2週間前のネタですが、6/30に富良野のイベントに参加してきました。

翌日は京都で会議なんですが、何とか参加できました。

日中は30度超えで北海道でも暑い1日でしたが、270台が集まり、さらに入りきれなかった車がギャラリー駐車場に流れて行きました。




会場に到着すると、セド仲間のHさんが隣を開けてくれていました。


赤ホイールにスリーポイントのキャップにイメチェン。

若い頃の私の車に似てます。


暫くしてから、作業開始です。

取り付け後の写真は撮り忘れました、、

しっかりと時計が稼働して、オーナーさんも喜んでくれました。


会場の車を紹介


310ブルーバーワゴン

日産初のワゴンです。セドリックと比べるとかなり小さいです。


綺麗な個体でした。


こちらも珍しいマツダボンゴ

外装パーツとか、皆無でしょうね。



スカイラインバン






初代モンキーは

3台ともT360の荷台に載せ、さらにそのT360をハイエースに入れ込んで来たそうです。


モンキーは詳しくないですが、↓1番レアだそうです。


山形ナンバーのフロンテさん

高村さんのお知り合いとの事でお声掛けさせてもらいました。


サビサビ賞?受賞🏆されてました。




お隣のコニーもなかなかの物です。


いつもご一緒頂く430さん


Cityカブリオレ


鮫ブル


シングルの観音クラウン



オーナーさん、後で私に声を掛けていただいたんですが、何と私のブログを古くから読んでいただいてる方でして、私よりも私と車の出来事を知ってる方でした。

今後とも宜しくお願いします🤲


カペラロータリークーペ




S600とS800

同じカラーで◎



50sアメ車も来てました


1955キャディ




1958キャディ




ギャラリー駐車場を探検

古いハーレーがオーラ出しまくりです


サイドバルブ


ナックル


48パン

兄が持ってる(放置してある)のと同じです。


サイドバルブ


クラウンとS4グロリア


北海道で初めて見ました。


弟が乗ってましたが、残念ながら手放してしまいました。


さて、今月2日に出かけた赤平のイベントで預かってきたセドリックの時計の修理ネタです。

実際には、遠慮するHさんの声を無視して半ば強制的に運転席足元に潜り込み、メーターを外して時計を摘出してきました。


時計の風防にあたるカバー

細かい傷で真っ白。

中がほとんど見えません。



6月2日のイベントから帰ってきた日のうちに作業開始です。

これだけ白いと、動いていたとしても嫌になりますよね。

レンズを外して研磨します。


コンパウンド3種類を使い、段々と粒子を後細かくして手磨き&バフ掛けしました。

大体綺麗になりました。

中央のノブの付け根は磨けませんでした。無理に磨いてレンズを破産したら元も子もないですからね。

しかし、磨いてみるとあちこちにクラックが入っており、特にネジ穴周辺が酷い。ネジを締め込みすぎたのが原因です。

中央のクラックは、時刻合わせのノブを強く押し込み過ぎて破損したようです。


一度もメーター外してない車両かと思ったんですが、過去に時計も触られてますね。



その翌日、いよいよメカ部分の修理です。



先ずは、本体にパーツクリーナーを噴射して、古いオイルや汚れを洗浄します。


そして、じっくり観察すると




抵抗が

真っ黒。

抵抗を外してテスターで調べてみると、一応生きてるようです。


因みに

上の2つが私の予備部品。

下の黒焦げが今回の摘出品。


上から

400Ω

300Ω

黒焦げ


黒焦げを

テスターで測ってみると、予備部品の400Ωとほぼ同じ値でした。

しかし、400Ωの抵抗を取り付けて通電しても時計が動きません。

モーターを歯車から外して通電すると、少しトルクが低いようです。

モーターの移植も考えましたが、


取り敢えず300Ωに付け替えて

通電すると、無事に動き出しました。


作業途中の様子。

予備の時計や部品を引っ張り出してきて、ゴチャゴチャしてます。


それにしても、私の老眼が酷くなってきて、明るさが足りないと見にくい。

こんな感じで手元を明るくして作業してました。


そうそう、各所に給油しないといけません。

いつも使ってるミシン油。

時計用のオイルなんて、使ったことないです。


