぶりに聞いて思い出した。

 

愛だなんて言葉に吐き気もよおし
変化を思えば眩暈がするぜ
それもすべてはこいつのせいさ
ゆがんだレンズがきみをコントロール

ぶちわれベイビー 君のビートで
ぶちわれベイビー ゆがんだレンズを
まっぷたつ


まっぷたつ

 

ZELDA -チホとサヨコの長い旅 

日本のアンダーグランド ‐裸のラリーズ、吉野大作、S-ken 

JAGATARA -30年後の世界

遠藤ミチロウ - 激しさと静けさと暗い情熱 

 

The Stranglers -硬派なヨーロピアン・パンク 

 

モモヨ|note

 


 

ドロレス・オリオーダン

 ザ・クランベリーズは1989年にアイルランドで結成された。
 ギターのノエル・ホーガン、ベースのマイク・ホーガン、ドラムのファーガル・ローラーに加えて、ボーカルのドロレス・オリオーダンが1990年に加入して生まれ変わったバンドは、1993年にリリースしたデビューアルバムでいきなりスターになった。

 ノエルとドロレスが共作した「Dreams」は、ドリーム・アカデミーの「Life In A Northern Town」のように、最初にできた一番の傑作だと思う。
 この音源は1990年のデモヴァージョンで、この頃のドロレスはまだどこかあどけない少女のようだ。

私の人生は、毎日、あらゆる方向に変わっていく
そして私の夢は、いつも思うようにいかない
だってあなたは、私にとっての夢なんだから


Dreams

 

 最初に傑作を作ったクランベリーズは、1994年にセカンドアルバム『No Need to Argue』をリリースした。
 セカンドアルバムがファーストアルバムを超えたバンドは多い。クランベリーズは特にそんな印象が強く、彼らのキャリアの中でも断トツの一枚だと思っている。

 良い曲揃いのアルバムの中で、ドロレスが一人で書いた「Zombie」は少しタイプが違っている。
 「Zombie」は北アイルランドのテロ事件で幼い子供が死亡したことをテーマにした政治的な内容で、レコード会社がシングルにするのを反対したにもかかわらずバンドの最大のヒット曲になり、彼らをアイルランドの国民的なバンドにした。

Zombie

 

 クランベリーズは、ドロレスの体調不良が続きながらも1996年、1999年、2001年と順調にアルバムをリリースした。
 ただサードアルバム以降も悪くはないのだが、それほど夢中になって聞くことはなくなっていた。ドロレスの強い自己主張と、その裏に見え隠れする脆く壊れかけた部分に、息苦しさを感じるようになったのかもしれない。
(自分のそういう部分が、いろいろあって終わりかけていた時期だったからなんだろうと今になって思う)

 バンドは、6枚目のアルバムを制作中だった2003年に活動を休止した。そのアルバムの続きを録音し、『Roses』としてリリースしたのは10年後の2012年になっていた。

 バンドを再開した2012年頃にどこかのテレビ局で演奏している当時の新曲「Tomorrow」のドロレスを見ると、エキセントリックだった顔立ちがすっきりしていて、10年のブランクは無駄ではなかったんだろうと思う。

 

明日では遅すぎるかもしれない

日付を変えることができたなら

明日では遅すぎるかもしれない

もしあなたが少しでも信じてくれれば

 

若すぎて、プライドが高すぎて、愚かすぎて

 

Tomorrow


 2017年頃にクランベリーズは、久しぶりに新曲ばかりのアルバムの準備を続けていた。その制作中だった2018年1月15日に、ドロレスはまるでジム・モリソンのような事故で亡くなってしまう。
 残されたメンバーは作っていたデモをもとに、アルバム『In the End』をちょうど1年後の2019年1月15日にリリースした。

 

 最後のアルバムは、最初期のような透明な緊張感と、どこか力の抜けた感じが同居する良いアルバムになった。
 偶然だろうが、彼女が最後に録音した曲は「In the End」だったそうだ。

変だよね
あなたの望んだすべては
あなたは望んでいなかった
最後には

変だよね
あなたが夢見たすべては
あなたは夢見ていなかった
最後には


In The End


 ドロレスは、どこか似た感じのあるサラ・マクラクナンやエイミー・マンのようには、うまく社会的に成熟をする方向へ行くことができなかったように思える。
 シネード・オコナーやカート・コバーンのように、スターシステムに馴染めない一方で、持っている傷が大きすぎて一般的な生活に馴染むこともできなかったのかもしれない。

 ただ、バンドメンバーとの仲が良かったことは彼女にとって幸福だった。クランベリーズの曲はドロレスが全ての歌詞を書き、メロディはドロレスとノエルが共作することが多く、それは最後まで変わらなかった。


 セカンドアルバムに入っている一番好きな曲、「Ode To My Family」をアコースティックで演奏している映像を見ると、少なくとも音楽と友人・家族は彼女に幸せを持ってきてくれたんだろうな、と少し安心する。

私のお母さん
彼女は私を抱いて外に出かけてくれた
私のお父さん
彼は私のことを好きでいてくれた
他の誰かは気にかけてくれる?


Ode To My Family

 

 

Dream Academy  -夢とトラッシュ 

Aimee Mann -クールで温かいストーリテラー

Sarah McLachlan -最も好きな女性ミュージシャン