見放すことと結末を体験させるのは違うこと | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「結末の体験」について。

皆さんは、誰かを何とかしてあげたい!

そう思ったことはありますか?

 

私たちは、自分以外のことは、

とてもよく"見える"わりには、自分のこととなると、

意外と"見えない"状態になってしまいます。

 

それは、人間が見たいものを見たいように見ていることに他なりません。

 

すると、他者のこととなると、

「何とかしてあげたい!」

「どうしたら気づいてくれるのかな!?」

という気持ちになります。

 

素直な性格の人や、建設的な人、

もしくは信頼関係が強い相手の場合には、

言葉が届いたことで変化が起きれば一歩前進。

 

しかし、誰からどう見ても、

その状態がおかしい、もしくは普通じゃないのに、

当事者は、苦しみながら現状維持を続けることがあります。

□その恋人(結婚相手)がしていることはモラハラで別れたほうがいいのに…

□そのペースで働いたら、どう考えても身体を壊すのに…

□それは利用されているだけで、お金をつぎ込む価値はないのに…

□ちゃんと相手の言葉を聞けば、優しさで言っているだけなのに…

□どう考えても病院へ行って診断を受けたほうが良いのに…

 

相談しておいても、それにこたえると…。

 

「頭ではわかってるんだけどねー…。」

「もう少し様子を見てみるねー。」

「一度ゆっくり考えてみる。」

「でも、いいときも(メリットも)あるんだよ。」

「今はちょっと考えられないかも。」

あまりにも深入りし過ぎたときには、

自分自身まで疲れてきてしまったり、苛々したりで、

あまりいい状態にはなりません。

 

では、そんなときにはどうしたらいいのか?

 

"結末を体験するまで見守る"ということです。

おぼれていると思って手を差し伸べても、

本人が本気でおぼれている自覚が無ければ、本気で手を掴みません。

それならば、必死になるくらい、

誰かの手を掴みたいと感じるまで、

見守ることも"愛"ではないでしょうか。

 

見捨てるのではありません。

見守るのです。虹



いつも有難うございます。

私がおかしいの!?と思ったときはアンフィニへ!

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ご予約は052-253-5040まで!

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