妄想の檻から脱獄!あなたをひらく、フォトグラファー秋月雅

※こちらの記事は医療従事者でもなんでもない一般人による個人の感想です。

こんな投稿をfacebookでした。

 

PMSに対するピル服用と
栄養をしっかり摂るようにしたら
人生変わったくらい
毎日充実しております。
すごい、すごい、すごい。
落ち込みなく1ヶ月以上過ごしてます。

昨日投稿したfacebook

 

 

その次の日、
メンタル撃沈である。
撃沈&鬼👹到来である。
わたしの中に鬼がいる。

昨日から一変、また人生変わってしまったくらいの。
意外と人生って、変幻自在なんだな、
なんて
保育園へ息子を送った帰り、
遠くを見ながら思い耽っておりました。

原因はなんとなくあれかな、と思ってます。

 

現在PMDD対策のため、超低用量ピル「ヤーズフレックス」を服用しています。
服用開始してから、4ヶ月半です。
1シート28錠なので、5シート目になります。

 

思春期からの思い詰め落ち込みやすい気質、
産後すぐのマタニティブルーズからの産後うつ、
1年半以上経った頃の燃え尽き感と、PMDDの悪化、
これはもう死んでしまうと
婦人科に駆け込み、ピルを処方してもらいました。

まず、PMSとPMDDについて引用させていただきます。

 

 

PMS(月経前症候群)の症状
PMSは、Premenstrual Syndromeの略で、その日本語が「月経前症候群」。月経前=月経前の3~10日の間に続く精神的、身体的な症状で、月経が始まるとともに症状がおさまったり、なくなったりするものを指します。

PMSラボ

PMDDとは
PMSの諸症状のうち、「イライラ」や「気分の落ち込み」「不安」「怒りっぽくなる」といった精神症状が主体で強いなら「月経前不快気分障害(Premenstrual Dysphoric Disorder)」が疑われます。

PMSラボ

 

大体の女性の生理周期は28日前後。
女性ホルモンの働きにより、毎月こういった症状が現れる人がいるのです。

わたしです。

毎月の半分くらいが、憂鬱なんです。

 

今更なんですけど
ほんと、思春期の頃からのあの憂鬱感は、
女性ホルモンの仕業と、栄養不足に違いないと思ってます。
あの時PMSの存在を知り、対策を取っていたら
わたしの人生大きく変わっただろうな。

 

 

 

 

メンヘラって言葉は好きじゃないですが
メンヘラだったよな、だよな、と思います。

 

それもこれも、女性ホルモンと栄養不足のせいだわ。

産後、荒れ狂う女性ホルモンの脅威の中で
助産師さんたちとたくさんお話しし、
女性ホルモンの恩恵についても教えてもらいました。

 

・丸みを帯びた女性らしい体つきにする
・肌の潤いやハリなど、女性の成長や美容に深く関わる
・骨や血管を守る

 

 

ありがとう、そうやったんや。
知らなかった。
とは思いつつ、やっぱりメンタルや体の不調が酷かったので
どうしても敵視してしまいました。

 

そんなわたしですが、
超低用量ピル「ヤーズフレックス」を飲み始めてから
とても調子がいい日が多くなってきました。

 

ヤーズフレックスの飲み方は2通りあり、
①28日周期で服用する方法と、

①120日連続服用+4日間休薬
とう服用方法があります。

 

①は毎日同じ時間に1錠のみ、25日目から4日間休薬の28日周期。
②はなんと、120日間連続して服用可能で、120日服用したら4日間休薬します。
わたしは1シート目は①の方法で飲みましたが、そのあとは②の服用方法に変わりました。
先生も、PMSがひどい人は②にすると生理の回数が減るのでおすすめしてる的なことを言っていたような気がします。

飲み始めの時は休薬日前と休薬中、激しく鬱になったり
イライラが止まらなかったりと、とてもしんどい思いをしました。
数ヶ月は様子を見てみて、と言われているので、
様子を見ているところです。

 

②の方法にしてから3ヶ月くらい経ちますが、

120日ずっと服用し続けることはできませんでした。

 

途中で出血が3日続いたら、服用をやめ4日間の休薬日を設けなければいけません。
わたしの場合、今のところ40〜50日で出血が始まります。

今回も嘘みたいな話ですが、
休薬日1日目の翌日から
「なんか違う」感じになっています。

 

・朝からなんとなくイライラ(小さなことにいちいちイライラ)
・夫と話したくない、目についてイライラする。
・頭が重い、ぼーっとする。体も重い。
・呼吸が浅い
・眠いような感じの目の周り、頭のモヤモヤ。
・ため息多め。

 

 

こんな感じです。
昨日と今日で、別人のようです。
本当に、おもしろいくらい。

 

