たお☆ぱいぱい(新人) -2ページ目

妄想日記(チラシの裏にオムニバス)

「内定先が信じられない人」って多いのか?少ないのか?

そういう情報を集めたポータルサイトはないかしら。ないだろうな。


(1)芸人ファシズム


最近、糞つまらん芸人が受けている。テレビを、消す。


僕は別に「つまらん芸人批判」をしたいのではない。 「つまらない」というのは相対的なものだから、目くじら立ててもしょうがないのです。


というか、もともと人と人は「通じ合わない」ので(話せば分かるというのは大嘘)、別に他の人と「この芸人面白いね」「つまらないね」などという思いを共有したいとは思わないのです。


今日テレビで、芸人の見世物の後に、

小倉優子がこんな趣旨のことを言っていた。


「この芸人の面白いところはぁ~、内容じゃなくてぇ~、大きな動きや・変な声とかでぇ~


こういうことなんだ。やっぱり。


これがネタのつまらない芸人をケタケタ笑う人の平均的な思考なのだと思った。

僕はこれを「悪い」とは思わない。それが受ける人もいるんだから。


どう考えてもつまらない芸人。 でも、スタジオに響く笑い声。


誰もが「愛想で笑っている」のかと思ったら、内容で笑ってるんじゃなくて、ただ姿形、雰囲気で笑っているだけなんだ。


内容じゃない。雰囲気なんだ。


雰囲気。

怖いね。ファシズムだねぇ。


<雰囲気で笑う>なんてサイコーのファシズムだよ。

狂ってる。


笑いは強制されるものじゃない。

「雰囲気で笑う」というのは一種の集団催眠だ。


僕が内定先を嫌っているのは「理念に狂う」社員が多いからだが、

雰囲気に狂うって言い換えても同じだ。


それと同じ臭いがする。


内容を見ず、本質を考えず、理念やその場の雰囲気に流されてしまう。

その場の雰囲気で笑うだけ。


無為。無依。


そんな社会でみんなが「ヘーワヘーワ」とお経のように唱えているが、嘘だね。


今みたいに気だるい理念や<雰囲気>が支配する社会の行き着く先は、その理念に共感できない人に「何で共感できないんだ」と、「無理を押し付けあう」社会だ。この歪みが不満となりやがてもっと暴力的な何かに結びついてゆくのだ。その先は・・・


内定先も似てるなぁ。

理念を妄信し、他者に押し付けるケがあるとは何度も書いた。社風そのものが「理念ありき」で凝り固まっている。そんな会社は、その理念に共感できない社員を、「何で共感できないんだ」と冷酷に追い落とすことになろう。入社前から目に見えている。


---


大東亜戦争前後の価値観の急変化。

江戸末期から明治維新にかけての価値観の急変化。

 

一般社会がいかに「内容」よりも「雰囲気」「理念」で動いてきたかがよく分かる。

あーこわいこわい。


理念や雰囲気はいつか変わる。

だから、それを目的にしてはならない。


今のお笑いの世界は、「この芸人に笑え」という雰囲気が跋扈していて、非常に気まずいことになっている。お笑いなのに、この殺伐とした空気のせいで僕はちっとも笑えない。まるで芸人ファシズムだ。

 

今の就活の世界も「この方法でやれ」・・・「リクナビに従え」という雰囲気が跋扈していて、非常に気まずいことになっている。自分のことを決めるのに、この殺伐とした空気のせいで僕はちっとも満ち足りていない。これって就活ファシズ・・・?


