今日は羽咋市から出発。

まず隣の志賀町へ。


最大震度7を記録した志賀町。

志賀原発がある。


大学時代の先輩の寺へ訪問。

壁の崩落などは少しあったが、躯体は無事だった。

広い志賀町の中でもそのあたりは割と被害は少なく、周りにもブルーシートの家はまばら。

岩盤が硬いらしい。

17年ぶりに先輩とも再会。

知らなかったが、志賀原発で働いているそう。

原子炉そのものは頑丈で問題ない。しかし、周辺施設には弱点もあると言っていた。

これで再稼働が遠のいた。もしかしたら、再稼働出来ないかもしれない。とも。


昔、この地域を車で走っていたら、大きな看板に

原子力 明るい未来のエネルギー

という標語がかかっていたのを思い出す。


原子力の核問題、国の電力計画や脱炭素エネルギー。

原発で働く人、地域経済、電源交付金。

改めて色々考えさせられた。


その後、近くの別の寺2件に訪問。

どちらも私と同じ世代で、共に働いた仲間。

こちらも比較的被害が少ない。


途中、能登らしい風景に出会う。

間垣(まがき)と呼ばれる細い竹で作った垣根。

冬の海風から家屋を守る。

もう少し北上すると、間垣がずらっと並ぶ壮観な景色に出会う事ができるが、今回は時間オーバーでそこまで行けなかった。


その後、羽咋で1件、七尾まで戻って1件訪れた。

途中、北海道からの手土産が無くなり、道の駅で調達した地元の菓子等を手渡すことに。


今日訪れた所は、幸いどこも被害が軽かった。

軽いと言っても、壁や屋根瓦の崩落、雨漏りなどはある。奥能登に比べると復旧が早いのは、業者が入りやすいなど、地形も影響しているように思う。


久しぶりの再会もあって、今日は互いに笑顔が溢れた。

落ち着いたら、改めて旅行で訪れることを伝え、能登を後にして加賀でレンタカーを返却。

まる4日で930キロ走った。途中、走破が難しそうな悪路に何度も遭遇したが、無事無傷で返却できた。


今日は、終始付き合ってくれた妻への慰労も兼ねて、加賀の片山津温泉で一泊。

明日、妻は札幌へ戻り、私は横浜へ出張があるので、横浜で一泊して明後日の夜に札幌へ戻る。


ヘルメットや土のう袋など、北海道で調達した物は結局使う事がなかったが、その分多くの方に会えてお見舞いを手交し、応援の声を届ける事ができた。

昨夜泊まったゲストハウス

建物が被災しながらも、営業してくれたおかげで、奥能登に来る事ができた。

ここ以外に珠洲で一般に泊まれる宿は無いかもしれない。

宿があるのは狼煙(のろし)という、半島の先端

今日はこどもの日。

一年前の今日、珠洲で震度6強の地震があった。地元の人は珠洲地震と読んでいるらしい。

3日目はここからスタート


珠洲の寺家という地区。目の前が海で、ここも津波被害があった。

本堂が全壊


隆起した海岸


その後、前日にも行った津波被害のあった鵜飼地区へ。

全壊の寺院を訪問

寺は手付かずだが、少しずつ片付けをしている。


前日に訪れた別の寺院。今日も留守だった。

歴史のある巨大な本堂は壊滅的。建っているのがやっとの状況。



本堂の裏の墓地は砂地の地盤が動き、真っ直ぐに建っている墓石は皆無であった。


道路を塞ぐ家屋。

至る所がこの状態。


その後、輪島市を訪れた。

輪島朝市

火災のあと、錆びた鉄とコンクリートの瓦礫のまま


何とか火災を免れた寺院

ここも全壊。


午前中に訪れたお世話になった住職のお寺


境内に100メートルに渡り大きな亀裂


この時住職は留守だったが、寺にいた門徒さんの墓が倒壊してお骨が露出している。

寺にあったブルーシートを使って養生を手伝った。


立派だった鐘楼は全壊

屋根の部分は住職家族で撤去して、木材は境内で燃やしたとの事。


時間を置いて電話してから再訪。

住職が待っていてくれた。

