イイケン先生かく語りき -6ページ目

「ビゼーのカルメン」から始まった ~第653回

先日あるセミナーの中で、自分の趣味について話すハメになった。
いくつかある趣味の中で、一番長続きしているのは、音楽を聴いたリプレイしたり…
かもしれない。もう随分永い間、クラシック音楽を聴いてきた。

4~5歳のころだろうか、我が家には「蓄音機」があった。

確か、グラモフォンを覗き込む「ニッパー」犬で有名な、
あのビクター社のものだったと記憶している。

SPレコードが何枚かあったが、その中に「ビゼーの歌劇『カルメン』の第1幕への前奏曲」が
あった。 クラシック音楽と言えるものはそれだけ、たった1枚で、
何であったのか、未だに全く分らない。

蓄音機のぜんまいを手で巻き上げながら、ミシン針のようなレコード針を何度となく取換え、
レコード盤が擦り切れるぐらい、何度となく聞いていた。

これがクラシック音楽との出会いだった。

 

小学校の三年生から「ピアノ教室」に通わされた、そう、有無を言わさぬ、強制であった。

昭和30年代、当時ピアノのお稽古は珍しく、今思うと全く繁盛しない「お教室」、
先生も大変だったろうが、少ない生徒さんの大部分が女の子、
男の子は僅か2人だったと、あとで聞いた。

当然ピアノが、嫌で嫌で仕方がなかったが、姉の後にくっついて、しぶしぶ通っていた。

ピアノを習い始めたと同時に、我が家にどでかいピアノが来た。

環境は見事に整いつつあったが、決してピアノは上手くならなかった。

 

へたくそな腕前でも、何より音符が読めた。

当時、「五線譜」が読める子供、いや、大人も含め、あまりいなかった。

しかもそれを、いつでも「音」として確認できる。

そんなことがうれしくて、それがクラシック音楽にはまり込む元となった。

中学、高校、そして大学まで、吹奏楽やオーケストラの一員として、
トランペット、オーボエなる楽器を吹いていたが、
生来の怠け者、どちらも決して上手くなかった。

口八丁手八丁の「指揮」が、自分には一番向いている…と思い込んだ。

中学校のブラスバンド、レストロアルモニコ管弦楽団(成城大学)
白百合女子大弦楽合奏団等、夢中になって指揮、しまくっていたかもしれない。

社会人のコーラスにも参加、小澤征爾指揮、新日本フィルハーモニー、
東京上野の文化会館でハイドンのオラトリオ「四季」にも出演した。
そのライヴはレコードになり、今でも私のライブラリーにある。

音楽のおかげで「かみさん」と知り合った。

彼女は中学から一貫してヴァイオリンをこよなく演奏し、その技量はそこそこ達者である。

今でも仲間とチームを作り、演奏会の開催や老人ホームの慰問等を実践している。

 

私のオヤジは全くの実利主義者、芸術とはおよそ無縁で、愛や浪漫を語るタイプではない。

でも、そのオヤジがいつも言っていた言葉は、かなりの薀蓄があった。

「芸術は最高のものを観なさい。陳腐な芸風に染まると目も、耳も、頭も、その通りに感染する」

音楽を通し、今、幸せな人生を送ることができるのも、やっぱり、オヤジとオフクロのお蔭なのか、未だ両親には敵わないというべきか、こっそりだが改めて、感謝する次第である。

禁煙117日目のストレス ~第652回

禁煙宣言してから、今日で117日たった。

「止めてやる」と大見得をきったてまえ、こっそり「一服」することもできず、なんとか禁煙を保っているが、いよいよストレスが溜まってきたかもしれない。

禁煙はいいかもしれないけど、ストレスが溜まって逆に身体に悪いんじゃないか・・・という疑問を持ち始めた小生に、主治医からしっかりダメ出しを頂いた。

禁煙の際にはニコチン切れによる離脱症状(イライラ・易攻撃性など)によってストレスを作り出す原因(ストレッサー)が一時的に高まるが、過去、禁煙に成功した人は、たばこから解放されることによってストレスが低下し、精神的健康度も改善することが科学的に証明されているとのこと、お説ご最もであった。

