ハイセイコーのブログ -53ページ目
先週、福島競馬場で行われました第72回
ラジオNIKKEI賞は3番人気のエルトン
バローズが直線で抜け出して優勝、3連勝
で重賞初制覇を果たしました。
2着には4番人気のシルトホルンが入り
圧倒的1番人気に推されたトウカイ
テイオーの血を引くレーベンスティールは
直線で猛然と追い込みましたが、届かず
3着に敗れました。

今週は福島競馬場で夏の到来を知らせる
第59回七夕賞が行われます。
七夕賞は1965年に旧馬齢4歳(現3歳)
以上の馬による重賞競走として創設され
ました。
1960年代と1970年代において、10月
にレースが行われていたことがあり、時期と
名称が合わないとの理由で一時期
レース名を東北記念と改称しましたが
1980年からは施行時期を夏開催に
戻したことから七夕賞の名称が復活し、
2006年からは夏競馬を盛り上げる
ために設けられたサマーシリーズの
第1戦に指定されています。
思い出の馬は、ローカルの鬼と言われ
全国の競馬場に参戦して活躍した
ノボルトウコウです。
ノボルトウコウは福島県の牧場で誕生し
父は昭和を代表する万能型名種牡馬
パーソロンで半弟には中央競馬で史上
初めて芦毛馬によるクラシック制覇を成し
遂げたプレストウコウがいます。
ノボルトウコウは私が史上最強の世代と
思っている花の昭和47年のクラシック組
で同期にはダービー馬ロングエース、
皐月賞馬ランドプリンス、天皇賞馬
タイテエムやタニノチカラ、菊花賞馬イシノ
ヒカルの他、幻の三冠馬ヒデハヤテ
ストロングエイト、スガノホマレ、トーヨー
アサヒ、タケクマヒカル等、名前を上げれば
切りがない程、競馬史上に残る多くの
名馬達が顔を揃えた年でした。
ノボルトウコウは夏の新潟でデビューし、
新馬戦を2着に10馬身差をつけて圧勝、
衝撃的なデビューとなりました。
その後も安定したレースぶりを見せ、春の
クラシック戦線に参戦しましたが、花の
昭和47年組の強豪揃いの中で掲示板に
乗ることさえ出来ずに終わりました。
しかし、秋になって復帰戦となった
スプリンターズステークスでは10頭中
9番人気という低評価を覆し、強豪の
ハクホオショウやキョウエイグリーン等を
やぶって優勝、重賞初制覇を果たしました。

続いて今は無きカブトヤマ記念やクモハタ
記念に参戦するものの、惨敗に終わり
ましたが、続くオープン競走ではストロング
エイトやタケフブキ、コーヨー等をやぶって
優勝を飾りました。
更に暮れのステイヤーズステークスに
挑みましたが、スプリンターズステークスの
優勝馬がステイヤーズステークスに出走
するという、今では絶対あり得ない
ローテーションでの参戦であり、当然の
ごとく、ノボルトウコウは大敗を喫して
しまいました。
年が明けて古馬になったノボルトウコウは
重賞競走に参戦するも惜敗が続き、結局
この年はオープン競走の1勝にとどまり
ました。
しかし、過酷なローテーションの中で
東京、中山、福島、新潟、中京に遠征し
故障なく1年間に15戦もしたのは本当に
立派だったと思います。
年が明けて6歳になったノボルトウコウは
ローカル中心に出走しました。
中京での重賞レースに参戦後、小倉に
遠征し、小倉大賞典で1番人気に応えて
重賞2勝目を挙げ、更に続く関屋記念にも
勝って重賞3勝目を2連勝で飾り、ローカル
戦線で花開くことができました。
その後大井で行われた中央招待で3着に
入り、秋には福島に遠征して福島民報杯を
レコードタイムで快勝、そして福島記念では
58.5kgのトップハンデを背負っての出走と
なりましたが、見事に差し切って重賞4勝目
を挙げ、この年の見事な活躍によりノボル
トウコウはローカルの鬼と呼ばれるように
なりました。
年が明けて7歳になったノボルトウコウは
歴戦の疲れが出たのか、なかなか勝ち
きれなくレースが続きましたが、それでも
3戦目のオープン競走ではヤマブキオーや
コーヨーをやぶって優勝。
その後は惜敗が続きましたが、秋の福島
に遠征して、この年は秋の福島で行われて
いた七夕賞に参戦。
このレースには若き快速馬ファイブワンや
カネオオエ、同期のサンヨウコウ等が
出走しました。
レースはファイブワンやロイヤルスプリンタ
オウプレスが激しく先行争いをする中、
第4コーナーで一気に仕掛けたノボル
トウコウが大外から一気に鋭く伸びて、
鮮やかに差し切って優勝、重賞5勝目を
挙げました。
この7歳時においても13戦しましたが
それでも故障もせずに重賞を含めて
2勝をあげたのは立派だったし、見事な
差し切りを決めた時の姿は本当に
カッコイイ馬でした。

