ハイセイコーのブログ -54ページ目
先週、東京競馬場で行われました第40回
エプソムカップは1番人気のジャスティン
カフェが後方待機から直線に入って
大外から末脚を伸ばして豪快に差し切り
重賞初制覇を果たしました。
2着には7番人気ルージュエヴァイユ、
3着に4番人気のマテンロウスカイが
入りました。

また、6月6日、2023年度顕彰馬が
JRAより発表され、国内外でGⅠ9勝の
名牝アーモンドアイが2020年キタサン
ブラック以来、史上35頭目の顕彰馬に
選定されました。
アーモンドアイは昨年から顕彰馬選出
対象となったものの、初年度は物議を
醸し出した、まさかの落選となりましたが、
今年は207人投票した中で200票を集め
現役の時のように文句なしの圧勝で
顕彰馬となりました。

ユニコーンステークスは、1996年の
中央競馬のダート路線の整備に伴って
創設されました。
更に1999年から2001年にかけて、
ダート路線の改編が行われ、1999年
から7月にジャパンダートダービーが
創設されたことに伴い、2001年に秋の
スーパーダートダービーは廃止となり
ユニコーンステークスも2001年からは
6月に移動し、7月に行われるジャパン
ダートダービーの前哨戦として位置づけ
られています。
今週は東京競馬場でジャパンダート
ダービーの前哨戦第28回ユニコーン
ステークスが行われます。
天候にも左右されるダート競走だけに
梅雨の時期も重なって難しいレースに
なりそうです。
グレートサンドシー、ワールズコライド
ブライアンセンス、ジャスパーバローズ
に注目しています。
今週もダービーのような悲劇が起こること
のないよう、全馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
先週、東京競馬場で行われましたGⅠ馬
10頭が名を連ねた春のマイル王決定戦
第73回安田記念は4番人気のソング
ラインが直線で大外から一気に追い
込んで差し切り、史上3頭目の安田記念
連覇を達成ました。
2着には3番人気のセリフォス、3着には
1番人気のシュネルマイスターが入り、
2番人気のソダシは残念ながら7着に
敗れました。
ソダシが無事に戻ってきてくれることを
祈っていた今浪厩務員、長い間本当に
お疲れさまでした。


また5月31日浦和競馬場で行われました
中央・地方全国交流重賞さきたま杯は
兵庫のイグナイターが優勝。
1番人気に支持されたJRAのシャマルは
最後の直線で馬体に故障が発症したため、
川田将雅騎手が馬を降りて競走を中止。
その後、右後肢ハ行と診断され、大事には
至りませんでした。
エフフォーリア、タイトルホルダーの横山
騎手兄弟、シャマルの川田騎手、人気を
背負っていただけに競走を中止させる
ことは本当に勇気がいることだったと
思います。
馬のことを一番に考え、勇気ある決断を
してくれた日本の騎手に改めて敬意を払い
心から感謝したいと思います。
今週は、GⅠ競走がひと休みとなり、
東京競馬場で節目となる第40回エプソム
カップが行われます。
エプソムカップは1983年に東京優駿
(日本ダービー)が50回を迎えたのを機に
東京競馬場と英国ダービーが開催される
エプソム競馬場が姉妹競馬場として提携
した際に記念植樹(東京競馬場からは桜、
エプソム競馬場からは柏が贈られた)と
カップの交換が行われ、これを記念に
1984年からエプソムカップが創設され
ました。
まだ歴史が浅いと思っていたエプソム
カップも節目の40回を迎えます。
実力馬ジャスティンカフェ、好調なマテン
ロウスカイ、レインフロムヘヴン、エア
ファンディタに注目しています。
今週もダービーのような悲劇が起こること
のないよう、全馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
先週、東京競馬場で行われました競馬の
祭典、第90回東京優駿(日本ダービー)は
スタート直後にドゥラエレーデが落馬という
波乱のスタートで始まりました。
パクスオトマニカが大逃げを打つ中、
直線で各馬激戦となりましたが4番人気の
タスティエーラが外から猛追するソール
オリエンスを頭差おさえて優勝。
1番人気の皐月賞馬ソールオリエンスは
2着に敗れ、3着にはハーツコンチェルトが
入りました。

