イイケン先生かく語りき -7ページ目

第643回 フォトスタジオと写真館

記念写真を、当日ではなく前もって撮影しておくことを「前撮り」と言うらしい。

孫の「七五三」の前撮りということで、おじいちゃん、おばあちゃんもいそいそと「フォトスタジオ」に出かけていった。

記念写真を撮るのは、昔は決まって写真館だった。

重厚な三脚に据えられた二眼レフのカメラと、いかにも名人と言った感じのおじさんカメラマンが、細部にも注意を払いつつ、一写入魂といった感じでシャッターを押す…
これが職人芸を誇るプロの写真館である。

そんなイメージでのぞきに行ったおじいちゃんは、驚いた。

ここは全く写真館ではない。

なるほど「フォトスタジオ」なのだと、妙に感心して、一人で納得し、やたらワクワクしていた。

まず、お店が綺麗、明るい、スタッフが若い!いかめしい職人は一人もいない。

3歳の子供が飛んで跳ねて、一瞬で溶け込んでしまう、そんなイメージは、写真館とは異質なものだ。

テーマが違う幾つかの部屋があり、各お部屋の世界観に合った、こだわりの着物、ドレスをスタッフが提案…先ずスタジオ選びと衣装選びから前撮りが始まる。

そのイチイチに、おじいちゃんとおばあちゃんも大はしゃぎ、「かわいい、かわいい」の連呼となった。

初めて腕を通す「晴れ着」の着付け、おじいちゃんはもう、ウルウル目。

そして、各お部屋の世界観と衣装に合わせたヘアメイクである。

若いスタッフのお姉さんが、孫とお友達感覚で話をしながら、あっという間に仕上げていく見事さに、おじいちゃんは「なるほど」と頷くばかり、生まれて初めて赤い紅を唇につけた孫を見て、デレデレと顔が緩みっぱなしであった。

小物、小道具により、全体コーディネートをし、撮影準備OKである。

孫とお姉さんスタッフは、仲良く楽しそうに遊んでいる時、いよいよイケメン(?)のお兄さんがキャノンのカメラを携えて登場、撮影タイムである。

と思いきや、孫とお姉さんスタッフと、お兄さんと3人で遊んでいるだけである。

「はい構えて…」「カメラを見て…」「はい、ちょっと動かないで…」「はい、撮りますよ~」、良く写真屋さんで飛び交う言葉は、ここには一切なかった。

厳粛な記念の1枚…そんな写真を目指していない。

楽しくて、嬉しくで…そんな姿を残したい、成長を祝う七五三は記念すべき晴れの日、めいっぱいおしゃれして、今日だけは「私がスター」、

恐らくこれが「フォトスタジオ」のコンセプトに違いない。

ここにはおよそ、禁止事項がほとんどない。ちょっとした飲食の持ち込みもOKだ。
スタジオ内でもパパ、ママ、おじいちゃんのカメラ使用OK
子供がちょいとご機嫌悪くなったら、子供を遊ばせながら、家族・友人同士ともゆったりとお過ごしいただけるコミュニティスペースも併設されている。

写した写真はすぐにCD化、パスワードを頂き、10年間は同社のホームページにて自由にダウンロードできるのも、嬉しいサービスである。

そうであればここは、写真屋にあらず、まさしく「エンターテインメント業」、人々を楽しませるビジネスなのかもしれない。
だから写真のプロはいないし化粧のプロも、着付けのプロもいない。
でも一通りできる、若い素敵なエンターテイナーがたくさんいる、素晴らしい体験をさせて頂い

第642回 当たり前と思っていたが・・・検証してみた

当たり前だと思っていたことを、もう一度問い質してみよう!

右だ左翼だと、言わんで頂きたい。単なる検証コラムである・・・・

 

戦争がない、平和が良い!!!

