100nights+ & music

100nights+ & music

2020年の1年間に好きな音楽を100回紹介していました。
追記)2023年になっても見てくれる人がいて驚きました、感謝を込めて?気が向いた時にときどきまた書こうかと思います、よろしく!

 

静けさと強い意志

 

 ドゥルッティ・コラムは、ヴィニ・ライリーのソロ・プロジェクト。

 セックス・ピストルズがマンチェスターで行った伝説のライブを切っ掛けにトニー・ウイルソンがファクトリー・レコードを立上げ、そこで1979年にドゥルッティ・コラム、キャバレー・ヴォルテール、ジョイ・ディヴィジョンという最高のバンドのオムニバスをリリースした時代から、もうずいぶん長い間活動を続けてきた。

 

 ドゥルッティ・コラムは、とても独得の印象を与えるユニットだった。他のバンドもこれ以上ないほどユニークだったが、普通の音楽としても聞くことができるドゥルッティ・コラムのサウンドには、ポストパンクとしての妥協しない意志が感じられた。

 

 1980年のファーストアルバム『Return Of The Durutti Column』は、ヴォーカルなしで全編がギターと少しのパーカッションという、まったく派手さのないアンビエント的なサウンドだった。

 この美しい内容のLPジャケットはサンドペーパーで出来ていて、レコードショップで盤を探していると前後のレコードジャケットが削れていくという、悪意バリバリの仕様になっていた。

 

Sketch For A Summer

 

 1981年のセカンドアルバム『LC』は、ヴォーカル入りの曲やピアノの音が入っていて全体的にカラフルな印象がある。

 ドゥルッティ・コラムは、それほど曲による大きな違いがないのであまり優劣を言いにくいのだが、このアルバムは全体的な統一感や曲の瑞々しさが際立っていて、特に素晴らしいと思う。

 

 1980年に自殺したジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーチスに捧げた「The Missing Boy」などを聞くと、親しい友人の死を悼むだけではなく、どこかパンク(ロック)のレクイエムを歌っているようにも感じたことを覚えている。

 この野外ライブは、とても楽しそうなドラマーと表情を変えないヴィニ・ライリーが対照的だ。

 

ある少年がいた、ぼくは彼のことを良く知っていた

視線を交わし、ぼくを気分よくさせてくれた

いくつかの印を残して、伝説になってしまった

 

The Missing Boy

 

 ドゥルッティ・コラムは、ニューアルバムを待っていつも聞くというよりも、ときどき新しい音を聞きたくなって探して手に入れることが多い。

 

 ヴィニ・ライリーが自身の名前をタイトルにした『Vini Reilly』は、気に入ってよく聞いていた。オペラっぽいサンプリングやフラメンコタッチのギターなど、落ち着いている中にも変わらないラジカルさが感じられる内容だった。

 ただ、このアルバムで一番好きな曲は昔ながらのギターとビアノだけのシンプルな「Red Square」かな。こんな曲を書ける人はやっぱり他にいない。

 

Red Square

 

 ヴィニ・ライリーは2010年に脳梗塞になって、うまくギターが弾けなくなってしまった。2013年には金銭的に困窮して寄付を集めたりもしていたが、2014年に友人に支えられて集大成のような2枚組『Chronicle XL』をリリースした。

 一枚は病気になる前に、もう一枚は病気の中で完成させた内容で、ワインレッドの箱の中にはCD2枚に加えて、曲へのアクセス・コードが書かれたサンドペーパーと写真が入っていた。

 

 その2枚目は多くの曲でゲスト・ヴォーカルを迎えていて、最初の曲「Free From All The Chaos」ではマンチェスターの女性シンガー、カオイルフィオン・ローズと共演している。このアルバムは最後の傑作かもしれない。

 

Free From All The Chaos

 

 ドゥルッティ・コラムはポストパンクとして、どこか「終わりから始めた」ような「希望はあまりないが終わりには向かわない」ような印象がある。

 自分自身にもどこそういう感覚があり、それが長くドゥルッティ・コラムを聞き続ける理由になったのかなとちょっと思う。

 

輝きが空気の中に落ちていく
ぼくたちの横たわる草むらの中へ
雲雀は完璧なピッチで上向きに螺旋を描いている
飛行機が永遠に空を渡っていく
夜明けに

 

Sketch For Dawn I

 

 

 

 

 

 

出口はあったか?

