100nights+ & music

100nights+ & music

2020年の1年間に好きな音楽を紹介していました。2023年になっても見てくれる人がいたので、また書こうかと思います。
気に入ったら紹介した音楽を聴いてもらえると嬉しい、よろしく!

 

サッチャー時代、社会を変えようとしたバンド

 ザ・スペシャルズは、1970年代の終わりにイギリスのロックシーンからやってきた革命だった。彼らがその後の音楽シーンを変えたことは間違いない。
 ジャマイカのレゲエとイギリスのパンクロックを融合させてパンク後のスカ・ミュージックを作っただけではなくて、白人と黒人が混在したバンドメンバーで反人種差別など明確に政治的なメッセージを歌うことなど、サッチャー時代の社会状況を意識しながら最高に尖っている感じが素晴らしかった。


 自分たちでつくったレーベル、2トーン・レコードからリリースした最初のシングル「Gangsters」が、スペシャルズの最初のヒット曲になり、セレクター、マッドネス、ビートといったスカリバイバルのバンドブームをつくった。

 

Gangsters

 
 1979年のファーストアルバムの頃は7人組のバンドだった。目立つのはボーカルのテリー・ホールだが、キーボードのジェリー・ダマーズがバンドのコンセプトをつくり多くの曲も書いている。

 もう一人のボーカルのネヴィル・ステイプル、ギターのリンヴァル・ゴールディングの2人が黒人で、あとは白人という構成だった。


 ファーストは、半分くらいがジャマイカの曲のカバーで、残りがスカの影響を受けたオリジナルになっている。コクソン・ドッドやトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズなど、このアルバムから知ったジャマイカのミュージシャンも多い。

 

A Message To You Rudy 

 

 1980年の秋にリリースされたセカンドアルバム『more specials』 は、ジェリー・ダマーズがリーダーシップを取った音楽的に豊かな感じのアルバムで、白(パンク)と黒(スカ)のツー・トーンというシンプルでスカッとする音ではなくなっている。

 

 ジェリーは、次に進むために政治的なラジカルさを弱めずに、流行りとは違う新しいポップミュージックを創りたいと思ったんだろうが、それはバンド崩壊の原因となった。
 ユニークで実験的なサウンドだが、それだけに個性の強いバンドメンバーが頭にくるというのは良くわかるな。

 ザ・スペシャルズは最悪の人間関係の中で最高のシングル「Ghost Town」をつくった。

 サッチャリズムでボロボロになったイギリス中で労働者階級の暴動が頻繁に起こっているなか、このダークな曲はチャートで1位を獲得し、そしてバンドは解散した。

この街はゴーストタウンになりはじめているぜ
クラブはどこも閉まったままだ
この場所もゴーストタウンになりはじめているぜ
バンドももう演奏しない
ダンスフロアーでの暴力が多すぎるからな


Ghost Town

 

 ゴーストタウンを書いたジェリー・ダマーズは、サッチャーのせいで最悪な状況のイギリスをマシなものにしようとしていたが、その最中にバンドがダメになってしまった。


 ただ、Symaripという昔のバンドのカバー「Skinhead Moonstomp」の1979年のライブを見ると、彼らが理想とした人種や社会を超えてハッピーであろうとする気持ちが少しだけ分かるような気もする。

Skinhead Moonstomp

 

 解散後にテリー・ホール、ネヴィル・ステイプル、リンヴァル・ゴールディングの3人は、ファン・ボーイ・スリーを結成して成功し、テリー・ホールはその後もミュージックシーンで生き残った。
 テリーはもう一人のスペシャルズの中心人物で、孤高の雰囲気と楽しもうとする意志が両立するバンドの特徴は、彼の個性から来ているものが大きいと思っている。

 ジェリー・ダマーズは、1984年6月に「The Special AKA」として、実質的なスペシャルズのサードアルバムをリリースし、その後にバンドも終了させる。

 ほぼすべてのメンバーが変わったそのアルバムには「ネルソン・マンデラ」という曲が入っている。1990年まで南アフリカの刑務所に入っていたネルソン・マンデラを支援するこの曲は、チャートのトップ10に入ると同時に、反アパルトヘイトのアンセムになった。

