先週、3強対決で注目され行われました伝統の第164回

天皇賞は、直線でエフフォーリア、コントレイル、グランアレ

グリアの3強対決となり、3歳皐月賞馬エフフォーリアがコント

レイルとグランアレグリアとの接戦を制して優勝。

鞍上の横山騎手は史上初の天皇賞親子三代制覇の偉業を

達成しました。

この3頭による直線での死闘は、今後天皇賞での名勝負として

長く語り継がれて行くことでしょう。

場内の多くのファンからも3頭の名勝負に対して大きな拍手が

沸き起こり、本当に感動しました。

各馬、伝統の天皇賞にふさわしい素晴らしいレースでした。

エフフォーリアの関係者の皆様、本当におめでとうございます。

今週は、東京競馬場で第59回アルゼンチン共和国杯が

行われます。

日本とアルゼンチンの友好と親善の一環として、1963年に

アルゼンチンジョッキークラブカップの名称で創設されました。

1974年にアルゼンチンの競馬がジョッキークラブから国の

管轄へ移管されたことに伴い、1975年から現在の名称に

なりました。

そして、1984年(昭和59年)のグレード制導入と重賞格付けの

全面見直しに伴い、それまで年2回施行されていた伝統の目黒

記念の秋の競走が廃止される代替として施行時期を5月から

目黒記念秋が行われていた11月に移行し、4歳(現3歳)以上の

馬によるハンデキャップ競走として東京競馬場で施行されるよう

になりました。

 