おもしろがってないとやってやれないです。

 

 

気分転換ぐらいでどうにかできるもんじゃないんです。
もう、ただ、突然ナマケモノみたいに動けなくなる。
突然色々シャットアウトしたくなる。してしまう。
自動的に心がざわついてくる。
コントロールできない。

 

 

わたしの女性ホルモン、働き過ぎやろって
ツッコみたくなるくらい。

 

休薬日前後が恐怖だったので
その恐怖から今こんな状態になってんのかなぁ
なんて思うけど
いやいや、確かに体の感覚が全く違う。

そういう意味では、
敏感に自分の体や心の変化を
客観的に見られている今の状況って
前とは違うよな、と前向きに捉えています。

 

 

あと3日間の休薬日が、どうなるのか。
引き続き、観察してみます。

 

ピルの服用もそうですが、
この1月くらいは特に、
栄養を意識して生活していたので
いい状態の時期が長く続いたんじゃ、なんて思ってます。

 

タンパク質をプロテインで補い、
鉄分とマグネシウムをサプリで補っていました。

産後の激鬱期を経験して
栄養の大事さを痛感しました。

 

普通の食事じゃ、補えないんだなぁと。

今、あらためてこの本を見ながらいろいろ試しているところです。

 

 

 

 

そしてピル服用や栄養など
色々試しながらも思うのは
生理前にいろんな症状が出るのが、
たとえ女性ホルモンが大きく関わっていたとしても、
火のないところに煙は立たぬと言うように
なんらかのタネみたいなものがあるから
それが顕著にフィーチャーされてるんだろうなと思います。

 

頑張りすぎ、
栄養足りなさすぎ、
消化しきれてない思い残りすぎ、
我慢しすぎ、
自分に嘘つぎすぎ、
運動しなさすぎ、

なんだかんだと。

 

 

ただ生きるだけでも
ぽんこつ母さんには難しいですが
ほどよく生きていけたらいいなと
今は思います。

 

 

 

⇧表紙、中の写真の撮影を担当した20万部を超えるベストセラー著書です。
実は、産後の鬱がひどい時、こちらの先生に救いを求めたところから縁あって生まれた本です。

 

 

 

元記事

 

 

 

 

 

というわけで
以上が出産レポでした。

 

地獄の前駆陣痛4日間で
心が完全に折れた中での出産。
こんなこと聞いてない!ばかりでしたが
そんな私でも
無事に産むことができました。

 

快適で平和でしあわせなマタニティライフから一変
子育ての現実を知りました。

 

 

お前何浮かれてるんや〜
バコーンと頭を殴られたような気持ちでした。

 

 

あんなに憧れてた妊婦。
あんなに憧れてた「子を持つ」こと。
完全に舐めてました。

 

 

産後2週間
女性ホルモンは大暴れ。
「自分が死んだ」
と思って毎日過ごしていました。

 

 

マタニティブルーズはほんとにつらくて
何度も子を産んでしまったことを後悔しました。

 

後悔していることに罪悪感を覚えるという悪循環。

こんな覚悟もないままに
なんてことをしてしまったんだ、と。

 

何度も何度も泣いて
助産師さんにたくさん話を聞いてもらいました。
今思うと、異常です。

 

出産レポは終わりですが
コロナ禍での母子同室入院7日間
産後1ヶ月のメンタル崩壊録、
1年半以上経ってからの燃え尽き症候群体験もまた
書けたら書こうと思います。

 

退院直前の悪寒発熱、細菌感染疑惑で入院延長も
なかなかメンタルやられました。

 

からの実家での1ヶ月間も辛かった。
自宅に戻ってからも事件が起きて
ほんとうに、ズタボロになりました。

 

あれから1年8ヶ月。
いろいろありますが
あの地獄の4日間、
そしてお産を乗り越えてみて
産後すぐ思っていたのは
「これ以上ってないな」
ということでした。

 

仕事の悩みやいろんな悩みがあるけど
これ以上大変なことってないわ、と。

 

産後すぐ、ハイなテンションの時には
「もう私に不可能はない」とまで思ってた。
が、今も相変わらず日々グズグズしています。笑

 

いいないいな、
みんな普通に子ども産めて
いいな。

なんて、
ずっと他人を羨ましく思ってました。

 

が、今回のお産を通して
すいませんでした!!

 

そんな気持ちでいっぱいです。

あんなのを経験して
よくそんな涼しい顔していられますねと
尊敬しかない。

 

出産後すぐ
全世界のお母さんを心から尊敬したし
母や義理の姉にも
尊敬のメッセージを送りました。

 

二人目とか絶対にムリ。
二度と体験したくない。

 

死ぬほど頑張って産んだこの子を
大切に育てていこうと
心に誓いたくて
あのしんどさを、忘れたくなくて
今回詳細なレポを書いておきたいと思いました。

自分のお産はこんなにしんどかったんだ!