それが良いに決まっている。当たり前の話だ。

が、人類史上、そんな時を共有できた歴史は、一瞬たりともない。
人間は一番生理的な欲求として「生存的欲求」がある。食物の奪い合い、なわばり争いがその代表だが、生きていく為に必要だから行っているというよりは「人間が人間である証拠」のようなもの。

欲は更なる欲求を求めていく。だから「争い」が絶えることはない。

平和を維持するということは、そんな矛盾の中での「性」を超えた行いなのである。

 

話し合えばわかる???

お互いが自分の事しか考えてなく理解しようとしないから「争い」が起こる。

相手を思いやる心があれば争いは起きないはず。
徹底的に、誠意をもって話し合えば分るはず。

特に日本の教育は、それこそが民主主義であるかのように、教えてきた。

民主主義の根本は、意見の違いを認め合い、力による強制的意見集約を否定する。

と言うことは、お互いの意見が一つにならないことが前提。だから多数決がある。

話し合っても無理やり集約しないのが民主主義の原点だと思っている。

 

民意を無視しているとは・・・・???

何をもって民意とするのか?アンケート、世論調査の結果を厳密に検証すれば、どこに民意があるか疑問が残るだけ。
民主主義の、合法的民意の一例は「選挙」。

時の流れで揺れ動く「民意に従え」は、「政府無用、政治の自殺」を意味する。

独裁主義、社会主義・共産主義国家には民意などあり得ない。

 

国としての存在意義は要らない???

世界中に迷惑をかけてきたのが日本人、戦争を仕掛けたのは日本人、人を殺したのは日本人、だから謝り続け、その巨額の弁償を払え・・・これであれば、日本としての存在意義はない。

人類史上唯一「原爆」体験をしている日本人や日本国が、こんな存在である限り、全人類としての戦争責任や平和への希求はまやかしと言って良い。

 

日本に国境はない???

世界中唯一「国境」を意識していない民族がある。

それは日本、全く希有で、世界の常識外にある平和にボケた国であろう。
土地や人民を異国に奪われるは民族の恥。土地一寸、人間一人たりとて死守すべしと言うのが世界常識。

憲法九条は、理屈としては非常に賢明な規定だが、世界常識からみると、「泥棒がまだいるのに警察を止めるようなもの」で、「今まで、よく大丈夫だったね」と驚きである。

自国の安全を守ることを、いつまでも外国に頼っている無防備国・日本は、良しも悪しきも注目の的。
近隣国の蔑視的、もしくは羨望的眼差しに、どちらにしても国民のプライドが許さない。

占いと「バーナム効果」

 

・外見的には規律正しく自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向があります。

・あなたは、本当はとても優しい人ですが、誤解されていると感じることも多いでしょう。

・他人のために自分の利益を我慢する時がありますね?

・「人からどう思われるか」を気にしすぎる傾向があります。

・実は傷つきやすく、寂しがり屋な一面もありますね。

・けっこう強がっちゃうタイプに見える時があります。

・最近、前より太りやすく、痩せにくくなったでしょう。

出典:

http://matome.naver.jp/odai/2135360378381536101

読んでみて、どう思ったか?

「いや、何となく自分のことを言われているみたいで、びっくりした」と感じた人がいたかもしれない。

これは「誰にでも当てはまる言葉の例」であり、まだまだキリがないくらい文例があるようだ。

誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう、まるで自分の性格を見事に言い当てられたように錯覚することで、「バーナム効果」と言われる心理学の現象の一つである。

 

バーナム効果」の一例である。例えば、こんな暗示をかける。

「あなたは自分の中に自信のなさを持っていて、それでも周りに認められたいと思っています」

さらに、「そんな自分に対して不安になり、悩むことがあります」そして…

「そんな自分を変えたいと思っている」

「大丈夫です。あなたには眠っている才能があり、それを活かしきれていないだけです」

冷静によく読むと、どれも当たり障りのないことが書かれている。

しかし世の中の多くの人は、「凄い!当たっている」と、ありがたがって信じてしまう。

こう考えると、世の中に出回っている占い本の99.9%は、バーナム効果で成り立っていると言っても過言でないかもしれない。

 

