先週、新潟競馬場で行われました第42回新潟2歳

ステークスは、未勝利戦を勝った後、連闘で挑んだ

4番人気のキタウイングが出遅れながらも、直線で

鋭く伸びて差し切り、初重賞を獲得しました。

2着には外から追い込み、やはり連闘で挑んだ

3番人気のウインオーディンが入り、3着には

2番人気のシーウィザードが入り、1番人気の

アイスグリーンは直線で伸びを欠き5着に

敗れました。

夏競馬も最終週となり、今週は新潟競馬場で

フィナーレを飾る新潟記念が行われます。

1965年に4歳(現3歳)以上の競走馬によるハンデ

キャップの重賞競走として創設され、新潟競馬場で

行われる重賞競走では最も歴史が古いレースであり

現在は秋の中長距離戦線へ向けた前哨戦としても

位置付けられています。

 

思い出の馬は、昭和62年第4回優勝馬ダイナ

フェアリーです。

ダイナフェアリーは昭和61年のクラシック組で

同期には中央競馬史上初の牝馬三冠馬メジロ

ラモーヌやダイナアクトレス、ユウミロク、ロイヤル

シルキー等がいます。

特に日本競馬の歴史を変えた大種牡馬ノーザン

テーストを父に持つ同馬主のダイナアクトレスとは

社台ファームを代表する二大牝馬として活躍しました。

ダイナフェアリーは旧馬齢3歳の秋にデビューすると

新馬戦を圧勝。

続く3歳牝馬ステークスでは後の牝馬3冠馬メジロ

ラモーヌの2着に敗れるも、年が明けて4歳初戦の

京成杯では後の天皇賞馬ニッポーテイオーや

皐月賞馬ダイナコスモスをやぶり、初重賞を獲得

しました。

その後、メジロラモーヌとダイナアクトレスと共に

牝馬クラシック有力候補となって西下しましたが

桜花賞トライアルではメジロラモーヌの4着にやぶれ

本番の桜花賞でも持ち前の能力を発揮することなく

17着に惨敗してしまいました。

その後はオークスを断念して中距離路線を進むと

秋には古馬との混合戦となる牝馬東京タイムズ杯に

参戦し、先輩のダイナシュートやダイナシュガーを

やぶって優勝、2つ目の重賞を制覇しました。

その後、ダイナアクトレスが当時の牝馬3冠目の

エリザベス女王杯を前に戦線離脱したことにより

当初予定になかったエリザベス女王杯に参戦、

敗れはしたものの、中央競馬史上初の牝馬三冠馬

メジロラモーヌの前に4着と善戦しました。

年が明けて古馬となったダイナフェアリーは牡馬

との混合戦となった金杯でも2着に敗れたものの

ウインドストースやサクラサニーオー、ランニング

フリー等の重賞勝ち馬に先着する等、健闘しました。

しかし、馬主の関係からか、ダイナアクトレスが安田

記念に向かうとダイナフェアリーは中山牝馬Sを

2着後、エプソムカップに進み、このレースでも

見事に人気に応えて優勝を飾りました。

その後、夏競馬に参戦し、七夕賞2着後、新潟記念

に出走、持ち前のスピードを活かして同期で4連勝中

だったダイナブリーズや先輩のダイナシュートを

やぶって、見事な勝利を飾りました。

そしてその勢いのままにオールカマーに参戦し、

ここでも安田記念優勝馬フレッシュボイス等を

やぶって優勝、まさに絶頂期を迎えていました。

中距離で結果を出したダイナフェアリーは、このまま

天皇賞秋に向かうと思われましたが、またしても

馬主の関係からかダイナアクトレスが天皇賞秋への

出走が決まるとダイナフェアリーは、再びマイル路線

を進むことになり、短距離戦のスワンステークスと

マイルチャンピオンシップに出走するも、急な方向

転換について行けなかったのか、レースでは精彩を

欠き、マイルチャンピオンシップでの5着を最後に

引退が決まり、繁殖のため静かに競馬場を去りました。

タラレバですが、ダイナフェアリーは新潟記念や

オールカマーの中距離で好成績を上げていただけに

もし天皇賞秋に出走していたらと思うと、とても

残念です。

ただ、ダイナフェアリーは繁殖にあがってからも

大活躍を見せてくれました。

繁殖入りしてからは、仔出しも良く、生涯で15頭の

産駒を輩出し、その中からはセントライト記念や

目黒記念、アメリカJCC等に優勝し、独特な遮眼帯

が特徴だったローゼンカバリーや青葉賞優勝馬

サマーサスピションの代表産駒をはじめ、地方競馬

での重賞勝ち馬等、多くの産駒を送り出してくれました。

ダイナフェアリーは2007年の出産を最後に繁殖生活

を引退し、功労馬として最後は北海道のスガタ牧場で

余生を過ごしていました。

当時のスポーツ紙の記事によりますと、晩年は

右後肢の踏ん張りが利かなかったため、寝たら

起き上がれないのがダイナフェアリー自身で

分かっていたのか、壁に寄りかかるように寝て

いたそうです。

そして、最後は放牧地でつまずいて転んだ際

自力で起きあがれなくなってしまったそうです。

