10月に入って、H29予備論文の合格発表が近づいてきた今日この頃、たまさんから、
「先生は、論文不合格だった年は、発表前にも関わらず、不合格を予想してましたか?逆に合格された年は、合格を予想してましたか?」
というコメントをいただきました。
まず、「論文不合格だった年」である旧司H16論文について、記事「H16勉強歴」の7月ラストあたりを見ると、
“正直合格を確信していた。”
とあります…客観的には
憲A民F商D刑G民訴G刑訴G 総合G
120点台・5400位台/合格点136.50点・受験者数7287人
と、ひどい成績だったにもかかわらず!
当時の感覚を全く思い出せず、もはや別人を見るかのような感じなので、全然恥ずかしくないなあσ(^_^;)
このように主観と客観が乖離した原因を一言でいうと、司法論文合格の方法(ないし司法論文合格に求められる能力)を勘違いしていた点にあります。
記事「H16勉強歴」の7月部分に、こう書いてあります。
“平成以降の過去問について、統一的に処理できる手順を構築しようと、試行錯誤してた。
でも、ダメ元で好き勝手に書いてこよう、という心持ちになってしまった。
論点などの知識がなくても、現場思考で問題点を発見し、現場思考で趣旨を導き、現場思考で解釈・あてはめを展開すれば、それが正しくなくても潜在能力みたいなものを向こうが買ってくれると思い込んでいた。
で、そのコンセプト自体は、自分が満足できる程度に達成できたので、正直合格を確信していた。”
今は、
・“ダメ元で好き勝手に書いてこよう”では、奇跡でも起こらない限りやっぱり“ダメ”でしょ~“点数になることから書いてこよう”じゃないと…
・処理手順を確立していない状態で合格するには、大量の論点等の知識による物量作戦しかないのに…
と思いますσ(^_^;)
で、上記のひどい成績が来て、自他の再現答案の徹底的な分析から始め、様々な試行錯誤を重ねた(そのプロセスがこのブログ冒頭~2005年7月16日の記事「天王山」:それをまとめたのが記事「H17闘争記録1~年内猛ダッシュ」、「H17闘争記録2~鬱からの復活、択一本試験まで」「H17闘争記録3~論文直前期」)結果、旧司H17論文に合格したわけです。
では、当時の私が主観的にその合否・成績をどのように予想していたかというと、記事「自己評価」で、
“憲法:G以上。∵G原因候補が、第1問・第2問ともにある。
民法:F以上。∵去年(F)よりは相対的にもよさげ。
商法:F以上。∵第1問決議1で、相対的にG回避できてるだろう。
刑法:G以上。∵G原因候補が、第1問・第2問ともにある。
民訴:F以上。∵第1問で、相対的にG回避できてるだろう。
刑訴:G以上。∵G原因候補が、第1問・第2問ともにある。”
と書いてありました…なぜこのようなほとんど意味のない予想になったかというと、同記事に、
“結局、相対評価次第だし、何がG原因になるかも分からない。採点者との相性で左右されることさえありうる。
今年の、相対評価の観点から最低ライン上に点数を積み上げる、というコンセプトからは、ここまでしか確定できない。
そのおかげか、考えても無駄、と開き直ってる自分がいて、精神的には非常に楽だったりする。”
と書いてありました。
この約1年間は自分なりのベストを尽くした(これ以上効果的な対策はできなかった)から、これでダメならまた考えよう…といったニュートラルな感覚だった記憶が残っています。
結局、客観的な成績は、
憲B民E商E刑A民訴A刑訴A 総合A
137点台・順位不明(確か500位くらいの点数)
だったので、上記主観的な成績予想が一応全て当たったわけですが、そりゃあ当たるわね(^▽^;)
以上をまとめると、私は、
論文不合格の年は論文合格を確信していたが、
合格した年はニュートラルな感じだった
ということになります。
これを一般化・抽象化すると、
合否・成績における主観と客観の乖離は、次の受験に向けた敗因分析の必要性をより高めるものといえるが、
突き詰めると合否・成績についての主観はほとんど意味がなくなる
といえるでしょうか。