Nelson Mandela


 テリー・ホールも入ったスペシャルズは2008年に再結成したが、そこにジェリー・ダマーズの姿はなかった。
 再結成後にバンドは頻繁にライブツアーを行い、何枚かのアルバムもリリースしている。2022年12月にはテリー・ホールが亡くなり、スペシャルズは活動を終えた。

 スペシャルズは本当に特別なバンドだった。個人的には、セックス・ピストルズ以降の音楽シーンのベースはスペシャルズ、ジーザス&メリーチェイン、スミスが創ってきたと思っている。


 まあでも単純に音楽性が好きだな。「ワン、トゥー」という掛け声が入る「Little Bitch」は、シンプルに楽しい。ルースターズのファーストアルバムと同じように、若い頃にこんなバンドを聞いて本当に良かったと思う。

Little Bitch

 

 

同じころの2トーンのバンド

Madness ‐ストリーツ・オブ・ロンドン 
 

 

 



マエストロ、もしくはいかれた天才

 以前にもマイク・オールドフィールドのことを書いたことが、今回は彼のライブ・ミュージシャンとしての側面についてもぜひ紹介したい。
 マイクはコンピューターのない時代に一人で数百回の多重録音をしてそれまで誰も聞いたことのなかった音楽を作り、20歳でスーパースターになった天才で、1973年にリチャード・ブランソンのヴァージン・レコードからの最初のミュージシャンとしてデビューした。

 マイク・オールドフィールドはいきなり大成功したが、多重録音ばかりしていた人が急に世界中で注目されたこともあってか、精神的なプレッシャーに押しつぶされそうになったらしい。
 そして1979年からの次のステップでは、スタジオから出てライブ活動にも力を入れるようになった。

 ライブのアンコールで上半身裸になってギターを演奏している「Punkadiddle」は、まったく離れた音楽だと思われていたパンクロックのパロディらしくて最高に楽しい。
 すでに巨匠っぽい感じだが、1981年のライブの頃のマイクはまだ26歳くらいだった。いま思うと、マイクはザ・クラッシュのジョー・ストラマーの一つ年下になる。

Punkadiddle 


 この1981年のライブでのマイクは、バンドのギタリストというよりコンサートマスターのように見える。

 「Punkadiddle」と同じアルバム『Platinum』に入っている「North Star」のマギー・ライリーが歌うシンプルなフレーズは、フィリップ・グラスの同名曲から一部が引用されている。

 
 パンクロックや現代音楽、民族音楽なども参考にしながら、自分のオリジナルな音を探してきた彼は、20世紀の中でも最大の音楽家の一人だと思う。


North Star

 

 マイクのポップな側面での傑作は、1983年『Crises』、1984年『Discovery』、1987『Islands』だと思う。これらのアルバムでは優れたボーカリストをゲストに迎えながら、とてもポップな面とデリケートで複雑な音楽を両立させている。
 ぼくがマイクを知ったのは、マギーの歌う「Moonlight Shadow」だった。(そこら辺は前の文章で書いたので関心があれば見てください)

 『Discovery』では、マギー・ライリーとバリー・パーマーがボーカルを担当し、二人はそのまま1984年のDiscovery Tourのメンバーにもなっている。


Saved By A Bell 

 

 マイク・オールドフィールドの代表作が『Tubular Bells』であることを疑う人はいないだろう。19歳のマイクがコンピューターのない時代に、チューブラ・ベルを含むさまざま楽器を自分で演奏しながら制作した。(チューブラ・ベルとは教会の鐘を管状に並べてたたく楽器、実際に下の画像で見た方が早いだろう)
 1973年の最初のアルバム『Tubular Bells』は、1992年に『Tubular Bells II』、1998年に『Tubular Bells III』と、形を変えて発表され続けている。