 

 

てことを言いたくて書いてるわけじゃないです。
このレポは、産後すぐスマホのメモに書いて
それを産後16日目にまとめて
さらに今、1年8ヶ月経ってからもう一度加筆修正を行いました。

 

 

今思うのは
息子はわたしの誇りだな、ということです。
めちゃくちゃ頑張った。
一生分頑張った。
力を振り絞るって、こういうことかと。

 

全力って、これか、と。
あきらめないって、これなんかと。

もうすでに、感覚としては忘れかけているけれど
どんなにダメダメでも、ぐずぐずでも
やりきったから今息子が目の前にいる。

 

 

自分のダメさに落ち込む毎日だけど
今回書きなおしてみて
息子はわたしの誇りなんだと
胸を張って言えると思いました。

 

こんな経験をさせてくれてありがとう
そう思います。

ただただ願うのは
これからお産を迎える方たちが
どうか安産でありますように。

 

 

 

 

 

 

自分が産んだ息子、
なんて実感もできず
ただただ
ほぉ〜と眺めていました。

 

 

目がある
口がある
鼻がある
手も足もある。
爪が長い。
ほっぺに傷がある。

 

すごいぽや〜っとしてるけど
大丈夫なん?
瞳の色がグレーだ。
なんか人間じゃないみたい。

 

この子が
お腹の中に10ヶ月もいたのかと
不思議な気持ちで眺めました。

 

体重もこの時に教えてもらいましたが
2600グラムくらいと小さめでした。

 

最後の検診では
2900グラムと聞いていたので
こんなに誤差があるんだなぁと思いました。

 

産後は1時間で
面会終了だったので
急いで写真を撮り
夫の初抱っこ。

 

この人、父になったんやと
これまた不思議な気持ちに。

フラットな人なので
どんな気持ちなのかわかんないけど
結婚5年目にして
ついに
私たちに家族が増えました。

 

とっても
不思議な気持ちです。
夫が帰ったあと
わたしはまた横になるように言われて血圧測定。

 

たぶんほんとは
ごはんのときも横になったままの方がよかったのかもしれません。
赤ちゃんを連れてきてくれた時に
助産師さんにママ起きて大丈夫ですか?

 

立たないようにしてくださいね、と言われたので。

そのあとしばらく安静にしていたら
胎盤を持ってきてくれて
見せてくれました。(バースプランで見たいと伝えてた)

 

 

「おぉ・・・」としか言いようのない感じでしたが
そのときはとにかく疲れていたので
写真と動画を撮って、さよならしました。

 

後から
10ヶ月わたしと赤ちゃんを繋いでくれてて
ありがとう、とか言いたかったんやな
ということを思い出しました。

 

そして初乳タイム。
この瞬間からもう
母乳がでてるんだと驚きました。

 

赤ちゃんを胸の上に置くと
自分でおっぱいを探すんです。
人間ってすごい。

 

赤ちゃんに少し吸ってもらい
この子は飲むの上手だねと
助産師さんに言われた気がします。

 

そのあと部屋をうつるため
荷物を移動してもらい
室内にあるトイレまで移動することに
なにもでず
このときにふらふらしていることに気づく。

 

多少気持ち悪くもあったので
さすってもらいながら
しばらくその場で待機。

 

お産パッドだけ変えてもらい
車椅子に乗りました。

トイレから出る時
何も出してないはずなのに真っ赤でびっくりしました。

 

車椅子で
部屋に通されて
とりあえず寝てくださいと言われました。

 

ふらふらするのは貧血ですか?と聞くと
羊水も含めて出血量が700mlあったと教えてくれました。
500ml以上は
お産ではちょっと多い部類に入るみたいですね。

 

水分とって、食事も摂ることが大事と教わりました。

 

寝てくださいと言われたものの
頭は冴えていて
自分の心臓の音が
ドンドコドンドコと
やけにうるさく響いて眠れず
でもあとあとしんどくなりそうだからと
スマホを見るのをやめて
「安眠」「熟睡」「疲労回復」
で検索したYouTubeの音楽を流しながら
目を閉じてました。

 

 

まぁ、眠れませんでしたが。

 

 

3〜4時間ゆっくりして
その間一回トイレに助産師さんと行き
またフラフラしましたが
トイレできましたと報告。

その日は
赤ちゃんを預かってもらい
少し寝た気がします。(つづく)



ただただしんどすぎてつらすぎて
「やっと終わった」と
ホッとしてボケ〜っとした感じでした。

脳細胞ちょっと死んでたと思う。

 

