The Teenage Landscape その6
「……エツイは本気のヤンキーが好きなんか?」
「さあ、どうなんやろな。俺らはフルタチのかっこええとこ、いっぱい知ってるけどな。本気のヤンキーや、っちゅうとこ以外にも」
「エツイは知らんやろ」
「うん、たぶんな。でもな、フルタチがええんやて、エツイはな。ずっと昔から好きなんやて」
マツキはベンチに浅く腰掛け、体をぐったりと預けた。
「ふーう。失恋ですわ」
「早かったな。わはは」
「おう。あっという間に恋に落ちて、あっという間に失恋や。わはは」
「マツキ。……お前、フルタチとさ」
「わかってるて、しょうもない遺恨は残さへんよ。バンドはバンドや。ちゃんとやるって」
「……すまんな」
「なんでお前が礼言うねん。おかしいやろ」
「辛いなぁ」
「辛いよぉ」
「初恋は実らんってゆうしな」
「ははは、見事に玉砕や」
それっきり、僕達は黙った。
夕日はすっかり姿を隠し、空は濃い紫色になっていた。
僕はかけるべき言葉をあっさりと使い果たし、
その頃いつも鞄に入れていた小さなトランジスタ・ラジオをひっぱり出した。
スイッチを入れてダイヤルをFMに合わせると、人気のディスクジョッキーの名調子が場違いな勢いで飛び出した。
『……でした! さぁて二時間にわたってお送りしているラブソング特集。ロック歌わせたらこんなに激しくてかっこいいバンドも、バラードではまた違うしっとりとした素敵な顔を見せてくれますよねぇ。さあリクエストまだまだお待ちしてまーす』
ラブソング特集らしい。
僕はボリュームを少し絞り、次の曲を待った。
そのあと、ZIGGYの〈六月はRAINY BLUES〉がかかった。
レッド・ウォーリアーズの〈BIRTHDAY SONG〉がかかった。
レベッカの〈ONE MORE KISS〉がかかった。
BOOWYの〈わがままジュリエット〉がかかった。
そして、ブルーハーツの〈ラブレター〉がかかった。
きれぎれに、〈ラブレター〉は秋の紫色の空の遠い場所に吸い込まれていった。
「うーん。困った」
突然、マツキが口を開いた。
「どうした」
「クサいことゆぅてええか」
「……おう」
「思い出ってあっさり生まれるんやなぁ。知らんかったわ」
「そうかもな」
「……酔いしれてるか?」
「うん」
「泣けてくるな」
「うん」
「泣いてええか?」
「うん」
「けど、失恋したばっかりで、ラブソング聴いて、人前で泣くってのもな……」
「人前? 今ここには、俺とお前しかおらんぞ」
「……そうか」
「そうや。幸いにも暗くなってきてる。顔もよう見えへん」
「そうやな」
「うん」
マツキは黙り込んだ。
その時、マツキが泣いていたのかどうかはわからない。
でもブルーハーツの〈ラブレター〉は名曲だ。
マツキの失恋から二十年以上経った今も、
この曲を聴くと当時の様々な出来事が思い出され、涙腺が緩みそうになる。
たとえば、この出来事からほんの数ヵ月後、
バイク事故でフルタチがあっさりと逝ってしまったこと。
その事故がパーティーの二週間前で、
僕達は結局お披露目ライブができなかったこと。
そしてフルタチの死をきっかけに、
僕達のバンドが自然消滅的になくなってしまったこと。
そんなアスファルトに散らばるフロントガラスの破片のような、
ぎらぎらとエネルギーを反射しながらも雑多にうち捨てられた日々のひとつひとつが思い出されて、
何だかとてもやるせない気持ちになる。
辺りがすっかり暗くなった頃、マツキがぽつりと言った。
「フルタチを好きになることで、あの子は幸せになれるんやろうか」
その問いかけに対して僕は、
「さあなぁ」
としか答えようがなかった。
当時の僕には、マツキのこの質問の意図がわからなかった。
エツイを手に入れたい、という目的と、エツイの幸せ。
一体どこでどう関係してくるというのだろう?