また2番人気に推されたスキルヴィングは
直線で失速、ゴール入線後に転倒し
急性心不全のため亡くなりました。
スキルヴィング最後の雄姿

また5月30日12:40 トウカイテイオーと
同期で個性派として多くのファンに愛された
ナイスネイチャが放牧地の青草の上で
横たわり、青空とそよ風の中、35歳の
天寿を全うし安らかに天国に旅立ちました。
訃報が届きました。
最後まで本当によく頑張ってくれました。
どうかゆっくり休んで下さい。
お疲れさまでした。

今週は東京競馬場で春のマイル王決定戦、
伝統の第73回安田記念が行われます。
安田記念は明治・大正・昭和にわたって
競馬に携わり、競馬法の制定や東京優駿
(日本ダービー)の創設などに尽力し、
日本中央競馬会の初代理事長も務めた
安田伊左衛門氏の功績を称えるため、
1951年に安田賞の名称で創設され
ました。
1958年に安田伊左衛門氏が亡くなった
ため、現在の名称に改称されました。
昭和期において、短距離系競走のレース
体系がまだ整備されていなかったため、
春に行われる安田記念が唯一、日本一の
マイル王決定戦として行われていました。
その後、1984年のグレード制導入に伴い
安田記念はGⅠに格付けされ、現在
中央競馬の上半期におけるマイル王の
決定戦として位置づけられています。
思い出の馬は私も大好きだった昭和48年
第23回優勝馬で名種牡馬ヒンドスタン
最後の傑作と言われたハクホオショウです。
ハクホオショウは史上最強の世代と
言われている花の昭和47年クラシック組
で同期にはダービー馬ロングエース、
皐月賞馬ランドプリンス、天皇賞馬
タイテエムやタニノチカラ、菊花賞馬イシノ
ヒカルの他、幻の三冠馬ヒデハヤテ
ストロングエイト、スガノホマレ、トーヨー
アサヒ等、名前を上げれば切りがない程、
競馬史上に残る多くの名馬達が揃った
年でした。
ハクホオショウの父は昭和30年代から
40年代に活躍した日本を代表する種牡馬
ヒンドスタンで五冠馬シンザンを筆頭に
ダービー馬ハクショウ、天皇賞馬ヤマニン
モアー、リユウフオーレル、ヒカルポーラ
ヤマトキョウダイ、菊花賞馬ダイコーター、
アサカオー、皐月賞馬ワイルドモア等、
挙げれば切りがない程、数々の名馬を
送り出し、1961~68年の間に7度も
日本リーディングサイアーに輝くなど
1960年代の日本競馬を牽引しました。
ハクホオショウは名門の尾形厩舎入厩し、
旧馬齢3歳秋の東京の新馬戦でデビュー
して勝ったものの、3歳時はこの1勝に
終わりました。
4歳になって条件戦を勝ったものの、4歳
春に発生した馬インフルエンザ流行の混乱
のためか出世が遅れ、皐月賞には出走
できませんでした。
その後、4歳ステークスを勝って当時の
ダービートライアルNHK杯の2着を経て
東京優駿(日本ダービー)に挑みました。
しかし、ロングエース、ランドプリンス、
タイテエムの関西3強の前に歯が立たず
それでも関東勢としては最先着の4着に
入りました。
日本短波賞6着後、夏を休養したハクホオ
ショウは、強豪ひしめく菊花賞を回避し
中距離路線を歩む選択をしました。
秋に入ってスプリンターズステークスと
サンケイオールカマーを2着した後、当時
存在したカブトヤマ記念に勝ち、初の重賞
制覇を果たしました。
続く当時やはり存在したクモハタ記念に
出走、タケデンバードとハクホオショウとが
ゴール前で際どく争う形となってゴール。
レースを観戦していた多くの人はハクホオ
ショウが勝ったと思いましたが、当時の
着順判定は、最終的には決勝審判委員の
肉眼による判定であったことが影響した
のか、1着はタケデンバード、2着はハク
ホオショウとなって着順を決定。
これに対しハクホオショウをはじめとする
競馬関係者やトラックマンから誤審では
ないのかという多くの声が上がりました。
当時、接戦の場合はゴール前を撮影した
写真を発表することになっていましたが、
何らかの原因によって写真が撮影されて
いなかったことが判明し、結局、判定が
覆ることはありませんでした。
しかし、この判定結果に対する批判が
沸き起こり、カメラのトラブルは着順発表の
手違い(誤審)を誤魔化すための嘘じゃ
ないかと言われ、この出来事はタケデン
バード事件またはクモハタ記念事件として
日本競馬史上における誤診疑惑のレース
として語り継がれています。