年が明けて8歳になったノボルトウコウは
現役を続行、中山記念でヤマブキオー
アイフルの3着に入り、健在ぶりを示し
ましたが、続くオープン戦は1番人気で
12着に大敗してしまいました。
それでも福島に参戦し、吾妻小富士賞を
快勝するも福島大賞典では大敗。
その後、二冠馬カブラヤオーも参戦した
中山でのオープン競走に出走。
61キロを背負ったカブラヤオーはゲートに
頭をぶつけて脳震盪を起こすという
アクシデントで最下位になりましたが、
59キロを背負ったノボルトウコウは
同期のスガノホマレやハーバーヤングを
やぶって優勝。
これがノボルトウコウにとっての最後の
勝利となりました。
その後、新潟や福島に参戦し、福島民報杯
7着を最後に引退。
故障もせずに走り続けた通算成績は
68戦13勝、本当に素晴らしい戦績であり
まさに無事是名馬だったと思います。
引退後は種牡馬となりましたが、内国産
種牡馬不遇の時代、産駒もごくわずかで
代表産駒には恵まれませんでした。
記録によりますと
昭和59年(1984年)11月26日に15歳で
亡くなったとありますが、どのようなことで
亡くなったかについての記録がないのは
本当に残念です。
今週は福島競馬場で夏競馬の訪れを
告げる第59回七夕賞が行われます
フェーングロッテン、セイウンハーデス
バトルボーン、エヒトに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、阪神競馬場で行われました夏の
グランプリレース第64回宝塚記念は
圧倒的1番人気のイクイノックスが道中は
後方2番手から進み、第4コーナーで
一気に外を回って上がっていき、直線に
入って大外から力強く伸びて先頭に立つと
追い込んできたスルーセブンシーズ、
ジャスティンパレスを力でねじ伏せて優勝、
G1競走4連勝を飾りました。
2着には直線で前をふさがれる不利が
無ければ大金星を挙げたのではないかと
思わせた10番人気の牝馬スルーセブン
シーズ、3着には天皇賞の疲れもあった
であろう2番人気のジャスティンパレスが
入りました。
そしてスタート直前、実況アナが
「17頭それぞれにファンがいます。人気に
関わらず、その人にとってかけがえのない
1頭です。全馬の無事と健闘を心から
願います」との言葉に、レース前にも
関わらず、私は涙が溢れました。
全馬、無事にレースを終えて本当に
良かったです。