◆◆◆


(2)自分がもし総理大臣だったらこう宣言する

何か面接でありそうなテーマですが。僕の場合はこう(心の中で)宣言します。


「日本国は国際連合に対し、多大な財政的・人的貢献を重ねてきた。


1年間に分担金2億8千万ドル(全体の20%)、その他の拠出金8億3000万ドル、すなわち11億ドル余りを提供している。しめて1100億円。これはトヨタの年間広告費と同じじゃないか!マスコミを黙らせるぐらいの力を持っている額だぞっ・・


それなのにこの扱いは何だ!バカにしやがって。何が拒否権はなし、だ。2%しか分担しないで拒否権を持つような某隣国にバカにされてたまるか。こん畜生。


話はずれるが、合祀だの、分祀(←そんな概念はない)だのと騒いでいる皆さん!それこそ政教分離に反してるって。黙ってればいいんだよ。国内でガヤガヤ騒ぐなっ。


 日本国は、国連脱退を宣言します。人道上の拠出金はこれまで通り提供するが、あまりにも不公平な国連分担金は今後一切支払わない。「フェアー」が売り物のアメリカのみなさん、我々はこんなアンフェアにはもう耐えられないのです。一緒に脱退しませんか?


猶予期間は1年。常任理事国入りはどうでもいいが、日本に拒否権を与えよ。日本に世界を動かす力を与えよ。それが出来ないのであれば、日本は国連を脱退するっ。」


 日本はこれぐらいのことを言ってもいいんじゃないか。 もちろん、リップサービスで。冗談でもいいから言ってみればいいんだけどなぁ。国際会議の席で言ったらいいのに。


とにかく、一度大慌てさせないといけない。駆け引きこそ外交。

反省

「チラシの裏」みたいなことはやめて、

そろそろ脱皮しないと。


旅に出ようかな、と。

数奇な体験

Webで検索をしていると、

あっ・・この人と同じ意見だよ

と思うことがある。


以前、余りにも自分と近い意見が書いてあるページを見つけて、とても感動して、「これ、どんな人が書いてるんだ?」と思って「トップページに戻る」をクリックしたら・・・


自分の運営しているサイトだった


自分の書いたページだったんですねそれ。

同じ意見なの、当たり前です。


Webサイトを運営していると、たまにこういうことがあります。

反動

内定先をまるで親の仇のごとくこき下ろしてきた僕ですが、最近・・その・・ちょっと・・「別にいいかな」って思ってきました。「反動」というやつですね。



内定先の社員さんと話してみると、実にいい人なんですよこれが。僕は「他人の優しさ」ほど怖いものはないと考えているので、この点は心の底から疑っているわけですが、どうもこの優しさは嘘ではないっぽい。


もちろん、

悪魔は優しく微笑む」わけですから油断はなりません。

「感情」という武器を巧みに操り、引きずりこむ先は地獄。


「同じ穴の狢」にされてはたまりませんから、やはり警戒して社員さんと接しなければ。後悔してからでは遅いのです。挙句の果てに「3年で退社」というのはどう考えてもまずい。



前々回も書きましたが、懇談会で内定者と話してみて分かったこと。それは、内定者の「意識レベル」が実に高かったことです。これは思いがけぬ「収穫」でした。意識高く仕事ができそうな環境。


僕は「会社の矛盾を暴いてやろう」と不純な動機で懇談会に出ましたが、周りを見てそれが恥ずかしくなってしまった。


まあ、実際は「会社大好き純粋まっすぐ君」が多いのでちょっと気になりましたが、僕みたいなアウトローばっかりでも逆に(会社の将来が)不安です。



もう就職活動するのが精神的に参っているというのもあり、ちょっと(この会社に)心がフラフラ・・・

いかん、これが 奴 ら の 作 戦 か



というところに、(内緒で)選考を受けている会社からの「3次選考」の通知が来ました。


何だか知りませんが、妙に順調に進んでいます。このまま行けば、今月中に最終選考。セミの鳴く季節は避けられるかもしれない。というか避けたい。


でもこの会社、ちょっといい加減なところがあって・・。

詳しく書くと特定されそうなので書けませんが、ちょっと選考を受けるのが不安になってきました。


思ったほど受けたい会社じゃないのでは・・?

という訳の分からない疑念が生まれてきました。


僕はこの会社を、何で受けたんだっけ?