外観からは大丈夫に見えた本堂だが、本尊の安置してある所は、数百キロある構造材が3本、天井を破って落下している。

隙間から空が見える。

専門家に見てもらったところ、鉄骨補強で何とか修復出来るそうで、少し安心した。


お見舞いに訪れたのに、自作のお汁、漬物、お弁当でもてなしてもらった。

輪島塗のお椀で頂く。

暫くお話を伺って、固い握手をし寺を後にした。


途中、至るところが崩落している。

ここは山の頂上からの土砂崩れで民家を飲み込んでいる。



輪島の海岸


白く見える部分が隆起した海底。


一昨日ニュースになっていた、海岸の道路

崩落した道を、海側に迂回。


隆起した、もと海底部分にアスファルトが敷設してある。


観光名所だった、白米の千枚田

水が張っていない田んぼは地割れのある箇所。


今日は中能登の羽咋市まで戻ってきてホテルに宿泊。


輪島の道の駅で、輪島塗のお椀を買った。

17年前に、能登を離れる時にも記念に欲しかった輪島塗。当時は高くて手が出なかった。

輪島塗は100を超える工程があり、完全分業のため、職人が一人でもかけると作れない。

別の工房では、塗りの職人が加賀に避難していて作る事ができないそう。

輪島市内で今、輪島塗が買えるのはその工房と道の駅の2箇所だけ。

35年前には3000人の職人がいたが、既に半数を下回っている。この地震でどれだけの工房が再開できるのか。


今回、復興支援として大枚をはたいて汁椀を手に入れる事ができた。これから生涯大事に使わせて貰う。

今朝8時に七尾市を出て、下りのみ復旧したばかりの里山海道を通って穴水へ。

穴水で1件訪問。
お世話になったご主人は数年前に亡くなっていて、1人で寺を守る奥様が出てきてくれた。
家の中はぐちゃぐちゃ。けど、本堂が建ってるだけでありがたいと、息子夫婦の説得にもなかなか応じずに穴水で生活している。


足早に珠洲へ向かう途中、

崩れた民家の隣


お世話になった住職の寺

巨大な本堂は何とか建っているが、全壊判定が出ている。手前の鐘楼は全壊。

そして、掲示伝道には



この言葉に勇気をもらった。


珠洲に入って

鵜飼という津波に襲われた地区へ



あたり一帯、全ての家屋が倒壊している。

胸が締め付けられる思いがした。



その先にある見附島に立ち寄った


軍艦島と称された姿は変わり果てている。



その後、倒壊した寺院を中心に4か所回った。

力なく話す住職や被害を免れた建物で再興を試みている住職などの話を伺った。


どの寺も民家も、元旦に崩れた姿のまま、何も変わらない風景に愕然とした。

道路の瓦礫がまるで除雪される如く傍へ固められているだけ。

何故、ここまで除却が遅れているのか。


作業着を来て、一通りの用具を車に積んでいるが、どこもまだ手が付けられないからと、手伝いを拒まれる。

組織として入ず、アポ無し訪問での限界を感じつつ、お見舞いを手渡して話を伺うのが精一杯だった。


今日は奇跡的に珠洲市内のゲストハウスが取れたので、珠洲で一泊。


珠洲市内でおそらく、一件のみ営業しているお店で晩御飯を食べていたら

能登塩が置いてあった。


道の駅でも売っておらず、去年製造のものは売り切れて入荷無しとのことで諦めていたが、

このお店のお客さんの中に作っている方がいて、少量だけ卸してくれているらしく2個を調達。


昔ながらの揚浜式塩田で作るこの塩、今まで食べた塩の中で私的には1番のもの。


良い土産ができた。

昨日、新千歳から小松空港に飛び
能登に入りました。

17年前まで5年間お世話になった能登の地震復興支援に来ました。
私の組織では1/3から継続して職員の派遣をしてて、3月からは北海道の部下も順次支援に来ています。
私も正月からずっと能登入りしたいと思っていたんですが、組織からの派遣だと、お世話になった所に行くことが叶わないため、GWを使って個人的にきました。