 

しからばストレスを減退させる効果を、いち早く享受する方法はないか・・・

藁にもすがる思いで出会った処方箋、それは

ストレスを強力に抑える「セロトニン」を増やす方法だった。

『セロトニン』とは『ノルアドレナリン』や『ドーパミン』と並んで、体内で特に重要な役割を果たしている三大神経伝達物質の一つとのこと。
人間の精神面に大きな影響与え、心身の安定や心の安らぎなどにも関与することから、『幸せホルモン』とも呼ばれているらしい。

脳内ホルモンの一種である『セロトニン』を大量に分泌することで、心を安定させる力が湧き出してくると、最近、色々な方面で注目されているようだ。

では、この幸せホルモン・セロトニンが増えると、どうなるか?

セロトニンが増える事によって心と体が安定するので、まず「睡眠の質」が高まる。

睡眠の質が高まると「疲労回復」に関する高い効果を示してくれる。

心と体が安定化するので、ストレスにも怯むことなく立ち向かうことができるようになる。

セロトニンの分泌を活発化し、セロトニンを増やす方法とは!以下のものがあるようだ。

(1)ウォーキング、(2)深呼吸、(3)朝日を浴びる、(4)ストレッチ、(5)必ず休憩する、(6)反復運動など。
できるだけ一定の時間帯に起きるようにし、毎朝ウォーキングするのは最高の健康法とのアドバイスを受けた。
これにストレッチが加われば最強と付け加えられた。

今の小生、全くと言って良いほど「運動」はダメ、今、一番辛いのは地下鉄の階段である。

だから深呼吸して、休憩しながら朝日を浴びることぐらいしかできないかもしれない。

最後に、セロトニンを増やす食べ物は何か、尋ねること忘れなかった。

例えば・・・(1)カツオ、(2)赤身、(3)豆腐、(4)納豆、(5)味噌、(6)チーズ、(7)しょうがなど。

これはどれもこれも、みな大好物、得意中の得意技かもしれない。

美味しく食べて『セロトニン』を増やせるのであれば、これほど簡単で素晴らしい方法はない。

 

が、いや、よく考えると禁煙ストレスの最大の原因は、肥満、たぶんこの4か月弱で3~4㎏は太ったはずである。
恐ろしくて体重計に乗っていないが、ズボンのキツサ具合から、容易に想像がつく。

ストレスを減少させる食物を一生懸命食べ、また太り、それでもやっぱりストレスは減っていくのか、「どっちやねん」と矛盾と葛藤の日々が続き、またまた、ストレスが溜まりそうだ。

いやはや、
禁煙ストレスに打ち勝つために、自分にあった方法でストレスと向き合う必要がある。

ストレスさえなくなれば、いつも笑顔の好好爺になれるのだ。
(あまり似合ってないかもしれないなぁ)

「仕事」と「作業」~第651回

「作業」を一所懸命やっていると、「仕事」をやった気になるが、実は、「仕事」と「作業」は大きく違う。

「作業」とは、事前に定められた手続きとゴールに向けて行う活動のこと。

一方「仕事」は、その結果によって、誰かに価値を届けるための活動と言いたい。

「仕事」を実現するために「作業」をする必要が出てくるが、逆はない。

そして「仕事」は、価値を届ける相手がいて初めて、成立するものである。

 

上司や顧客に言われたことを、しっかりと間違いなく、しかも、言われた通りにこなすことは、ビジネスマンにとってとても大事なことであり、基本中の基本である。

しかしこれは、「仕事」とは言えず「作業」にすぎない。

最低限、「作業」をきっちりこなせることは大事なことだが、それだけでは、本当の意味で価値が生まれているとは言えない。

 