とにかく、これは僕が知っている中でも特に短くて、
とびきり切ないラブストーリーである。
ちなみにブルーハーツの〈ラブレター〉は、
他の誰にも言えない 本当のこと
あなたよ あなたよ
幸せになれ
あなたよ あなたよ
幸せになれ
というフレーズで幕を閉じる。
The Teenage Landscape その5
次の月曜日、六時間目が終わるとすぐに、
「ハマ、帰ろうや」
とマツキが声をかけてきた。とても落ち着いた様子だった。
「昨日の報告か」
「まあな」
「待ってたでぇ」
僕はにやにやしながらいそいそと帰り支度をした。
僕とマツキはロック談義や、
子連れママさんがヒクような強烈な猥談やバカ話をしながら、
当時の溜まり場の一つであった五丁目のグラウンドへ行った。
とりあえずタカモトにもフルタチにも声をかけず、
僕だけを呼び出してくれたことが少し嬉しく、
そういうシャイなところもいかにも彼らしかった。
僕達はグラウンド全体が見渡せるベンチに並んで腰を下ろした。
グラウンドには誰もいない。
陽は早くも傾きかけ、少し冷たい風が吹いていた。
「で? どうやってん」
「何が」
「何がやないやろ。昨日のデートや。マツキ君の初恋の、初デートの話や」
「ああ、その話か」
「めんどいな。わかってるくせに」
「南千里の駅で待ち合わせた」
「うんうん」
「行く途中は、バンドやってるらしいやん、みたいな話になって」
「うんうん」
「ハマとタカモトとフルタチと、四人でやってるってゆった」
「それで」
「どんな音楽やってるの、って聞かれて……俺もどんな音楽聴いてんの、って聞いて……俺がギターやってる、ってゆって……」
僕はじりじりした。
「遊園地着いてすぐに地元のヤンキーに喧嘩売られそうになって……今日はまずいと思って目ぇ逸らして、そのままジェットコースター乗って……コーヒーカップ乗って……バイキング乗ったあとで俺の目が回って気分悪くなって、観覧車乗った。そのあとソフトクリーム食べた」
「あのな」
「なんやねん」
「お前のプロファイルしてるんやないねん。途中経過も些末な部分もそらぁ大事やけどな、肝心な部分を話してくれるか」
「……肝心な部分?」
「そう、肝心な部分。悪いけんどな」
マツキはふうっ、とため息をついた。
「夕方、エツイの家まで送って行った」
「おお! それで?」
「その前に、家の近くの公園に行った」
「うんうん」
「そこで告白した」
「おお! したか!」
「うん。したわ」
そこでマツキはいつもの特徴ある動きでぱき、と缶コーヒーを開けた。
僕もつられて握り締めていた缶コーヒーを開けてぐび、と一口飲んだ。
「ごめんなさい、て」
「…………え?」
「ごめんなさい、て言われてん。あやまられたわ」
「…………」
「フラれてん、俺」
「…………そうか。フラれたか。わはは」
「そう。フラれたわ。わはは」
辺りはうっすらと暗くなりはじめていた。
わああ、と子供達のはしゃぐ声が遠くから聞えた。
「他にな、好きな人がおるんやて」
マツキはしみじみ、という感じの口調で言った。
「…………へえ。誰か聞いたか?」
「うん。聞いた」
「誰って?」
マツキはぐび、とコーヒーを飲んだ。少し間を開けて、
「フルタチ」
と早口に言った。
「フルタチ?」
「そう、フルタチ。エツイはフルタチが好きなんやって」
僕はとっさに、この場に最適な言葉を探した。
でも案の定、最適な言葉など見つからなかった。
「……フルタチ? フルタチのことが好きって、そんな……」
精一杯搾り出したのがその言葉だった。
語彙力が欲しい、と思った。
この時ほど僕は自身のボキャブラリーの貧困さを呪ったことはない。
といって、
ボキャブラリーで繰り出される言葉が必要なシーンではない、
ということもわかっていたけれど。
「きっつい話やろ? ウチのバンマスのことが好きやねんて。前からずっと」