 長く期待されていた『Tubular Bells II』は、マイクが成功させたといっても過言ではないヴァージン・レコードから離れ、そして1980年代が終わったタイミングで制作された。
 プロデュースをトレバー・ホーンに任せたこのアルバムの1曲目「SENTINEL」は、シングルとしても発売されている。


SENTINEL


 『Tubular Bells III』では、スペインのイビサ島に住んでいたマイクが同時代的なエレクトロニックミュージックを取り入れている。


 ライブでは、インド系のボーカリストを迎えたバンドに途中で不気味な映像の子供の語りが入り、そしてチューブラ・ベルとパーカッションが加わった最高の盛り上がりの中で演奏が終わる。


Tubular bells

 


 でもやはり最後に紹介したい曲は、前回と同じ終わり方になってしまうが『Ommadawn』の最後のオマケみたいに入っている「On Horseback」だな。


 映像には、マイクが自分で語りとボーカルを入れたこの曲にピッタリな、彼の子供の頃に撮影された幸せそうな家族フィルムが付けられている。

On Horseback 

 

 2018年にマイク・オールドフィールドは新作はもうリリースするつもりはないとコメントした。ただ2026年にもイギリスで何回かのコンサートがすでに予定されているようだ。


 彼は現存する伝説の一人だが、まだ72歳だ。もしかするといつか本当に最後のアルバムを作ってくれるかもしれないと淡い期待を抱いている。

 

Mike Oldfield -自由な天才ミュージシャン 

Philip Glass -静けさと生命力 

 

 

 

 

 

 

 

 



2枚の美しいアルバム

 今回は、もしかすると多くの人が「とても暗い」という印象を受けるかもしれない2枚のアルバムを紹介したい。
 どちらも良い作品で深い孤独や孤立を感じさせる。いつの頃からか時折思い出しては聞くようになった。

 1枚目は、1999年にリリースされたボニー“プリンス”ビリーの『I See A Darkness』。
 彼は名前をよく変えていたので何枚目なのかは分からないが、このアルバムはボニー名義での最初の作品であり、その後も現在まで毎年のように作品をリリースしている。

 ドクロみたいなアルバムカバーと同じように明るい音ではなく(笑)、とても内省的でシンプルな演奏をバックに歌っていて、鬱の分量だけ攻撃性が他者に向いているような印象も受ける。

 

 恋愛とまったく関係のないタイトル曲は、あるタイプの人にはとても安らぎを与えてくれるだろう。

 

お前は俺の友人だろ 何にしてもお前は俺にそう言った
お前には見えるだろうか 俺の中に何があるのかを
俺たちは何度も飲みに出かけ 何度も考えを共にしてきた
だがお前は俺の持っている ある考えに気づいただろうか

俺が暗闇を見ることが分かるか
俺が暗闇を見ることが分かるか

そして俺がお前をどれほど愛しているのか
それは お前が俺をこの暗闇から救ってくれる希望だってことを
お前は知っているか?


I See A Darkness 

 

 

 もう1枚は、1972年にリリースされたニック・ドレイクの『Pink moon』。これはニックの3枚目で、そして彼の最後の作品になってしまった。
 暗いとか虚無的とかいろいろ言われることの多いアルバムで、引きこもった攻撃性などはアルバムの音からは感じられない。

 ただ独りでギターを演奏しながら歌っていて、そしてそれは誰にも向けられていない 

 アルバムで唯一ピアノを後で加えたタイトル曲は、4月の満月(ピンク・ムーン)が来るというだけの歌詞で、何について歌っているのかよく分からない。
 だが美しい静けさと絶対的な何かを感じることはできる。

俺はそれが書かれていたり、語られているのを見た
ピンク・ムーンがやってくる
君たちの誰も高く立ってはいられないよ
ピンク・ムーンはみんなを飲み込んでしまう
ピンク・ムーン


Pink Moon

 


 本名をウィル・オーダムというボニー“プリンス”ビリーは、1970年にアメリカで生まれた。
 「I See A Darkness」をジョニー・キャッシュがカバーしたり、ビョークなどをプロデュースするヴァルゲイル・シグルズソンと組んだり、どこか領域や時代を超えたような人にも見える。