小松空港からレンタカーで能登へ向けて走らせると、加賀、金沢までは何も変化ない風景でしたが、能登に入った途端、屋根にブルーシートの家がそこかしこに。道路も陥没と隆起で凸凹になっています。

職場のある七尾市に入ったのは夜。
何とか確保できたトレーラーハウスで一晩過ごし、今日は七尾市内の知人友人の家を回りました。

七尾市内は飲食店も営業しているので、一見日常を取り戻しているように見えました。

しかし、最初の一件に見舞いに行くと、家の中は天井が落ちたり床が傾いたり。
水は通ったけれど、風呂場の亀裂により1週間に1回しか風呂に入れてないそうです。
地震から4ヶ月が経過しているのに、いまだに震災直後から生活は変わっていないそうです。


今はちょうど田植えの時期です。

水田の向こうは至る所の山が崩壊しています。



七尾市内でも局所的に壊滅的な被害があり、酷い所は数件おきに全壊しています。


今日はお世話になった知人友人を5件訪問しました。

誰もが口にしたのは、あの日から人生が変わったという事。

そして、金沢では取り戻せている日常が、能登では先が見えない状態だと聞きました。


倒壊した家屋にレンズを向ける気持ちになれなくて、写真は撮れませんでした。


晩御飯に立ち寄ったお店には

能登の 花嫁のれんが掛かっていました。


昨年まで開催していた花嫁のれん展の一本杉通りも壊滅的な被害を受けていました。


明日は奥能登珠洲に向かいます。

今年の北海道は来年にない暖かさが続き、すっかり道路の雪も無くなりました。
昨日までは最高気温がプラスだったんですが、今日は15日ぶりに最高気温が氷点下の真冬日。
道路の脇に積まれた雪溶けもなく、道路が乾き切ってます。

と、言う事で仕事が終わってから急きょワゴンを出してみました。
エンジンを掛けるのも久しぶり。
長いクランキングの後ようやく目覚めました。

地下中から出て敷地内はまだ雪に覆われてますが、歩道と違ってツルツルでもないのでバイアスタイヤでも何とか抜け出せました。

実に約100日ぶりに娑婆に出てきました。


ススキノ界隈を通って





テレビ塔前で記念撮影。

路肩は氷🧊です。



大通公園は、雪まつりも終わって雪像はすっかり姿を消してます。

細い路地はまだ氷に覆われてますので、

主要道路を30分ほど走らせました。


久しぶりでも快調なワゴン。

夜のドライブも最高でした。


意気揚々と駐車場まで戻ってきたら

入り口の門扉が施錠されてました。

門限8時だったようです。1時間勘違いしてました。



という事で、隣接する職場の青空駐車場に止めてカバーしておきました。


明朝出勤してから移動させます。




今朝の後日談です


朝起きてみると、再び雪景色になってました。

予報では夜に降雪は無かったんですが。

朝の職場駐車場。すでにカバーの雪は降ろした後です。


カバーを外してセルを回しても全然エンジンかかりません。

元々冬場はエンジンが掛かりにくいんですが、マイナス5℃の中いつもより悪い状態です。

そうこうしてる間にバッテリーが力尽きてしまい

マーチを出動させて電力供給。


それでも簡単には掛かりませんでした。

途中で気付いたんですが、チョークを引くよりも、アクセルを何度もパタパタしてガソリンをキャブに送り込む方が有効でした。


何とかエンジン掛けて、暖気した後に出発です。


道路もすっかり真っ白になってます。


300メートル程で車庫のある場所に到着です。

門扉の部分はロードヒーティングが入ってるのでアスファルトが見えてますが、その先は氷の上に雪が積もってます。

滑らずに走れるか心配でしたが、何とか走り抜けて地下駐車場に運び入れる事ができました。



この後出勤して、昼休みに水分を拭き取ってからカーカバーをして完了


バッテリーは外して充電中です。


昨日の門限5分前の閉め出しが大きく影響しました。