おめでとう、とか、ありがとう、とか
そういう美しいものが一切感じられなくて
そんな自分を後ほど責めたりしていました。

 

「バースプラン」という
どんなお産にしたいですか?という
計画を妊婦健診の時に
助産師さんと打ち合わせしてたんですが

私は
「生まれた瞬間の写真を自分の手で撮りたい(余力があれば)」
と伝えていました。

 

ぼーっとしていたら処置のため息子が連れていかれたので
夫にカメラをもらってその瞬間を収めました。

ちょっと、イメージとは違ったけど
一応目標達成。

(トップの写真です)

 

夫に写真や動画をたくさん撮ってもらい

その間にも
後処理が行われていました。

 

 

助産師さんが胎盤を出す瞬間
またドゥルン、と。

お股はヒリヒリしていて
助産師さんがあんなに一生懸命伸ばしてくれたのに
「あぁ、(会陰が)盛大に切れちゃったのかなぁ」と
一応会陰マッサージとか頑張ったのになぁ〜と
ちょっと切ない気持ちでいました。

 

 

先生が二人登場して
院長ともうひとり
メガネなくてどんな人かわからなかったけど
「縫うのがすごく上手な先生に縫ってもらいますね」と言われて
ライトがセットされて
なんか自分の下半身に後光が差していて
カッコいいなと思いながら
縫う処置をしてもらいました。

 

 

これがまた地味に痛くて
「痛い痛い痛いー」と
ここでもまだ叫んでました。
なんならちょっと怒ってました。

 

「もう痛いの嫌や〜〜〜」と
子どもみたいに言ってた気がする。
先生はごめんねーと笑ってました。

 

 

その前後でお腹を押されたりして
子宮の戻りの確認。
いまいち戻りが悪かったらしく
薬を点滴してもらったみたいです(うろ覚え)

 

お腹を押すと
お股から液体がジャバーっとでるのが恐怖でした。
後で聞きましたが
会陰は切れておらず
産道が少し傷ついたのでそこを溶ける糸で
縫ってくださったみたいです。

 

なので違和感はありますが
なんとか気をつけて座れる感じでした。

 

縫合が終わり
キレイにしてもらい
血圧測定。

 

ここから妊娠高血圧症候群になる可能性もあるらしく
様子見ていきますね、と言われました。

 

 

赤ちゃんは一度連れて行かれて
同時にわたしのお昼ご飯到着。
こんな出産直後に食べるのか、と思いました。

起き上がる時ドバドバとなんか出てくる感じが
すごかったです。

 

ほんの少しいただいて
あとは夫に食べてもらいました。

 

そうこうしている間に
赤ちゃん到着。

透明ケースに入れられて
ぽや〜っとした顔で
あちこち見ていました。(続く)

 

 

 

全力いきみをする中で
赤ちゃんが産道を通ろうとして進んで、、

 

スポンと元に戻る感覚がわかりました。

もう何が何だかわからない。
スポンちゃうで息子!

 

 

いきむとき
息を止めて全力を出すんですけど
そんなん日常生活でやったことがなくて
ほんと毎回意味不明に思いながらやってました。

 

陣痛の間隔(助産師さんは張りって言ってたかな)がわりと長いらしく
普通はもっと短いスパンでやってくる
なんて話を夫と助産師さんがしてた気がします。

 

ママが休めるように
赤ちゃんゆっくり降りてきてくれてるのかもね〜なんて言ってました。
陣痛の感覚が長いのも短いのも
どっちにしろ恐怖でしかなかったです。

 

で、
また次のいきみで
血管切れて死ぬんじゃないかというくらいいきんで
途中まで赤ちゃんが降りてきました。

 

今までにない痛み
絶叫。

ギャ〜〜って言ってたんじゃないかな。

 

「引っかかってるね〜」なんて言われながら
次のタイミングを待ち、
そこで最後のいきみ。
もう終わらせたい一心でした。
終わらせないと私が死ぬ。

 

合図で
いきむのをやめて
呼吸の仕方を変えたり(細かく覚えてないです)
はっはっは、で終わったのかな。

 

メリメリメリ、って感じで
赤ちゃんが出てくる感覚を感じました。
噂に聞いてた「ドゥルン」で
赤ちゃん誕生。

 

 

書いてて泣けますね。
終わった瞬間でした。

 

もう、嬉しいとか感動とか
一切なく。

ただただ
「終わった」

 

そんな放心状態であとの処置をしてもらいました。

バタバタと先生や助産師さんが一気に増えて
「あ、こんなに人おったんや」なんて思ってました。

 

 

赤ちゃんの臍の緒カットは
自分でしましたが
ぼーっとしたまま
無表情で言われた通り2.3回に分けて切っていきました。
メガネしてないから見えへんかったし。

 