「A型は几帳面」、「B型は自己中心的」、「O型は大雑把」…多くの人が、血液型による性格判断に、こんなイメージを持っているはずである。

しかし、よく考えると、これって誰にでも当てはまることで、几帳面な部分は誰にでもあるし、大雑把になることもあり、A型やO型に限ったことではない。

でも「A型は几帳面」と言われると、「確かに…」と納得させてしまうのが「バーナム効果」と言うことだ。

 

勝手に自分の事だと思い込んでしまう「バーナム効果」。

キャッチコピーの作成等、マーケティングに上手く利用している例も、もちろん多い。

しかしどうも、その効果を巧みに悪用する例が目立つようである。

占い師やイカサマ霊能者たちに、コールドリーディング、ショットガンニング、ホットリーディング等々の手法を駆使し、騙しのテクニックとしてよく利用される。

詐欺師の別称を「バーナム効果師」ともいうくらい、彼らの常套手段となっている故、注意したい。

とてもなれない、1万時間の「コラムのプロ」

縁あってまた、起業家のための「創業塾」を開催している。

夢と希望を抱きつつ、果敢にチャレンジせんとする彼らに、とにかく「3年間は必死に頑張ってみなさい」と言ってきた。

 

諺にも「石の上にも三年」とあるが、この3年、実は約10,000時間になる。

人より秀でる人は、必ず人より努力している。

とすれば1日8時間労働なんて、サラリーマン気分ではやっていけない。

だからきっと、毎日10時間を休みなく続けて3年間(10時間/日×365/年×3年)で10,950時間、つまり約10,000時間必要となるのである。

3年やれば、どんな職業や役割も、だいたい一人前になるといって良いかも知れない。

 

何かのプロフェッショナルになるためには、10,000時間必要と言われている。

これを「1万時間の法則」といい、マルコム・グラッドウェル(Malcolm Gladwellという作家が、2007年に『天才!成功する人々の法則』という本の中で提唱した理論である。

偉大な成功を成し遂げた起業家や、世界的に有名なスポーツ選手など、何かの分野で天才と呼ばれるようになる人達に共通しているのは、10,000時間という、それまでに打ち込んできた「時間」が関係しているというものだ。

1万時間より短い時間で、真に世界的なレベルに達した例を見つけた調査はないといい、まるで脳が1万時間を必要としているかのようだと述べている。

 

あの、天才WAモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart
彼は6歳から作曲をはじめ、高く評価されたピアノ協奏曲「ジュノム」(K271)を発表したのは21歳の頃だった。

WAモーツァルトは作曲を始めてから傑作を世に送り出すまで15年以上かかっている。

不世出の天才WAモーツァルトでさえ、本来の才能を発揮するのは、作曲時間が1万時間を過ぎた後のことである。

 

10,000時間費やさないと、中々ものにならないし、10,000時間かけたとしても、必ずものになるとは限らない。世の中、そう簡単にはできていない。

例えば小生のこの、コラム。

誰から言われた訳でもなく、テーマも決まらず、いい加減極まりないまま、今回で640回を数えた。

毎日曜日、「1週間に1本」ペースで書き下ろすとして、12年も書き続けてきた。

テーマにもよるのだが、コラム1本書くのに30分から、調べ物があると8時間以上かかることもある。

平均4時間だとして2,560時間だ。
12年も書いてきたと言えば永そうに見えるが、実はまだ、わずか2,560時間、107日分しかコラムに費やしていないことが分った。

10,000時間は遠く及ばず、とても、人様に読んで頂くレベルではないのが明らかなのである。

自己満足のマスターベーション、無理矢理送り付けられた人は、まるで脅迫文のようだ。

このペースでいけば、「10,000時間のコラムのプロ」になるには35年以上かかることが判明した。

小生100歳まで迷惑をかけ続ける、さすがそこまでできる、図太い神経は持ち合わせていない。

ボチボチ、コラム、止めようか・・・そんな囁きが、次第に大きくなってくるに違いない。

地方創生は、ほど遠い!