思い出の馬は、昭和49年第12回優勝馬トーヨーアサヒです。

トーヨーアサヒは私が史上最強の世代と思っています

昭和47年のクラシック組で後に逃げる精密機械と呼ばれた

昭和期を代表する長距離の逃げ馬でした。

トーヨーアサヒの父は昭和期を代表するステイヤー系の

名種牡馬セダンです。

昭和期においては、逃げ馬、先行馬、差し馬、追い込み馬など

馬の個性に合わせて、特徴がハッキリしていたと思います。

近年は、そういった個性あふれる馬が少なくなり、大逃げや絶対に

先行する等の馬がいないため、レースはいつもスローペースで

展開し、直線だけの上りの競馬になってしまう等、つまらない

競馬が多くなってしまったような気がします。

その点、トーヨーアサヒは典型的な逃げ馬の代表格で有り、ツボに

はまれば優勝、上手く逃げられなければ惨敗する等、本当に

個性的なレースを披露し、競馬を盛り上げてくれました。

そして逃げを展開する時、まるで精密機械のように正確なラップを

踏んだため、いつしかファンはトーヨーアサヒを逃げる精密機械

と呼びようになりました。

トーヨーアサヒは旧馬齢3歳でデビューし、3戦目で初勝利を

あげたものの、その後、距離が足りなかったのか惜敗が

続きました。

年が明けて4歳になって特別レースに勝って3勝目をあげ、

クラシック戦線に間に合ったものの、当時の花の昭和47年組

には東西で強豪が揃っていたため、トーヨーアサヒに出番は

ありませんでした。

秋になって初戦の京王杯AHで軽量を活かし、ジョセツや

カツタイコウを退けて初の重賞優勝を飾りました。

続くセントライト記念に出走しましたが、3着に敗れたため

菊花賞に向かわずに東京での重賞競走に出走するも惨敗が

続きました。

年が明けて古馬になってからも低迷が続きましたが、長距離の

ダイヤモンドステークスで軽量と持ち味を活かしてレコード

タイムで優勝。

その後、惜敗や惨敗を繰り返しながらも日本経済賞に優勝し

暮れのステイヤーズSではまたもレコードタイムで優勝しました。

やはり長距離のレースで自分のペースに持ち込んだ時の

トーヨーアサヒは本当に強かったと思います。

6歳になったトーヨーアサヒは中山記念でハイセイコーと

タケホープと対戦し、ハイセイコーの大差の復活圧勝劇の中、

最後まで逃げ粘って、タケホープをおさえて2着に入りました。

続く得意のダイヤモンドステークスでは軽量馬に敗れたものの

当時の名称のアルゼンチンJCCで天皇賞馬ベルワイドやヒロクニ

やイナボレスをやぶって優勝し、健在ぶりを示しました。

しかし、この優勝がトーヨーアサヒにとって最後の勝利と

なりました。

長年の疲労が重なり突如燃え尽きてしまったのか、その後の

レースでは逃げるものの、どこか精彩を欠いて惨敗が続きました。

そして、ハイセイコーとタケホープが引退を発表し、最後の対戦と

なった有馬記念にトーヨーアサヒも出走しました。

誰もがトーヨーアサヒが逃げると思っていましたが、ゲートが

開いてスタートを切ると、年齢からくる衰えか、先行したのは

タニノチカラでトーヨーアサヒには、もう逃げる力もスピードも

ありませんでした。

4コーナーではズルズルと下がって行き、しんがりの9着に

終わりました。

逃げ馬は、思い通りに逃げて鮮やかに逃げ切り勝ちする時は

カッコいいですが、衰えによって先手も取れずにズルズル

下がって行く姿を見るのは、本当に寂しい限りです。

そしてトーヨーアサヒも、この有馬記念を最後に、競馬場を

去りました。

その後種牡馬になったものの、当時の内国産種牡馬は受難の

時代であり、長距離血統や馬体が小さかったことも不利だった

のか産駒には恵まれませんでした。

私が牧場めぐりをしている際、トーヨーアサヒの種牡馬繋養の

看板を見かける度に安堵していましたが、いつしか種牡馬を

引退し、その後の消息が不明となってしまったことは本当に

残念です。

小さな馬体で一生懸命頑張ったトーヨーアサヒが最後は

どのような馬生をおくって、どこでどのように亡くなったかの

記録が無いのが本当に残念です。

今週は東京競馬場で第59回アルゼンチン共和国杯が

行われます。

旧秋の目黒記念の位置づけで、これからのジャパンカップや

有馬記念を占う意味で大事なレースです。

昨年の覇者オーソリティや上り調子でステイヤー系の

アンティシペイトとフライライクバードに注目しています。

先週は大勢の観客の中、素晴らしい天皇賞を見る事が

できました。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週行われましたクラシック三冠目第82回菊花賞は4番人気の

関東馬タイトルホルダーがスタート直後から先手を取って積極的な

逃げを行い、直線では二の足を使って他馬を突き放して優勝。

春のクラシックやトライアルの雪辱を果たし、最後の1冠をついに

獲得しました。

2着には春は怪我に泣いた3番人気のオーソクレースが入り、

2番人気のステラヴェローチェは直線で追い込むも4着となり

1番人気のレッドジェネシスは13着に惨敗しました。

今週は東京競馬場で伝統の第164回天皇賞秋が行われます。

3冠馬コントレイルやマイル王グランアレグリア、皐月賞馬エフ

フォーリア、天皇賞馬ワールドプレミア等、豪華メンバーが

出走します。

天皇賞の歴史は古く、昭和12年秋から帝室御賞典という名称で

行われ、JRAではこの年を天皇賞の第1回目としています。

帝室御賞典は戦争のため昭和19年に中止され、昭和22年春に

平和賞の名称で再開し、同年秋からは天皇賞と改称され現在に

至っています。

 

