火事ばか 後編
別の日。
久しぶりの同窓会ということで、W君はまたかなり飲んだ。
その日もどうやって帰ったのか覚えていない。
気がつけば朝方。
五時を過ぎた頃だ。
のどがからからになって目が覚めたのだ。
小さな冷蔵庫を開けてみたのだが、
W君が望むような飲み物は何もない。
水道水を飲もうと思ったのだが、
季節は夏なので水は生ぬるいはずだったし、
W君の住んでいた辺りはこと水がまずかった。
ご存じだと思うが、
飲み過ぎた翌日に飲む一杯の水とは甘露なのである。
まずい水でのどを潤したくはない。
そこのところはW君も譲れなかった。
とはいえのどの渇きは我慢できない。
仕方なく、W君は小銭をポケットに入れると部屋を出た。
マンションを出てすぐのところに自動販売機がある。
まだ眠い目をこすり、あくびをしながらW君は階段を降りた。
とんっ。
とんっ。
W君はペットボトルのスポーツドリンクを買い、
その場で一気に半分くらい飲んだ。
頭はまだ酔っていた。
しかし、二階の自室に戻ろうとして、W君はふと考えた。
今、何歩で階段を降りたんだろう。
一階と二階との間には二十段ある。
でもW君の記憶では。
とんっ。とんっ。くらいだった。
狐につままれたようだった。
もちろんW君はたっぷり二十段あがって部屋に帰った。
こんな経験をW君はいくつか持っているらしい。
これを火事場の馬鹿力というのかはわからない。
しかし、人間というのは無意識下において特に超常的な力を発揮することがあるようだ。
もう少し脳をコントロールできたら、
この馬鹿力はかなり便利なものになりそうだ。
でも体にはたぶん悪いんだろうな。
だからコントロールできないようになっているんだろうな。
火事ばか 前編
火事場の馬鹿力、というものを、
果たして人間が本当に持っているかという疑問はかねてからあった。
僕自身は経験がないからだ。
小人を見たりタタリにあったりしているくせに、
火事場の馬鹿力の存在は疑っていた。
という話を友人にしたら、俺の友達ですごいのがいるぜという。
くだんのW君というのは、身長が180センチくらいあるのだが、
体重はどう見ても60キロなさそうだ。
アンガールズのようにひょろっひょろなのである。
顔も青白いし、たまに体調を崩して仕事を休むらしい。
女の子と目を合わせない。
おにぎり一個でおなかがいっぱいになる。
リアル草食系男子だ。
そんなW君は、お酒は大好きなのだ。
家でも、たまに意識を失うくらい飲む。
どんなに酔っぱらっても家なら安全、というわけだ。
たまに外で飲むと、事件が起こる。
W君はワンルームマンションに一人暮らしなのだが、
痛飲した翌日に目覚めると、
W君のとなりに白髪頭で白スーツを着た大柄のおっさんが寝ていた。
何度目をこすっても、白髪頭に人の良さそうな眼鏡ヅラは消えない。
もちろん答えは一つ。
酔っぱらったW君が、
某フライドチキン屋の店頭に立っていたこのおっさんを地面からむしり取ってきたのだ。
持ってみると、ものすごく重い。
W君のマンションは四階建てで、エレベーターがない。
W君は二階に住んでいる。
どうやって運んだのかW君にはまったく思い出せなかった。
すぐにW君は友達を三人呼び、
四人がかりで近くのフライドチキン屋までおっさんを運んだ。
酒の上でのことで、と謝り倒して許してもらったらしい。
<つづく>
けったいな夢 #.5
失業の覚悟で社長に意見した。
すると社長はにっこりと笑ってこう言った。
「君の態度は賞賛に値する。よって褒美をあげよう。どちらかを選びたまえ」
左手にはチリワインのカヴェルネソーヴィニヨンを持っている。
ボトルはなぜか純金製だ。
右手にはドイツワインのリープフラウミルヒを持っている。
こちらのボトルはプラチナ製。
僕は毅然と、
「会社を良くしたくて意見させていただきました。
褒美が欲しいわけではありません」
と言った。