数年かけて、我が住む地域の将来構想なるものを模索してきたが、その調査結果をまとめた報告書が出来上がり、今手元に届いた。

全くのお決まりのパターンで、中小企業庁系の補助金により、東京大学の教授が委員長となり、我々当事者委員、オブザーバーは地方行政とその他関係者、そして取りまとめは東京の有名(?)コンサルタント会社という、旧態依然の陣容で数年間、議論を重ねた結果の報告書であった。

内容を読むと、大学教授のプライドをかけた「真面目さ」は伝わってくるし、行政見解らしい「常識」は貫かれ、無難な形でまとめようとするコンサルタントの職人技が光っているが、…「だから何なの?」、「本気でこれをやれとでも思っているの??」という疑問が、最後まで拭いきれないでいる。

自分が委員として関わっていながら、はなはだ無責任だが、この報告書、一体誰のために、何の目的で書かれたものか…十分咀嚼しきれないうちに、制限時間、「ビジョンづくり屋さん」がうまくまとめ、結果報告として製本され関係者に配布するのが実際のところかもしれない。

実は「地方活性化ビジョン策定事業」なるものの多くは、こんな経緯で報告書が出来上がっている。

 

ここで言う~「常識」と客観的な「真面目さ」が、どのくらい地方の衰退を招いてきたか?

少し考えてみた。

唯一地域内から出る意見は、従前の常識を守り、多くの人が知っている方法で、従来のプロセスをできるだけ早く処理できる真面目さを最良とする。
活性化策の客観的アイディアや、各地での成功事例を、学者やコンサルタントに求め、我が地域の「地方創生」のネタとする。

そもそも地域を活性化させるのに必要なのは、客観的な助言ではなく、主体的に問題解決のために知恵を出し、実行することだと思う。

つまり、地域の行政も民間も、自分たちの事は自分達の頭で考え実行することが、地域活性化の基本であり、必要な専門家の方にはその時々に助けてもらえばいいのであるが、そんな面倒なことをしないのが補助金事業だ。

「ビジョンづくり屋さん」のおかげで、ビジョンは立派なものができたけど、関係者誰も感動せず、共鳴しないから、誰ひとりそれを実行しない。

不思議なことに、この実現しない事業に対して、誰ひとり責めを受けないし、罰則もない。

偉い学者や、コンサルタントの先生方の、時代ボケした感覚と無責任体質は、正直驚く次第であるが、事実、補助金・助成金と言う名の税金が、こんな使われ方をしたとしても、実は誰も責任をとらない。

未だに多くの地方は、このやり方を踏襲しているが、その結果が地方の衰退化に歯止めがきかず、全く活かされない調査報告書の山を築いてきたはずである。

この状況のまま推移すれば、巨額の税金が何も価値なく消えていく。
「他の自治体に出し抜かれるな」と競い合い、やらないよりやった方が益し。
結果、全国でほとんど同じことを、同じように実施することになってしまう活性化事業。
もはや「地方創造」に求められる「希少性」という要素は皆無となる。

 

もし「地方創造」の過程でコンサルタントの役割があるとすれば、目指すべき自分達の地方を自ら築き、「地方そのものを経営する」経営者陣の人材育成指導、支援にあると思う。

地域の変革を阻む困難を乗り越える力を持った経営者、そんなスーパースター&サブスター達を育て、見つけ、助けるべき役割がコンサルタントに課せられた最大のミッションである。

その最も有益なツールとして、「補助金・助成金」が機能してほしいと願っている。

違和感あり! 「おもてなし」でいくら儲けるか??