 シンプルな彼の音楽の中には、オルタナティヴ・ロックやアメリカーナのようなアメリカの豊かで尖った部分がある。何しろ多作で追いきれないのが難点だが、この時代で最高のミュージシャンの一人だと思う。

ディン・ドン、ばかげた歌だ
確かに何かが間違っている
しばらく笑って、不機嫌を忘れな
そしてすべてが崩れるのを眺めていろよ

 

Another Day Full of Dead

 

 

 ニック・ドレイクは、1948年にイギリスのミドルクラスの家に生まれた。ケンブリッジ大学に入った後に音楽活動をスタートし、1969年にデビューアルバムをリリースした。
 デリケートで品格のあるアルバムは一部で評価は高かったようだが売れることはなく、リズムを加えるなど少しだけ妥協したセカンドアルバムも売れなかった。
 
 30分にも満たないサードアルバム『Pink Moon』は、タイトル曲以外にはギター以外の音を加えることもなく、1971年にわずか2日間で録音されている。
 ニックはどんどん鬱気質がひどくなったようで、プロモーションにもほぼ協力せず、4枚目のアルバムのための数曲を録音しはじめていた1974年に抗うつ剤の過剰摂取で亡くなった。

 自殺か事故かは分からないが、内気すぎて死んだことは間違いない。

 ニック・ドレイクは、まるでアメリカの古いブルースマンのように1980年代中ごろに「伝説」として再発見された。
 1985年に大ヒットしたドリーム・アカデミーの「Life In A Northern Town」は、ニックにささげられている。

君が本当に望むなら、太陽が輝いていると言うこともできる
俺には、それがはっきりとした月に見える

君は自分を星へ導いていく道を行けよ

俺は自分を導いていく道を行こう

Road

 

 

 暗闇に惹かれたボビーは友人を見て「ここ」に留まり、満月に惹かれたニックは人から離れて「自分の道」へ進んでいった。

 そこはジーザス&メリー・チェインやドゥルッティ・コラムがそうだったように、あるタイプの人が若い頃に見る分岐点なのかもしれない。

 


 ボニー“プリンス”ビリーは「I See A Darkness」を2012年に再録音し、映像もリリースした。
 小奇麗にしても可愛くならない雑種犬みたいなボニーは、何とか「ここ」に留まったまま、このコミカルでイカレた映像の中で素敵に生き残った姿を見せてくれる。

I See A Darkness 

 

Dream Academy  -夢とトラッシュ 

 

The Jesus and Mary Chain -虚ろに留まるノイズ 

The Durutti Column ‐終わりから始まった音 

 

 

 

 

 

 

難しいことをいうなよ、ロックって楽しいだろ?

 

 シーナ&ザ・ロケッツは最高のバンドだが、文章で説明するのにはあまり向いていないかもしれない。なので文章は少なめで曲をたくさん紹介したい。

 

 前身のバンド、サンハウスは主にボーカルの柴山俊之がブルース・ミュージックをベースに自分自身の言葉で歌詞を書いていて、その何曲かはとても彼自身を感じさせ、心を揺さぶるものだった。

 シーナ&ザ・ロケッツは、そのサンハウスのギターだった鮎川誠と奥さんのシーナがフロントのバンドで、その歌詞の多くは柴山が書いている。

 

 どこかダークさがあるサンハウスとは違って、シーナ&ロケッツには「最高のロックロール・ソングを作ろうぜ!」というロックンロール版のモータウン・サウンドみたいなコンセプトのバンドという印象を持っている。

(ロックバンドになったマーサ&ザ・ヴァンデラスみたいな感じかな)

 

 1979年に出した最初のアルバム『SHEENA & THE ROKKETS #1』は、このバンドを多くの人が知り始めた頃には手に入らなくなっていて、実際に聞いたのはずいぶん後になってからだった。

 

Train Train

 

 シーナ&ザ・ロケットは、アルファ・レコードからリリースしたYMO色も混ざった多彩なセカンドアルバム『真空パック』がヒットして、すぐにメジャーなバンドになった。

 その頃はメジャーからマイナーまでいろいろなロックを聞き始めていた時期で、シーナ&ロケッツのアルバムも楽しみにしていた。

 

