Ψ(さい)のつづり -10ページ目
風が
わたしたちを急かす
もう師走も目の前だ
風が
わたしたちを煽る
毎日やるべきことを
ちゃんとやっていると言い切れるのか
風が
わたしたちを押す
自分という軸をしっかり持っていないと
吹き飛ばすぞ
風は厳しいけれど
余計なものを
はがして
吹き飛ばしてくれ
本当に必要なもの
大切なものを教えてくれる
嘘や偽りは
この風に耐えられないから
耐えられるものだけ
残ればいい
ニセモノや
チャラチャラしたものは
遠くへ
飛んでいくから
美しいものだけ
残ればいい
生ぬるい
手加減は
誰のためにもならぬ

異国の片隅の
名も知らぬ路地裏を歩いた
夕暮れどきで
気温がぐっと下がり
わたしの緊張を
見透かすように
街灯が
空の明るさにとって代わった
わたしは
世界史の授業で習った国にいた
もちろんその世界があることは知っていたし
その国のよいところも
そうでないところも
知識としては知っていた
でも現にわたしの足もとには
その国の地面が横たわり
その国の匂いがし
その国の人々が家路につき
当たり前のように日が暮れていく
わたしの国では
いままさに次の日付の
朝が来るはずなのに
わたしは
時間をさかのぼって
異国の地にいる
そのとき
世界が
二次元ではなく
三次元として
わたしの前に
建ち上がってきて
さらに四次元や
五次元が
風や香りや
光や
エネルギーとして
わたしの中に
入り込んだ
わたしは
籠の中の小鳥ではなく
自由に羽ばたける鷲なのだと
教えられ
気付いたその刹那
震えるほど感動して
声を限りに
快哉を
叫びたかった

メキシコの山あいの街で
年越しとなった
普段は
キャンプ生活をする
わたしたちも
年越しくらいは
ホテルステイ
することになった
結局ほとんど
夜中まで
出かけるわけだから
あんまり意味はないけれど
テントをたてる
手間暇がいらないのは
ちょっと特別感があるし
スプリングがきかないとはいえ
ひさしぶりに
ベッドで寝るのは悪くない
水洗トイレが部屋にあるのも
最高だ
トイレットペーパーを流してはいけなくて
ごみ箱に捨てる暮らしにも
すっかり
慣れたところだ
気分が高揚し
すっかりラグジュアリーな
ホテルステイのつもりで
くつろぐ
すると
ホテルの部屋の地面を
何かが動いている
何の生き物かな
近寄ってみると
小さなボディの
カニのようなムカデのような
それはしっぽの先にしっかりと
毒針を持っていた
サソリの英語ってなんだっけ
そうそう
スコーピオ!!!
と叫ぶと
同室のボビーがまたまた~みたいなノリで
覗き込む
え!
ほんまやんか(イン イングリッシュ)!!!
サソリは
戦闘態勢ではなさそうで
てくてくどこかへ歩いていなくなった
けれどけれどけれど
え
ここは超安宿って感じでもない
普通の宿だけど
メキシコの宿って
普通に部屋にさそりが出るわけ???
他の人にきいたけど
だれの部屋にも出ていない
その後
さんざん酔って帰って
バタンキューだったけれど
わたしはベッドにもかかわらず
寝袋に入って口を
ぎゅうぎゅうにしばって
眠った
顔は半分くらい出るが
呼吸のため
しかたなし
リッチなステイから
恐怖の館ステイへ
人生最初で
おそらく
最後の
野生のサソリとの出会いを
蠍座シーズンになるたび
思い出す
あれはあれで
とてつもなく
貴重で
意味のある
ものだったに
違いない

どんなに邪魔しようとしたって
無駄じゃよむだむだ
われはがはは大公ぞ
効かないのじゃ
がははと笑って
ブルドーザーのように
なぎ倒すぞよ
どんなに意地悪しようとしたって
無理ムラ無駄
むりむらむだなことじゃ
われはがはは大公
そんなちっぽけな
意地悪は
痛くもかゆくもないわい
がははと笑いとばすぞよ
どんなに陥れようとしたって
せんないことじゃよ
われを陥れようとする者は
自ら落とし穴に真っ逆さまじゃ
われはがはは大公
われが笑っているのは
愚かなせいではないのじゃ
笑いは何ものにも勝る武器なのじゃよ
笑っていれば
世は安泰じゃ
余は安泰じゃ
われに悪さする者は
すべて
己に3倍にはね返ってくると
心得よ
それでも
かかってくるものこそ
本当の愚か者よ
がははがはは
われはがはは大公なり

背が大きいと
子どものころから
年齢より大きくみられるし
しっかりしているように
思われる
背が小さいと
子どものころから
より幼くみられ
頼りなく思われて
周りから
励まされたり
特にがんばっていないのに
ほめられたりする
そういうことの
積み重ねが
いつしか
セルフイメージにも
なってしまって
なんとなく
与えられた
役回りを
演じるように
なってしまう
そしてそれが
自分のキャラクターだと
思い込む
大人になって
背の大きさは
あまり関係なくなって
さらに年を重ねても
なんとなく
そのままでいるから
痛々しい
自分の姿かたちは
天から与えられた
今生をいきていく
大切な器
でも
イメージは
人から受け取った
無責任な枠で
自分を不自由にするもの
ならば
そんな窮屈な枠は
壊せばいい
意外と
壊すのを
恐れているのは
自分自身だったり
するものだから