少し理屈を整理してみる。

「作業」とは内部的なプロセスだから、内向きの観点でしか改善は出てこない。

「仕事」になると外向きの観点になる。

何故かと言えば、「仕事」の結果は、自分たち以外の誰かに影響を及ぼすものだからだ。

それが「付加的価値」である。

価値を出すためならば、様々な工夫をしなければいけないし、「仕事」で結果を出せるなら「作業」の内容は問われないだろう。

たとえば、「作業」をずっーとやっていると、「仕事」をした気になる。

しかしその結果は、全く付加価値を産み出せていないのに、気が付くべきなのだ。

プロセスの一部だけを繰り返すだけならば、いずれコンピュータやロボットに置き換えられるだろうし、そういう時代は既に来ている…そう、「作業」はいつしか「機械化できる」。

 

良い「仕事」をするためには、その背景や狙い、目的や理由を知っていなければ、自分たちで考えることはできない。
そもそも「作業」を減らすことで、本当の意味での生産性を高めることができる。

「仕事」にはそこまで求められる。

そうなってくると再現性がなくなり、誰がやっても同じという訳にはいかなくなる。

 

それはとても難しいことだが、だからこそ価値があるのである。

決められた正解のないことから、結果を出すことが「仕事」の本質だと思う。

仕事とは、事に仕えると書く。

自分の立場を守ろうとすればするほど、仕事の本質から離れる場合がある。

良く見かける縄張り意識、部署同士の足を引っ張り合い。

こんな事では、今の厳しいビジネス環境は乗り切れない。

仕事に打ち込み自己を忘れる事で、上司・同僚・部下・他部署・お客様からも協力が得られる。

これこそが、「仕事の極意」というべきものである。

ゲスの勘繰り 「ノーベル賞」 ~第650回

ノーベル賞の受賞者の発表は毎年10月頃に順次行なわれ、ノーベルの命日である1210日に授賞式が催される。
今年もその時が来た。

今日(10/10)現在、生理学・医学賞が北里大学の大村智特別栄誉教授、そして物理学賞では、東京大宇宙線研究所の梶田隆章教授が受賞、連日の日本人の受賞に、国内外から賞賛と驚きの声が多数寄せられている。

これで日本人の受賞者はアメリカに国籍を動かしている2人を入れて24となった。

21世紀以降、自然科学賞部門の受賞者国別で、日本は米国に続いて世界第2を誇っている。

 

なぜこれほど日本人受賞者が多いのか…?

「スポーツの祭典○○ピックとか、××遺産ではないけれど、支援・拠出金の額がものをいい…」 

もっぱら根付いた捻くれ根性ゆえ、もしや「ノーベル賞、おまえもか!」とばかり、色々調べてみた。

 

結論から言えば、ノーベル賞の運営は「ノーベル財団」がこれに当り、1900年「ノーベル財団規約」が定められ、厳格な管理のうちに運営されている。

ダイナマイトの発明で巨額の富を得たアルフレッド・ノーベルの遺産の90パーセント(遺産総額、日本円にして約207億円)が基金となり、現在もその運用利子と、それを株式や不動産に運用した運用益を、賞金や選考費用に充てている。

寄付の申し出はたくさんあるが、政府や公的機関からの寄付は一切受けず、民間からの寄付も厳選、支援・寄付金等を、賞の選考に全く影響させない仕組みになっているとのことだった。

世の中斜めから見た小生の「ゲスの勘繰り」は、木っ端微塵に打ち砕かれた。

 

お詫びを兼ねて、ここでノーベル賞の、凄い薀蓄である。

2013年の年次報告書によると、ノーベル財団の職員はたったの11人。

少数精鋭のチームによって、ノーベル賞の莫大な資金は運営されている。

一般的に「ノーベル賞6部門」といえば、「物理学賞」「化学賞」「生理学・医学賞」「文学賞」「平和賞」「経済学賞」を指す。
しかし実は「経済学賞」の正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」。
1968年にスウェーデン国立銀行によって作られたもので、ノーベルの遺言によって創設されていないため、厳密にはノーベル賞ではなく、これだけは日本でも課税の対象である。