マツキは自嘲的に笑った。そしてぼんやりと、
「あいつ、かっこええからなあ」
と呟いた。
<つづく>
The Teenage Landscape その4
前日の土曜日、マツキは僕達バンドメンバーに手を合わせ、
明日の練習にはどうしても出られない、と告げた。
フルタチはちょっと渋い顔をしたが、事情を聞き、
まあマツキの初恋を実らせるためならばしょうがない、と承知した。
かくして次の日曜日は各々自宅練習ということになり、
マツキの人生初のデートは決行されることとなった。
通例のように、
僕はデート前日であろうが土曜はマツキの部屋に遊びに行く。
しかしその日の、マツキの落ち着きのなさといったらひどかった。
朝から二度吐いたらしく、
顔色はまさにブルーマンのそれだった。
箱買いしてある缶コーヒーをやたらとぱきぱき開けてぐびぐび飲み、
「あー、あっあっ! えへんえんえん。おえおえお」
と、発声練習みたいなことをしばしばしていた。
そして爪のにおいをくんくん嗅ぎ、鼻毛のチェックをし、
両眉の間がつながっていないかチェックし、
たんすから何枚もシャツを取り出しては、
「このジーパンやったらどっちが合う?」
と四、五回は僕に選択を迫った。僕はその都度、
「こっちのストライプの方が清潔な印象与えるんちゃうか?」
とか、
「こっちの胸元が開いてる方がロックっぽくてええんちゃうか?」
と返事していたが、それもだんだん面倒になり、最終的には、
「お前な、大切なのは個性や。良く見せる、ということより等身大の自分を見せるにはどうしたらいいか、ということをよく考えなさい」
などととても適当なことを言った。
その時、電話が鳴った。
その途端、マツキの顔にさああああ、と見事な鳥肌が立った。
ほお、えらいもんで鳥肌っちゅうもんは顔にも立つんやな、
と僕は妙なことに感心した。
マツキは顔中に鳥肌を立てたまま無言で電話のある部屋に行った。
ぼそぼそと何事か話している。
そしてものの一分ほどでかちゃり、と受話器は置かれ、
マツキはしおしおと部屋に戻ってきた。
「エツイからか?」
「そうや。集合時間の、最終確認や」
マツキはインクジェット紙のような顔色をしていた。
「律儀、っちゅうか真面目やな、エツイは」
「……おう。そういうところも魅力や」
「お前、一週間も経たんとすでにぞっこんラブやな」
「恋に落ちるのに時間は関係ない」
「なに歌謡曲みたいなことほざいとる」
「来た。限界や」
「何が?」
「限界や」
マツキは突然立ち上がると、ゆっくりと便所へ行った。ほどなく、
「うぉえ。おほえ」
という声が便所から聞こえた。
極度の緊張からまたしても吐き気をもよおしたらしい。
他人事ながら僕は不安になったが、
嘔吐するほどの緊張感を持って初デートに挑もうとするマツキを愛おしく思った。
便所から出てきたマツキの顔色は十割そばのようだった。
そして座布団の上にどっかと座ると、
本日四本目の缶コーヒーを開けた。
「もう飲みすぎやって」
「飲まなやってられんのや」
居酒屋のおやじと常連客の会話である。
結局濃い缶コーヒーに胃の粘膜をやられ、
マツキはそのあと二回便所に駆け込み、吐いた。
そして最悪の体調と顔色で日曜のデートに挑んだのだった。
<つづく>
The Teenage Landscape その3
彼女には、生まれつき両足の不自由な妹がいた。
一歳年下のこの妹は車いすで学校に通っていた。
エツイは、
妹がいかにひた向きに前向きにこの不自由な両足と付き合ってきたか、
そしてそのことでこれまでどんなひどいいじめや、
生ぬるい偽善の臭いがぷんぷんするニセモノのいたわりに遭遇してきたか、
そしてそれらの苦境と果敢に戦い、
なお笑顔で明るく自分と接する妹をどれだけ大切に思っているか、