最近特に、安保関連法案や新国立競技場の問題で常に話題の中心にいる安倍首相、とてつもなく忙しい人である。
その安倍首相が今から少し前、ほとんどのマスコミは、さほど大きな扱いをしなかったが、新たな問題提起を投げかけた。

            

世界中を圧巻した「お・も・て・な・し」のアピールは、五輪誘致の大きな原動力となった。

その「おもてなし」について安倍首相はある会合で、「ホテルでもレストランでも、誰に対してもきめ細かな配慮がなされ、『おもてなし』の精神が行き届いているが、産業としてサービスを眺めた場合、単に『質がよい』というだけでは足りない。質の高いサービスには、それにふさわしい評価がなされ、対価を得られなければ、その事業は持続しない」と語った。

その論拠は、経済協力開発機構(OECD)の統計である。

主要7カ国(G7)の時間当たり国内総生産(GDP)を比較したところ、日本はG7の枠組みができた1986年以降、最下位を脱したことがない。

政府は日本の雇用とGDPの約7割を占めるサービス産業の生産性向上が鍵を握るとみる。

早速6月には官邸で「サービス業の生産性向上協議会」の初会合を開催。

その場で安倍首相は「わが国の雇用の7割を担うサービス業は飛躍的に生産性を高める潜在力を秘めている。
今こそ『サービス生産性革命』を起こす時だ」と呼び掛けた。

 

日本生産性本部の木内康裕主幹研究員は、「日本はサービスの要求水準が高いが、それが付加価値につながっていない。
おもてなしにお金を払うことになっていない」とするが、「おもてなし」を稼げるサービス業に特化していくとすれば、頗(すこぶ)る、違和感を感じざるを得ない。

欧米流のサービスは、提供側と顧客が対等であり、支払われた対価に沿って提供される労働に過ぎず、商取引に過ぎない。
安ければ安いなりのサービスであり、高ければ素晴らしいサービスを受けることが可能だ。

しかし日本の場合は、サービス提供側と顧客の立場は取引関係にはなく従属関係にある。
サービス提供者は、対価以上の労働を提供するのが当たり前だと思い込んでおり、また顧客側も、支払った以上のサービスを要求するのが当たり前となっている。
サービス提供側は、対価以上のサービスを提供しなければという脅迫概念にとらわれているので、実は顧客は期待していない様なサービスも提供しており、「おもてなし」は「お客が求めていることを、求められる前に提供すること」と定義している。

結果何が発生しているかというと、壮大なる無駄であり、生産性の低下の原因となっているのである。

 

でも、それを含めて「おもてなし」であるはず、アピールして集客して稼ぐという考えがすでに「おもてなし」とは違う視点かも知れない。
チップをもらわない、日本固有の「おもてなし」だからこそ、世界でも評価が高い、つまりは、「おもてなし」に無駄があるからこそ、日本の「おもてなし」だと信じていた。

 

プロが選ぶナンバーワンの老舗旅館「加賀屋」(和倉温泉)オーナーの小田禎彦氏は、その秘訣について、…「テーブルでの料理セットと畳で中腰になるセットでは効率では比較にならない。効率悪い、でもその無駄とか効率の悪さ、面倒臭さというものを.丁寧にもう一遍やっていくことが大資本には出来ない、中小企業が生き残る条件」… だと語っている。

不快な…カタカナ用語の濫用

 

当社ユーザー用にカスタマイズしたコミットメントをエビデンスとして、コンセンサスをフィックスさせること。ジャストアイディアはすべてペンディング、スペックを高めたデフォルト・メソッドとして確立させること、それが君に与えられた至上タスクである。」~~~なんのこっちゃ??