 

 今回は前の高橋幸宏に続けて、THE BEATNIKSについて書きたいと思う。

 THE BEATNIKSは1981年にスタートしたムーンライダーズの鈴木慶一とYMO等などの高橋幸宏のユニットで、2018年までに5枚のオリジナルアルバムをリリースした。

 

 ファースト・アルバムの『EXITENTIALISM/出口主義』は10代にリアルタイムで聞いていた。当時先端のニューウエイブ・サウンドになっていて、歌詞は英語でロックやポップス的な創りではなく、どこか閉塞感のある音が気に入っていた。

 1981年は、ムーンライダーズ『マニア・マニエラ』とYMO『テクノデリック』という両者の最高傑作も製作されている。この年はある時代のピークとだったといえるかもしれない。

 

No Way Out

 

 1987年にリリースされたセカンドアルバムの『EXITENTIALIST A GO GO』は、まったく感じが変わり、とても独得ではあるが『歌もの中心』になっていた。

 このポップで聞きやすいアルバムは、2人それぞれのアーティストとしてのサウンドセンスが素晴らしいが、何より鈴木慶一が書いた何曲かの、情けなかったりダークだったりする独得の歌詞が唯一無二の世界を出している。

 

 鈴木慶一の「COMMON MAN」は、その頃聞いた他のどの曲よりも印象的だった。さまざまな時代と国にいる「普通の男」と自分自身をテーマにした、とても虚無的でパーソナルな名曲。

 

誰にも答はない 浮かんでは消え

でもこれは夢なんかじゃない

いつの間にか夢なんか見ない COMMON MAN

 

COMMON MAN

 

 次にこのユニットがオリジナルアルバム『M.R.I.』をリリースしたのは、14年後の2001年だった。このアルバムはあまり印象がないのでパス。

 

 さらに10年後の2011年は、結成30周年ということで4枚目の『LAST TRAIN TO EXITOWN』を出した。このアルバムは年齢を経た2人の落ち着きと豊かな音楽性が実った名作だと思う。

 1曲目の「A Song for 4 Beats」では、ユニット名を取った1950年アメリカのビート・ジェネレーションの代表的な人物などが歌われている。

 「オン・ザ・ロード」を書いたジャック・ケルアック、「裸のランチ」を書いたウィリアム・バロウズ、何も残さなかったニール・キャサディ、「吠える」を書いたアレン・ギンズバークの4人に加えて、とても若い頃の2人に深い影響を与えたベーシスト細野晴臣。

 

若き日は生きるのに 手間がかかって

迷い込む道も たくさんある

老人が生きるには 出口がいる

胸に空いたままの アナがあったな

 

A Song for 4 Beats

 

 2018年の5枚目のアルバム『EXITENTIALIST A XIE XIE』が、このユニットの最後の作品になってしまった。

 高橋幸宏が最後に組んでいたバンドMETAFIVEのメンバーなど、はじめて外部のミュージシャンを何人も積極的に加えて製作されている。

 落ち着いた深みのある部分と、実験的で笑い飛ばす部分が同居した、これも良いアルバムだと思う。

 

シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya

 

 

 THE BEATNIKSは、高橋幸宏が2020年に大きな病気になる直前まで断片的ではあるが継続したユニットとしてアルバムをリリースしていた。2人にとっては実験的なことのできる場所であり、親しい友人とリラックスして本気の音楽を作ることのできる場所でもあったんだろう。

 

 いつも新しい音楽を探していたという意味で、ずっとニューウエイブのスピリッツを失わなかったTHE BEATNIKSは、その一方で30前だった2人が60代後半になるまで、若い頃の経験を振り返りながら現在と向き合うプロセスを見せてくれていたように思う。

 そんな彼らの音楽は、ぼくにとって長いあいだいつもどこかリアリティを持っていた。

 

でも心に リズムはある

やがて空に 僕等がいる

そしていつも Walk’n to the beat

 

Camisa De Chino

 

 

 

以前に書いた文章です、よかったらどうぞ

Moonriders -薔薇がなくちゃ、生きていけない 

Moonriders -薔薇と月 

高橋幸宏 - ARE YOU RECEIVING ME ? 