分からなくなってしまった・・・


もう就活やめようか・・・やめてもいいような・・・

いや・・何かがおかしい・・


僕は何をしようとしているんだ・・

先天的にひねくれ者

何度も書いてますが、僕は「斜に構えるタイプ」です。

絶対に物事を疑ってかかる、つまり<ひねくれ者>、要するに嫌な野郎です。

--


たまたまテレビを見ていたら(いいとも増刊号)、手相の話をやっていた。

生命線と知能線のくっつき具合(離れ具合)でその人の純粋さ・ひねくれ度合いがわかる、という。


生命線と知能線がくっついていると、純粋。

離れていると、ひねくれ者。


普段はそんなのスルーするのだけど、

「"爆笑問題"の太田と田中どちらが『純粋』か」。という微妙に気になる企画だったのでつい見てしまった。


普段の言質から明らかなように、


太田はどう考えても<ひねくれもの>だし、

田中はどう考えても<純粋者>だ。


果たして手相もその通りだった。


太田の手相によれば、彼は【常識からかけ離れていて、ひねくれ者、変わり者】 だという。

僕は慌てて自分の手を見てみた。


物 凄 く 離 れ て る

やっぱり、僕はひねくれ者だったんだ。先天的に。


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手相の先生が慰めるところでは、


そういう人は、


◆突拍子もない考えや発想ができる


◆大成功する人が多い


◆芸人が向いてる


そうです。

果たして・・・


・・・もちろん、性格的にこれも手放しで信じられないわけですが。


じっと手を見る。


就職活動は続く。

そして内定者懇談会

何日か前に、何回目かの内定者懇談会があったのです。


■自己紹介


大勢の社員・幹部の見守る前で、志望動機と自己紹介を述べることに。

どの会社でもやることだろうけど、やっぱり緊張しますね。


僕はこの会社を心底疑っているので、まだ(内緒で)就職活動を続けているわけですが、「万が一ここで働くことになったら配属に影響するかも・・・」とかいらぬことを考え、無性に緊張してしまいました。


僕はこの会社の主義が嫌いというか、会社そのものに疑問を持っていると再三申し述べてきました。ので、幹部の前で「実は・・・この会社の理念には少しも共感していませんっ。会社にも疑問だらけですっ」って、大声で演説して歴史に残るようなことをやってもよかったかもしれません。でも、それはいくらなんでも子供ですね。


ので、僕も「大人になって」、

この会社の理念に惚れて・・ここで働きたいっ。頑張りますっ」という心にもない大演説をしてしまいましたよ。もう自己嫌悪。人間、やればできるんですね。


で、わざわざ幹部さんにもお褒めいただきました。もう歯がゆいとはこのこと。

僕は「優等生的発言」は大嫌いなのですが、自分で使ってしまった・・・ああ・・・


でも、

あ、こうやって社内で振舞えばいいのかっ」って思ってしまいました。

何だか、とても嫌なヤローですね。心の底から自己嫌悪。


■内定者のレベル


これまでに何回か内定者とお話したんですが、正直、会社への疑問が先行してよく覚えていなかったのです。


今回は冷静に「内定者ってどんな人たちだ?」って観察することにしました。


他の内定者の"意識レベル"はかなり高く、一緒に話をしていても不快になることがないという状況でした。これは素直に嬉しかったです。


特に、「コイツとは働けないな・・」というのがいなかったのは「収穫」でした。ちょっとこれはプラス評価ですね。不安の中の唯一の救いというか・・・ま、同期だけと仕事をするわけではないですけど・・・

 

ただ、僕みたいなアウトローはあんまりおらず、どちらかというと「この会社大好き」という純粋まっすぐな方ばかりでした。


内定をいただくのだから「会社大好き」なのは当たり前かもしれませんが、すでに内定者。理想から現実へ進む段階でちょっとは会社を疑ってもいいような気がしました。でも場の空気というのは大切ですから、そこはあまりツッコミませんでしたけど。


うーん・・しかし・・・もっと会社を疑ってかかった方がいいと思うんだけどなぁ。ある価値を「妄信」するのはやっぱり怖い。内定者もそういう人が多い。


やっぱりここで働くの、不安だ・・


就職活動は、続く。


一次面接その後、他

例の1次面接ですが、【通過】の連絡をいただきました。


絶対に「失敗」と思い、落ち込んで昨日は湘南の海に1人で出かけたくらいなのですが・・・


面接中に言った

内定先の理念がどうしても気に喰わない、」だから 「就職活動を再開しました」というフレーズが良かった・・・の・・か?


