先週、阪神競馬場で行われました
クラシック3冠最終戦第83回菊花賞は、
大逃げを図るセイウンハーデスの2番手を
追走2番人気のアスクビクターモアが第4
コーナーから先頭に立ち、追い上げてきた
ボルドグフーシュとのゴールまでの接戦を
ハナ差で制し、更に従来の記録を0秒1
更新するレコードタイムで優勝。
皐月賞5着、ダービー3着の無念を
晴らしました。
2着には7番人気のボルドグフーシュが
3着にはジャスティンパレスが入り、1番
人気に推されたガイアフォースは8着に
敗れました。
今週は、東京競馬場で第166回天皇賞秋
が行われます。
天皇賞の歴史は古く、昭和12年秋から
帝室御賞典という名称で行われました。
帝室御賞典は戦争のため昭和19年に
戦争のため中止され、昭和22年春に
平和賞の名称で再開し、同年秋からは
天皇賞と改称され現在に至っています。
そして創設以来、当初は1度優勝した馬は
再出走を認めないとされてきましたが、
昭和56年に制度が廃止され、過去の
優勝馬も再出走が可能になりました。
またその後、スタミナよりもスピードの強化
を重視する意見などにより、賛否両論が
あったものの、昭和59年から秋の天皇賞
は施行距離が2000mに短縮され、更に
古馬の最高峰として位置づけられてきた
天皇賞でしたが、昭和62年からは4歳馬
も出走が可能になり、これにより各馬は
様々な選択肢が取れるようになりました。
天皇賞への再出走が可能となったことで
引退時期が延び、天皇賞連覇や天皇賞馬
同士の激突や3歳馬と古馬の戦いが
見られることで新たな天皇賞に変貌しま
したが、一方で距離が短くなったことで
東京競馬場での1周目のストレッチで沸き
起こる大歓声が聞けなくなったことが
残念であると共に強い馬よりスピード馬を
つくることが、本当に世界の競馬に対応
できるのかという懸念も生まれました。
中距離馬にも天皇盾の夢をということでは
仕方がないことかも知れません。
私個人としては古馬の最高峰という伝統は
継承して欲しかったと今でも思っています。
思い出の馬は、昭和49年第70回優勝馬
カミノテシオです。
カミノテシオは、あの怪物ハイセイコーと
同じ昭和48年のクラシック組で同期には
3強と言われた怪物ハイセイコー、二冠馬
タケホープ、天皇賞馬イチフジイサミや
ホウシュウエイト、ホワイトフォンテン、
ディクタボーイ、カネイコマ等がいます。
カミノテシオの父ムーティエは昭和を代表
する中・長距離系種牡馬で代表産駒には
二冠馬タニノムーティエ、菊花賞馬ニホン
ピロムーテー、レディースポート等
がいます。
カミノテシオは旧馬齢3歳の秋にデビュー
し、短い距離でしたが、実力で新馬戦を
勝ち上りました。
その後条件特別と京成杯3歳Sは敗れた
ものの、続く条件特別では後のダービー馬
タケホープやサンポウ等をやぶり、2勝目を
あげました。
年が明けて4歳になったカミノテシオは春の
クラシック参戦に向けて京成杯に出走。
いつものように後方からレースを進め、最後
の直線で外から鋭く追い込み、逃げ粘る
ニューサントと競り合いになったものの、
ハナ差で勝ち、初重賞勝利をあげると共に
クラシックに名乗りを上げました。
そしてカミノテシオは、この年、大井で
無敗の6連勝して鳴り物入りで中央競馬に
移籍した怪物ハイセイコーが初出走する
ということで日本全国からの注目が
集まった弥生賞に出走。
直線で追い上げはしたものの4着に敗れ、
続くクラシック第1冠目の皐月賞でも脚部の
怪我が災いしたのか、怪物ハイセイコー
の前に7着に敗れてしまいました。
それでも5月のオープン競走に勝って4勝
目をあげ、ダービーでの打倒ハイセイコー
を目指していましたが、ダービー前日の
調教後に右前脚球節炎を発症し、無念にも
ダービーは出走取消となってしまいました。
その後、1年以上の長期休養となりました
が、夏の新潟のBSN杯で復帰して4着と
なり、東京に戻り、京王杯AHに出走し、
超音速スガノホマレが日本レコードで優勝
する中で3着、続く毎日王冠でもタケクマ
ヒカルの3着となるなど、復調の兆しが
見えはじめ、天皇賞秋を目指して出走した