ノーベル賞の授賞式はスウェーデンのストックホルムで行われるが、ノーベルの遺言により平和賞の授与式だけはノルウェーで行われている。
理由は明らかにされていない。

受賞者は記念メダルと賞金。
賞金額は、「ノーベル財団」の資産運用の成果によって決まる変動制。

運用益から元金と諸経費分を確保した残り75%が賞金に充てられている。

今回の梶田隆章さんは、マクドナルド氏と共同受賞なので、1/2の500万クローナ(約7,280万円)。そして、大村智さんは、キャンベル氏と共同の開発、もう一人の生理学・医学賞・中国の屠呦呦(トゥ・ヨウヨウ)氏は単独なので、大村さんは250万クローナ(約3,640万円)という計算になる。

ノーベル財団、総資産は今の相場で350億円くらいとなる。リーマンショック前は500億円くらいあったそうだが、株や債券といった金融資産の運用で、リーマンショック以降、かなり苦しい状況のようだ。

(蛇足だが…「京都賞」を出している稲盛財団、総資産は600億円と言われている)

『ひがみ七訓』をみた! ~第649回

ネットで『ひがみ七訓』なるものを見つけた。

フェイスブック、ツイッター、ブログなどのSNSを通じて広まっているようだが、作者は不明だそうだ。

改めてこの連載コラムに、掲載してみた。

 

 

ひがみ七訓

 

一、 つらいことが多いのは、感謝を知らないからだ

一、 苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ

一、 悲しいことが多いのは、自分の事しか考えないからだ

一、 怒ることが多いのは、我がままだからだ

一、 心配することが多いのは、今を懸命に生きていないからだ

一、 行きづまりが多いのは、自分が裸になれないからだ

一、 あせることが多いのは、行動目的がないからだ 

 

 

わずか七行の言葉が、イチイチ心に沁み込んでくる。

生きているとつらいとき、苦しいとき、悲しいとき、怒るとき、

心配するとき、行き詰まるとき、あせるとき、色々あるものだ。

だからこの言葉も、捉え方、感じ方は色々であって良い。

ちょっと、ぐさっとくる言葉もあり、真実をついている部分もある。

 

作者不詳とのことだが、

これを作った人は自問自答しながら、自分を責めている。

これでもか、これでもか…というくらい、自己を否定している。

だから示唆深い面もあるが、なぜかネガティブな思考になってしまう人もあるかもしれない。

従ってタイトルが、『ひがみ七訓』となったのだろう。

でも、そんなことはどうでもいい…

「残りの人生で何度も読み直そうと思う言葉」にふさわしい一つを、ご紹介したと思っている。

税務調査は、100年に一度? (個人の場合) ~第648回

「招かざる客」の一つが税務署等による「税務調査」であろう。

一般的な調査は、国税通則法(第34条の63項)の規定に従って、「国税局資料調査課」や「国税局調査部」、「管轄税務署の調査官」により納税者の同意の下で行われる調査をいう。

これを「任意調査」と呼び、「国税局査察部(調査査察部)」が、脱税の疑われる納税者に対して、裁判所の令状を得て強制的に行う「強制調査」と役割を異にしている。

国税通則法に定める通り、担当職員は税金に関する質問を納税者に行える「質問検査権」を有しているため、納税者はこの質問を黙秘したり、虚偽の陳述をすることは、基本的にできない。

 