愛しているかというような内容の話を三十分間、
涙を流しながら壇上から熱く、熱く語りに語った。
それを聞いた僕は適当にこのイベントに挑んだ自分が恥ずかしくなり、
「エツイとはやはりこんなにも立派な女だった! わが目に狂いはなかった」
といった感じでなぜかどうだ! と威張りぎみでマツキの顔を見たが、
マツキはすでに熱に浮かされたようなぼうっとした顔で壇上を見ていた。
彼のそんな顔を見るのははじめてだった。
「ハマよ。俺、好きになってもうたかもしれん」
その日の帰り道、いつものドブ川沿いを歩いていると、早速マツキが話してきた。
「エツイか」
「うん」
「ええ話やったな、さっきの弁論大会の」
「うん、ええ話やった。お前、普通言えるか? あの場であの話」
「いや。たいしたやつやな」
「これでもう俺の青春のベクトルは定まった。エツイや」
「バンドちゃうんか」
「それとこれとは別や。俺はエツイと付き合うことを目標とする」
「本気か」
「本気や。恋人になる。この目を見てみい」
マツキの目尻には黄緑色の目やにがべっとりとついていたが、
瞳そのものはキラキラと輝いていた。
ううん。こいつ、恋をしている。
しかも察するに、初恋のようだ。
それからのマツキの行動は外資系敏腕ビジネスマンのように鋭く速かった。
次の日曜日に早速ラブレターを書き、デートの申し込みをしたのだ。
場所は神戸ポートピアランド。
アミューズメントパークなどという言葉がまだない時代の、
地元色の強い、昔ながらのかわいらしい遊園地だ。
二〇〇六年の三月に閉園した。
<つづく>
The Teenage Landscape その2
実際フルタチもわりと暇だったようで、
バンドの練習にも精力的に参加してくれた。
彼はプレイヤーとしての実力もさることながら、
音楽の知識も豊富に持っていたので、
僕達のような素人かき集めバンドのご意見役、
はたまたバンマスとして大いに活躍した。
タカモトはリズム感をよく注意されていた。
マツキはアルペジオ(コードをジャラン!と一気に弾くのではなく、一弦ごとにばらばらに弾く技法)の時、
第一弦のアタックが特に弱くて聞こえないことを注意された。
僕はロングトーンでついヴィブラートに頼ってしまうことを注意された。
しかし彼の指摘は的確で、
注意を踏まえて自己練習と音合わせを繰り返していくうち、
僕達は次第次第に上手くなっていった。
お披露目は卒業式の翌日。
二年の僕達が主催で、
三年生を送るパーティーをする予定なのだ。
そのパーティーにおいて我がバンドが演奏する予定だった。
話が逸れた。
同じクラスにエツイという女の子がいた。
今三十七歳。
もう名字も変わっているかもしれない。
身長が低く、怒っているわけでもないのだろうけど、
いつもちょっとムッとしたような顔をしている。
それでも笑うととてもキュートな顔になる、そんな女の子だった。
演劇部に在籍していた。
僕は、
「あの子なかなか可愛いな、なあマツキ」
などと、二年で同じクラスになった時にすぐマツキに言ったのだが、
「そうか? 好みやないわ。俺はスレンダー美人系がええ」
と興味なさそうに話にきりをつけた。
(ふーん)
と僕は思っただけだった。
しかし、だ。
そんなマツキの価値観をひっくり返す出来事があった。
クラス対抗の弁論大会の時だ。
エツイの書いた弁論用原稿の内容が素晴らしい、ということで、
エツイがクラス代表として全校生徒の前で弁論することになったのだ。
僕は人前で弁論するなどということには一切興味が無かったので、
『将来について』みたいな適当なテーマを選び、
いい加減に原稿用紙のマス目を埋め、
予想通りあっさりとクラス代表の選にもれた。
エツイも別に人前で弁論したい! とは思っていなかっただろうが、
実に真面目に、正面からこの弁論大会に挑んだようだ。
<つづく>