ミシン油を爪楊枝に1滴ずつ垂らし

テンプや脱進機を中心に軸受け部分に油を挿します。


その後、テッシュのこよりで余分な油を吸い出します。


ケースに戻して、バッテリーに繋ぎ

あとは歩度調整です。


通電から2日間ほどは歩度調整しながら様子を見てたんですが、その後、朝起きたら止まってました、、、、。


やはり、モーターのトルク不足のようです。

モーターの移植を考えましたが、最後の手段として

抵抗を外して、禁断の直結です。


通電してみると、作動音が大きくなりました。

元々、静かな時計だなと思ってたんですが、テンプがしったりと振れてなかったようです。


その後、4日間ほど連続して通電テストしましたが、丸2日での差1分以内に収まってます。


それから1週間ほど稼働させたところで再び時計が止まってしまいました💦


バッテリーを繋ぎ直しても数時間で止まります。

モーターの寿命か?と思い


モーターをギヤから外した状態で配線してみると

動きません。


よくよく調べたら、バッテリーが5V程しかなく、放電してました、、、、


と、言うことで、

バッテリーを充電しながら可動テストを続行します。


今日までトータル24日間通電テストをして、4日間で誤差1分以内に収まってます。


ただし、スクーター用の古いバッテリーを使ってるので、途中充電しながらの可動テストでした。

どうしてもバッテリーの電圧が上下してしまうので、

今日からは


バッテリーから切り離して充電器から直接通電して安定電源で最後の調整に入りました。


今週末の富良野のイベントで、オーナーさんの車に戻して作業完了の予定です。

年明けは3月下旬くらいから、道路の状況を見ながらワゴンに乗り始めました。

で、昨日、今年初の旧車イベントに出かけてきました。

道央の赤平市のイベント

元は北海道でも指折りの歴史あるイベントだったそうですが、15年以上前から消滅していたそうです。

今年、主催者が変わって同じ会場での開催となりました。

自宅から約100キロ
7時頃に出発して1時間半ほどで到着

快晴の中、気持ち良い一日でした。


北海道は当日エントリー可が多いんですよね。

会場に余裕があるからでしょうか。


私が駐車した直後に

初代セドリックが隣に並びました。

去年の栗山でのイベントでお会いしたHさんでした。

たまたまグッドタイミングで、隣同士になりました。



ダッコちゃんが可愛い


では、会場の車を一部紹介

ヨタハチ


ギャランGTOとケンメリ


サバンナRX-7



プレリュード

ハンドル操作で後輪も動く4WSが懐かしい


パルサー


オーストリアのハフリンガーって車だそうです。




鉄仮面


Gノーズ


珍しいカリーナ2ドア

シングルナンバーです。



いつもご一緒する430セドリック



ミニキャブ


カローラ


SR311


ランサー1600

カサつき具合といい、最高な一台でした。



510もシングル


コスモAP


懐かしいシビック


エス6とエス8



アルピーヌ


VW軍団


TYPE-2 キャンパー


TYPE-1 オーバル




インパラ




GT-R


シングルナンバーの4枚ドア


Z-432





とまあ、こんな感じです。

のんびりと1日過ごせました。


セドリックさんですが、


お近づきのしるしに

お不動様の時計を外して預かってきました。


月末のイベントには直してお返しするつもりです。

5/2から5/7にかけての能登訪問を終えて


1/1の地震発災から、能登を訪れたいという思いが続いていた。

GWに行けないか。特に宿の手配が鍵となっていた。

2月の段階では、能登半島の何処も宿の受け入れをしていない状況であったが、3月には羽咋や七尾でごく少数の宿泊施設が窓口を開けている事がわかった。

しかし、奥能登ではそれが皆無であった。


ネットで調べていたら、珠洲市の被災した民宿で被害の少なかった食事会場の広間を寝泊まりの場所として営業を始めたと、北陸中日新聞の記事を見つけた。

その宿に電話を入れて、状況を聞いた。

水も出ないし食事を提供出来ない。ただ寝るだけとして、ボランティアを中心に受け入れている。との事だった。GWの営業を尋ねると、まだ先のことは分からない。との返答であった。