そして創設以来、1度優勝した馬は再出走を認めないとされて

きましたが、昭和56年に廃止され、過去の優勝馬も再出走が

可能になりました。

その後、スタミナよりもスピードの強化を重視する意見など賛否

両論があったものの、昭和59年から秋の天皇賞は施行距離が

2000mに短縮され、更に古馬の最高峰として位置づけられて

きた天皇賞でしたが、昭和62年からは4歳馬も出走が可能に

なり、これにより各馬は、様々な選択肢が取れるようになりました。

当時、天皇賞への再出走が可能となったことで引退時期が伸び

たり、天皇賞の連覇や天皇賞馬同士の激突が見られることで

大変嬉しく思いましたが、距離が短くなったことで東京競馬場での

1周目に起こる大歓声が聞けなくなったことが残念でした。

中距離馬にも天皇盾の夢をということでは仕方がないことかも

知れません。

そして平成13年からは4歳馬(現3歳)も出走可能となりましたが、

私個人としては古馬の最高峰という伝統は継承して欲しかった

という気持ちがあります。

良いか悪いかは判りませんが、現に今年の菊花賞にダービー馬

も皐月賞馬も出走しないのは、本当に寂しい限りです。

思い出の馬は昭和45年第62回優勝馬で初の芦毛の天皇賞馬

となったメジロアサマです。

今は無きメジロ牧場を代表する名馬の1頭です。

父は万能型の種牡馬パーソロンで、メジロアサマの他シンボリ

ルドルフ、サクラショウリ、ナスノカオリ、ナスノチグサ、タケフブキ

トウコウエルザ等のクラシック優勝馬や数多くの重賞勝ち馬を

輩出した昭和期を代表する名種牡馬です。

メジロアサマは昭和44年のクラシック組でワイルドモア、ミノル

ハクエイホウと共に尾形厩舎四天王の1頭でした。

デビューは夏の北海道で2戦目から3連勝を飾り、尾形厩舎

四天王の1頭として素質の片鱗を見せました。

しかし、クラシック戦線では惜敗が続き、デビューから12戦目で

迎えた日本ダービーでは16着に惨敗しました。

その後、夏の北海道に参戦し、4歳時はオープン戦等3勝するも

重賞制覇はなりませんでした。

4歳時だけで13戦しており、今では考えられないような使われ方

でしたが、よく故障もせずに頑張ったと思います。

年が明けて古馬になったメジロアサマは惜敗が続きましたが、

オープン戦をレコード勝ちした後、安田記念に挑戦し、見事

1番人気に応え、重賞初勝利を飾りました。

その後、夏の北海道に参戦すると函館記念に優勝し、ついに

本格化を果たしました。

東京に戻り、目黒記念に出走するも2着に敗れ、これまで中距離

路線を歩んで来たことから、距離への不安視が囁かれる中で

第62回天皇賞に挑みました。

このレースには同期の菊花賞馬アカネテンリュウやダテハクタカ

重賞3勝し4回目の天皇賞挑戦となるフイニイ等、長距離の

スペシャリストが揃ったため、メジロアサマは5番人気でした。

しかし、直線に入るとメジロアサマは鋭く抜け出し、内をついて

追撃するフイニイや外から追い込んで来たアカネテンリュウを

退けて優勝し、初の芦毛の天皇賞馬が誕生しました。

この勢いで有馬記念に挑戦しましたが、5着に敗れてしまい

ました。

この年も何と13戦して5勝し、うち3勝は重賞優勝する等、酷使

される中、本当に見事な活躍でした。

明けて6歳になってオープン戦を勝利して迎えた目黒記念では

斤量61キロを背負って同門で後輩のメジロムサシと対決しま

したが,斤量の差かアタマ差で2着に敗れました。

それでもアルゼンチンJCCに優勝し、迎えた宝塚記念で

再びメジロムサシと激突しましたが、またしてもアタマ差の2着

に敗れましたが、このレースもメジロのワンツーとなりました。

そして秋になって迎えた京都大賞典の前身であるハリウッド

ターフクラブ賞では、メジロムサシと斤量が逆転する中で、今度は

メジロアサマがメジロムサシをやぶって優勝、雪辱を果たしました。

このレースも2頭のメジロのワンツーで決まったため、競馬ファンは

まさにメジロ記念だと言っていました。

そして暮れの有馬記念に出走予定でしたが、流感(馬インフル

エンザ)騒動に巻き込まれたため、同期のアカネテンリュウと共に

出走取消となってしまいました。

明けて7歳になったメジロアサマは現役を続行し、初戦の中山

記念では敗れたものの、続くアメリカJCCではレコードタイムで

優勝し、古豪としての存在感を示しました。

その後宝塚記念に出走するも、苦手な不良鵜馬場となったため

6着に敗れてしまいました。