胎盤は力入れなくてもでてくるからねーと
助産師さんが作業してくれるのを感じながら
ボーッとしていました。

 

血圧が高かったので
チカチカしてない?とか
いろいろ聞かれましたが
放心状態で受け流す感じに。

 

 

体力0
メンタル0

 

 

ってこんな状態なのかと
「無」な感じでした。

すぐに胸元に赤ちゃんが置かれ
ないてるけど
近すぎて見えないし
メガネもかけてなかったからよくわからないし
実感がないまま
でも
胸の上に
小さな人がいる
そんなことをぼんやり思っていました。

産めたんだ・・・
そう実感した瞬間でした。


よくある
ベッドの上でのお母さんと赤ちゃんが並んで写る
「出産しました写真」
お母さん、泣いていたり笑顔じゃないですか。
わたしは笑えなかったなぁ。(続く)

 

 

 

お産ってこんなんなんだ、と。

 

 

命懸けっていうか


「自分の力で産み出す」ことの意味を


少しだけ知ったように思います。

 

 

赤ちゃんが主役で
赤ちゃんのタイミングなんだけど


ものすごいサポートが必要なんだな、と。

 

 

出産って、それほど大きなエネルギーが動く瞬間なんだなと、


1年8ヶ月経った今思います。

 

あぁ、自分にしかこれ
できないんだ・・・と。


世の中の人たち
みんなできるんやし、


自分にもできるだろうと過信していたことを
恥じました。

 

 

コツを掴むのが遅くて


ほんとに体力ないまま
それでもやるしかなくて


毎回
自分にはこんな力があったのか、

と
驚くくらい必死にいきみました。

 

 

高齢出産だから
こんなに大変なのかな、とかも
ぼんやり思いながら。

 

前駆陣痛 1


子宮口開くまでの陣痛 2


いきむ 97

 


体力の消耗比率は
こんな割合でした。



いきむことを本気でやり始めて


いきむたびに
会陰をぐいぐいと
伸ばしてくれる

助産師さんとの
共同作業感にも少し慣れ


「あぁ、赤ちゃんまだなのか」と
メンタル崩壊しながらも


一回一回を大事にこなしました。

 

 

助産師さんも毎回


「うんうん、上手上手〜すごく上手〜」と


まったりと誉めてくれていて
心の支えになりました。

 

出産風景の動画を
夫にスマホで撮ってもらうよう言ってたんですが
(そういうところは冷静)


助産師さんの
「そろそろ撮り始めて大丈夫です」の

一言に
失われて粉々になっていた体力たちが集結。

 

メンタルは相変わらず粉々でしたが
3回いきむことに集中。


ちなみに破水は
かなり後半部分だった気がします。


破水した瞬間の
あたたかい液体がぼたぼたぼたと流れる感覚
覚えてます。

 

あとで聞きましたが
少し濁りがあったそうです。

 

バタバタと人が増えてきて


「あ、もしかしたらもうすぐ終わるのかも」と
感じはじめました。

 

助産師さんも増えて
めっちゃ心強かったのを覚えてます。


なんで深夜と朝は一人ぼっちやったんやと
思いながら。
が、何か話しかけられても
それどころじゃない感じで


夫含む周りのひとたちの談笑の中
ひとり必死でした。

 

 

自分だけ違う世界にいるみたいでした。
(つづく)

 

 

覚悟もできず


相変わらずグダグダ言いながらも


少しずついきみ方のコツがわかるようになりました。

 

妊娠出産は
女性ホルモンの変化がエベレスト並と喩えられますが


「分娩」中から大きく変化するみたいなんですよね。


分娩に向かってどんどん高まって
一気に急降下していく。

 

分娩台の上で


数日前までのハッピー脳内お花畑状態から

いっぺん
別人になったかと思うくらい


「自分」が壊れていくような気がしていました。


 

普通の状態じゃ、とても耐えられなかったな、


と今なら思います。

 

 

心臓ちぎれる!
血管裂ける!
頭爆発する!

