どんなに邪魔しようとしたって

 

無駄じゃよむだむだ

 

われはがはは大公ぞ

 

効かないのじゃ

 

がははと笑って

 

ブルドーザーのように

 

なぎ倒すぞよ

 

どんなに意地悪しようとしたって

 

無理ムラ無駄

 

むりむらむだなことじゃ

 

われはがはは大公

 

そんなちっぽけな

 

意地悪は

 

痛くもかゆくもないわい

 

がははと笑いとばすぞよ

 

どんなに陥れようとしたって

 

せんないことじゃよ

 

われを陥れようとする者は

 

自ら落とし穴に真っ逆さまじゃ

 

われはがはは大公

 

われが笑っているのは

 

愚かなせいではないのじゃ

 

笑いは何ものにも勝る武器なのじゃよ

 

笑っていれば

 

世は安泰じゃ

 

余は安泰じゃ

 

われに悪さする者は

 

すべて

 

己に3倍にはね返ってくると

 

心得よ

 

それでも

 

かかってくるものこそ

 

本当の愚か者よ

 

がははがはは

 

われはがはは大公なり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背が大きいと

 

子どものころから

 

年齢より大きくみられるし

 

しっかりしているように

 

思われる

 

背が小さいと

 

子どものころから

 

より幼くみられ

 

頼りなく思われて

 

周りから

 

励まされたり

 

特にがんばっていないのに

 

ほめられたりする

 

そういうことの

 

積み重ねが

 

いつしか

 

セルフイメージにも

 

なってしまって

 

なんとなく

 

与えられた

 

役回りを

 

演じるように

 

なってしまう

 

そしてそれが

 

自分のキャラクターだと

 

思い込む

 

大人になって

 

背の大きさは

 

あまり関係なくなって

 

さらに年を重ねても

 

なんとなく

 

そのままでいるから

 

痛々しい

 

自分の姿かたちは

 

天から与えられた

 

今生をいきていく

 

大切な器

 

でも

 

イメージは

 

人から受け取った

 

無責任な枠で

 

自分を不自由にするもの

 

ならば

 

そんな窮屈な枠は

 

壊せばいい

 

意外と

 

壊すのを

 

恐れているのは

 

自分自身だったり

 

するものだから

 

 

 

時間を

 

追いかける

 

時間を

 

巻き戻すことはできなくても

 

あの場所にいけば

 

あのときの時間が

 

流れていて

 

あのころの

 

わたしが

 

待っている

 

いまは

 

ずっとずっと

 

いいよ

 

いまは

 

もっともっと

 

たのしいよ

 

でも

 

いまも

 

あのころの

 

こころの

 

よじれは

 

覚えているし

 

息ができないくらいの

 

かなしみも

 

くるしみも

 

覚えているよ

 

ちゃんと

 

記憶としては

 

残っているけれど

 

それは

 

いまは

 

もう

 

わたしを

 

直接

 

苦しめることは

 

ない

 

だから

 

なかったことに

 

する必要はないんだよ

 

だって

 

あったことに

 

大切な意味が

 

あるんだから

 

残っていても

 

それを

 

冷静に

 

扱えるように

 

なるときが

 

きっと来るから

 

だから

 

泣かないで

 

いいえ

 

そうじゃない

 

たくさん

 

泣いて

 

いいんだよ

 

いまがどうなっているのか

 

伝えることはできないけれど

 

あのころの

 

続編は

 

もっとよくて

 

これから創り出す

 

未来は

 

さらによくなる

 

 

 

 

 

 

 

ぞうさんの

 

お鼻が長いのは

 

知っていたし

 

タイのぞうさんの

 

背中の

 

籠に乗せてもらったことは

 

あったけれど

 

ぞうさんに

 

ごはんをあげられる日が

 

くるとは

 

思っていなかった

 

らくだ

 

ろば

 

うま

 

たくさんの動物に

 

乗せてもらったけれど

 

ご褒美の

 

ごはんは

 

あげるようになっていなかったから

 

さぞかし

 

働き損だいっ

 

 

思っていたに

 

違いない

 

ごめんね

 

ぞう

 

らくだ

 

ろば

 

うま

 

きっとそのあと

 

ごはんは飼い主から

 

もらっていたはずだけど

 

乗せてもらった

 

わたしから

 

あげられたら

 

よかった

 

ぞうさんの

 

お鼻は

 

お鼻だから

 

中が

 

ふたつに

 

分かれている

 

ぞうさんの

 

お鼻は

 

お鼻だから

 

ちょっと荒い

 

鼻息も

 

そのふたつに分かれた

 

お鼻の先から

 

出てくる

 

ぞうさんのお鼻は

 

お鼻だけど

 

水を飲むとき

 

かけるとき

 

そのお鼻をストローみたいにするから

 

中に

 

水が残っている

 

それとも

 

ひょっとして

 

鼻水かも

 

とにかく

 

にんじんや

 

バナナを

 

あげたら

 

手に水がつく

 

それを知ってか知らずか

 

手の平を頂戴の形にするときみたいに

 

お鼻の先だけ

 

上に返してお皿みたいに

 

する新時代仕様の

 

ソーシャルディスタンスぞうさんも

 

いてくれて

 

ごはんが

 

あげやすい

 

 

 

 

生きとし生けるものが

 

同じ空の下で

 

毎日

 

励ましあう

 

空飛ぶ鳥も

 

地を歩くカニも

 

瞬間移動できる猫も

 

川に泳ぐハヤも

 

その川に落ちていく

 

どんぐりも

 

お寺のお線香のけむりさえ

 

なにひとつ

 

無駄なものはなく

 

毎日が

 

毎日が

 

まったく

 

違う日々で

 

ありながら

 

かならず

 

呼応しあって

 

活かしあっている

 

当たり前なんて

 

なにひとつなく

 

知らず知らずのうちに

 

お互いの存在が

 

お互いを補い合っている

 

自分の意図でありながら

 

世界を織りなす糸

 

自分の意思でありながら

 

世界を築く石

 

自分の希望でありながら

 

世界の喜望