秋になってオープン戦に勝利したものの、有馬記念を最後に引退

することを表明し、ラストランなる有馬記念に出走しました。

このレースには史上最強の世代と言われる昭和47組からは

菊花賞馬イシノヒカル、ダービー馬ロングエースやトクザクラ、

天皇賞馬メジロムサシやベルワイド、桜花賞馬ナスノカオリ等、

超豪華メンバーが揃いました。

菊花賞に勝って勢いに乗るイシノヒカルが1番人気に推され、

引退を知ったファンからの応援もあってか、メジロアサマは

2番人気に推されました。

レースは同期のパッシングゴールが果敢に逃げる展開となり、

メジロアサマは後方からの競馬となりました。

直線に入って真ん中を割って直線の荒法師イシノヒカルが突き

抜ける中、ファンからの大声援を受けながらメジロアサマは必死に

内から差を詰めて追い込むも2着に敗れましたが、メジロアサマ

らしい、本当に見事な2着であり、ラストランでした。

引退後パーソロンの後継種牡馬として種牡馬生活に入ったメジロ

アサマでしたが、現役時代にかかった流感の治療に抗生物質を

使用した事による後遺症もあって、受胎率が極めて低かったため

シンジケートも解散してしまいました。

しかし馬主であった北野豊吉オーナーどうしてもメジロアサマの

産駒で天皇賞を獲得することを夢見てメジロアサマを引き取った

上で様々な治療や良血の繁殖牝馬に種付けを行いました。

そしてメジロアサマの産駒は生涯で19頭しか恵まれません

でしたが、数少ない産駒から天皇賞馬メジロティターン、後に

京都大賞典に優勝し、牝馬クラシックでも桜花賞2着・オークス

4着と健闘したメジロカーラ、故障続きで本来の能力を発揮

出来なかった希代の快速馬と言われたメジロエスパーダ等を

輩出しました。

そしてその後メジロティターン産駒のメジロマックイーンが天皇賞に

優勝し、ついに北野オーナーの夢だった父子三代天皇賞制覇を

成し遂げました。

種牡馬を引退した後は、生まれ故郷メジロ牧場で静かに余生を

送っていましたが、北野豊吉オーナーが亡くなった2年後の

1986年1月15日老衰のため静かに20年の生涯を終えました。

今週は東京競馬場で伝統の第164回天皇賞秋が行われます。

3冠馬コントレイルはじめとする中距離の女王グランアレグリア、

皐月賞馬エフフォーリア、天皇賞馬ワールドプレミア、GⅠの

常連カレンブーケドール等、超豪華メンバーが揃いました。

今年の天皇賞は引退まであと2走となり、世代ルをかけた

コントレイルの走り、3歳皐月賞馬エフフォーリアVS古馬陣、

中距離の女王グランアレグリアの2000mへの挑戦、菊花賞、

天皇賞春に優勝した名ステイヤーのワールドプレミアの2000m

での走り、カレンブーケドールの執念の挑戦等、今年の

天皇賞秋はいろいろな面で注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。

先週行われました第26回秋華賞は4番人気の三冠牝馬

アパパネの娘アカイトリノムスメが優勝。

春のクラシック戦線では惜敗が続きましたが、ついに三冠目を

獲得することが出来ました。

さすが良血馬、見事な勝利でした。

2着には直線で追い込んで来た2番人気のファインルージュが

入り、圧倒的1番人気の純白のアイドル、ソダシは直線に入って

伸びずに馬群に沈みました。

フジテレビの競馬中継でレース直前に元騎手の細江さんが

ゲート前での各馬の様子についてコメントしましたが、その際

ソダシだけが厩務員さんに引かれてゲートまで連れて来られて

いる点を指摘し、何か嫌がっているのか、それとも何かあったの

かも知れませんと言っていたのが、今思えば当たっていたのだと

思います。

ソダシの異変に気付いた細江さんの馬を見る目、さすがで

凄いと思います。

敗因は何かにぶつけて歯がぐらついて出血していたためなのか、

坂のある2000mの距離が長かったのか、それとも何かあって

走るのを嫌がったのか、本当の理由はソダシしか判りません。

いずれにせよ大事に至らなかったようで良かったです。

今週はクラシック最終戦、第82回菊花賞が42年ぶりに

京都競馬場ではなく、阪神競馬場で行われます。

菊花賞はイギリスのセントレジャーを範にとり、1938年に京都

農林省賞典四歳呼馬の名称で4歳 (現3歳)馬による重賞競走

として創設されました。

そして1948年より現名称の菊花賞となり、クラシック三冠競走の

最終戦として行われています。

 