一年間に実地調査を実施している割合を、「実調率(実地調査率)」と呼んでいる。

国税庁が公表した最近の資料では、…国税職員数は減少傾向にある一方、申告件数は増加傾向にあることなどから、実調率は長期低下傾向にある。

平成25年度は法人が3.0%、個人が1.0%。

ということは…統計的に言えば、「法人は33年に一度、個人については100年に一度」しか調査に来ないという実態になる。

国税職員数については、平成9年度の57,202人をピークに、定員削減方針を受けて減少傾向が続いており、平成27年度の定員は55,725人となっている。

一方で、申告件数は長期的に増加傾向となっており、平成元年の2,111万件と比べると、平成25年は1.3倍の2,731万件という水準になっている。

このように職員数の減少傾向が続くなか、申告件数は増えている状況にあり、税務調査の複雑困難化・国際化、悪質な滞納事案への対応などが実調率の低下につながっているとしている。

 

こうした状況の中で税務当局は、今後の調査・徴収に関して、「重点化」をキーワードに、課税上問題が発生しやすいとみられる事案に対する調査、あるいは納付意志を全く示さない悪質な滞納の整理といったものに重点的に取り組み、大きな波及・牽制効果をもたらしたいとの意向があるようだ。

一方で、課税上の問題が少なく、適正な申告が期待できる納税者には、ICTを活用した情報提供の充実や、電子申告、電子納税といった利便性の高いツールを提供し、自発的に適正な申告納税を行ってもらう環境の整備を進めたい考えのようである。

その具体例として、資本金40億円以上の大企業を対象に、税務調査の際、税務に関するコーポレートガバナンスの状況を確認し、極めて良好であると認められた法人については、企業の自主的な対応に一定程度任せて、調査の間隔を延長するというスキームを平成247月から実施している。

 

納税者側から見れば、納税道義の高揚に努め、租税の期限内完納を推進することが、結果的に、税務行政の効率の良い執行を実現させる「近道」となるに違いない。

「納税」は憲法に規定された、たった3つしかない、国民の義務である。

憲法遵守の姿勢は、むやみやたらに「権利のみ」を主張するのでなく、「義務」を適切に履行することから始まること、忘れてはならない。

殺人事件の街・熊谷市 ~第647回

先週わが街「熊谷」が、「熱い」以外で、全国的に注目された。

住宅2軒で、女性4人が惨殺遺体で発見されるという事件が発生、その前々日にも民家で夫婦2人が刺殺される事件が発生しており、警察はいずれも同一の容疑者が6人の殺害に関与しているとみて捜査を進めている。
容疑者のペルー人は、逃亡中民家から飛び降りた際に頭の骨を折り、意識不明の状態にあり、未だに事件は完全に解決していない…殺人事件の街・熊谷の一週間であった。

 

夫婦二人が殺害された最初の事件、実は我家から100mも離れていない現場である。

現場の隣家の方は、私どもが大変懇意にしている、古くからの知人である。

暑さも一段落、幸い自然災害も大惨事はなく、穏やかに、静かに暮らしていた住宅街が、この事件で一変した。

警察・救急車両でサイレンは鳴りやまず、空にはヘリコプターが複数機飛び回り、騒然としてきた。

鬼怒川の洪水救助において、誰も助けないマスコミのヘリ(テレ朝と記載)が、自衛隊機に異常接近し、救助活動を妨害したとのネット配信を見たが、こんなこと慣れていない田舎もんは、事故でもなけりゃいいが…と余計な心配をするもんだ。

 

そんな中、田舎もんのデバ亀かな? 色々驚くことが多かった。

当然のように現場周辺は「規制線」が敷かれ、警察によりバリケードテープが張られ、立ち入り禁止となっていた。
しかし、現場に至る細い一方通行の道は、テープすれすれまで車両で埋め尽くされた。

