灯り
僕にはとても大切な人がいる。
仮にAさんとしよう。
僕はAさんのことが大好きで、
こういう人が僕のそばいてくれるなら、
僕も生きていてもいいんだと素直に思える。
Aさんはいろいろな顔を持っている。
美人で、聡明で、プライドが高くて、子どもっぽい。
Aさんを造るすべてのマテリアルに、
僕は太陽のような母性というか、
包み込むような魅力を感じる。
そういえば出逢って間もない頃、
僕はAさんのことを
「太陽のような人だ」
と思った。
Aさんの笑顔は太陽の光のような力に満ちている。
明るくて朗らかなその笑顔は、
辺り一帯から暗い場所を拭い去ってゆくようだった。
それはとても眩しく、
僕には正視もままならなかった。
そんなAさんの人となりに触れるたび、僕は
「ああ、この人は僕とは根本的に何もかも違う人種なんだな」
と思っていた。
しかし、時間が経つにつれて、
Aさんに対する印象は変化していった。
前述したように、
Aさんはとても子どもっぽい。
独占欲が強い。
「あれれ?」
と思う意外な一面はいろいろとある。
そしてAさんは、
その「完璧な人」に見える外見について、
少しコンプレックスを持っているようだ。
どうしても人当たりを気にして、
笑顔を作ってしまうことがあるように、僕には見える。
「本当はそんなにいい人じゃないのになあ……」
という内面の声無き叫びが聞こえる時がある。
そういうAさんの本質(?ベストな言葉ではないか)に触れるにつれ、
僕の中でAさんへの信頼と愛情が堆積されていった。
僕は今、Aさんのことを
太陽のようだとは思っていない。
かわりにこう思うようになった。
「灯り」のような人だ、と。
僕にとってAさんは、
暗闇に光る小さな灯りそのものだ。
暗い道では、自分の足元さえろくに見えない。
不安で心細くて、歩くのが辛くなる。
そんな時にふと気付く。
遠くで揺れる、我が家の灯りに。
眩く強い光ではない。
それはあくまで安らげる場所、
つまり、「灯り」なのだ。
歩くのが辛くなると、
僕はすぐにAさんに「暗い道」を照らしてもらっているようだ。
そういう人を見つけることのできたこの人生は、
まだまだこの先素敵なことに満ちているのだろうな、と思った。
今度は僕が、
Aさんにとっての「灯り」になれたら、と心から思う。
月夜のできごと
月のきれいな夜の話。
以前も別の記事で書いたが、
駅から家までの道がけっこう長く、
大きな公園を横切るように歩く。
この公園は静かで清潔で、
なんだか山道を歩いているような気分になるので好きなのだ。
昨夜は月がきれいだった。
ガス灯のように明るい月に照らされて、
舗装された道のでこぼこがはっきりと見えた。
ふと、ちょっとした広場に目をやると、
猫が十匹くらい車座になっていた。
そして僕が見ていることを一匹が感知すると、
一斉に十匹全部が僕を見た。
いつも思うが不思議だ。
「おい、人間に見られてるぜ」
という一言を発した様子はまったくないのに。
そして彼らは一様に、
「……今の話、どこまで聞かれた?」
という表情をしている。100パーセント。
一体何の話をしていたんだろう?
マグロの漁獲量減少の話?
マンガ規制の条例改定について?
壊滅的な戦争の後、人類に代わって支配者となる計画について?
それともとなり町のとびきりセクシーなペルシャ猫ちゃんについて?
興味はつきない。
しかし、人間に聞かれてはまずい話であることはまず間違いないだろう。
猫達から目をそらし、すたすた歩いて物陰に隠れた。
そのまま十五秒経過。
そうっと物陰から覗くと、
はたして猫達はふたたび座談をはじめていた。
そしてまた、
「はっ」
として一斉に僕を見た。
「……今の話、どこまで聞かれた?」
という顔をして。
月のきれいな夜の話だ。
護岸工事
何かの本で読んだのだが、
日本は先進国の中で一番(ということはつまり世界一)護岸工事をしている国らしい。
スペースシャトルなどから撮られた映像や写真を見ると、
日本の海岸線があまりにいびつなのでぎょっとする。
かくかくしているのだ。人工的なのだ。
もちろんアメリカやイギリスも広い面積で護岸工事はしているのだけど、
日本のあの面積で、あの海岸線の短さでと考えると、
もう恐ろしくなってくるほど“自然のライン”が少ない。
何年も前の話だけど、
田舎に帰省した折、家の前の海岸から砂浜が消えていて驚いた。
百メートルあまりあった砂浜が、
すべて船着場になっていたのだ。
子供の頃、よく遊んだ浜だ。
この浜で泳いだり、磯を探検するのが夏休みの楽しみだった。
これはこたえた。
『まちにうるおいを! 漁獲量の向上を目指して』
と大書きされた看板が堤防に立っていた。
大義名分もいいとこだ。
『漁獲量の向上=護岸工事の推進』
というフォーマットしか思いつかないなんてあまりにも怠慢だ。
まったく税金対策のムダ工事には疲れさせられる。
誰かのくだらない私腹のために、
今日こうしている間にも日本の原風景はどんどん失われている。
僕達が齢を取った時、
旧き良き日本の景色を、
一体どれだけ次の世代に残してやれるのだろうか。
シンプルだから怖い「捕食者」の映画
「ありふれた日常の話」より「ちょっこし異常な話」が全然多いんじゃないの……
と友達から指摘を受けたので、
たわいもない話を書く。
『プレデターズ』を観た。
待ちわびていた映画なので期待が高まりすぎて肩透かし、
というのを恐れていたんだけど……
いやあー面白かった。
あのおっそろしいプレデターが、「ズ」って。
それだけでもワクワク……と言いたいが、
「複数のプレデター」という恐怖は、
実は『プレデター2』でやっちゃってるのだ。
だからギョギョッとなることは別になかったし、
もっと言えば予想を裏切るような展開も全然なかった。
とはいえ……うーん面白い。
別にこういう映画に意外な展開なんて求めちゃいないんだな……と痛感した。
まあ意外な展開なんていらないが、
ファンとして絶対に変わっていてほしくないものはある。
それは、
「ただただ強い生き物を狩る」
というプレデターの根幹。
彼らは侵略も征服も繁殖も求めていない。
求めるのは一つ。
強者との戦い、である。
このシンプルさがすごい。
シンプルゆえに怖い。
そう、例えばカマキリなどの昆虫を思わせる。
生きる、という本能に基づく行動。
行動が極めて本能的なのだ。
ワケあって化けて出ました……てな幽霊よりよっぽど怖いなあ、と思う。
それが『エイリアンVSプレデター』では、
プレデターがいいもんちゃんになっており、
カッコよすぎてカッコ悪かった。
まあエイリアンをいいもんにするわけにはいかないからね。
しょうがないんだろうけど。
ちょっと面白かったのは(ネタバレなので劇場に行く人は読まないでね)、
プレデター達が、狩りに失敗するたびに
「どうして失敗したか?」
を学習し、さらに狩りのスキルを磨く、というくだり。
……思わず眼鏡をかけたワイシャツ腕まくりの講師プレデターがセミナー会場で、
『2010年・地球人の新たな行動パターンとその変化』
というタイトルをホワイトボードに書いてる姿を想像した。
それを見ながらしきりに頷き、メモを取る着席プレデターズ。
極めてコント的だ。
いろいろ書いたが、
いわゆる「ああいうのが大好き」な人にはたまらん映画だと思う。
つきなみで申し訳ないが、うん、スカッとするねえ。