 

 

 

 

 

 



薔薇色の明日

 最近は好きなミュージシャンの紹介をしようとすると追悼文になることが多くなってきた。そういうのは書きたくなくて高橋幸宏も少し避けていたのだが、6月6日の彼の誕生日にサブスクも解禁されたようなので、このタイミングで紹介したいと思う。

 高橋幸宏は有名人なので多くの人が知っているだろう。ぼくが彼を知ったのは多くの人と同じようにYMO時代で、実は最初は苦手だった。

 YMO直前に彼がやっていたバンド「サディクテックス」は嫌いなフュージョン系だったし、最初のソロアルバムはおしゃれ系と、パンク/ニューウエイブにハマっていた10代の中頃は自分とは関係ないミュージシャンだと思っていた。

 その印象が決定的に変わったのは、1983年に出た『薔薇色の明日/Tomorrow's Just Another Day』というアルバムだった。

 ポップでセンスが良い中に感じられた研ぎ澄まされたデリケートな感覚が好みに合ったし、幸宏の人間性がはじめて理解できたこともある(それまでは気取っていて気難しい、嫌な奴なんじゃないかと何となく思っていた、若い頃は自分がそうだったな笑)。

ここは暗闇で、ぼくはただ一人ぼっち
君はぼくを受け止めてくれるだろうか?


Are You Receiving Me?


 高橋幸宏は、腕のいいドラマー、ソングライター、サウンドメーカー、ボーカリスト、デザイナー、釣り師など、それぞれの部分で優れた顔を持っていたが、ぼくにはポップシーンの中にいる繊細な芸術家という印象が強い。


 ただ、バンドで演奏しているときの彼がそんな感じから抜け出して楽しそうなのは、歌うドラマーということもあるのかもしれない。

 幸宏が最初期のシーナ&ロケッツに書いて、YMOでも演奏をしていた「Radio Junk」は当時からみんなが大好きな曲だった。映像のタイトなドラムを聞くと幸宏が本当にいいドラマーだったことがよく分かる。

Radio Junk



 『薔薇色の明日』の後のアルバムは落ち着いた感じが続いたが、1988年に東芝EMIに移籍した最初のアルバム『EGO』は全体的に緊張感が漂い、恐らくレコーディングにも費用をかけた大作という感じだった。
 ただこの緊張感は本人には居心地が悪かったようで、1990年代に入るとどんどん脱力系というか、情けない系というかヒリヒリした緊張感とは別のテンションのアルバムを作るようになっていく。

 まだ緊張感が強いが脱力系に少しづつ移行しつつある時期の曲が、次の『BROADCAST FROM HEAVEN』に入っている「6,000,000,000の天国」かなと思う。現代の黙示録的な歌詞はムーンライダーズの鈴木慶一が書いている。
※鈴木慶一と組んだユニットTHE BEATNIKSは次に紹介しようと思っています

6,000,000,000の天国


 最近公開された加藤和彦をテーマにした映画は、バンド仲間だった高橋幸宏の発言をきっかけに製作されたらしい。その中で、彼は加藤和彦のことを「音楽で社会を変えようと思っていた人じゃなくて、音楽を楽しもうと思っていた人だったから」みたいに話していた。
 幸宏は個人的な苦悩や繊細さを反映したデリケートな楽曲を使って、かつて影響を受けた洋楽のように、いつだって自分にとってリアルで最新のアルバムを作ろうとしていたんだろう。それは楽しかったに違いないと思う。

あんな奴もこんな奴も、ぼくを知らない

どんな奴もきっと奴も、きみを知らない

 

あんな風にもこんな風にも、生きたくない
昔風にも今風にも、生きたくもない


空気吸うだけ

 

 高橋幸宏は、聞きようによってはJポップのようにも聞こえる一般的な音楽、エレクトロニカと歌ものを合わせた実験的な音楽など、その後もずっと良いアルバムを作り続けた。

 そこら辺についてはTHE BEATNIKを除くと断片的にしか聞いていなかったので、残念ながらぼくに彼の音楽人生を網羅した文章を書くことはできない。

 彼は、2006年の『Blue Moon Blue』などエレクトロニカを多用した音楽を製作していた時期があった。それらの曲のバックでハイハットの代わりのようににリズムを刻んでいる神経質だがどこか安心感を与えてくれる「チリチリした細かいノイズ」は、とても幸宏らしいなと思うし、その感覚はどこかで共有していたような気がしている。
 そんな曲の中では「Where Are You Heading To?」が特に好きだった。

きみはどこに行くの?
きみはどこへ向かっているの?


