村上
もう一つの問題は、システムは、それがどのようなシステムであれ、個々の人間が個々に決断を下すことを、ほとんどの場合認めないということです。たとえば麻原は、教団の人間になにかを強制しようとするとき、まず彼らが個々の判断を下せないように訓練します。絶対帰依、と彼らはそれを呼びます。僕はそれを「クローズドサーキット」と呼んでいます。サーキットを閉鎖してしまってそこからは出さずに、上が判断したとおりの方向に、ネズミみたいに走らせる。そこで人は方向感覚を奪われ、強制する力が善であるか悪であるかということすら判断できない状況に追い込まれます。それがオープンサーキットであれば、ある程度の個人的判断が可能なんです。でも一回封鎖されてしまうと不可能になる。サリンを撒けと命じられたときノーと言えばよかったじゃないかとか、サリンの袋を持って逃げればよかったじゃないかとか言う人がいますが、クローズドサーキットに一回入ってしまうと、そんなことまずできなくなってしまいます。…麻原がそのシステムを何から学んだかといえば、国家権力から学んでいます。ナチは徹底的な思想教育をすることによって、サーキットを閉鎖系にし、ユダヤ人の虐殺を上から指令として押しつけた。たぶんアイヒマンという人間自体は悪でも善でもないんでしょう。…命令の内容が善であるか悪であるかということを判断する基準もないし、つもりもありません。だから戦後逮捕されてイスラエルで死刑判決を受けたときにも、その意味がまったく理解できていない。…どうして自分が死刑になるのか、本人はまるで理解できていない。そういう思考の閉鎖性というのは、考えてみたら本当に怖いことです。とくにいまのように情報が溢れかえったインターネット社会にあっては、自分がいま何を強制されているかすら、だんだんわからなくなってきている。自発的にやっているつもりのことさえ、実は情報によって無意識に強制されているかもしれない。
-見えないかたちでシステムによって強制されていることを、あたかも自分の意思で選択したように思っていることがあるということですね。
村上
そうです。そういうことは、みんなが考えているよりずっと簡単に起こりうるんです。
もう一つの問題は、システムは、それがどのようなシステムであれ、個々の人間が個々に決断を下すことを、ほとんどの場合認めないということです。たとえば麻原は、教団の人間になにかを強制しようとするとき、まず彼らが個々の判断を下せないように訓練します。絶対帰依、と彼らはそれを呼びます。僕はそれを「クローズドサーキット」と呼んでいます。サーキットを閉鎖してしまってそこからは出さずに、上が判断したとおりの方向に、ネズミみたいに走らせる。そこで人は方向感覚を奪われ、強制する力が善であるか悪であるかということすら判断できない状況に追い込まれます。それがオープンサーキットであれば、ある程度の個人的判断が可能なんです。でも一回封鎖されてしまうと不可能になる。サリンを撒けと命じられたときノーと言えばよかったじゃないかとか、サリンの袋を持って逃げればよかったじゃないかとか言う人がいますが、クローズドサーキットに一回入ってしまうと、そんなことまずできなくなってしまいます。…麻原がそのシステムを何から学んだかといえば、国家権力から学んでいます。ナチは徹底的な思想教育をすることによって、サーキットを閉鎖系にし、ユダヤ人の虐殺を上から指令として押しつけた。たぶんアイヒマンという人間自体は悪でも善でもないんでしょう。…命令の内容が善であるか悪であるかということを判断する基準もないし、つもりもありません。だから戦後逮捕されてイスラエルで死刑判決を受けたときにも、その意味がまったく理解できていない。…どうして自分が死刑になるのか、本人はまるで理解できていない。そういう思考の閉鎖性というのは、考えてみたら本当に怖いことです。とくにいまのように情報が溢れかえったインターネット社会にあっては、自分がいま何を強制されているかすら、だんだんわからなくなってきている。自発的にやっているつもりのことさえ、実は情報によって無意識に強制されているかもしれない。
-見えないかたちでシステムによって強制されていることを、あたかも自分の意思で選択したように思っていることがあるということですね。
村上
そうです。そういうことは、みんなが考えているよりずっと簡単に起こりうるんです。