思い出の馬は、昭和44年第30回優勝馬アカネテンリュウです。

黒鹿毛の馬体で名前も日本的でカッコ良くて大好きな馬でした。

旧馬齢4歳の春の時点では全くの無名だった馬が夏から

急成長を遂げ、菊花賞に優勝したことから、その後昭和期では

夏からの上り馬のことを第二のアカネテンリュウとか、アカネ

テンリュウの再来とか言われていました。

昭和期、毎年この頃になるとJRAやマスコミでは第二のアカネ

テンリュウはいるかというキャッチフレーズを掲載していました。

アカネテンリュウは、私がまだ小さい頃初めて見た昭和44年の

日本ダービーの昭和44年クラシック組で同期にはミノル、トウメイ

メジロアサマ、ダイシンボルガード、リキエイカン、ワイルドモア等が

いましたが、初めて競馬を見た年の馬達のことは、何故か今でも

鮮明に覚えています。

アカネテンリュウは、旧馬齢3歳でデビューしましたが、なかなか

勝てずに初勝利は昭和44年の4月だったため、クラシック戦線に

参戦することは出来ませんでした。

その後東京、夏の函館シリーズで3連勝を飾り、ついに格上の

菊花賞トライアルのセントライト記念に挑戦し、7番人気であった

にも係わらず、春のクラシックの主役であったミノルをやぶって

優勝しました。

春は全くの無名だった馬が一躍注目されることになりました。

そして菊花賞の前哨戦の京都杯で2着となり、本番の菊花賞

では、堂々の1番人気となりました。

レースは重馬場という悪コンディションの中で行われ、ハクエイ

ホウやキングスピードが目まぐるしく入れ替わって逃げる中、

アカネテンリュウは中団を進みました。

レース実況では春先無名だったアカネテンリュウの実力には

まだ懐疑的だったのか、ベテラン保田騎手騎乗のミノルや

ダービー馬ダイシンボルガードに注目していたようでした。

4コーナーで一気に勝負に出たアカネテンリュウは直線で一気に

リキエイカン以下を引き離して優勝を飾りました。

春は無名だった馬が夏を越してついにクラシック三冠目を獲得し

菊花賞馬になりました。

この事実は競馬界にとって衝撃を与え、その後毎年この時期に

なると第二のアカネテンリュウはいるかと言われるように

なりました。

アカネテンリュウはこの勢いのまま、有馬記念に参戦し、歴戦の

古豪スピードシンボリを追いつめるも鼻差届かず、2着に敗れ

ましたが、その能力の高さにアカネテンリュウ時代の幕開けとも

言われました。

年が明けて古馬になったアカネテンリュウは期待されたものの

なかなか勝てず、春の天皇賞では1番人気に推されましたが、

同期のリキエイカンの5着に敗れてしまいました。

その後、日経賞やオープン戦等4連勝を飾り、秋の天皇賞に

挑みましたが、今度は同期のメジロアサマの3着に敗れました。

実況アナが敗れたアカネテンリュウの姿を見て「がっくり肩を

落としたアカネテンリュウ」と言ったのを今でも覚えています。

そして有馬記念に出走し、再び8歳の古豪スピードシンボリを

菊花賞馬ダテテンリュウと共に両テンリュウでクビ差追いつめるも

またしても2着に敗れてしまいました。

スピードシンボリは有馬記念初の2連覇を達成となりました。

そして、この2年連続で繰り広げられたスピードシンボリとアカネ