 

 

と思いながら
手足を毎回震わせながら


全力でやるようになりました。

 

もう、私がやんなきゃ前へ進まないんだと


赤ちゃんも
生まれてこれないんだと
必死でした。

 

覚悟でもなんでもなく
ただ

「はよ終わらさな!」
その一心でした。


もしかしたらそれが「覚悟」だったのかもしれないです。

 

 

顔は真っ赤で(夫が言ってた)


いきむ時に夫に頭を支えてもらい


おへその方を見るようにして


こんな顔を
人様に見せる日が来るとは
なんて思いながら


一回一回
大きな陣痛の波が来るたびに


「痛いのくる!こわい!」と言いながらも


一度の陣痛で3回いきむのを繰り返していきました。


声も枯れて、でも黙れない
そんな状態。

 

この時、陣痛にも強いのと弱いのがあると
ようやく理解できました。


弱いと、いきめないのでやり過ごす。


大きいの(激しく痛いやつ)がこないと産めないけど
痛いのが嫌だから来ないでくれ!と思う。


でも自分じゃコントロールできない。

 

 

地獄の時間。

 

 

汗がやばかったので


夫が隣で仰いでくれていたのが地味にありがたかったです。


摩り方とかマッサージとか汗を拭いたりとか水を飲ませてくれたりとか


「大丈夫、できてるできてる」って言ってと伝えて
言ってもらったりとか

 

嫌な時に嫌なところを触られると


「それやめて!」と
伝えてやめてもらったり


人生でこんなに
他人のことを気にせず


全力で集中したことってないなと
ぼんやり思ってました。

 

あとで思い出しても
なんだか泣けてくる。(続く)

 



 

 

陣痛がきて、
ものすごく痛い時に助産師さんが手で子宮口を広げたり
いろいろやってくださって、ピーピー言いながらもお産は少しずつ進んでいく。
赤ちゃんの向き的に仰向けから横向きに変更。
もうその姿勢を変えるのすらつらい。

 

事前のグーグル先生調べでは姿勢によっては痛くなくなる、

痛みが減る、なんてことが書いてあったけどあれはウソや。

何がどうなっても痛いもんは痛い。

 

そんな中、夫登場。
「よっ、きたか」なんて言葉を交わすどころではなく

一心不乱に叫ぶことに集中。

この人の前でこんなに叫ぶとは思わなかった。

 

いきむ時の顔とか想像するだけで

笑えるくらい本気で必死でしたが

もう恥もへったくれもない(しっかり写真に撮られてたけど)。

 

立会いして引かれるとか

そんなのどうでもいいくらいお産に集中していました。

 

「いきむ」時期に入りますます恐怖がつのっていきました。

 

いきむことがよくわからないのと

産道をぐいぐい広げていく作業がリアルにわかり
「え、あと何回この痛いのを繰り返さなきゃダメなの?」でパニック。

 

 

なんとなく陣痛と共に

赤ちゃんが自動的に押し出されてくるようなイメージでいたけど、

そんなもんじゃなかった。

 

助産師さんが一生懸命伸ばしてくれたおかげで

赤ちゃんの通り道が少しずつできてきてる感じ。

 

自動的にスルッと生まれる、なんて、

自分の想像力のなさにショックを受けるくらい大変なものでした。

 

パニックな中、後どれくらいですか?と質問しても
「まだもうちょっとかかるかなぁ」と言われて、

私のいきみ方が下手なのもあると思いますが、

先が見えなくてパニック。

 

 

うんちするときに踏ん張る感じ!

みたいにいわれたんですがさっぱりわからなかったです。

 

分娩台のレバーとか、脚を置く台があるんやけど、

なんで使い方のレクチャーが妊婦健診とかで

事前になかったのかと思うくらい

力の入れどころ、入れ方が難しかった。

 

絶叫しながらいきんでいくけどなかなか進んでいかず、
お産がこんなに力がいることなのもこの時初めて知って、
すでに叫びまくり体力を消耗していたので「絶対無理やん・・・」と
泣きながら

「もう無理だと思います」

「産んであげられないと思います」とウダウダ言ってました。

 

 

が、まだこの時でも序の口でした。
産道を赤ちゃんが通るイメージをいきみながらしていましたが、

手で広げてもらうたびに、

硬くて痛いのにそんな狭いところ通るの無理でしょと気力を奪われていきました。

 

自分では毎回全力で頑張ってるつもりだったのに、

なかなか進まずに泣き言ばかり言っていたら

 

 

「覚悟決めないと!お母さん!」

 


とあの丁寧な言葉遣いの優しい助産師さんに

ここでいわれました。

 

 

ちょっと、ニュアンスが違うかもしれませんが。
お、そろそろ助産師さんも苛立ち始めてるんかな、
なんてどこか冷静に思った記憶があります。

 

いきむ時に叫ばずに声を出さず息を止めていきむこと。
陣痛がきたら深呼吸をして、

いきみたいタイミングがきた時に
1回目はわりと短く息を止めて踏ん張る、
2回目は結構長く、
3回目できそうなら長めにまたいく。

 

そのスタイルで進んでいきましたが、

3回目を諦めてしまうことがありました。

 

もう身体中がワナワナと震えていました。

 

こんなに息を止めて手のところにあるバーを握りしめて、
血圧高いらしいけど大丈夫なん?と
心配で死ぬんちゃうかと思ってた。
頭の血管が切れて死んじゃうんじゃ?と。

 

