このブログをお読みいただき

ありがとうございます。

 

ストーリのあるジュエリー提案が得意な

ジュエリーデザイナー

介護の初心者の清水裕子です。

 

 

 

改めて自己紹介をさせていただきます。

 

 

ウエダジュエラー帝国ホテル店でジュエリーデザイナーのキャリアをスタート。

 

子育て、専業主婦期間を経て

その後、いくつかの外資系ハイジュエラーで

経験・実績を積み、

 

現在ジュエリーリメイクカウンセラー・終活カウンセラーとして独立、活動しています。

 

 

ジュエリーでコンプレックスを克服した過去



姉は重度の障がい者でした。

 


昔は障がい者への偏見、差別は多く

何も悪いことをなんてしていないのに
それどころか生きることを頑張っているのに


時には心無い言葉や対応をされて
どうして我が家ばかり、

と感じることもたくさん経験しました。


いつも後ろめたさと、

負けてたまるかという
気持ちと共に過ごした10代。



ただ、そんな私は
両親はじめ周囲の方々に

サポートしていただき


仕事にしたかったデザインを学び
帝国ホテル内の老舗宝飾店に
ジュエリーデザイナー職として
就くことになります。


でも実は専門で学んできたことは
グラフィックデザイン。


ジュエリーに関しては
無知で飛び込んだ世界でした。



沢山の応募者の中から
どうして採用してくれたのか
当時の上司に聞いてみると


「ジュエリーに対して固定観念がなかったから」


何も知らないことが、強みとなることに
当時は驚きでしたが

ただ知らなかったのは
ジュエリーだけでなく
これから関わる環境についても、でした。



のどかな土地で育ったので
都会への憧れも重なり
全てがキラキラしてみえてワクワクしたのは

最初だけ。





入社してみたら
とにかく周りが華やかで
圧倒されることばかり。



社食があると聞いていたのに
ランチは銀座、その後お茶もする。


当時大流行した
イタリアンブランドの
数万円するパンプスを
沢山のスタッフが履いていて
それも何足も持っている。



すでにジュエリーや
ブランドバッグを持ったり
留学経験があり

英語で接客する華やかな先輩たち




だんだんそうではない自分が
惨めに思えて



「どうせ私は田舎からでてきたし」
「お嬢さまではないし」
「ジュエリーつける環境じゃなかったし」
「頭もよくないし」
「スタイルよくないし」
「モテないし」



よくわからない理由まで並べ立て
自分をまるっと否定していました。


でもそれを知られたくなくて
肩肘をはって見栄をはって
過ごした20代前半。



ただただ自分にしかできない
デザインの仕事をすることが
モチベーションの日々。

 

 



目の前のデザインをして
関わらせていただいたものが
カタチになって売れて
お客様に喜んでいただける



その事に集中するしか
ありませんでした。

 

 

そんな自分が変化したのは…

 

次の記事に続きます。

 

 

 

 

 

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