突然ですが、今回はツタヤを経営するCCCの増田社長の話をご紹介したいと思います。(なお僕はCCCの選考を受けたわけではありません。念のため。)


リーダーシップ、というか経営トップのあるべき姿を説いたものでして。


「リーダーにはやさしさがなければならない。リーダーにはビジョンなんてなくてもいい。この人らをなんとかせなあかん、とやっていく気持ちが大事なんだと思う。

社員なんかどうでもええワ、と思いながらかっこいいビジョンを語ったり、派手な場所に登場したってしょうがないでしょ。関わってくれた人をどれだけ大切にするか、なんです。

(中略)

リーダーシップを語るなら、まず何のためのリーダーシップなのかを考えるところから始めなければいけないのではないかと思いますよ。」


・・・


まさにその通りだと思います。感銘しました。


要約すると、

偉そうなビジョンを語るよりは、周囲を巻き込むだけの「やさしさ」を持ったリーダーが必要だ、ということでしょうか。


何度も書きますが、内定先の<ビジョンばかりを語る雰囲気>に辟易としていた僕です。雲の切れ間から顔をのぞかせた一縷の光を見た思いがしました。こういうトップもいるのですね。


内定先では、トップの理念に反駁する社員が容赦なく左遷、降格されているという噂を聞きます。さながら恐怖政治。会社ですから、会社の"方針"に賛成しない社員(動かない社員)は左遷されるのは確かに当たり前な面もあるかと思いますが、まず何事にも理念ありきで、理念と違(たが)う会社の「現実」あるいは「実態」を申し述べただけで昇進が難しくなる会社というのはどう考えてもおかしい。狂っています。


この会社の人事、それから「申し子」のエース社員の顔は、笑顔に満ち溢れています。会社に疑問を持つことを忘れたかのような・・・<人事の笑顔、社員の笑顔>の裏にそんな恐怖が待っている会社なんて、僕には耐えられません。


内定先のトップは、理念という聖典(精神的な足かせ)で社員を縛り上げ、コチコチに固まった【イエスマン人事】を徹底し、左を向いた社員を笑顔で貶める一方で、・・・笑顔で「地域のために、世界の為に」と仰々しい理念を語ります。とある人事部長の"セリフ"と某支店長の"セリフ"、経営トップの"発言"が全く同じなのには驚きました。


真面目に勤めると、精神的に辛い会社というのは間違いなさそうです。

(逆に「大人になって」イエスマンに徹してしまえば「ラク」という気もしてきましたが・・)


社員と話してもその辛さが分かります。


心の底からその理念を信じきってしまっている(妙にニコニコしている)、「幸せそうな」社員がいる一方で、現実と理念との乖離を埋めるため、理念を無理矢理信じようとしている(作り笑いをしている)「つらそうな」社員もいました。


もちろん僕は、後者の仲間入りすることが目に見えています。


もともと斜に構える性格なので、その会社の理念を「心から信じる」なんてことはできません。まず絶対に疑います。何となく先が見えるような、会社に居づらいような、鬱屈とした日々が浮かんできます。


増田氏の「ビジョンなんてなくてもいい、これは本当にその通りだと思います。社員を動かすのは理念ではなく、結局トップなり上司なりの人柄なんだと思うんです。ビジョンなんてなくてもいい・・・


ただ、

トップにビジョンがなかったら、社員は動けないんじゃないか

と聞かれた(詰問された)ことがあります。


反論すると、増田氏は「ビジョンなんてなくていい」と言っているのですね。これは意訳すると「ビジョンよりも大切なものがある」ということです。僕が共感しているのはこの部分です。「ビジョンだけで社員は動かないはず」と申しているだけです。「ビジョンはないほうがいい」では決してないのです。というか僕は、ビジョンは「あるのが当たり前」と思います。


以前も書きましたが、

「こんな会社にしたい」 「こんな会社を作ることで、社会を豊かにしたい」という経営理念は("起業"の動機として当たり前なので)、手放しに共感します。要するに、「こういうことをして、こういう価値を社会に提供して、儲けたい。それで社会も豊かに、会社も豊かに、社員も豊かに・・」というのはごく自然な発想なのです。こういうビジョンは、ないほうがおかしい。


