5/2から5/7にかけての能登訪問を終えて
1/1の地震発災から、能登を訪れたいという思いが続いていた。
GWに行けないか。特に宿の手配が鍵となっていた。
2月の段階では、能登半島の何処も宿の受け入れをしていない状況であったが、3月には羽咋や七尾でごく少数の宿泊施設が窓口を開けている事がわかった。
しかし、奥能登ではそれが皆無であった。
ネットで調べていたら、珠洲市の被災した民宿で被害の少なかった食事会場の広間を寝泊まりの場所として営業を始めたと、北陸中日新聞の記事を見つけた。
その宿に電話を入れて、状況を聞いた。
水も出ないし食事を提供出来ない。ただ寝るだけとして、ボランティアを中心に受け入れている。との事だった。GWの営業を尋ねると、まだ先のことは分からない。との返答であった。
GW中の旅行の宿の受け入れの問い合わせ。と受け止められたのかもしれない。と、自身で感じながら、
「復興を応援しています」という事を言うのが精一杯で電話を切った。
その後、運良く珠洲市内の宿が取れたのは既報のとおり。
さて、訪問した時、能登半島は新緑が美しく、ツツジが咲き乱れる季節であった。
前半の拠点とした七尾市では、毎年5月1日から始まる青柏祭(せいはくさい)という祭りの期間である。デカ山と呼び親しまれる山車が市内を廻る。
能登を離れた方も祭りと田植えで帰省し、GWは一年で一番賑わう1週間であったが、今年の青柏祭は残念ながら中止となった。
今回、能登を巡る中でいくつかの言葉に出会った。
市バスの前面に貼られた
「がんばろう能登、がんばろう石川」
ある港に掲出されていた
「能登が好き、だからここで頑張る」
寺院の掲示板にあった
「あきらめなければ 必ず 道はある 必ず」
「人はみな、生かされて 生きてゆく」
これらの言葉に胸が熱くなり、私自身が勇気づけられた。
珠洲市蛸島漁港では、漁が再開されたが出航できるのは週に2回のみ。
まだ水が確保できない上に、氷の調達も難しいから漁が十分に出来ない。
そして、今は田に水が入り、水田となる時期。
奥能登でも荷台に苗を乗せて走る軽トラがあった。
田んぼも農機具も被災から免れた所だけが、田植えをできるのだと思う。
被災を乗り越えて、新たな営みに踏み出す姿にも力をもらった。
そして、丸4日間で16カ寺を訪れた。
本堂が全壊している寺でも座敷に上げていただき、それぞれにお茶菓子、お茶、コーヒーでもてなしてくれた。食事を用意してくれたり、有り合わせのもので申し訳ないと言いながら、土産を持たせてくれた方も沢山いる。
改めて、能登の優しさに触れることができた。
そして、風光明媚という言葉がピタリと当てはまる景色に感動した。
海の煌めき、緑もゆる山、川底まで透きとおる水のせせらぎ。
やはり、私は能登が好きだと、改めて感じた。
皆さんも
落ち着いたら、ぜひ能登に旅行に行っていただきたい。
ホテルよりも、民宿をお勧めする。
能登に住まいする方の優しさに能登で触れていただきたい。
能登はやさしや土までも