Where Are You Heading To?


 高橋幸宏は10代でバンドを始めてからずっと、一人だけでは音楽制作をしなかったし、最後まで意識的に若いミュージシャンと対等に音楽を作ろうとしていた。そして彼の作る音楽が、偏屈でも嫌な奴でもなく、少し神経質だが穏やかで優しい心を失わなかった人であることを証明していたと思う。
 
 最初に彼のそんな部分をどこかで感じたのは、『薔薇色の明日』に入っている「6月の天使」だった。シンプルなポップソングなんだけど、どこか心に強く残るものがあった。それはいま聞いても変わらない。

 

七色の楽しげな舗道

空からは絶え間ない銀の糸

ポケットに溢れそうな夢は

ぼくの靴 誘い出して踊り出す
 

6月の天使

 

 

 

 

 

 

 

 

最高のファーストアルバム

 

 シェリル・クロウがデビューしたのは1993年だった。彼女のデビューアルバム『Tuesday Night Music Club』は当時とても気に入ってよく聞いていた。

 アメリカの伝統的なフォーク、ブルース、カントリーをベースにしながら、ヒップポップっぽいところもあり、古くて新しい感覚が面白かった。その後の彼女の曲をそれほど積極的に聞いているわけではないのだが、このアルバムはいまでも聞き返している。

 

 シェリル・クロウが最初に注目された曲は「All I Wanna Do」だった。どこかヒップポップぽい感じがあるこの曲をラジオで聞いて、すぐアルバムを買いに行った。

 

All I Wanna Do

 

 シェリル・クロウの本当のファーストアルバムが別にあることは、少しだけ有名かもしれない。

 メジャーレーベルと契約して作成した最初のアルバムは、ポリスやフィル・コリンズなどで有名なヒュー・パジャムがプロデュースをしていて、打ち込み中心の聞きやすい売れ線ロックという感じだったようだが、結局リリースされることがなかった。

 多分このアルバムがリリースされて売れていたら、ぼくが彼女の曲を聞くことはなかっただろう。

 

 実際のファーストアルバムは、当時の洗練だけされたつまらないロックとは違って、伝統に根ざしたバンドサウンドを中心に、新しい試みを加えた音になっている。

 このアルバムで一番好きな曲は1曲目に入っている「Run, Baby, Run」だった。ロックバンドのサウンドと、父親からの「走り続けろ」というメッセージの両方が素晴らしい。

 

だから走れベイビー、走れ

昔の懐かしい顔ぶれや古臭いやり方から

見知らぬ人との安らぎへ

さよならを言われる前に抜け出していけ

おまえは走るのが好きだから

 

Run, Baby, Run

 

 このアルバムはサウンドも含めて好きなので、ライブではなくてプロモーションビデオを紹介している。

 ただシェリル・クロウは、ライブではギター、ピアノ、ベースなどの楽器を弾きながら歌うことも多い。基本的には録音よりもライブパフォーマンス中心のミュージシャンだと思う。

 ファーストアルバムに入っている「Strong Enough」のスタジオライブでは、シェリルはアコーディオンを弾きながら歌っている。

 

Strong Enough

 

 『Tuesday Night Music Club』は、まだ無名時代のシェリル・クロウが、当時の彼氏が参加していた「チューズデイ・ミュージック・クラブ」というジャム・セッションに加わり、そのメンバーとシェリルが一緒に作曲や演奏をしながら制作されている。

 このアルバムは、関係者全員にとっても特別なタイミングで起こったマジックみたいな作品なのかもしれない。

 

 シェリルは、この後「チューズデイ・ミュージック・クラブ」から離れてアメリカを代表するスーパースターになっていった。まるで「Run, Baby, Run」の歌詞のように。

 

 

オマケ)キャット・ステーブンスのカバー「The First Cut Is The Deepest」

 

The First Cut Is The Deepest

 

 

 

 

 

言葉とダンスの不思議なギターバンド

 

 ブルー・エアロプレインズというバンドを知っているだろうか? 1980年代にイギリスのブリストルで結成され、売れたという話は聞かないが現在まで止まらずに活動を続けている。

 1990年頃にメジャーレーベルから何枚かのアルバムを出して、日本でも少しだけ話題になったこともあった。

 