目黒記念では伏兵イナボレスの2着となり、
天皇賞秋に望みを繋ぎました。
そして迎えた第70回天皇賞秋、当初怪物
ハイセイコーも出走を予定していましたが、
前走のオープン競走で奇跡の追い込みで
2着となった後、鼻出血を起こし、無念にも
天皇賞への出走が出来なくなりました。
国民的アイドルとなっていたハイセイコーが
出走を断念する中、それでも出走馬は
カミノテシオの他、前年の有馬記念優勝馬
ストロングエイトをはじめヤマブキオー、
ナオキ、オンワードガイ、トーヨーアサヒ、
イチフジイサミ、ディクタボーイ、ホウシュウ
エイト、ナスノチグサ、ヌアージターフ等
歴史に名を残す名馬達が顔を揃えました。
東京3200mで行われた天皇賞はスタート
して、大方の予想どおり逃げる精密機械と
言われたトーヨーアサヒが逃げ、その後
からストロングエイトとナオキ、ヌアージ
ターフが先行し、タケクマヒカル、ホウ
シュウエイト、ヤマブキオーが中団、
その後ろからナスノチグサ、オンワードガイ
が進み、カミノテシオ、イチフジイサミ、
ディクタボーイ、ホッカイダイヤは後方から
の競馬となりました。
第3コーナーで1番人気のホウシュウエイト
とナスノチグサが仕掛け、第4コーナーを
まわって直線に入ると横一線となっての
勝負となりました。
逃げたトーヨーアサヒがいっぱいとなり、
ホウシュウエイトも伸び脚を欠く中、内から
カミノテシオが鋭く伸びて先頭に立ち、同じ
内をついたイチフジイサミが猛然と追い
込み、外からはディクタボーイが追い
込んで来ましたが、カミノテシオが危なげ
なく押さえ込んで優勝。
ついに悲願であった天皇賞を制し、天皇盾
を獲得することが出来ました。
しかし、その後天皇賞での激走が響いた
のか、球節炎が再発し、この勝利がカミノ
テシオにとっての最後の勝利となりました。
年が明けて6歳となったカミノテシオは
AJC杯に出走。
出走メンバー、距離、斤量から見て誰もが
ここはカミノテシオの独壇場になると予想し
当然1番人気に推されました。
いつものとおり、後方からレースを進め、
直線に入って、伸びて来ると思われました
が、いつ来るかいつ来るかと見ていても
伸びて来ることは無く、全く不可解な10着
に大敗してしまいました。
今でもこの大敗は不思議でなりません。
やはり脚の状態が良くなかったのかも
知れません。
その後も中山記念で10着に敗れ、
オープン競走でも精彩を欠き、目黒記念で
キクノオーの4着に入るものの、クモハタ
記念ではハーバーヤングの6着と敗れ、
切れ味鋭い末脚を見せていたカミノテシオ
の姿は、もうそこにはありませんでした。
その後、一時休養して再起を試みたものの
ついに再起することは出来ずに1976年末
もって競走馬を引退しました。
引退後、北海道で種牡馬になったものの、
当時は内国産種牡馬不遇の時代であり
更に父ムーティエの気性の悪さや血統的
にステイヤー系だったことから、種牡馬と
しては人気が無く、14頭の産駒に留まり
それでも4頭が勝利をあげています。
その後記録によりますと1982年11月に
種牡馬を廃用となり、福島競馬場で乗用馬
となった後、馬事公苑を挟んで1986年
5月にJRA宇都宮育成牧場に移って
功労馬として余生を送りました。
JRA宇都宮育成牧場で11年間幸せに
暮らしていましたが、しだいに老化が進み
1996年11月21日スタッフがちょっと目を
離した間にカミノテシオは老衰のため、
静かに天国に走り去って行きました。
享年27歳。
カミノテシオが亡くなった日、馬房には
ささやかな祭壇が設けられました。
カミノテシオの亡骸は荼毘に付され、
蹄鉄とたてがみの一部は晩年を過ごした
JRA宇都宮育成牧場内の馬魂碑に
収められています。
今週は東京競馬場で第166回天皇賞が
行われます。
ダービー馬シャフリヤール、距離の適性
で断念したのか、菊花賞に出走して欲し
かったイクイノックス、ジャックドール
パンサラッサに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながら、レース
を観ます。