そのほとんどが東京ナンバーの高級ハイヤー、もしくはタクシー車両であり、何様のご訪問かと、終始田舎もんは驚いていた。

後でわかったが、これらすべて報道関係者、つまりマスコミの連中である。

近所の生活住民は、我が家の出入りにも不自由し、文句言っても、車を移動させない屁理屈を高飛車に言い返されるだけで、田舎もんはほとほと困っていた。

「チャラい」というか、「ケバイ」というか、およそ熊谷には不釣り合いなお姉さんが、携帯片手に大声でしゃべりながら、閑散とした住宅街を、闊歩して歩き回る光景にも、田舎もんは驚いた。

夕方のテレビ見てたら、あの時のお姉ちゃんが、「現地から生中継です」と、小学生の学芸会みたいなことやっていたので、またまた、驚いた。

小学生、無理矢理追っかけまわし、取材と称していきなりカメラを向けられた子供は、その横暴さに慄(おのの)き、恐怖のあまり泣き出す子もいたと聞く。

 

もう、相当昔の事である。小生の結婚式でお世話になった、日本テレビの舛方勝宏氏の言葉をつくづく思い出した。(氏は元アナウンサー、CS日本の代表取締役、日本テレビの取締役副社長を歴任、現在も取締役である)

「…事件があると誰よりも早く被害者の家に飛び込め、泣き崩れる遺族から、一刻も早く被害者の写真をもらって来い、これが報道記者だ。土足で踏み込むことができなかった僕は、報道失格、スポーツ専門になりました…」、そう語る彼の眼は決して寂しそうではなく、むしろ輝いて見えた。

 

今日(9/19)現在も、12度は、刑事さんが自宅訪問に来る。
「容疑者確保したのに」と思いつつ、こう、毎日来られると、まだ何かあるのかなぁ…と不安になってくる。
一刻も早い完全解決を望む!

日本は、中国より大きい! ~第646回

全国の高校生約400人に地図を示して日本の国境を描かせる調査を行った。

南方の国境の正答率は26.3%の105人。北方の国境は正解者59人(14.8%)で、日本海の国境を正解したのは37人(9.3%)。全問正解者はわずか7人(1.8%)だった。

これは高校生に限ったことではないだろう。

今の日本人で、自国の国境を正確に知っている人は…、残念ながら少ないのが現状である。

実は、竹島や尖閣諸島、東シナ海ガス田問題の根幹が、ここにあると思っている。

日本という国の「領域」は? 事実の確認と周知が必要だという思いを込めた、コラムである。

 

「ロシアは、日本の面積の45倍、カナダ、中国、アメリカは約25倍もある。
日本はとっても小さな国だ」学校教育の中で、確か、そんな風に、教えられてきたように思う。

日本の総面積は377,929.99 km2。
世界の国の「平均面積」を計算してみると、約70万km2。

確かに、日本は平均の約半分(54.3%)、世界第61位と、極めて「小さな国」に分類されるのだろう。

しかし、よくよく見ると…、『ロシア、カナダ、中国、アメリカ、ブラジル、オーストラリア、インド、アルゼンチン』の、上位8か国だけで、世界の陸地面積の50%を超えてしまうのだ。

 

日本より大きな面積の国、アジアの中では『中国、インドネシア、モンゴル、ビルマ、タイ』である。

ヨーロッパの国では、『ロシア、ウクライナ、フランス、スペイン、スエーデン』の5つしかない。

ロシア、ウクライナを除く、純粋ヨーロッパでは、日本より大きな国土を持つ国は3カ国しかない。

日本より国土面積が小さい国は、実は数多く存在する。

『ベトナム、マレーシア、フイリッピン』など全部、日本より一回り小さく、『韓国』の国土は日本の四分の一以下の面積である。
『ドイツ』など東西合わせても日本より小さい(35万6千km2)。
また、『フインランドやイタリア、イギリス』も日本より国土は小さい。
『オランダ』、『スイス』は、国土面積4万1千km2台でほぼ同じ、付属島嶼を含む九州全体(約4万2千km2)と、だいたい同じ大きさの国となる。

 