会社がこういう考えをもっていなかったらむしろ不安です。こういう経営理念は会社として「当たり前」のことなのです。


ただ、当たり前のことは強制する必要がありません。

内定先のように、いたずらに経営理念を強制するのは、裏にきっとやましいことがあるからです(理念という精神的足かせに頼らなければ会社運営が出来ないほど社内の連携が悪いとか)。


さて。

学校の「校訓」

体育祭の「スローガン」

街角の「青少年健全育成スローガン」

電車の中の「携帯電話マナーの掲示」

選挙のスローガン「清き一票を」


・・こういうのは、当たり前すぎて誰も意識しません。

強制する意味もあまりないですし、いたずらに意識するようなものでもありません。意識して生活していたら、疲労ばかりが蓄積します。


でも、本当に当たり前のことが書いてあるんですよね。普段は意識しませんが。

これは無かったら無かったで、何となく物足りないというか、心もとないというか、不安な気持ちに苛まれます。


あったらあったで気にしないけど、なかったらなかったでどことなく気になる・・・


このように、普段は誰も意識しないぐらい当たり前のもの・・・空気のようなもの・・・少なくとも、その会社にとっては空気のようなものが経営理念であるべきだと思います。


・・そもそも強制するほうがおかしいのです。

それを強制する内定先。


内定先の経営理念は明らかに「当たり前のこと」ではない。「儲ける」という言葉をオブラートに巧妙に包み、大層な言葉でデコレーションして、虚飾に満ちた<未来>を語って(騙って)いるのです。聞いているだけで反吐が出そうです。全然すっきりしていない。


そして「うちの会社の商品がNo.1だ」「うちの会社の商品がOnly oneだ」「でも社会はそれを分かってくれない」と続きます。 聞いていて心の底から恥ずかしくなります。僕はお客様にそんな恥知らずなこと言えない。

でも、会社はビジョンを押し付けてくるわけです。

ビジョンを語り、ビジョンを語り、ビジョンを語り・・・とにかくビジョンを語る。こういう人が出世できるようになっています。


もう耐えられません。


本気で新しい道を探さねば・・

久しぶりの一次面接・当日(その2)

「久しぶりの1次面接」は失敗した。大失敗。

いいな、と思える会社だったのだけど・・・


感覚として、「3月頃の就職活動」に戻ってしまった。


僕は3月下旬から4月の中旬に掛けて、酷いスランプに陥った。

何 も う ま く い か な い


・・落ちたらどうしよう、と考えすぎて面接であがってしまう

・・面接官の質問にピンポイントの解答ができない

・・急に頭の中が真っ白になって上手く自己PRできない


上手くいかない→落ち込む→後ろ向きになる→ますます上手くいかない


という負の連鎖。


面接に落ちるたびに、手当たり次第に新たなエントリーを繰り返す毎日。

持ち駒が減ることに死ぬほどの恐怖を感じた。


圧迫感。

半ば思考停止状態の中で、


説明会、筆記、エントリーシート、履歴書、面接・・・

予定は埋まり、休みは無くなった。


もともと徹夜が得意なタイプなので、殆ど寝ないで2週間を過ごした。


この時期に証明写真を撮ったら、「目の下の隈」が目立ちすぎて、写真屋さんに「・・ちょっと修正しますね」と言われたことを覚えている。


4月下旬。


選考を進めるうちに、

「慣れた」。


慣れすぎて、僕はいつの間にか面接官様に見世物演技をするピエロに変化(へんげ)していた


会社に入るため、会社に入るため、会社に入るため・・・・・・

そのことだけを考え、卑屈に自分を「演技」するようになった。


そこに、「疑問」はなかった-


一度選考に進むと、その会社に疑問を感じる暇(いとま)がない。

ちょっと「おかしいな」と感じても、内定欲しさの前に「立ち止まっている時間」はなかった。


いつしか、「会社と自分のミスマッチ」という最も深刻な問題は微塵も考慮せず(むしろ無視して)、「自分が会社に合ってなかったら、自分を会社にマッチさせるんだ!」という無茶な発想を持つようになった。