不運の敗戦後、年が明けて古馬になった
ハクホオショウはツキが落ちたかのように
年初から重賞に挑むも、不振を続け、
勝ち星を挙げることは出来ませんでした。
4月の京王杯スプリングハンデキャップを
2着とした後、オープン競走で久々の勝利
を挙げ、安田記念に挑みました。
レースはスタートするとサクラスターが逃げ
キョウエイグリーンとトモエオーが先行し
ハクホオショウは後方からの競馬となり
ました。
直線に入って各馬横一線となる中、馬場
の中央からハクホオショウが抜け出し
内のパラマスをおさえて快勝。
ハクホオショウは、ついに本格化を示し
ました。

その後、夏は北海道に遠征し、当時は
ダートの札幌記念を59キロの斤量を
背負いながら快勝。
続く不良馬場となった函館記念では
最重量の61キロを背負いながら斤量
55キロのエリモカップと先行争いを繰り
ひろげましたが、2着に惜敗しました。
その後、東京に帰って来て、オールカマー
に出走。
再び最重量の61キロを背負いながらも
ブルスイショーとオンワードガイをおさえ
まさに横綱相撲で優勝を飾り、4つ目の
重賞を獲得しました。

同期でクラシックを賑わしたロングエース、
ランドプリンスが引退し、タイテエムやイシノ
ヒカルが戦線離脱する中、ハクホオショウ
は古馬の頂点を目指し、天皇賞秋に挑み
ました。
この天皇賞には長期休養から奇跡の復活
を遂げたタニノチカラも出走し、東西の
両横綱同士の対決に注目が集まりました。
ハクホオショウはタニノチカラをおさえて
1番人気に推され、レースがスタート。
いつものようにミリオンパラが出遅れ、
トーヨーアサヒの逃げで始まりましたが
スタートして間もなく、1番人気のハクホオ
ショウが故障を発症して競走を中止して
しまうという、あってはならないことが
起きてしまいました。
この出来事に場内は騒然となりました。
私もハクホオショウが大好きだっただけに
ハクホオショウが馬運車で運ばれる映像は
本当にショックで命だけは助けて欲しいと
祈っていました。
翌日のスポーツ各紙は1面で大きく
「波乱ハクホオ骨折」と報じました。
診断結果は左前脚種子骨骨折という
重傷で、通常は安楽死の状況でしたが、
関係者が何とか助けたいと手術に踏み
切り、ハクホオショウは苦痛で何日間も
生死を彷徨いましたが、何とか一命を
とりとめ、種牡馬になることができました。
しかし、内国産種牡馬不遇の時代であり
中央での代表産駒は残せなかったものの
地方競馬では重賞勝ち馬を出すなど、
怪我の後遺症や当時の状況の中で
内国産種牡馬としてよく頑張ってくれたと
思います。

記録によりますと
ハクホオショウは晩年、北海道から青森県
に移って種牡馬生活を送っていましたが、
1988年5月11日種付けを終えて戻って
来た馬房内で突然暴れ、頭を打った
拍子に心臓破裂を起こしてしまい、突然
20年の生涯に幕を下ろしてしまいました。
今週は東京競馬場で春のマイル王決定戦
第73回安田記念が行われます。
マイルを得意とするアイドル馬ソダシ、
連覇をねらうソングライン、巻き返しを図る
ウインカーネリアン、ナミュール、セリフォス
に注目しています。
今週は先週のような悲劇が起こることの
無いよう、全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。

