どうしても人と比べて落ち込む人が気づいていないことは? | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「比較」について。

皆さんは、人と比べがちですか?

人と比べて何か感じますか?

 

人は、"無人島"で暮らさない限りは、

意識してか無意識かはともかく、人と比べます。

 

「比べる」という能力は、古代からあり、

群れからはみ出さないためだったり、不公平を感じるためだったり、

食べられるものかどうかを知るためだったり、

生きるために必要な能力であったのです。

 

生きるために必要な能力だったものが、

生き死にに、緊張感が必要ではなくなったことで、

優越感や劣等感や、自己の在り方のために使われる傾向にあります。

例えば、世を騒がせるメジャーリーグで活躍する選手。

「大活躍ですごいなー!」

「お金持ちですごいなー!」

「夫婦仲良さそうでいいなー!」

などと思う人はいるでしょう。

あまりにも凄すぎて、羨ましいとかいう次元じゃないかもしれませんが、

羨ましいと思う人もいるでしょうね。

 

しかし、きっとその選手が、

食生活や生活パターンを野球の為だけに自制していることや、

多くの人が自分の生活の一挙一動に注目してしまっていることまで含めて、

羨ましいとは考えないでしょうね。

 

「あの人は楽しそうでいいな。」

「友達といつも充実してそう。」

「豊かそうな生活だなぁ。」

 

そう思う誰かの「光」の部分だけを見ているのです。

 

更には、相手さえも選んでいます。

明日、食べるものにさえ心配している人や、

明日、病で意識が保てるかどうかわからない人や、

明日、愛する人を失った生活が始まる人など、

そういった人とは比べません。

 

「そんな…極端な…。」

 

そう思うかもしれませんが、気づかないうちに、

比べる部分も相手も自ら選んでいるのです。

つまり、勝手に見たいとこ見て、勝手に不幸になっていることがあるということです。

 

 

比べることで、活力や成長につながるならともかく、

劣等感コンプレックスや不幸につながるならば、

「比べる」という能力をうまく使えていないのかもしれません。虹
 

 

 

いつも有難うございます。

比べて苦しむときはアンフィニへ!

.

ご予約は052-253-5040まで!

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