何を言っているか、お分かりか?まったく日本語になっていない。

それもそのはず、その酷さを極論するため、無理やり私が作った例文である。

 

普段われわれは、それほど意識しないまま、日常的に「カタカナ用語」を使っている。

むしろ現在では、カタカナ用語を使わずに日本語は書けないと言えるかもしれない。

こんなカタカナ用語に関して、『リクルートホールディングス』が発行しているフリーマガジン『R25に、「日本語で言え!不快なカタカナ語」という刺激的なタイトルの記事が掲載されていた。

R25が選ぶ「16個の不快なカタカナ語」である。

 

1位 コミットメント(約束、集中する)      11位 シナジー(相乗効果) 

2位 ユーザー(利用者、消費者)        12位 タスク(仕事、やるべきこと)

3位 エビデンス(証拠、確証)          13位 ブラッシュアップ(良くする、練る)

4位 スペック(能力、性能)            14位 タイト(厳しい、時間がない)

5位 アジェンダ(議題、課題)                      15位 メソッド(やり方) 

6位 コンセンサス(合意)             16位 デフォルト(標準、基本、初期設定)

7位 フィックス(決定) 

8位 ジャストアイディア(思いつき)        その他…カスタマイズ、コンプライアンス、

9位 シェア(共有)                  ミッション、ガバメント、アライアンス

10位 ペンディング(保留、中止)        アカウンタビリティ、マニュフェスト等

 

別に外来語の使用を制限すべきとか、そんなことを言う気は全くない。

どんな言葉遣いをしようが良い訳で、それも、その人の「個性」と言うのかもしれない。

立派な日本語があるにもかかわらず、一般社会や役所の文書にまでも、カタカナ用語が濫用されていると嘆く方もいる。

まぁ、そこも程度問題で、日本語として使うのは、濫用でない限り差し支えないと思っている。

問題は何回も出てくる「濫用」だ。

話したり、書いたりすることは、言葉を使い文章を作り、「人に理解して貰いたい思い」を伝えることであろう。
この伝えることがコミュニケーション、一方的では寝言や独り言と同じになってしまう。

「濫用」とは、このコミュニケーションを阻害するものと定義したい。

つまり相手が理解できない言葉、意味、使い方、繰り返すくどさで、相手への気遣いがない、自分勝手なしゃべり方と言うことかもしれない。

カタカナ用語然り、誰も知らない専門用語、楽屋オチの業界用語、「ネトウヨ」等流行造語は、気を付けるべきと言えよう。
使う方はそれほどの悪意はないのだが、聞かされる方は…「偉そうに」「かっこつけて」等々、どうも不快感を抱きつつ、なんとなくイラッとして、とにかく理解できないでいる。

御意! 人の事にあらず、自分自身、気を遣うべし!!

64歳の「禁煙宣言」


最近どうも、咳、痰が異常に多く、さすがにちょっと考え込んでいた。

「肺年齢」なるものを調べたら、94歳だという。僕の肺は、実年齢より30歳も先輩だった。

「肺の生活習慣病」といわれる慢性閉塞性肺疾患(COPD)だと、主治医から宣告された。

 

その最大の原因はタバコだ。

タバコに含まれる有害物質は、タール、ニコチン、一酸化炭素だけではない。

60種類の発がん物質、約200種類の有害物質、約4,700種類の既知の化学物質も含まれている。タバコを吸う人は吸わない人に比べ、喉頭がん32.5倍、肺気腫など2.2倍等々…色々な人に言われ、理解はしていたつもりである。

 

私が小学生の頃、大人の人はほとんどタバコを吸っていた(1960年喫煙率、男性80%、女性15%)。

タバコを吸うのが「大人の証」のように憧れたものだ(今は成人男性で3割強)。

 

18歳のころからか、あえて定かにしていないが、かれこれ46年間、一時も欠かさずタバコを吸い続けてきた。
お決まりだった「ショートホープ」から始まり、「ハイライト」、「ショートピース」、最後は「ロングピース」に落ち着いた。
最近はずっと、2箱ペースだが、仮に総じて130本だとして、503,700本吸い上げた計算になる。
仮に1本8㎝だとすれば、その距離は40㎞以上、ほぼフルマラソンに近い。

価格は昔と随分違うが、仮に1本20円だとして、約1,000万円タバコに費やした。
威張るほどの金額ではないが、でも今、休みなしで毎月28,520円、単純に月3万円、年間36万円かかると考えると、やはり大変な出費である。
高性能パソコンや高品質一眼レフカメラ等、平気で買える金額である。