すると社長は残念そうな顔をしてクリスタルヒトシくんをくれた。
という夢を見た。
ほくそ笑む活字中毒者
鞄に常駐している本、というジャンルがある。
僕の場合は、だけれど。
そいつは代々移り変わってきた。
覚えている限りでは、
「おせっかいな神々」(星新一著)。
「メタモルフォセス群島」(筒井康隆著)。
「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」(中島らも著)。
「深夜勤務」(スティーブン・キング著)。
「ゲーテとの対話」(エッカーマン著)。
「檸檬」(梶井基次郎著)。
「善の研究」(西田幾多郎著)。
「こころ」(夏目漱石著)。
「荒涼館」(チャールズ・ディッケンズ著)。
「中国行きのスロウ・ボート」(村上春樹著)。
「生物としての静物」(開高健著)。
「オーパ!」(同じく開高健著)。
「対話篇」(金城一紀著)。
「幻想図書館」(渋澤龍彦著)。
「さまよえる湖」(スウェン・ヘディン著)。
「ハワイイ紀行」(池澤夏樹著)。
あと、江戸川乱歩いろいろ。
東海林さだおいろいろ。
椎名誠いろいろ。
荒俣宏いろいろ。
宮沢賢治。ジャック・ケッチャム。井伏鱒二。馳星周。つげ義春。もーばらばら。
いやいや、全然書ききれない。まだまだある。あったはずだ。
これらの本は、長くて一年くらい鞄に居座り続ける。
その時々に読んでいる本と、こいつら。
鞄には二冊の本が入っているわけだ。
重くてしょうがないが、
ふと思い出したようにこいつらのページをくる。
何度も何度も読んだ本だ。それでも読む。
それでも学びがある。単純におもしろい。
いやされる。励まされる。効果はいろいろだ。
鞄に本がないとそわそわする。
鞄を持っていない時でも、
懐に文庫本が入っていないと鼓動が速くなる。
レッキとした活字中毒である。
今は昔と違い、週刊誌を読むようになった。
鞄にはかなりの頻度で週刊誌が常駐している。
ま、それはそれとして文庫本もちゃっかり入っている。
本を読んでいる時は幸せだ。
昔はよく現実逃避しているだけだ、とか言われていたけれど。
うーん強くは否定できないな。
でもしっかり現実でも戦っている。苦戦が続いている。それでも戦い抜く。
ただ、援軍は必要なのだ。
本を開くと、おかえり!という感じで、
色々な感情や思想や物語が心に流れ込んでくる。
いや。言葉はいらないか。
凡百の言葉を並べても、
本を読む理由や楽しさを語ることなんてできない。
そこに本がある。だから僕は今日も本を読む。とびきり甘美な時間を過ごす。
何を隠そうそれだけなのである。
棒立つ男
F君がスーパーの夜警のバイトをしていた時のこと。
F君はその夜、
懐中電灯を持ってだだっ広い駐車場をぶらぶら歩いていた。
たまにやんちゃな少年達が自動販売機の下でたむろしているのを注意するくらいで、
ほとんど問題らしい問題は起こらなかった。
いつもの慣れたコースを歩き、戻ろうとした時。
懐中電灯の灯りの中に、唐突に人影が現れた。
びっくりしてF君は電灯を取り落としそうになった。
子供くらいの身長だった。
フルフェイスの黒いヘルメットに黒い革つなぎを着ている。
そして黒い革の手袋。ブーツ。全身真っ黒だった。
異様な風体だったが、相手が小柄なのでF君は恐れなかった。
「もう閉店しているんで、出て行ってくれませんか?」
そう声をかけると、その黒ずくめの男はF君の横をすり抜け、
ゆっくり店の方に歩きはじめた。
F君がいらつき、
「ちょっと!だめだよ!」
と声に怒気をはらませて男の肩を掴んだ。
ぐにゃり、と肩がへこんだ。
ように見えた。
次の瞬間、男の体が膝から崩れ落ちた。
ように見えた。
違った。
F君の足下には男の服とヘルメットしかなかった。
中身だけが消えていた。
男の体を覆っていたものは、
冗談のように人間の形を保ったまま主を失っていた。
F君は、ただただ呆気にとられていた。