テンリュウの死闘は、競馬史上に残る名勝負として、これからも

語り継がれていくと思います。

6歳になったアカネテンリュウはAJC杯に優勝するも体調を崩して

休養を余儀なくされましたが、何とか夏の思い出の函館で復帰し、

秋の目黒記念ではダイシンボルガードやコンチネンタルを

やぶって優勝し、健在ぶりを示しました。

そして悲願の天皇盾獲得に向けて3回目の天皇賞に挑み

ましたが、同期にトウメイの10着に敗れてしまいました。

この頃、中央競馬では感冒が流行り、今思えばこの時既に

体調が良くなかったのではないかと思います。

現に有馬記念は感冒で出走を取り消しています。

7歳になったアカネテンリュウは現役を続けましたが、もう7歳の

アカネテンリュウには上がり目は無いのではと言われていました。

しかし、中山記念で2着になると続く東京新聞杯では雨女

ラファールをやぶって優勝し、古豪の健在ぶりを示しました。

そして悲願の天皇盾獲得を目指し、4度目の天皇賞に挑戦

しましたが、新鋭のベルワイドの3着に敗れました。

そしてこのレースがアカネテンリュウの最後のレースとなりました。

東京競馬場の大観衆の中で引退式が行われ、多くのファンから

彼の功績を称え、温かい拍手をもらい静かに競馬場を去りました。

引退後は種牡馬になったものの、内国産種牡馬の不遇の時代で

あったため、代表産駒には恵まれなかったことがとても残念です。

私もアカネテンリュウの大ファンであったため、どうしても会い

たくて、わずかな情報を頼りに那須種場所まで会いに行きました。

当時そこにはグリーングラスの父となったインターメゾもいました。

憧れのアカネテンリュウに会えた喜びと感動は、今でも忘れ

られません。

当時は学生が会いに来るのが珍しかったようで、牧場の方の

ご厚意により、アカネテンリュウと幸せなひと時を過ごすことが

出来ました。

牧場の人の話によるとアカネテンリュウはリンゴが大好きで

それも当時高級リンゴだったむつやゴールデンデリシャスでは

なく、雪の下というリンゴが好きとのことでした。

1985年1月15日腸閉塞のため、18年の生涯を閉じました。

今週は阪神競馬場で第82回菊花賞が行なわれます。

ダービー馬と皐月賞馬が無事でありながら、菊花賞に出走しない

ということが本当に残念です。

京都競馬場での菊花賞3000mは、何故かいつもスローペース

となるため、マイラーでも持つと言われていました。

今年は阪神競馬場になったため、長距離を嫌ったのでしょうか。

ダービー馬と皐月賞馬がクラシック最終戦で決着をつけるため、

出走し、夏の上り馬と共に戦って欲しかったと思います。

昔から皐月賞は最も速い馬が勝つ、ダービーは最も運のある馬が

勝つ、菊花賞は最も強い馬が勝つと言われてきました。

馬の適性に合わせたレース選択は時代の流れなのかも知れ

ませんが、このままでは菊花賞の距離も短くなってしまうのでは

危惧してしまいます。

注目はやはり春のクラシック戦線で活躍し、トライアルの神戸

新聞杯を勝ったステラヴェローチェです。

そして実力馬オーソクレースと素質がなかなか開花しない

グラティアス、上り馬モンテディオに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを見ます。