2015年1月28日、名牝ダイナフェアリーは

32年間の生涯に幕を閉じました。

今週は早いもので夏競馬のフィナーレを飾る

第58回新潟記念が行われます。

勢いのあるイクスプロージョン、巻き返しを図る

カイザーバローズとスカーフェイス、フェーン

グロッテンに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながら、レースを観ます。

先週、札幌競馬場において白毛牝馬いとこ対決や

GⅠ馬の共演による豪華メンバーで行われました

夏のスーパーGⅡ札幌記念は3番人気のジャック

ドールが直線に入って逃げ粘る2番人気の

パンサラッサをクビ差で差し切り、金鯱賞に続く

重賞2勝目を挙げました。

2着には軽快に逃げた2番人気のパンサラッサが

入り、3着には5番人気のウインマリリン入りました。

連覇を狙った1番人気のソダシはタフな馬場に加え

距離が合わなかったのか、直線で伸びを欠いて

5着に敗れました。

心情的に応援していた9歳のダービー馬古豪

マカヒキはシンガリの16着に終わりました。

マカヒキは、いったいいつまで走らされるのでしょうか

もう十分走ったのだから、ゆっくり余生を送らせて

あげたいと思うのですが。

そして8月17日、北海道より仏GⅠのジャックル

マロワ賞をはじめ安田記念、マイルCS等を制し

1998年短距離部門で初めて年度代表馬に

選ばれたタイキシャトルが老衰による心不全のため

亡くなったとの悲しいお知らせが届きました。

亡くなる前日もいつも通り元気に過ごし食欲も大変

旺盛で夜飼いも元気に食べ、午後10時過ぎに場長が

厩舎をあとにした時もいつもと変わらない様子で

馬房には荒れた様子もなかったことから寝ている間に

安らかに旅立ったとのことです。

享年28歳でした。

8月18日のスポーツ報知にタイキシャトルの元気な

様子の記事が掲載されていただけに、突然の別れに

驚くと共に本当に残念です。

ただ幸せな余生を過ごせたようで本当に良かったです。

タイキシャトルは種牡馬としても多くの活躍馬を

輩出してくれました。

名馬タイキシャトルの旅立ちに伴い、各競馬場や

WINSに献花台が設けられ、土曜日のメイン競走は

タイキシャトル追悼競走する等、彼の偉大な功績を

称え、敬意を表して行ってくれたJRAに感謝します。

天国でゆっくり休んで下さい。

長い間、本当にお疲れさまでした。

今週は夏競馬も終わりに近づき、新潟競馬場で

第42回新潟2歳ステークスが行われます。

新潟2歳ステークスは、1968年に新潟競馬場の3歳

(現2歳)馬によるオープン競走・新潟3歳ステークス

の名称で創設されました。。

1984年にグレード制の導入によりGⅢに格付けされ

2002年より現在の芝外回り1600mの左回りコースで

施行されています。

2歳世代において最初に行われるマイル以上の距離で

施行される重賞競走であることから、翌年のクラシック

戦線を占う意味合いがより強くなっています。

歴代の優勝馬や出走馬からは、クラシックを制した

ビクトリアクラウンやメジロドーベル、ハーブスター

イスラボニータ等、後に多くの重賞勝ち馬を輩出して

います。

2歳でデビューしたての伸びしろの大きい若駒達に

よる競走だけに難しいレースです。

良血馬アイスグリーン、将来性豊かなウインオーディン

シーウィザードに注目しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。

先週、新潟競馬場で行われました第57回関屋記念は

最後は逆転で1番人気に推されたウインカーネリアンが

直線で逃げ粘るシュリとの叩き合いを制してリステッド

競走連勝に続く3連勝で重賞初制覇を果たしました。

2着には逃げ粘った12番人気のシュリが入り、

途中まで1番人気に推されていたダノンザキッドは

レース前での入れ込みや道中での折り合いを欠いて

いたのが影響したのか直線で追い込むも3着に

敗れました。

今週は札幌競馬場で第58回札幌記念が行われます。

札幌記念は1965年に旧4歳(現3歳)以上の馬

による重賞競走として創設され、札幌競馬場で

施行する最も歴史が古い重賞競走です。

また札幌競馬場は寒冷地のため、昭和期は

芝コースが設置されておらず、左回りや右回りの

ダートで施行されていましたが、1990年から右回り

芝コースでの施行に変更され、現在に至っています。

昭和期においてダートコースで行われていた時代の

札幌記念は、中央競馬のダート重賞自体が

少なかったため、貴重な存在でした。

秋競馬に向けた調整を兼ねての出走や夏のダート王

決定戦の位置づけ等、レースの格や賞金がそれほど

高く無いにも関わらず、一線級の馬達が出走してくる

レースでもありました。

 

