命の選別という行為は殺人事件だけ? | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「角度」について。

皆さんは、最近の残虐な事件といえば、

どんな事件を思い浮かべますか?

 

戦時中の実際にあったことをノンフィクション小説とした、

『あんずの木の下で』という話があります。

 

戦力にならないから、障害があるから、

そんな理由で学童疎開の「対象外」にされた障害をもった子供たち。

長野県の光明学校が子供たちを受け入れるのですが…。

 

同じように子供として"命"を持った人間です。

戦時中という時代の過ちでしょうか?

最近、相模原障害者施設殺傷事件の裁判が話題となりました。

神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件です。

元施設職員の植松聖被告が刃物で入所者19人を刺殺し、26人に重軽傷を負わせました。

 

植松被告は、いまだに反省している様子もなく、

自分がした行為に対して、正当性を述べています。

 

この態度に、多くの人が怒りました。

報道の司会、コメンテーターもそうでした。

やっていることは"命の選別"だと。

『あんずの木の下で』での出来事も、

相模原障害者施設殺傷事件も、同じことですね。

人間の"命"の重さを人間が選んでいるのです。

 

しかし、別の場面でも同じようなことはあります。

それは「出生前診断」です。

産まれてくる子が、障害をもっているかいないか。

 

そういったことの是非もあるでしょう。

これらのことをみても、物事というのは、

意外と「場面」や「環境」や「動機」、「キャラクター」によって、

同じ意味を持っても、認識する角度は変わってきます。

 

私たちは、自分が見ている認識角度に対して、

なかなか"疑い"を持つことができません

 

どんなことでも、色々な角度からものごとを見ることをしたいですね。虹



いつも有難うございます。

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