久しぶりの一次面接・前夜
内定先は
やたら夢がどうの、
「仕事の夢」がどうのと、うるさい。
挙句の果てには、
「夢を語れ」などと大層なことを言い出す始末だ。
僕は人に夢など語りたくない。語るほどの夢は持っていない。
子供の頃から、「将来の夢は?」と聞かれるのが嫌いだった。
いつも、「大人になること」といって誤魔化してきた。
面接のときに「5年後の自分は?」と聞かれるのも嫌いだ。
どうして夢を語らせようとするんだ。
人様に語れるほどの夢なんてないさ。
夢ってのはあくまでも個人の内心の問題。
頼むから内心を犯さないで欲しい。
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内定をいただいてから1ヶ月。
最終面接はカウンセリングみたいな面接だった。
生い立ちから何から、洗いざらい話させられた。
「洗いざらい」、自分をすくわれた事で、
生気を抜かれ、何も手につかなくなった。
内定先に洗脳されたかのように、全てが空っぽになった。
虚脱感。
せっかく進んでいた選考の殆どを断ってしまった。
1つ2つ3つ、重大な選択肢を絶ってしまった。
何だか、内定しても嬉しさはなかった。
納得もしていない。
理念だけ、夢だけ、理想だけの内定先に、
何の誇りも感じなかった。
このままでいいのか-
内定先に疑問を持っているうちに、
マインドコントロールが解けてきた。
この会社の面接は、おそらくマインドコントロールだ。
いたずらに長い時間を掛けて「面接」することで、
学生の生気を抜いてしまう作戦なのだ。
僕は立ち直るのに1ヶ月掛かった。
でも、完全にこの会社への「想い」は消え去った。
僕は、就職活動を再開する。
間もなく1次面接だ。
履歴書に、手を伸ばす。
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早期に内定が出たことによる、この虚脱感。
考える暇もなく、「何となく」就職活動を続ける、この焦燥感。
そこから生まれるものは、虚無だ。
僕は内定が出てからの1ヶ月間、完全な虚脱状態に陥った。
「学生虚脱作戦」
よく考えると、
リクナビを筆頭とする就職活動システムは、全てこれだ。
10月という超早期から学生をアジテーションし、
4月・5月と大手企業の内定を集中させ、
それ以降、「おこぼれ選考」をスタートさせるというシステム。
考える時間が存在しない。
これは、
学生を早期のうちから「パワーダウン」させ、入社時には会社の従順なる僕とさせる・・・
という国家的陰謀かもしれない。
物言わぬサラリーマンが増えれば、
税金の取りはぐれもないし、企業としても『搾取』しやすいわけだ。
今の就職システムの欠陥を真剣に考えようとしても、
どこからともなく現れた「就活アドバイザー」なる者がわけのわからぬテクニック論でお茶を濁し、
「就活はそんなもんだ」という気にさせてくれる。
要するに、あまり考えさせない。
考える暇(いとま)もなく、選考に突入させる。
3年の10月。
誰が考えたか知らないが、
これは大変よくできたシステムだと思う。
そのシステムに組み込まれて就職活動をすることが、
果たしていいことなのか、悪いことなのか。
僕は価値二元論的に「これがいい、悪い」とは考えたくないのだけれど、
少なくとも、このシステムに「馴染めない」人は多数存在すると思う。
今年の就職戦線は氷河期を脱し、バブル期並みの有効求人倍率だという。
僕にはとてもそう思えない。
バブル期とは、明らかに就職システムが変わっている。
この変化したシステムを
うまく消化できる人には内定が出て、
どうしても消化できない人には内定が出ない
どうもそういう風になっている。
15社とかの複数内定者は、このシステムを大変器用に使っている。
無い内定、あるいは少数内定者は、このシステムを消化しきれていない。
もちろん意識外のレベルで、だ。
そして僕は、明らかに今のシステムにそぐわないように出来ている。
反抗したところで無駄だろう。
理念はいつか変化する。
システムもいつか変化する。
そしたらそのときも、
その変化したシステムを器用に使える人は内定をもらい、
その変化したシステムを器用に使えない人はなかなか内定をもらえない・・
ということになるだろう。
その繰り返し。
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とりあえず今の「超早期就活システム」は明らかに異常なので、
どこかで必ずターニングポイントが訪れると思います。
リクルートが「今の就職システムはおかしい」と自作自演するかもしれない。
いや、まったく別の組織が登場するかもしれない。
どうなるか楽しみです。
そのときに、一番得するのは誰か、一番損するのは誰か。
少なくとも、貨得すらせぬ学生は得しないはずで・・。