GW中の旅行の宿の受け入れの問い合わせ。と受け止められたのかもしれない。と、自身で感じながら、

「復興を応援しています」という事を言うのが精一杯で電話を切った。


その後、運良く珠洲市内の宿が取れたのは既報のとおり。



さて、訪問した時、能登半島は新緑が美しく、ツツジが咲き乱れる季節であった。


前半の拠点とした七尾市では、毎年5月1日から始まる青柏祭(せいはくさい)という祭りの期間である。デカ山と呼び親しまれる山車が市内を廻る。

能登を離れた方も祭りと田植えで帰省し、GWは一年で一番賑わう1週間であったが、今年の青柏祭は残念ながら中止となった。



今回、能登を巡る中でいくつかの言葉に出会った。


市バスの前面に貼られた

「がんばろう能登、がんばろう石川」


ある港に掲出されていた

「能登が好き、だからここで頑張る」


寺院の掲示板にあった

「あきらめなければ 必ず 道はある 必ず」

「人はみな、生かされて 生きてゆく」


これらの言葉に胸が熱くなり、私自身が勇気づけられた。


珠洲市蛸島漁港では、漁が再開されたが出航できるのは週に2回のみ。

まだ水が確保できない上に、氷の調達も難しいから漁が十分に出来ない。


そして、今は田に水が入り、水田となる時期。

奥能登でも荷台に苗を乗せて走る軽トラがあった。

田んぼも農機具も被災から免れた所だけが、田植えをできるのだと思う。

被災を乗り越えて、新たな営みに踏み出す姿にも力をもらった。


そして、丸4日間で16カ寺を訪れた。

本堂が全壊している寺でも座敷に上げていただき、それぞれにお茶菓子、お茶、コーヒーでもてなしてくれた。食事を用意してくれたり、有り合わせのもので申し訳ないと言いながら、土産を持たせてくれた方も沢山いる。

改めて、能登の優しさに触れることができた。


そして、風光明媚という言葉がピタリと当てはまる景色に感動した。

海の煌めき、緑もゆる山、川底まで透きとおる水のせせらぎ。


やはり、私は能登が好きだと、改めて感じた。



皆さんも

落ち着いたら、ぜひ能登に旅行に行っていただきたい。

ホテルよりも、民宿をお勧めする。


能登に住まいする方の優しさに能登で触れていただきたい。



能登はやさしや土までも

5/2に能登入りして、本日5/7に小松空港から横浜に向かった。

実質4日間の訪問。


大分への転勤のため、17年前の3/25に発生した能登半島地震の前夜に七尾からマーチで九州へ向かった。

その際は、地震から約2カ月後に能登の被災地をレンタカーで回った。

当時も全壊の家屋や甚大な被害のあった寺院もあったが、

今回は被害の程度も、被災地区の広さも全く規模が違った。


熊本地震も東日本大震災も直後に被災地を訪れた。

熊本地震で見た、集落一体の屋根面があらゆる方向に傾斜した異様な姿。熊本地震では局所的だったが、今の能登では、同じ景色が半島のあちこちちに存在する。


東日本の津波被害によって家の基礎を残して更地になった姿にも衝撃を受けた。

今回の地震でも津波被害に遭った2カ所を訪れた。


今回の訪問で特に感じた事。

復興のスピードが遅い。ライフラインの確保も、これまでの自身と比べ物にならないくらいに遅れている。

そして奥能登では、辛うじて道路の瓦礫だけが傍へ寄せられただけで、倒壊した家屋はそのまま手付かずになっている。

被災した住職が言っていた。

珠洲市で公費解体を希望している7,500件のうち、受付されたのは1,700件ほど。

役場の対応が十分に出来ていない。他県からの応援職員もたくさん見かけたが、被災件数には対応仕切れていない。

そして、対応する業者、職人が足りない。

半島という地形から、金沢に近い口能登と言われる地域は比較的被害も軽く既に瓦の葺き替えが進んでいるところもある。

また、奥能登に多い空き家の問題も深刻で、所有者不明や相続問題などにより、何ら手を加えられていない建物も多い。


この先、どういった手順で復興に向けて進んでいけるのか、とても心配である。


建物が全壊したある住職が言った。

能登での生活を取り戻すには長い年月がかかる。能登の事を忘れないでほしい。その事を北海道で伝えて欲しい。


その約束を北海道で果たして行きたい。