 

息を止めて体に力を入れる作業なんて

人生で経験したことがないから、
手だけに力を入れて足の力を抜く方法もなかなか掴めなかったし、
赤ちゃんが見える気配もないし、
毎回全力やし、気力と体力がどんどん奪われ、
尋常じゃない汗をかきながらとにかく毎回全力疾走していました。

 

「体力を消耗するって、こういうことか〜」と
陣痛の波が引くたびにぽ〜〜っと全身ぐったりする感覚を感じて、
脳みそも省エネモードでぼーっとしてました。

このとき「お産、なめてた」と心から思いました。

自分にはできない。

 

それも心の底から思って情けなくて、
一回いきむごとにあきらかに体力消耗していってるとわかったので
「股から産めない場合、どうなるのかな?」
「今から無痛分娩のできる病院に行くことできへんかな・・・」
「お産を途中で諦めた人っておらんのかな・・・」

なんて考えながらやってた気がします。(つづく)

 

 

朝9時過ぎ。


痛いし怖いし孤独やし、
またパニックになってくる。



疲れと眠気で意識朦朧な中、
バチコーンと身体中を突き抜けるような刺すような痛みが突然やってくる。
の繰り返し。

耐えきれず何度も悩んだ末にナースコール。

 

こんなことで呼んでいいのだろうかなんて、
ボタンをずっと握り締めながら、
何回もどうしようか考えては我慢してようやく押してました。

みんな一人で耐えるもんなんかな・・・。

日勤の助産師さんが来てくださり、
メソメソする私を撫でながらまた内診してくれる。
そこでも確か、陣痛が怖くて怖くて仕方がない、みたいなことを話した気がします。

いつまで耐えればいいのかわからなくて不安なことも伝えると、
ゆっくりだけど子宮口は開いてきており出産準備に入ります、と。(この辺少し記憶が曖昧)

LDR室の分娩台で診察を受けてましたが


「一人になるのが怖い」とも伝えたので夫を電話で呼んでくれました。


うちの産院は分娩前後1時間立会いができました。
面会はNGです。

電話したらすぐ来てくれると思ったら、
なかなか時間がかかった気がします。
その間陣痛がくるたびにギャーギャー叫んでいました。

その間脚に何かを巻かれたり分娩台を動かしたりと、
着々と準備が進んでいきます。

「すぐ戻ってきますからね」と
若くてすごく言葉遣いの優しい助産師さんが気を遣って毎回言ってくれました。
(メガネがなかったので顔ははっきりわからず)

基本一人でずっと対応してくださいました。
泣き言ばっかりでほんまにうざかったと思います。

助産師さんが少し準備で部屋からいなくなったらもうパニック。
陣痛のたびに「誰か〜!!」とか

「怖い〜!!」「ひとりにしないでーー!!!」って叫んでました。

もう、表現できないくらい痛かった。


下半身全部がグゥゥゥゥオォォォオオオ!!!!っていうような感じ。


もう、いろんなことを諦めて絶叫していました。
「ギャーーー!」って。

この辺からもう恥を捨てて叫びまくるスタイルでいこうといろんなことを諦めてた。
YouTubeとかで、ソフロロジーとか静かなお産とか、

呼吸法とか、色々みてたけどもーむりむりや。
わたしにはできませんでしたと、叫びまくってました。



 

「いたい」「こわい」



 

とにかくこれを痛い陣痛が来るたびに叫んでいましたが、
ここからが本番なんだと後で知ることになります。

分娩台の上で痛みがくるたびに、

のけぞりながら叫びまくり、


さらに内診や子宮口を広げる作業は陣痛が来るタイミングでやることを知り(!)、
それが痛くて痛くて恐怖すぎて「やめてー!」と何度も叫びました。


広げる作業って、
助産師さんが手を突っ込んで文字通り皮を伸ばすようにグイグイやるんです。
何が何だかわからんくらい痛い。
頭では必要なことはわかってるのにほんと、パニックでした。

子宮口が開いたあと、
お産がどう進んでいくのかもあんまりわかってなくて、
それがまた不安で、
陣痛が途切れる間にあとどれくらいですか?と泣きながら聞いた気がします。