 サードアルバムもポップとロックの両面の曲があったが、中でもハードでライブ向きな「たいくつな世界」をよく聞いていた。

 

たいくつな世界

 

 1981年の4枚目『ピンナップベイビーブルース』は、ポップ過ぎない良いアルバムだと思う。中でもキャッチーなロックンロール「CRY CRY CRY」が好きだな。

 

 自分にとってのシーナ&ザ・ロケッツは、パンクロックにも影響を受けたご機嫌なロックサウンドを演奏するバンドだった。

 

CRY CRY CRY

 

 糸井重里が詩を書いた「ピンナップベイビーブルース」は名曲だと思う。

 珍しくキーボードもばっちり入ったこの演奏は、何より鮎川誠のギターが最高だ。これを聴くと1980年代最初の頃の記憶が戻ってくる。

 

ピンナップベイビーブルース

 

 確かシーナが一時期休んでいた1984年にリリースした、鮎川がボーカルを取っているTHE ROKKETS名義のアルバム『ロケットサイズ』も当時よく聞いていた。

 

 特にサンハウスっぽい『ホラ吹きイナズマ』が好きだったな。

 

ホラ吹きイナズマ

 

 1986年のシーナ&ザ・ロケッツには、アルバム制作とツアーに山口富士夫が参加していた。

 鮎川誠と山口富士夫には、日本で最高峰のロックギターを弾くこと、ハーフであること、それと関係するのかしないのか社会的であるより個人や音楽を最優先させることなどが共通している。

 

 サンハウスと村八分という1970年代の伝説のバンドの中心メンバーが共演するなんて当時は夢みたいな感じだったが、こんな映像まで残っているとは思わなかった。

 

CAPTAIN GUITAR AND BABY ROCK

 

 そのライブのアンコール曲は、ローリング・ストーンズの「RUBY TUESDAY」だった。

 2人のギターをバックに歌うシーナの声を聞いていると、いろいろな音楽を教えてくれた彼らに「ここで難しいことをいうなよ、ロックは楽しいだろ?」と、言われているような気がする。

 

RUBY TUESDAY

 

☆☆☆ シーナ&ロケッツ・オフィシャル・ウェブサイト a.k.a. ロケットウェブ ☆☆☆

 

山口富士夫 -錆びた扉を蹴破って 

The Roosters - グッド・ドリームス 

 



シンプルなR&Rより良いものはないぜ!

 5年前にウィリー・ナイルについての文章を書いた。彼についてもう一度書こうと思ったのは、その後も最高のロックンロール・アルバムをコンスタントに出し続けていることと、前回書けなかった好きな曲を紹介したかっただけの単純な理由だ。

 かつてカッコよかったんじゃなくて今がベストであり、おそらくまだ知られていない最後のニューヨークの偉大なロッカーであるウィリー・ナイルの音楽を、ぜひ多くの人に聞いてほしいと思っている。

 ウィリーは、1980年にデビューしてすぐにレコード会社との契約トラブルに巻き込まれたので若い頃の映像は残っていないのかと思っていたのだが、おそらくプロモーション用に作った1981年のセカンドアルバムの頃のライブ映像を見つけた。


 ルー・リード、ブルース・スプリングスティーン、エリオット・マーフィー、ガーランド・ジェフリーズ、ニューヨークパンクの奴らなどがニューヨークに集まっていた時期の少しだけ後になるが、彼らと同じ匂いがするのは分かる人にはすぐ分かるだろう。

Golden Down

 

 ウィリー・ナイルのサードアルバムがリリースされたのは、10年後の1991年だった。日本版も出たこの『Places I Have Never Been』には、ロジャー・マッギン、リチャード・トンプソン、ザ・フーターズと地味かもしれないがこれ以上ないミュージシャンが協力している。

