風が

 

わたしたちを急かす

 

もう師走も目の前だ

 

風が

 

わたしたちを煽る

 

毎日やるべきことを

 

ちゃんとやっていると言い切れるのか

 

風が

 

わたしたちを押す

 

自分という軸をしっかり持っていないと

 

吹き飛ばすぞ

 

風は厳しいけれど

 

余計なものを

 

はがして

 

吹き飛ばしてくれ

 

本当に必要なもの

 

大切なものを教えてくれる

 

嘘や偽りは

 

この風に耐えられないから

 

耐えられるものだけ

 

残ればいい

 

ニセモノや

 

チャラチャラしたものは

 

遠くへ

 

飛んでいくから

 

美しいものだけ

 

残ればいい

 

生ぬるい

 

手加減は

 

誰のためにもならぬ

 

 

 

 

 

 

 

異国の片隅の

 

名も知らぬ路地裏を歩いた

 

夕暮れどきで

 

気温がぐっと下がり

 

わたしの緊張を

 

見透かすように

 

街灯が

 

空の明るさにとって代わった

 

わたしは

 

世界史の授業で習った国にいた

 

もちろんその世界があることは知っていたし

 

その国のよいところも

 

そうでないところも

 

知識としては知っていた

 

でも現にわたしの足もとには

 

その国の地面が横たわり

 

その国の匂いがし

 

その国の人々が家路につき

 

当たり前のように日が暮れていく

 

わたしの国では

 

いままさに次の日付の

 

朝が来るはずなのに

 

わたしは

 

時間をさかのぼって

 

異国の地にいる

 

そのとき

 

世界が

 

二次元ではなく

 

三次元として

 

わたしの前に

 

建ち上がってきて

 

さらに四次元や

 

五次元が

 

風や香りや

 

光や

 

エネルギーとして

 

わたしの中に

 

入り込んだ

 

わたしは

 

籠の中の小鳥ではなく

 

自由に羽ばたける鷲なのだと

 

教えられ

 

気付いたその刹那

 

震えるほど感動して

 

声を限りに

 

快哉を

 

叫びたかった

 

 

メキシコの山あいの街で

 

年越しとなった

 

普段は

 

キャンプ生活をする

 

わたしたちも

 

年越しくらいは

 

ホテルステイ

 

することになった

 

結局ほとんど

 

夜中まで

 

出かけるわけだから

 

あんまり意味はないけれど

 

テントをたてる

 

手間暇がいらないのは

 

ちょっと特別感があるし

 

スプリングがきかないとはいえ

 

ひさしぶりに

 

ベッドで寝るのは悪くない

 

水洗トイレが部屋にあるのも

 

最高だ

 

トイレットペーパーを流してはいけなくて

 

ごみ箱に捨てる暮らしにも

 

すっかり

 

慣れたところだ

 

気分が高揚し

 

すっかりラグジュアリーな

 

ホテルステイのつもりで

 

くつろぐ

 

すると

 

ホテルの部屋の地面を

 

何かが動いている

 

何の生き物かな

 

近寄ってみると

 

小さなボディの

 

カニのようなムカデのような

 

それはしっぽの先にしっかりと

 

毒針を持っていた

 

サソリの英語ってなんだっけ

 

そうそう

 

スコーピオ!!!

 

と叫ぶと

 

同室のボビーがまたまた~みたいなノリで

 

覗き込む

 

え!

 

ほんまやんか(イン イングリッシュ)!!!

 

サソリは

 

戦闘態勢ではなさそうで

 

てくてくどこかへ歩いていなくなった

 

けれどけれどけれど

 

 

ここは超安宿って感じでもない

 

普通の宿だけど

 

メキシコの宿って

 

普通に部屋にさそりが出るわけ???

 

他の人にきいたけど

 

だれの部屋にも出ていない

 

その後

 

さんざん酔って帰って

 

バタンキューだったけれど

 

わたしはベッドにもかかわらず

 

寝袋に入って口を

 

ぎゅうぎゅうにしばって

 

眠った

 

顔は半分くらい出るが

 

呼吸のため

 

しかたなし

 

リッチなステイから

 

恐怖の館ステイへ

 

人生最初で

 

おそらく

 

最後の

 

野生のサソリとの出会いを

 

蠍座シーズンになるたび

 

思い出す

 

あれはあれで

 

とてつもなく

 

貴重で

 

意味のある

 

ものだったに

 

違いない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなに邪魔しようとしたって

 

無駄じゃよむだむだ

 

われはがはは大公ぞ

 

効かないのじゃ

 

がははと笑って

 

ブルドーザーのように

 

なぎ倒すぞよ

 

どんなに意地悪しようとしたって

 

無理ムラ無駄

 

むりむらむだなことじゃ

 

われはがはは大公

 

そんなちっぽけな

 

意地悪は

 

痛くもかゆくもないわい

 

がははと笑いとばすぞよ

 

どんなに陥れようとしたって

 

せんないことじゃよ

 

われを陥れようとする者は

 

自ら落とし穴に真っ逆さまじゃ

 

われはがはは大公

 

われが笑っているのは

 

愚かなせいではないのじゃ

 

笑いは何ものにも勝る武器なのじゃよ

 

笑っていれば

 

世は安泰じゃ

 

余は安泰じゃ

 

われに悪さする者は

 

すべて

 

己に3倍にはね返ってくると

 

心得よ

 

それでも

 

かかってくるものこそ

 

本当の愚か者よ

 

がははがはは

 

われはがはは大公なり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背が大きいと

 

子どものころから

 

年齢より大きくみられるし

 

しっかりしているように

 

思われる

 

背が小さいと

 

子どものころから

 

より幼くみられ

 

頼りなく思われて

 

周りから

 

励まされたり

 

特にがんばっていないのに

 

ほめられたりする

 

そういうことの

 

積み重ねが

 

いつしか

 

セルフイメージにも

 

なってしまって

 

なんとなく

 

与えられた

 

役回りを

 

演じるように

 

なってしまう

 

そしてそれが

 

自分のキャラクターだと

 

思い込む

 

大人になって

 

背の大きさは

 

あまり関係なくなって

 

さらに年を重ねても

 

なんとなく

 

そのままでいるから

 

痛々しい

 

自分の姿かたちは

 

天から与えられた

 

今生をいきていく

 

大切な器

 

でも

 

イメージは

 

人から受け取った

 

無責任な枠で

 

自分を不自由にするもの

 

ならば

 

そんな窮屈な枠は

 

壊せばいい

 

意外と

 

壊すのを

 

恐れているのは

 

自分自身だったり

 

するものだから