お世話になっております。寄託部部長のにぽっく(弁理士松田)です。

 

赤松先生がフランス視察をなされた結果、

「アーカイブ哲学」が、今後重要になってくるということがわかりました。

 

なので、私も哲学してみようと思います。

 

なお、アーカイブ全体についての検討は私個人には広すぎて手に余ります。

全体については学会等にて! 私個人は、ゲームアーカイブについて考えます。

 

以下、ゲームアーカイブ哲学(松田Ver.)です。

 

至上命題は、「選択可能性」を将来世代に残すこと

 

・子供、孫、ひ孫……などの子孫の世代を以下、「将来世代」と表現します。

・あるゲームAをプレイしたり、ゲームAのプレイから刺激を受けて別のゲームを創作したり、その他ゲームAに触れる行為を、「ゲームAにアクセスする」と表現します。

 

この時、ゲームAにアクセスするか否かを選択するのは、我々ではなく、将来世代の選択者Pです。

 

選択者Pが存命の空間(今からすると150年後など)においてゲームAが存在しなければ、選択者Pは、「ゲームAにアクセスすることを選択すること」も、「ゲームAにアクセスしないことを選択すること」も、いずれもできなくなります。

 

これは、「選択者Pによる選択の自由」が存在しない状態、と解釈できます。

 

従って、ゲームAをプレイ可能に保存することにより、将来の選択者Pによる「選択可能性(選択の自由)」を保護するのが、ゲームアーカイブの至上命題だと考えます。

 

「選択可能性」は、豊かさの指標の1つ。

そのため、選択可能性を残すことは、将来世代に豊かさを残すことを意味します。

 

つまり、現世でのゲームアーカイブの役割は、「選択可能性」というギフトを将来世代に渡すこと。

 

以上が、ゲームアーカイブ哲学(松田Ver.)です。

 

 

赤松先生の「アーカイブ哲学」というご提言のおかげで、ようやく言語化できるようになったわけですが、

 

私は上記のゲームアーカイブ哲学に基づいて思考・行動しているので、

(1)ゲームの商業復刻大歓喜 (∵ゲームAを選択者Pが選択できるようになる)

(2)商業では復刻できなさそうなゲームは、非営利の方で保全する必要がある (∵売れ筋は商業で復刻しやすいので残りやすい。そうではないゲームは、選択の自由を後世に継承しずらいのだから、むしろ積極的に保全が必要)

 

という考え方になり、

行動面では特に(2)の筋を追っている、という概略になります。

 

ここまで文章化すると分かってくることもありまして、

商業復刻と非営利復刻の両方そろってはじめて、上記の至上命題に向かえる、ということになるんじゃないかなぁと。

 

言い換えると、商業と非営利とは対立関係ではなく補完関係にある、というように、私の視点からは見えています。

 

今日もありがとうございました!