2024.06.23
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(マタイ7章7節から8節)
私たちが受けたこの神の奥義、神の奇蹟は、御霊によって私たちに啓示されたと言うのですね。もちろん、啓示されるその時は まだ信じていないので、私たちのうちに聖霊なる神はおられないのです。ですから、神が私たちのうちにおられないのに、私たちがそれを受け取ったということです。ものすごく大きな奇蹟だと思います。
でも、この奇蹟を世の支配者たちは受け取れないのですね。悟っていないのです。
第1コリントが書かれたこの時代の世の支配者たちというのは、ローマの支配者たちとか、サンヘドリンと呼ばれるユダヤ議会の偉い先生方とか、宗教的な指導者だったと思います。地位とか名誉、お金のある人たちでしょう。
でも、いまのこの私たちの時代は地位や名誉、お金もそうでしょうが、力ある人たち。なにか自分でできる人たち。少なくとも、自分が何かをできると思っている人たちでしょう。
このような人たちは、「私が これをする」とか、「私が これをした」という「私が、私が…」「オレが、オレが…」という考えなので、自分が神になってしまっているのですね。ですから、神がおられるのだろうかという探求心がないというふうに言えると思います。
ローマ人への手紙の1章には、全世界の被造物によって神の存在が明らかなので、それでも神を認めないという人は もう弁解の余地がないとまで言われています。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこの方、被造物によって知られ、はっきりと認められているのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ書1章20節)
また、マタイの7章8節では、だれであれ捜す者は見つけ、たたく者には開かれるというのがいまのこの教会時代、恵みの時代の約束なので、本当に神はいるのか、いないのか。だれが本当の神なのか。どういうことが本当の世界なのかという探求心があれば、神は出会ってくださる。それが私たちの今のこの時代の約束なのです。
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(マタイ7章7節から8節)
ところが、「私がこれをする。あれをする。私はこれができる」と思って自分中心で生きてしまうと、私が神になるので探求する必要がないということでしょう。
もちろん、私たちもかつてはそのようだったのです。でも、聖霊なる神のせまりをどういうわけか自由意志でパッとつかんだのですね。もちろん自由意志でつかんだ、受け取ったという側面もあるのですが、私の表現で言えば、全面的に神の不思議、神の奇蹟と言えると思います。
もちろん自由意志で受け取ったという面もあるのですが、私が受け取った。彼らが受け取れていないというのは、私の側に何のいばる要素はないと言えるでしょう。私は理解し、悟り、イエスを受け入れた。でも世の人たちはそれを受け入れていないということでしょう。そういうことを考えると、なんだか荘厳な気持ちで祈りに励めると思います。
人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。(第1コリント8章2節)
自分が偉くなってしまって偉そうに何かを言うのではなく、まず神の前にぬかずく(礼拝する)。神の奥義を握り、神の奇蹟にとどまり続けて、神の栄光をもっともっと得たいと思って祈り続けたいと思えるのではないでしょうか。それを前提に、今日の聖書箇所を見てゆきたいと思います。
ー ヨエル書2章15節から17節 ー
私たちにはこの奇蹟があり、そして私たちは見ずに信じた者の幸いをすでに受け取っており、そして、その日・その時(携挙)が来れば、私たちの栄光が、すでに受けている栄光ですが、完全に天の御国に行ったときに完全にその栄光を受け取ることができる。でも世の中はこうなりますということが今日の聖書箇所に書かれています。
もちろん、これも何度も言いますが、ラストチャンスとして神が人々にいろいろなしるしを見せるということでしょう。神の怒りの時代ですが、子どもが消えるということも悔い改めを迫る ものすごく大きなしるしでしょう。
今日の聖書箇所のヨエル書2章というのは、そもそもが いなごの襲来に備えて悔い改めの集会を宣告しているという聖書箇所です。いなごの害もそうですが、いなごのように敵が攻めて来るというふうにも解釈されています。
そして終末預言としても有名な聖書箇所で、私もよく引用する箇所のヨエル書2章28節は、今日の聖書箇所のずっと後ですが、その後、地上に残された人たちに神の霊が降り注ぐという、その後の大リバイバルとして私もよく引用する箇所です。
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。(ヨエル書2章28節*)
『その後』というのは携挙の後ということですが、この地上に残された人に神ご自身が、強制的にですが現れてくださり、神の霊を降り注ぎ、神を選ぶのか、拒絶するのかの二者択一が、自由意志を働かせるきっかけが、強制的にですが迫られるという、そのような聖書箇所が2章28節です。
今日の聖書箇所のところは、神の民が集められる。その一方で子どもたちも集められる。そして、ヤコブの苦難が始まる。ヤコブの苦難とは書いていませんが、イスラエル民族が うめきをしているという二つの世界が書かれています。終末預言としてお読みしたいと思います
:15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。
:16 民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。
:17 主に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。「主よ。あなたの民をあわれんでください。あなたのゆずりの地を、諸国の民のそしりとしたり、物笑いの種としたりしないでください。国々の民の間に、『彼らの神はどこにいるのか』と言わせておいてよいのでしょうか。」
(ヨエル書2章15節から17節)
アーメン。
ー続くー
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神を崇めず感謝もしない人々 https://youtu.be/-MD3u-AAFbA?si=bV35ZQFT6dp6rO7R
その後 https://youtu.be/y7ZaJ8DVlfU?si=MjzdanOrSpwT1VL-
携挙後の後悔 https://youtu.be/bBTji5uTlcA?si=_vpFtCrizXwJcqdi
「あなたが救われるためには」
http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/114496759.html
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REVELATION 3:8