思い出の馬は、昭和51年第12回優勝馬で私の

記憶の中では昭和期におけるダート王者として

君臨したグレートセイカンです。

グレートセイカンは昭和50年のクラシック組で

同期には二冠馬カブラヤオーやロングホーク、

ロングファスト、イシノアラシ、エリモジョージ等が

います。

グレートセイカンはデビューが旧馬齢4歳の1月で

新馬戦は16頭立ての16着としんがり負けをした

ものの、3戦目のダートの未勝利戦を大差で圧勝し

後のダート王者の片鱗を見せていました。

4歳で3勝を挙げたものの、クラシック戦線に参加

することはありませんでした。

年が明けて5歳になったグレートセイカンはダートの

条件戦をまた大差で圧勝すると芝のオープン競走

でも善戦しました。

そして得意なダートでの重賞制覇を目指し、舞台を

札幌競馬場に移して札幌日経賞に出走しました。

当時の札幌は芝は無く、ダート戦だけでした。

ここでもグレートセイカンは期待どおり、古豪

ツキサムホマレやリュウフブキをやぶり、大差での

圧勝劇を演じました。

そして今や伝説のレースとして語り継がれている

札幌記念に駒を進めました。

このレースには菊花賞を目指して皐月賞を制した

天馬トウショウボーイとダービー馬クライムカイザー

が参戦を表明し、これによりダート王者対皐月賞馬

対ダービー馬の3強対決となり、当時競馬ファンは

大いに盛り上がりました。

札幌競馬場には6万人を超えるファンが押し寄せ

この最多入場者数の記録は今も破られていません。

1番人気は天馬トウショウボーイでグレートセイカン

はダービー馬クライムカイザーをおさえて2番人気

となりました。

レースはトウショウボーイが立ち遅れて後方からの

競馬となるという波乱の展開となり、グレートセイカン

は得意のダートで軽快な逃げを展開しました。

直線に入って逃げるグレートセイカンをトウショウ

ボーイがものすごい勢いで追い込んで来ましたが

クビ差届かず、グレートセイカンに軍配が挙がり

3着となったクライムカイザーには8馬身の差を

つける結果となりました。

クラシックに出走できなかったグレートセイカンが

皐月賞馬とダービー馬をやぶるという大金星を

挙げ、この勝利によりグレートセイカンはダートの

王者として後世に名を残すこととなりました。

私は昭和期を代表するダートの王者はと問われれば

今でも必ずグレートセイカンの名をあげています。

続く函館記念では60キロの斤量が響いたのか

6着に敗れたものの、秋の芝の重賞競走オール

カマーではオークス馬トウコウエルザや牝馬二冠馬

のテイタニヤをやぶって優勝。

もはやダートだけではないという実力のあるところを

見せつけました。

しかし、疲れが出たのか有馬記念ではしんがり負け

を喫してしまいました。

年が明けて6歳になったグレートセイカンはダートの

オープン競走に出走、得意のダート戦で8馬身差を

つけてレコードタイムで圧勝し、ダートでの格の違いを

見せつけました。

そして秋にはダービー卿チャレンジトロフィーで

59キロを背負いながらもカミノリュウオーやスピリット

スワプスをおさえて優勝し、健在ぶりを示しました。

その後、7歳でも現役を続けましたが、歴戦の疲労

からか、脚部不安を発症し、1年休養後にオープン

競走で復帰するものの、5着に敗れ、このレースが

グレートセイカンにとっての最後のレースとなりました。

当時、今の時代のようにダート戦線が整備されていた

なら、グレートセイカンはどれだけ重賞を勝てていたか

と、ふと思ってしまいます。

引退後、種牡馬になったグレートセイカンは昭和期に

おける内国産種牡馬冷遇の時代に重賞勝ち馬こそ

出せなかったものの、重賞入着馬や準オープン馬、

そして地方競馬での重賞勝ち馬など輩出するなど

とても頑張ってくれたと思います。

しかし、ダートの王者として君臨したグレートセイカン

がどのように余生を過ごし、いつどのように亡くなった

かの記録が無いのがとても残念です。

今週は夏競馬も終盤となり、札幌競馬場で第58回

札幌記念が行われます。

GⅠ馬5頭が参戦するという豪華メンバーとなりました。

ソダシとハヤヤッコの白毛馬いとこ対決も楽しみです。

そして巻き返しを図る実力馬グローリーヴェイズと

ジャックドールに注目しています。

また心情的にはマカヒキを応援しています。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを観ます。