これが、そもそもの間違いだったのだ。


これは、よく言われる言葉を使うと、 「自分に合ったサイズの靴を選ぶ」のではなく、「自分の足を靴のサイズに合わせる」という行為に等しい。


もちろん、「ありのままの自分を分かってくれる会社に入ろう(自分に合ったサイズの靴を選ぼう)」・・というのは理想である。なかなかそれは現実にはない。残念ながら。


取り敢えずはこちらから「自分のいい点」をアピールしない限り、会社は何ら興味を示してくれない。だから「ある程度」、「自分を会社にマッチさせる(自分自身を靴のサイズに合わせる)努力」が必要なのだ。


これは「演技」というよりは、「演出」である。「編集」といってもいいかもしれない。

よく見せる「努力」は、やはり必要だ。


しかし、「努力」を超えて「自分自身を靴のサイズに合わせる」ことを絶対の価値基準(目的)としてしまえば、それはたちまち無理難題となる。


そしてそれは「演出」ではなく もはや「演技」なのだ。


サイズの合わない服を着るためには、

「ダイエットをする(努力」のが正しい態度なのであり(演出)、

「破けてしまうことを覚悟で無理矢理着こなす」(演技)のは愚かな態度である。


僕は、内定先に後者をやってしまった。


そう、内定先だ。

企業研究の過程で、「ちょっと理念に共感できない会社だな」と薄々は感じていたが、「内定」という言葉の前に全ては霞む。少しでも選考が進んでいたら、それを辞退するのはどう考えてもできない。


内定を取ってからじっくり企業研究するとして、とりあえず内定を取れそうなら自分を会社に合わせて演技しよう!という倒錯した思考をしてしまった。


降りかかる疑問を無視して、選考に望む。


・・・内定をいただく。

内定そのものはこの上なく嬉しかったが、「この会社で働く」という現実を考えたとき、急に不安になった。


ピエロになって「いい学生」を演じたとはいえ、

あなたは不器用」とちゃんとバレていたから、会社としては僕という存在をしっかり理解したうえで、ウェルカム状態にしてくれたわけだ。これは素直に有難い。


ただ、僕がウェルカムじゃないんだ


相思相愛ってのは難しい。

偽りの愛という言葉もある。


どうしても、この気持ちで内定先には入れない。


--

こんな中途半端な気持ちで入社(=入籍)してしまって、

彼(=会社)には悪くないのかしら?


こんな罪作りな私でいいのかしら?