タバコの価格、半分以上は税金である。
タバコの税金は消費税を含め約64.5%、1箱あたりのタバコの原価は約17.8%、ロングピース1460円で約82円となる。
税金等を引いた残り35.4円がJTの利益である。
とすれば飯島さん、今まで645万円の納税貢献をしたこととなる。

 

消費は金額だけでない。

タバコを吸う時間は1本当り4分と言われている。

そうであれば、1箱吸うと1時間20分、1ヶ月で40時間、1年間だと20日分、飯島さんの今までは920日も煙(ケム)に巻かれた時間を過ごした。

と言うことは、2年半の長きにわたり、非生産的、不健康行動を繰り返してきたことになる。

実は金額より、この無駄な時間が悔しく、惜しい。

 

だから「年貢の納め時」、いよいよかつてできなかった「禁煙」をやろうと心に決めた。

根性なしで、意志の弱い飯島さんだから、なるべく多くの人に公言してしまおう!と思っている。

実は、私が所有する、大小すべてのカバンに、ライターが入っている。
その数30個は下らない。

それとトイレ、バスルームにまで置いてある灰皿、これらすべて撤去、廃棄することから始めたい。

涙なくして語れない、飯島賢二初のチャレンジである。

屁理屈(へりくつ)屋が64歳を迎えるに当たり、やっとの思いで決意した禁煙宣伝

気が緩んではいけないのだが、もし…の時の、厳しいまでの叱責をお願いする所存である。

引き算の美学 「和食」

和食の和食たるゆえんは、出汁(だし)にあると言われる。

出汁の美味しさは「うま味」、そして香り(風味)であり、『味付け』とは違う。

調味ではつけられない「うま味」が素材を引き立たせてくれ、作りものではない「風味」が食欲を誘う。

だから美味しい出汁がとれていれば、味付けは控えめでも十分満足できる深い味わいが楽しめる。

欧米の料理は、ソースを作り、素材にたっぷりとかけていく。素材の不味さを補うために生まれた調理方法という側面もあり(もちろん、例外もあるが)、「足し算の料理法」と言えるかもしれない。

それに対して和食の一つの特徴は、素材から、苦味やえぐみ、臭みなど余計な物を取り除き、素材本来が持つ旨さを際立たせる「引き算の料理」といえる。

 

先般、某有名旅館の総調理長と話をする機会があった。

恥ずかしながら、その時初めて知ったことがある。

…世間一般に言われている吸物や煮物等の『灰汁取り』(あく取り)は、和食業界では『灰汁引き(あく引き)と言うらしい。
魚の生臭みを取り除くのは「湯引き」と言う。

『出汁』も同じで、調理工程で余分な物を取り除く。

普通の乾物(昆布・干し椎茸)や魚介類(両生類・貝類を含む)では灰汁を取るだけなので、その場合は普段『出汁を取る』と言うが、一部の食材(鰹節、煮干し等)では灰汁取りだけでは使用できない。

その後『漉す』(こす)作業が必要となる。

この様な場合は、一連の作業を総称して『出汁を引く』と言っている…とのことだった。

 

和食の出汁は「取る」ものだと思っていた。「目から鱗」、引き算の世界が現存していた。

洋食は食材に様々な味を加えて完成させる「足し算」。

一方和食は、食材の一番美味しいときに最小限の手を加えるだけ。

調理手法に隠れる「引く」という言葉、洋食の足し算との違いを歴然と表わす「引き算の文化」である。

 

引き算の文化」とは、算数の引き算ではなく、削ぎ落とす文化の事で、「和食」に限らず日本人が大切にしてきた大きな遺産である。

西洋建築では足し算で、いかに大きく豪華に見せるか、そのため、お金をかけて物量を投入する。つまりどんどん華美を求める。
日本の和室は、余計なものは極力省き、本質である一点に集中する。

