Ψ(さい)のつづり -22ページ目
産婆さんじゃなくて
いまの時代は
助産師さんだけど
産氣づいて
来てくれる
産婆さんがいい
お湯をわかしたり
うろたえる
まわりに喝を入れ
指示を出し
その場を制する
産婦にだって甘えを許さない
そして経験に裏打ちされた
カミワザで
ベイビーを
とりあげる
ブラボー
産婆サンバ
踊れ歌え
舞い祈れ
それはまだ
とおい昔の話じゃない
家にはじまり
家におわる
決して
滅菌された
扉の向こう側ではなく
ちゃんと
人目につくところで
人生が
展開されて
いたころ
ひとりひとりが
人の
生きざまに
もっと
近かったころ

ほねほねほえる
ほえるよほねほね
わたしたちは
ほねが基本
もちろんそれだけじゃ
がいこつだけど
ほねがなければ
くらげちゃん
みえないけれど
だいたいのほねは
さわれるし
かたちもわかる
ほねが
たくさんのパーツに
わかれているからこそ
やわらかい
動きもできる
曲げたり
反ったり
のばしたり
ちぢめたり
ほねほね燃える
萌えるよほねほね
せっかくの芯が
ぐんにゃり
だらけないよう
ぴしっと
美しい
姿勢をキープ
それには
筋肉も
大切だね
ほねを丈夫にする
食べ物もね
ああ
動ける
からだよ
今日も
ありがとう

大きく大きく
己を
膨らませて
もりもりもりもり
大盛に盛って
自分自身で
あなただあれ
っていう具合の
面接という名の
嘘つき競争が
かつてあった
まけまけまけまけ
負け続けると
自分が小さく小さく
消しゴムみたいに
小さくなって
しまいに
どんどん
角が取れて
ちびていって
なくなってしまいそうな
氣がしたけれど
いまならわかる
負けるが勝ち
これからは
きっと
なにもしゃべらなくても
その人に会うだけで
その人の能力が
スキャンできる
ようになるんじゃないかな
ニセモノではなく
ホンモノかどうかが

そのあたりに
あたりまえに
生えていた
すすきには
秋には欠かせない
風情がある
お月さまとすすき
それほど
ぴったりな
組み合わせもないくらい
赤とんぼもいたら
もう絵になる
それなのに
すすきを
あまり
見かけなくなって
どれくらいたつだろう
あたりまえに
そのあたりに
いたのに
氣づいたときには
別の草ばかりに
なっていた
西洋風な
おしゃれな
立派な
すすきみたいなものを
植えているおうちもあるけれど
それじゃなくて
何の変哲もない
そこらへんの
すすきがいい
山の方にいくと
少し見かけたから
そこらへんでは
暑すぎるのかしら
すすきで
ふくろうを
つくるなんて
すでに
贅沢で
今年は
とうとう
すすきが
入った
お花を
買いました
すきすき
すすき

菊理姫さま
一年前の
重陽の節句に
はじめた
詩よみを
一年間
毎日
続けることが
できました
ありがとうございます
書く内容が
三割打者なら
すばらしいと
毎日だったか
毎週だったか
何十年と
コラムを書き続けている方が
おっしゃっていましたが
確かにそうかもしれません
旅先でうまくアップできなくて
消えてしまって
日付がかわる
ぎりぎりになったり
写真が載せられないこともあったり
同じような内容を
書いている日も
たぶん
ありました
でも
変わっていく日々に
変わらずに続けることが
あってもいい
風の時代にも
地の時代のような
ストイックさが
あってもいい
週5くらいが
いいけれど
どこかを抜いたら
もう足せない気がして
続けています
もうしばらく
やってみて
また
別の道を
思いつくのか
この道で変化するのか
恐れず
続けます
ありがとうございます