 バンドと言ってもかなり変わった編成で、リードボーカルの代わりにスポークンワード(ラップじゃなくて詩をブツブツ語っている)を担当するジェラルド・ラングレイと、変な踊り(だけ)をしているダンサーが中心で、そこに複数のギターを重ねたバンドサウンドがついている。

 メンバーはアルバムによって頻繁に変わるので何人いるのかよく分からず、50人以上は在籍していたと思う。あるコンサートではギター担当が12人もいたという。

 文章ではどんなバンドなのかさっぱり分からないと思うので、とりあえず一曲聞いてみて欲しい。

 

カードを引けよ、どれでもいいぜ

ハズレだ

 

Jacket Hangs

 

 このバンドを知ったのは、『3×20(colours)』という新星堂が選曲した1980年代のU.K.インディーズ・レーベルのミュージシャンの曲が20曲ずつ3枚に入っている、1990年にリリースされたコンピレーション・アルバムだった。

 スミスから始まってロバート・ワイアットで終わるこのアルバムで知ったミュージシャンは多いので、そのうちまとめて紹介したいと思っている。

 

 その中に入っている「Ups」を聞いて、すぐこのバンドのことを気に入った。ディレイをかけたギターのピッキングが特徴的な曲で、バンドの演奏もスピード感があって最高にカッコいい。

 ここでギターを弾いているアンジェロ・ブルスキーニは、ブルー・エアロプレインズを入ったりやめたりしながらいろいろなバンドでギターを弾いていた。好きな曲は、だいたいアンジェロがギターを弾いている。

 ブルー・エアロプレインズを完全にやめてから同じブリストルのマッシブ・アタックのメンバーになったが、残念ながら昨年に病気で亡くなってしまった。

 

Ups

 

 ブルー・エアロプレインズには、もう一人、ロドニー・アレンというネオ・アコステック的でポップな曲を書いて自分でも歌う、才能のあるソングライター&ギタリストが入っていることもあった。

 ロドニーはチェリーレッド・レーベルからソロアルバムも出している。

 

 いくつかのアルバムでは、何曲か彼の曲が入っていてとても良いアクセントになっている(英語が良く分からないのにスポークンワードばかり聞くのも退屈だしね)。

 

Fun

 

 ブルー・エアロプレインズは、案外ポップで聞きやすく音楽的なレベルも高いギターバンドだが、ジェラルドのスポークンワードを中心としているので、まあ売れなかったのは仕方ないかもしれない。

 でも例えば「Cardboard Box/段ボール箱」という静かな曲などは、多くの人に受け入れられることはないかもしれないが、聞いて好きになる人は決して少なくないんじゃないかな。

 もしできれば小さな段ボール箱みたいなこのブログを切っ掛けに、ブルー・エアロプレインズを聞いてみる人が一人でも増えると良いと思っている。

 

この小さな段ボール箱の鍵はここにある

ぼくの心への鍵はここにある

 

Cardboard Box

 

 このバンドの本体は、サングラスをしている歌わないボーカルと、変なダンサー、あともう一人ボーカルの弟がいるらしい。ただメンバーが変わりすぎるし多すぎるので、サングラスと変なダンサーしか認識することができなかった。

 それでも現在まで続けていることは最高だし(映像を見るまで存在を忘れていたダンサーが結成以来ずっといるのも凄い)、最近もブリストルでライブをしている。

 

 ちょっと紹介する曲が多すぎるような気もするけど、最初で最後の機会だろうからあと2曲紹介しておく。 

 ブルー・エアロプレインズは前身がパンクバンドだったらしいが、何十人も変わっているプレーヤーの演奏レベルはライブでもとても高い。

 ドイツのテレビ局で演奏したらしい「...And Stones」を見れば、ハッピーマンデーズのべズや電気グルーブのピエール瀧みたいなダンサーを含めて、いかにいいバンドか分かってもらえると思う。

 

...And Stones

 

 ほとんど誰も知らない曲だと思うが、最後にスポークンワードも入っていないギターだけのシンプルな曲を聞いてほしい。アンジェロが弾く彼自身へのレクイエムのようになってしまった。

 ジェラルドの体調も不安定のようだが、ブリストルのどこかでこれからもバンドを続けて行って欲しいと思っている。

 

For Tim Collins