「短歌」は31文字、世界で最も短い詩形である「俳句」は17文字だ。

この短い文中で、自分の想いを伝えるので必要な言葉以外は、削ぎ落としているのだ。

「生け花」の世界でも、一つのものを愛でるのに余計なものはいらない。

むしろ、その『余白』の部分があることで、一点の美を強調することができる」としている。

どこまでも簡略化し、余白を生かそうとする「枯山水」も、「茶道」の『侘び』『寂び』などの思想も、その典型だろう。
ゴテゴテと付け足さない、飾らない、引き算の美学といえるのである。

 

「余白を察し、言葉の周辺にあるもの、実態の背後にあるもの、見えないものを感受すること。自己と自然を一体化、同じ身の丈になり、自然や他の命を尊ぶこと」(水墨画家 森川翠水著『余白の力』二玄社刊より)
これこそが、古来より日本人が大切にしてきた、世界に誇るべき「引き算の美学」なのである!

「数字」のマジック&トリック効果

 

難しい数学や化学式ではなく、我々は日常的に「数字」と向き合うことが多い。

Aスーパー:現金でお買上の時、全品4割引きです」・・・と
Bスーパー:現金でお買上の時、6割分の当店の商品券を還元します」・・・とでは、
どっちは得だろうか?

あるいは、量販店でよく見かける「10%ポイント還元」と「10%割引」はどっちが得?

数字が持つ不思議な心理効果を活用したマーケティングは、消費者行動を左右する場合がある。

今回はそんなマジック&トリックを、いつくかご紹介しよう。

 

端数効果の「8」と「9」 ~ 単価が830円の商品を、799円まで値下げした!

数字を使って説得するときは、切りのいい数字よりも、端数を利用したほうが信憑性があると言われている。
「0」や「5」などの数字をあまり使わず中途半端な数字を並べたほうが信じてもらいやすい。

特に、驚くほど端数には「8」と「9」が多く、価格の端数を8か9にすることによって.「お得感」が増し、販売数が圧倒的に増えたという科学的実証もされている。

日本では、「八」という数字が末広がりで縁起が良いとされているため、
端数に「八」を使うことが多いようである。

 

アンカリング効果 ~ 通常価格58,000円 → 特別価格30,000

最初にある数字を示されると、無意識にそれが基準(アンカー)となってしまい、その後の判断で影響を受けてしまうというもの。

例えば、30,000円のコートがあった場合、通常であれば顧客は製品の品質や利用価値に注目して、価格に見合ったものかどうかを検討して購買行動を行う。

ところが、「通常価格58,000円→特別価格30,000」と表示することで、先に提示した通常価格58,000円という情報がアンカーとなり、30,000円という価格に対して「28,000円値引きされている」という判断がなされ、お買い得に感じられる。

高い数字が印象に残り、そのあとの商品を安く感じる効果と、こんな高い商品を扱っているんだから他の商品の質が高いだろう、と思わせる効果がある。

 

マジックナンバーとマジカルナンバー ~ 「3」と「7」

マジックナンバーとは「良く分からないけど、この数字を使うと物事がうまくいく」・・・
そのような数字。

それは「」という数字。「3」は、人間が認知する数で多寡の分岐点に位置して「ほどよい」バランスがあり、人間が最も理解しやすい箇条書きや項目の数であると言われている。

これと似て非なるものにマジカルナンバー「」(±2)というものがある。

人間が短期的に記憶できる限界とされる数は【7±2】であるというもの、短期記憶において人間が覚えられる記憶容量は7個まで、という法則が証明されている。

マイナンバー制の個人番号12桁は、とても覚えられそうにない。

 

数字のマジック、トリックを活用したマーケティングは、常に我々を狙っている。

この策に惑わされず、騙されず、賢い消費者でありたいと願っているが、
逆も「然り」と思っている。

ちなみに冒頭の回答は、「Aスーパーの4割引き」、「10%割引」の方が得ということになる。