領土を「国家の領域」つまり国家の統治権の及ぶ区域と捉えると、驚きの事実が見えてくる。

確かに日本の国土面積は狭いかもしれないが、日本の「領海と排他的経済水域(EEZと略す)」を合わせると約447km2世界第6となり、その広さは、中国の4、5倍もある。

日本の「領海と排他的経済水域(EEZ)と領土」を合わせれば、世界第9位の大きさとなる。

 

実質的な日本の国土は「国土面積38万+海域(接続水域)32万」=70万km2なのである。

この数字は『ウクライナ』(66万km2)、『フランス』(55万Km2)、『スペイン』(50万km2)の陸地面積より大きい。
更に、「領海と排他的経済水域及び延長大陸棚海域を含む面積」は465万km2で、『アルゼンチン』(278万km2)、『インド』(330万km2)の陸地面積よりも、はるかに大きいことになる。

また、『満州やチベット、新彊、内モンゴルなどの外地』を除いた、いわゆる「本来の中国の面積」は、350万km2といわれている。

そうであれば…、日本は『実質(?)中国』の面積より大きいということになる!

 IT進化で、20年後は無くなる職業 ~ 第645回

先般、ホームページ(以下HP)活用のためのセミナーに参加した。

我国事業所のHP開設率は、大手企業が95.6%、中規模企業が80.4%、小規模企業が46.3%(中小企業白書)だそうだ。
上場企業は100%、自社HPを持っている。
業種別に開設率をみると、高いのは「金融・保険業」で94.1%、低かったのは運輸業で73.6%である(総務省「通信利用動向調査」H25年)。

平成25年末のインターネット利用者数は、スマートフォンを含め1億人以上10,044万人)、人口普及率は82.8%というのが、我国のIT市場の実態である。

 

HPが普及しはじめたのは、1994年前後だといわれている。

ということは、今からわずか21年前のことである。

ちなみに、1994年、この年同時にAmazon.com, Inc.(アマゾン・ドット・コム)が設立された。Yahoo!の創業が1995年、Google1998年。
また、インターネット上の百科事典Wikipediaが登場したのが2001年のこと。
あまりの便利さに百科事典が売れなくなったと言われている。

クラウドコンピューティング・スマートフォンが登場するのは2006年以降で、仮想空間という概念が段々と一般にも定着し始め、2012年にはクラウドサービスに620億ドル(61500億円)がつぎこまれ、大きな事業へと変貌を遂げている。

興味深いデータとして、2012年には毎分、72時間のムービーがYouTubeにアップロード、
684,478/1分のコンテンツが、110億人が利用するFacebookで共有、
175,000/1分のツイートがTwitterに投稿されたそうだ。

また、Skypeはユーザーの毎日の総通話時間が20億分に達したと発表した。

2011年から15年にかけて、IT関連の雇用率は4.3%上昇し、クラウドサービス関連の雇用率は26%も上昇するとのこと。

2015年以降のIT業界の雇用率は、ネットワークシステムおよびデータコミュニケーションアナリシスが53.4%、アプリケーションソフトウェアエンジニアに関しては44.6%、システムアナリシスは29%上昇すると予想されており、まだまだ、IT市場は、想像もつかないスピードで進化していくようである。

 

子供たちが大人になる頃、その65%はまだ存在していない職業に就く」とは米国のデューク大学研究者であるキャシー・デビッドソンの言葉であるが、IT化の進展によって、新しく創出される仕事もあれば、逆に消えてしまう仕事もある。

英国オックスフォード大学では「雇用の将来」という非常に興味深い調査レポートを発表している。

このレポートは、今後20年のIT化の影響で、米国における702ある職業のうち、米国の総雇用の47%が失われるとのこと。

そのワースト10は…①新規顧客アカウント作成スタッフ、②写真処理労働者及び加工機オペレーター、③税務申告者、④貨物の荷積みスタッフ及び代理店、⑤時計の修理工、⑥保険引受け業務、⑦数理技術者、⑧裁縫師、⑨タイトル審査・調査、⑩電話営業となっている。