ごめんなさい、と思いながら。

複雑な感情を抱えながら。



まだ続けます。

久しぶりの一次面接・当日

今日は1ヶ月ぶりに「1次面接」を受けてきた。

内定後、はじめての就職活動。


・・・も う 駄 目 だ


就活を続けていた頃の集中力はゼロに。

とてもあの頃の新鮮な気持ちには戻れない。


言い方は悪いかもしれないが、

面接会場の空気も「第2クール」といった感じ。


覇気のある人が少なく、その場に居るだけでマイナス思考になってしまう・・

もっと元気を出して! とついついお節介なことを考えてしまう。


面接終了後、一緒に面接を受けた人たちと昼食。


「二次面接が通らない」

「筆記試験が難しい」

「エントリーシートが書けない」


・・・という、今の時期としては(申し訳ないが)「あり得ない」愚痴の言い合いが続いた。

僕は何も言えず。


ちょっとこれはまずい。


迷走は続く。

久しぶりの一次面接・前夜

内定先は

やたらがどうの、

「仕事の夢」がどうのと、うるさい。


挙句の果てには、

夢を語れ」などと大層なことを言い出す始末だ。

僕は人に夢など語りたくない。語るほどの夢は持っていない。


子供の頃から、「将来の夢は?」と聞かれるのが嫌いだった。

いつも、「大人になること」といって誤魔化してきた。


面接のときに「5年後の自分は?」と聞かれるのも嫌いだ。

どうして夢を語らせようとするんだ。


人様に語れるほどの夢なんてないさ。


夢ってのはあくまでも個人の内心の問題。

頼むから内心を犯さないで欲しい。


---

内定をいただいてから1ヶ月。


最終面接はカウンセリングみたいな面接だった。

生い立ちから何から、洗いざらい話させられた。


「洗いざらい」、自分をすくわれた事で、

生気を抜かれ、何も手につかなくなった。


内定先に洗脳されたかのように、全てが空っぽになった。


虚脱感。


せっかく進んでいた選考の殆どを断ってしまった。

1つ2つ3つ、重大な選択肢を絶ってしまった。


何だか、内定しても嬉しさはなかった。

納得もしていない。


理念だけ、夢だけ、理想だけの内定先に、

何の誇りも感じなかった。


このままでいいのか-


内定先に疑問を持っているうちに、

マインドコントロールが解けてきた。


この会社の面接は、おそらくマインドコントロールだ。

いたずらに長い時間を掛けて「面接」することで、

学生の生気を抜いてしまう作戦なのだ。


僕は立ち直るのに1ヶ月掛かった。

でも、完全にこの会社への「想い」は消え去った。


僕は、就職活動を再開する。

間もなく1次面接だ。


履歴書に、手を伸ばす。


---

早期に内定が出たことによる、この虚脱感。

考える暇もなく、「何となく」就職活動を続ける、この焦燥感。


そこから生まれるものは、虚無だ。

僕は内定が出てからの1ヶ月間、完全な虚脱状態に陥った。


「学生虚脱作戦」


よく考えると、

リクナビを筆頭とする就職活動システムは、全てこれだ。


10月という超早期から学生をアジテーションし、

4月・5月と大手企業の内定を集中させ、

それ以降、「おこぼれ選考」をスタートさせるというシステム。


考える時間が存在しない。


これは、

学生を早期のうちから「パワーダウン」させ、入社時には会社の従順なる僕とさせる・・・

という国家的陰謀かもしれない。


物言わぬサラリーマンが増えれば、

税金の取りはぐれもないし、企業としても『搾取』しやすいわけだ。


今の就職システムの欠陥を真剣に考えようとしても、

どこからともなく現れた「就活アドバイザー」なる者がわけのわからぬテクニック論でお茶を濁し、

「就活はそんなもんだ」という気にさせてくれる。


要するに、あまり考えさせない。

考える暇(いとま)もなく、選考に突入させる。


3年の10月。


誰が考えたか知らないが、

これは大変よくできたシステムだと思う。


そのシステムに組み込まれて就職活動をすることが、

果たしていいことなのか、悪いことなのか。


僕は価値二元論的に「これがいい、悪い」とは考えたくないのだけれど、

少なくとも、このシステムに「馴染めない」人は多数存在すると思う。


今年の就職戦線は氷河期を脱し、バブル期並みの有効求人倍率だという。

僕にはとてもそう思えない。


バブル期とは、明らかに就職システムが変わっている。

この変化したシステムを


うまく消化できる人には内定が出て、

どうしても消化できない人には内定が出ない


どうもそういう風になっている。


15社とかの複数内定者は、このシステムを大変器用に使っている。

無い内定、あるいは少数内定者は、このシステムを消化しきれていない。


もちろん意識外のレベルで、だ。


そして僕は、明らかに今のシステムにそぐわないように出来ている。

反抗したところで無駄だろう。


理念はいつか変化する。

システムもいつか変化する。


そしたらそのときも、

その変化したシステムを器用に使える人は内定をもらい、

その変化したシステムを器用に使えない人はなかなか内定をもらえない・・


ということになるだろう。

その繰り返し。


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とりあえず今の「超早期就活システム」は明らかに異常なので、

どこかで必ずターニングポイントが訪れると思います。


リクルートが「今の就職システムはおかしい」と自作自演するかもしれない。

いや、まったく別の組織が登場するかもしれない。


どうなるか楽しみです。

そのときに、一番得するのは誰か、一番損するのは誰か。


少なくとも、貨得すらせぬ学生は得しないはずで・・。