スライダーズおやじ -24ページ目

災害時の備え

ときどきここでも書いていますが、災害はいつ起きるかわかりません。

1923年9月1日の関東大震災から102年。そろそろ来てもおかしくないよなあ!
この文章をお読みいただいてるそこのお方、備えは大丈夫ですか?(笑)

 

 
キャンプをやっている人は、家庭用防災袋以上のスペックのツールが、常に手元にあると思います。ただし、飲料水、非常食、携帯トイレといった消耗品はキャンプ道具ではないので注意が必要です。

 

うちは夫婦2人なら完全に孤立した状態でも1週間いけるストックがあります。

マンションの地下に防災備蓄スペースがあり、管理組合がストックしている物資が住民一人につき3日分あるそうなので、10日間行けるのかな。

 

ちょっとオーバースペックかもしれないけど、その時たまたま孫たち一家が泊まりに来ていたなどといった、不測の事態も想定しています。もとボーイスカウトなので「備えよ常に」が染み付いています。
 
都心部のため災害時の避難場所も細かく決まっているし、道路が分断されて何日も救援が来ないといったことはないのでしょうけれど、それでも自分のことは自分でなんとかしたいという気持ちが強いです。

 

ちなみにコロナ禍でトイレットペーパーが入手不可になった時は、ウォシュレットで洗い流してタオルで水を拭きとる作戦でした。水が出なくなったわけじゃなし。何にも困らなかった。

 

うちのマンションは災害時、エントランス共用部の1階2階を、家が倒壊した近隣の方のための受け入れスペースに充てます。なんかそれで税金が優遇されたりするというのがあるそうです。

 

白金には、古い家屋がまだまだいっぱいあります。古めかしい木造一戸建てが密集している袋小路もあります。火が出たら燃え尽きるまで何もできない場所です。

 

何も持たず、取りに行くこともできない人たちがたくさん出るかもしれない。そうなったら、共同保管の物資はその方たちにまわしたい。そんなときに余裕のない顔をしたり、カッコ悪いことを言いたくない。

 

そんな気持ちで、準備しています。
 
ただ、どう考えても僕が持っておく必要のないものとか、捨てられずにスペースを占めているものがあることも事実。
たとえばシュラフがなぜか5枚あったり、テント付属のちゃっちいペグがたまってたり。
その辺のスペースを空けたら、携帯トイレさらに10日分とか保管できるね。

まあ、携帯トイレのような、腐らないし軽いものの保管は、
お風呂ユニットの天井の上。
点検口をあけたところがベストです。

他に何か、アイディアがありましたらおしえてください。

 

 

 

 

昔の話しを楽しむには

25年ほど前、職場の先輩2家族、先輩の友人1家族と、4家族で神奈川県の山にグルキャンに行った。僕はムスメとタンデム、妻と男の子2人は電車。駐車・駐輪場所から野営地まで物を運んだという記憶がないので、林道の分岐先の末端みたいな場所だったと思う。

 

そこはキャンプ場ではなく、今でいうところの、農水省管轄下地方自治体で構成される林野庁による、国有林野の貸付けってやつ。場所によって条件は変わるらしいけど、その場所は常識の範囲でその森で何をしても良くて、現状復帰義務はないとのことだった。

 

貸し出しの目的は、国有林に人が入ることで、原生林に戻ることを抑制し、再開拓にかかる費用を抑えられることらしい。

主に貸し出し対象は法人や自治体で、キャンプ場やサバゲーフィールドとして利用されるケースもあるようです。

 

僕たちは単なるお呼ばれさんだったのだが、その3家族はその場所をグループ共有していて、ツリーハウスを作ったり、ブルーシートの下に野営道具(ブランコ、ティピー用に切り出した柱材、ノコギリとか)を保管したりしていた。あまり記憶にないけど、トイレも作ってあったと思う。

 

不思議なことに、トイレの記憶って消えるんだよね。ボーイスカウトの時も、山の中に穴掘って布で目隠ししたトイレを毎回作ってたけど、穴をどう処理したかとか、トイレットペーパーをどう処理したかとか、全く思い出せない。

過去の経験が美化されるのって、こういうふうに、不要な記憶が消えることに通じるものがあるのかな。

 

子供達がツリーハウス・・ってほどでもない、木の上の地上4mあたりにロープで枝を結んで足場を作っただけの展望台? に嬉々として登っていくのが恐ろしかった。

 

自分が作ったわけでも、プロが作ったわけでもない場所。当時でムスメが小3、長男小1、次男年中組くらいだったと思う。子供が落ちたら死んでしまうかもしれない。もちろん全てが自己責任。

 

結局、事故は起きなかったけど、あれはビビった記憶。

 

なんで急にこんなことを思い出したかというと、そのキャンプに誘ってくれた先輩が久しぶりに本社の僕のいるフロアで、なんか書類仕事をしている様子を見たからです。

あの場所、今どうなってるのかって、そもそもあれはどこだったかって、訊いてみたい気持ちはあるんだけど、聞きにくいんだよね。そもそも、挨拶以上の会話をしようとすると、なんか目を逸らされてしまって・・。

 

あの日、一緒に楽しく過ごした先輩の奥さんは病気で亡くなってしまい、うちのムスメの1つ年上の先輩のムスメちゃんも、ちょっと訳ありみたいで・・。

 

いつでも誰とでも、昔話で盛り上がり、楽しめる環境を保つためには、そういう空気を作る努力を自分がしなきゃならないんだなと、思った次第です。

 

 

 

蒲田に味方ができてんのか