分娩台の上でも何回か泣いてます。


とても自分の股から人間を生み出せるとは思えなかったです。

「イキみたい感じでてきてますか〜?」と言われて、


そういえば痛い陣痛の最後に「なんかでる!」な間隔もあることに気づく。
その時にひとりだとまたパニックに。

これがイキみたい感じというのも初めて知ったし、
どうしていいかわからないし不安すぎてまたパニック。

「大丈夫〜できてるできてる〜この調子でいいよ〜」と
助産師さんが優しいゆったりとした声で
何度も何度も声かけしてくれたのを覚えています。

声の掛け方とかでわりと敏感に
「この人怖い」とかそういうのを感じるタイプなので、
この方が担当で本当によかった。

ピーピー言いながらでしたが、
このときの叫びはもう大きい陣痛の時は絶叫でした。


陣痛にも大きい小さいという波があるのだとこの後で気づきます。

くる!となったときにはまず「痛いのくる!怖い!無理!」と叫んでから絶叫。
体力をじわじわ消耗。
でもまだ序の口なんだと後で知る。(つづく)

 

 

 

夜、夫が帰った後少し痛みが落ち着く。
が、その夜もう痛すぎてわけわからなくて意識朦朧としてくる。
丸二日ほとんど眠れずずっと痛い。

脳内お花畑から一転、もう耐えられない、痛すぎる。

 

私には耐えられない、親になる資格がない、無理だったんだとメンタルが崩壊していく。

10分以内での激痛なのに、

たまに12分とか空くので産院に連絡できないのと

一人で耐えないといけない孤独に(深夜なので親は寝てます)、

どんどん不安が募っていく。

 

横になったり、上向きで寝ると特に激しく痛んだ気がした。
が、寝たいのでそうすると、

数分間隔で刺すような痛みに飛び起き、

収まるまで深呼吸を繰り返した。

 

 

9日の午前3時。
もう疲れ果ててパニックになり夫にLINE。
陣痛がこんなに痛いとは思わなかった。
今から無痛分娩にしたい。

(産院は無痛分娩対応不可)産める自信がない。
これより痛い思いするのがとにかく怖い。

 

5分間隔で続くのに途切れるから産院に連絡することもできない。
地獄の苦しみだと泣き言を伝えて、痛すぎて痛すぎてもう無理だと、

「産院に電話していい?」と聞いて夜中3時に電話をする。

泣きながら。

助産師さんが対応してくれてうんうんと聞いてくれ、

一回進み具合みてみようか?

帰ってもらうことになるかもだけどと、言ってもらえた。

 

 

母を起こして入院セットも持ってタクシーで向かい3時40分ごろ産院に到着。

泣きながら助産師さんに診察してもらう。

子宮口は2センチくらいでまだまだ。

でも何か(産道やったかな忘れた)はめっちゃいい感じに準備できていて

陣痛が進めば今日のお昼までには産まれるかもね、と入院決定。

 

母は一度帰宅。

心底安心した。
助産師さんに、5分間隔で痛くても散歩して歩き回ったりして

4日間耐えたからここまで準備ができてたんだと思うよと言われ、

ちょっとだけ救われる。

 

その日は満床で忙しかったらしく、

ここからまた一人孤独にどんどん強くなる痛みと闘う。
寝ても座っても激痛なので立ってやりすごす。

眠いし意識朦朧。
血圧が高めだったので部屋の電気を暗くされて、ただただ耐える。

 

ひとりなのが辛いのと痛い時って誰か(助産師さん)に

摩ってもらえたりしてもらえると思ってたけど、

コロナ禍もあり基本ひとりなのでどんどんメンタルがやられていく。

 

寝れるほど間隔は開かないし、

うとうとしたらまた刺すような痛みに襲われるのでまたまたパニック。

 

そうこうしているとじっと座っているとちょっとだけ陣痛がこないようになることを発見。

もう痛いのが怖すぎて、

ただただ同じ場所にじっと石像のように座ってやり過ごす。

 

が、またビッグウェーブで飛び起きる・・・を、繰り返し、恐怖で泣きながらナースコールを押す。

毎回のビッグウェーブが恐怖で仕方なくなり、

あとどれくらいなのか先が見えない不安を助産師さんに話すと、

もう一度内診してもらえることに。

 

 

お産はまったく進んでおらず、

陣痛がどんどんくるなら今日のお昼頃かな、

という感じだったのがまた先が見えない感じに。

 

それもまた悲しいけどとにかく痛みが怖くて怖くて、

産める自信がないとこれ以上痛いのは無理だとパニックに。
その助産師さんは10ヶ月お腹で育てたんだから絶対産めるよ。

大丈夫。

と言ってくださったが

もうパニックだからとにかく怖い怖いしか言ってなかった。

 

 

と、そうこうしているうちに朝ごはん。
痛くてほとんど食べられず、

山に登ったことのない人が富士山登るようなもんなんだからもうちょっと食べなよ、

と言われるが結局食べられず。

 

そのあと先生が到着して、

血圧が高めだからサポートしながら進めますねとそんな感じのことを言ってくださり、

よろしくお願いしますと答えてまたひとり耐える時間へ。
痛みも辛いけど孤独が本当に辛かった。
コロナが憎かった。(つづく)