-『1Q84』の登場人物は、青豆と天吾はもちろん、タマルにしても牛河にしても、柳屋敷の老婦人にしても、幼年時代に抑圧的な生きかたを強制されたり、なんらかのかたちで傷つけられたりした人たちだと思います。そのままいけばどうしようもなく損なわれてしまったかもしれない人たちが、自分の力でそこを抜け出し、孤独のなかで自分を作ってきた。システムというものに対抗する個人は、孤独のなかで自分をつくっていかなければならないということが、かなりはっきりと描かれているように思いました。

村上
自分をつくることは、それぞれの個人によって成功する場合もあれば、しない場合もあります。青豆と天吾に関しては愛というものが大事なポイントになっているけれど、タマルや牛河にとっては愛はそれほど効力を持っていないようです。タマルはタフでクールで、とても魅力的な人物ではあるけれども、彼は言うなれば、今いる場所に完結しています。他者との精神の深い連帯を強く求める人物ではない。なぜならたとえば愛を求めることは、青豆を見てもわかるように、自分を危うい立場に追い込むことでもあるからです。牛河にしても結局はああいう結末に向かうしかない。

村上
青豆は、自分のまわりで世界を閉鎖させるまいとする意思がきわめて強い女性です。子どもの頃、彼女は親によって、「証人会」という宗教団体の世界に閉じ込められ、信仰を強制されていた。でも、十歳のときに天吾と手を握りあったことがきっかけになって、そこから抜け出そうと心を決めます。そのときサーキットが開けるんです。彼女はその「開けて出ていく」という感覚を鮮やかに持ちつづけている人です。彼女が生きていくにあたって、それが何より重要な資格になります。自分の頭で考え、自分で判断することが。
でも、そんなふうにして生きていくのは非常にきついことです。それはあるときには激しい怒りを引き起こり、彼女は確信的に連続殺人を犯すことになります。性的な饗宴めいたことにものめり込んでいきます。それでも彼女が正気を保ち、自己を確保しつつ生きていけるのは、天吾と手を握りあったときに感じた、人と人とのコミュニケーションの温もりや深さを、信じ続けているからです。
天吾には、そこまでの怒りや混乱はありませんが、それでもやはり自分自身を開いていかなくてはという思いは強くあります。だから自分を狭い世界に閉じ込めようとする父親から離れるべく努力するし、完結した静謐な数学の世界から、混乱に満ちた物語へと移行していきます。…
その二人が『1Q84』という世界をそれぞれどのように生き抜いていくか。システムの中で個人を貫くという、孤独きわまりない厳しい作業に耐えながら、どのように心の連帯をいま一度手に入れるか、『1Q84』は、結局そういう流れの話だと思うんです。実際に書いているときには、そんなこととくに考えませんでしたが。
村上
もう一つの問題は、システムは、それがどのようなシステムであれ、個々の人間が個々に決断を下すことを、ほとんどの場合認めないということです。たとえば麻原は、教団の人間になにかを強制しようとするとき、まず彼らが個々の判断を下せないように訓練します。絶対帰依、と彼らはそれを呼びます。僕はそれを「クローズドサーキット」と呼んでいます。サーキットを閉鎖してしまってそこからは出さずに、上が判断したとおりの方向に、ネズミみたいに走らせる。そこで人は方向感覚を奪われ、強制する力が善であるか悪であるかということすら判断できない状況に追い込まれます。それがオープンサーキットであれば、ある程度の個人的判断が可能なんです。でも一回封鎖されてしまうと不可能になる。サリンを撒けと命じられたときノーと言えばよかったじゃないかとか、サリンの袋を持って逃げればよかったじゃないかとか言う人がいますが、クローズドサーキットに一回入ってしまうと、そんなことまずできなくなってしまいます。…麻原がそのシステムを何から学んだかといえば、国家権力から学んでいます。ナチは徹底的な思想教育をすることによって、サーキットを閉鎖系にし、ユダヤ人の虐殺を上から指令として押しつけた。たぶんアイヒマンという人間自体は悪でも善でもないんでしょう。…命令の内容が善であるか悪であるかということを判断する基準もないし、つもりもありません。だから戦後逮捕されてイスラエルで死刑判決を受けたときにも、その意味がまったく理解できていない。…どうして自分が死刑になるのか、本人はまるで理解できていない。そういう思考の閉鎖性というのは、考えてみたら本当に怖いことです。とくにいまのように情報が溢れかえったインターネット社会にあっては、自分がいま何を強制されているかすら、だんだんわからなくなってきている。自発的にやっているつもりのことさえ、実は情報によって無意識に強制されているかもしれない。

-見えないかたちでシステムによって強制されていることを、あたかも自分の意思で選択したように思っていることがあるということですね。

村上
そうです。そういうことは、みんなが考えているよりずっと簡単に起こりうるんです。