 ウィリーは素晴らしい歌詞を書く。そこに入っている「Renegades」は彼の作った特に美しい曲の一つだと思う。演奏にはザ・フーターズのメンバーも加わっている。

太陽と雪のなかで おまえを追いかけた
氷柱が輝く場所で さまよい歩くお前を
知っていることを何も隠す必要はないぜ
秘密が雪から作られる世界では
どこかで どこかで

郵便配達が来たときに おまえを見ていた
青いシャンペンの中でオートバイが轟音をあげる
黄色い月が昇り 鶴がどこかで歌っている


Renegades


 ウィリーはこの後もアルバムをリリースできない時期が続き、1999年に自身のレーベルからようやく4枚目のアルバムをリリースしている。


 ついに本格的にアルバムを発表して活動を開始できたのは2006年の名盤『Streets of New York』からだった。ぼくもこのアルバムでウィリー・ナイルを再発見し、それから現在までファンであり続けている。
(そのあたりについては前回の文章を見てもらえると嬉しい)

 その次のアルバムに入っている「Love Is A Train」の2015年のライブを見つけた。
 最初はピアノを弾くウィリーとドラムだけがステージにいて、音だけが聞こえているベースとギターがステージに入ってきてから少しずつ盛り上がっていく演出も、とてもロックバンドらしくて良い。どこか1970年代のブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドのようだ。

Love Is A Train 

 

 ウィリー・ナイルは、ある意味では古典的な、社会に対する発言を恐れない反抗心の強いダウンタウン・ロッカーでもある。ニューヨークをテーマにした曲をよく書くが、アメリカについての曲も少なくない。

 2025年にリリースした最新アルバム『The Great Yellow Light』に入っている「Wake Up America」では、日本ではおそらく有名ではないだろうが最高に自由なアメリカの歌手、スティーブ・アールとデュエットして、とても直接的なメッセージを付けた動画を公開している。

 アルバムをリリースできなかった時代につくったミニアルバム『Hard Times In America』のタイトル曲では、緩いビートとダルそうなコーラスに合わせて破綻した人々と酷いアメリカについて歌っていたが、「Wake Up America」は当時よりも状況がさらに酷くなった現在のアメリカについて、あえてプライドと希望を持てる分かりやすい曲を作ろうとしたように思える。

 

 ウィリーは、1980年12月7日にニューヨークでジョン・レノンが次のアルバムのためにレコーディングしているとき、同じレコーディングスタジオを使っていたらしい。

 ジョンがギターの弦を切ってしまったときスタッフを通じて自分の弦を渡したそうだ。その翌日にジョンは殺された。

 

目を覚ませ、アメリカ

俺は移民の息子、奴隷の娘、生粋の先住民だ

Wake Up America (Featuring Steve Earle) 


 ウィリー・ナイルは、これまでずっと最高のロックアルバムをリリースしてきた。歌詞が素晴らしく、基本的にシンプルな音楽なのにワンパターンにならない。

 

 ブルース・スプリングスティーンが本人の思いとは別に遠く離れ、エリオット・マーフィーが去っていった、リアルな場所から歌うニューヨークの伝統的なロックサウンド。

 ウィリーの音楽を聴くと、行ったことがないニューヨークの景色や人間が見えてくる。やっぱりシンプルなロックンロールほどいいものはないぜ!

ある人は家を出ていき、ある人は留まる
ある人はまっすぐ進み、ある人は逸れていく
ある人はウイスキーを飲み、ある人は祈る
楽園の扉は、両方向に揺れている

お前はちょっとした言葉で俺の心を壊すこともできるし
いろいろな方法で曲がりくねることもできる
だけど傷ついた奴がその代償をはらうことになるのさ
楽園の扉は、両方向に揺れているぜ


Doors of Paradise

 

※以前に書いた文章はこちら

Willie Nile ‐知られざるニューヨークのロック詩人 

 

似た感じの音楽はここら辺かな

The Hooters –フェラデルフィアで一番のバンド 

Bruce Springsteen  -ストリートにいた時代 

Garland Jeffreys -ブルックリンのストリートロッカー 

Elliott Murphy -パリのアメリカン・ロッカー