yumamanのひとりごと

yumamanのひとりごと

日頃の出来事や子育て中の発達障害児のぼっちゃんの事、その時々の事やら愚痴やらyumamanのひとりごと

Amebaでブログを始めよう!

昨日ぼっちゃんはA養護学校を無事に卒業しました


式も私の心配をよそに落ち着いて参加できました


コロナの関係で、小・中学部とは別日で、来賓もなく、在校生も高等部1・2年生のみ


保護者の参加も卒業生の家族2人まで


という小規模で短時間だったのがぼっちゃんには良かったみたい


この日はぼっちゃんにとっても私にとっても本当に最後の卒業式

だから私自身は色んな感情はあったけど、グッと押し殺して、最後まで笑顔で参加しようと決めていた


だから式が終わり学校の敷地から出るまで笑顔を絶やさなかった


帰って来てから反動なのか異様な疲労感と頭痛


骨折の事は校長も謝罪してくれたからいいんだけど、もう1つの問題

進路担当の先生たち

昨日卒業式は終わったけど、このまま泣き寝入りはしたくない



明日ぼっちゃんはA養護学校を卒業します


離婚する前は3歳から○○学園←未就学児の療育・訓練施設(早い話が障害児の幼稚園)


小学部1〜2年の2年間はH養護学校


離婚して実家のある町に戻り、小学部3〜6年、中学部の3年間はK支援学校


そして高等部の3年間はA養護学校


私1人ではぼっちゃんを育てられなかった

両親、学園・学校の先生、ディサービスの方々、ママさんたち、本当に沢山の方々のお陰で今のぼっちゃんがある

振り返るとやっぱり感謝しかない


15年前、障害の知識もなく突然、障害児の子育てが始まった


大変だったこと、泣いたり、悩んだり、怒ったり、笑ったり


小さなことでもできるようになった時は感動したり


ぼっちゃんのやらかしたことで頭を下げ謝ったりは数え切れないかも


明日の卒業式が何か1つのゴールのような気持ち

そしてこれから先はまだ何も決まってはいないけど、また新たなスタートラインに立たされている感じがする


健常児なら子育てが終わるのかもしれない


私はここから新たな子育てが始まる

いつまでぼっちゃんと一緒にいられるかわからないけど、ぼっちゃんが私の元を巣立って行く日まで、また笑ったり泣いたり悩んだり怒ったりしながらぼっちゃんとの時間を大事に過ごしていこう 


明日でいよいよ学校生活が終わる


ぼっちゃん15年間頑張ってくれてありがとう


必死にぼっちゃんを育ててきたけど、私も沢山ぼっちゃんに色んなことを教えてもらったね


今の養護学校には正直色んな感情があるけど、でも明日はぼっちゃんの新たな門出の日だから笑顔でいたい

私がぼっちゃんの発達に疑問を持ち始めたのは1歳を過ぎた頃から


何となく同じくらいの子と違うなぁと思っていた

1歳半を過ぎた頃には「指さし」しない

「発語」らしいこともない


でもつかまり立ちも歩くことも平均的だった


2歳を過ぎてぼっちゃんの発達にもしかしたら遅れてるのかも?と思い始めた

でもまわりの「男の子は成長が遅い子もいる」と言われ、そうなのかも!?と無理矢理思おうとした


その時、旦那と別居中で私はぼっちゃんと実家にいた。

この時の私はまだ「発達障害」のことも、「発達障害」という言葉すら知らなかった

2003年10月にぼっちゃんは2900㌘もなく思ったより小さく(未熟児でははありせん)生まれました


母乳を飲むのが下手(私が下手だったのかも)でお腹がいっぱいにならなくて入院中もよく泣いていたな


私も何とか母乳をいっぱい出したくて苦手な病院食も頑張って食べたり


でも神経質になりすぎて逆に母乳の出が悪くなったり


泣くぼっちゃんを抱っこしても、慣れなくて変に腕や手に力が入りすぎて両手首が腱鞘炎になって腫れたこともあった


高齢出産(30代後半)でも初めての子育てはわからないことばかりで不安だった


でも何も疑いもなく、ぼっちゃんは普通に成長すると思ってた

そういえば先週


3回目のワクチン接種の案内がきた


接種日がぼっちゃんの卒業式の2日前


1回目2回目はファイザーだったけど

今回はモデルナ

副作用で卒業式にいけなくなる可能性もあって今回は見送りました


yumamanは寝込むわけにはいかない

って、副作用も怖い


みんな3回目接種してるのかなぁ?