これらの作業は、数値やデータを取り扱い、規則性が強く、定例・定型的で比較的内容が単純、故にIT化し易いという面を持ち合わせている。

何と当社のメイン事業、税務業務と保険代理業務がしっかりベスト10入り
オックスフォード、ふざけるなぁ…そうはさせまい!と
ガッツを入れ直し9月のスタートを切ったところである。

第644回 国民皆保険制度崩壊へのプロセス

私が主催する経営者のための勉強会「業信会」、毎月1回開催して今回で299回を数えた。

今回は地域医療の中核的存在の病院の院長をゲストに迎え、「医療とお金」と言うテーマでお話を頂いた。
「健康」がテーマでないところが、業信会らしい。

大変興味深い話を紙上再現してみようと思った。
現在の日本の医療の体制と将来についてである。

 
日本の医療保険の特徴は、1961年より実施されている「国民皆保険」と言う、フリーアクセスといって、誰でも料金が同じで、同じ診療が受けられる制度が維持されているところにある。

その医療費の規模は、平成27年度、57兆円、これは介護も合わせた数字だが、医療費も介護費も、毎年確実に伸びていく。
2020年オリンピック開催時は68兆円、10年後の2025年は81兆円になると予測される。
医療費増加の最大の原因は「医療の進歩による増加」プラス「高齢化」と言われており、いずれも避けて通れない目の前の現実である。

この国民医療費の負担構造を見ると、患者負担が14.9%、保険料負担が52.9%、公費負担が32.2%となっており、よく「公費負担がパンクする」と批判されるが、実は3割強しか税金負担はない。

国民医療費の実態は、健康保険料が大半を占めており、老齢者負担の増加と、保険料値上げの根拠はここにある。
足りなければ保険料負担を増やすか、患者負担を増やすしかない。
しかし、少子高齢化で保険料負担する若い人が減っているので、実に難しい局面だといわざるを得ない状況である。

 

医療費を使う状況を年齢階層別の1人あたりの医療費で見ると、75歳以上の医療費が100万円弱と、全体の医療費平均が236千円に対し約4倍になっている。
年齢階級別の構成割合でみると、0歳から49歳までの医療費が全体の4分の1で、50歳以上で4分の3を占めている。

若いうちは病気にもならず、医療費もたいしたことはないが、年齢とともに医療費が増えるという現実を物語っている。

日本の医療保険の特徴は、フリーアクセス、金持ちも貧乏人も差別がない。日本では、これが医療における平等の原理となっているが、世界中こんな論理は、恐らくどこにもない。

世界の保険制度を持つ国は、福祉の充実したヨーロッパと産油国の一部など、世界では56カ国とまだ少ないのが現状だ。
アメリカは医療保険が充実していないし、金持ちは高度な医療を、貧乏人は低い程度の医療を、というのがアメリカの平等なのだ。

例えば盲腸の手術で比較すると、埼玉の病院が37.8万円、3割負担だと11万円位のはず。
ところがニューヨークでは243.9万円となり、日本の約6.5倍近い。
ニューヨークに行って交通事故に遇い救急車で運ばれ、1ヶ月入院すると約1,000万円かかるといわれている。

お金がなければ医療が受けられないのがアメリカの平等である。

 

日本とアメリカ、どちらが良いかは判らないが、今後将来に亘り、「日本的医療の平等」概念を維持していくことは、かなり厳しい様相を予測される。
当然ながら、自己負担に応じて受けられる医療の質は違ってくることは避けられない。
すると…どうなるのか?

自動車保険と同じようにならざるを得ないと考えられる。

現状の自動車保険が「強制保険+任意保険」で成り立っているように、健康保険と任意の、民間の医療保険の2本立てとなるかも知れない。
国民皆保険制度の崩壊は「想定内」だろう。