今週からは、舞台を福島に移し、福島
競馬場で第72回ラジオNIKKEI賞が
行われます。
ラジオNIKKEI賞は、1952年に皐月賞の
前哨戦として4歳(現3歳)馬による重賞
競走中山4歳ステークスの名称で創設され
1954年からは春のクラシックシーズン
終了後に施行されるようになりました。
レース名は日本短波賞中山4歳
ステークスを経て、1961年からは日本
短波賞、1979年からはラジオたんぱ賞
となり、2006年からは現在の名称と
なっています。
出走資格が1955年から1967年までは
規定に「除東京優駿競走の勝馬」と
記されていたため、日本ダービーの
優勝馬は出走できませんでした。
そのため敗者復活戦的な要素を持ち、
規定が廃止されてからも昔の名残で
今でも残念ダービーという俗称が残って
います。
私も未だに日本短波賞という印象で
やはりダービーで敗れた馬やダービーに
出走できなかった馬達による残念ダービー
というイメージが強いレースですが、
近年は全く違ったレースになっています。
思い出のレースはハクチカツが優勝した
まだ旧名称だった昭和50年第24回
日本短波賞です。
ハクチカツは、あのダービーの常識を
覆した二冠馬カブラヤオーと同じ昭和50年
のクラシック組で、同期には菊花賞馬
コクサイプリンスや後の天皇賞馬エリモ
ジョージ、後の有馬記念馬イシノアラシや
ロングホーク、ロングファスト等がいます。
ハクチカツは旧馬齢3歳秋の東京で
デビューし、新馬戦は勝てなかったものの
遠征した福島の未勝利戦で初勝利を挙げ
その後福島3歳ステークスで2勝目を
挙げました。
年が明けて4歳になり、勝つことは
出来ませんでしたが、何とか皐月賞に
駒を進めることが出来ました。
この時、関東では牡馬ではカブラヤオー、
牝馬ではテスコガビーが規格外の強さを
発揮して、クラシックに名乗りを挙げて
いました。
皐月賞はカブラヤオーが評判どおりの
強さを見せて圧勝。
ハクチカツは22頭中13番人気と人気薄
ながらも、5着に健闘しました。
そして迎えた競馬の祭典日本ダービー、
当時のフルゲート28頭で行われ、ゲートが
開くと、いきなり出鞭をくれてカブラヤオー
が先頭に立って27頭を引っ張る形で
レースが進みました。
第4コーナーで一気にハクチカツが
仕掛けて2番手に上がって行って直線へ。
直線に入ってハクチカツが鋭く伸びて
カブラヤオーに並びかけ、一瞬捕らえた
かのようになりましたが、その直後に
カブラヤオーがよれた影響をもろに受けて
しまい、最後は4着となってしまいました。
もし、影響を受けていなければ、勝つ
までは無理だったかも知れませんが
2着はあったのではとないかと思わせる
レースでした。
続いてハクチカツは当時残念ダービー
と言われた日本短波賞に出走。
このレースにはダービー出走組からは
3着だったハーバーヤング、タイフウオー
オウプレス、ノワキタカ、皐月賞組からは
快速馬ファイブワン、そして後の菊花賞馬
コクサイプリンスや牝馬のカバリダナーが
出走しました。
ハクチカツはダービーで一瞬カブラヤオー
を追い詰めたことが評価されたのか、
1番人気に支持されました。
レースは予想どおり、快速馬ファイブワンが
逃げ、タイフウオーとコクサイプリンスが
先行し、ハーバーヤングは中団から、
そしてハクチカツはその後ろからという
レース展開となりました。
ダービーと同じように第4コーナーで
ハクチカツが一気に仕掛けて、好位置に
上がって直線へ。
ハクチカツは直線に入ると馬場の中央を
通って鋭く伸びて、逃げ粘るファイブワンを
残り200mで捕らえて差し切って勝ち、
初の重賞制覇を果たしました。
2着にはファイブワン、3着にはコクサイ
プリンスが入りました。
この勝利でハクチカツは秋そして古馬に
なってからの活躍が期待されましたが、
秋初戦のオープン競走での3着後に
脚部不安を発症してしまい、再び競馬場に
姿を現すことはありませんでした。

今週は福島競馬場で第72回ラジオ
NIKKEI賞が行われます。
かつては残念ダービーと言われた
レースでしたが、ダービー組からの
出走馬はいません。
トウカイテイオーの血を引くレーベン
スティール、バルサムノート、ウヴァロ
ヴァイト、アイスグリーンに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、東京競馬場で行われました第28回
ユニコーンステークスは1番人気の
ペリエールが好位から直線で抜け出し、
国内外3度目の重賞挑戦で初タイトルを
獲得しました。
2着には7番人気のサンライズジーク、
3着には2番人気のブライアンセンスが
入りました。

今週は、阪神競馬場で春のGⅠ戦線を
締めくくる第63回宝塚記念が行われます。
宝塚記念は有馬記念と同様にファン投票
で出走馬を決め、上半期の締めくくりを飾る
競走として関西地区の競馬を華やかに
盛り上げようとの趣旨で企画され、阪神
競馬場の新スタンドが落成した翌春の
昭和35年(1960年)に創設されました。
「あなたのそして私の夢が走ります」の
杉本アナの名実況でもおなじみの夏の
グランプリレースとして親しまれています。
思い出のレースは、メジロ一族を代表する
両横綱メジロムサシとメジロアサマが激突
した昭和46年第12回宝塚記念です。
メジロムサシは昭和45年のクラシック組で
同期には二冠馬タニノムーティエやアロー
エクスプレス、ダテテンリュウ等がいます。
一方のメジロアサマはメジロムサシの1年
先輩となる昭和44年のクラシック組で
同期にはダービー馬ダイシンボルガードや
アカネテンリュウ、リキエイカンそして
メジロアサマと共に尾形厩舎四天王と
言われたワイルドモア、ミノル、ハクエイ
ホウ等がいます。
メジロアサマ、メジロムサシ共にクラシック
路線に乗ったものの、クラシック制覇は
なりませんでした。
両馬共に古馬になってから本格化し、
メジロアサマは5歳時に安田記念を制し
その後函館記念に勝ち、目黒記念(秋)で
2着となった後、メジロ一族が長年に渡り
優勝に執念を燃やしている天皇賞(秋)に
挑みました。
当時の秋の天皇賞は、東京競馬場での
3,200mで行われており、メジロアサマは
万能型種牡馬パーソロンの仔ではあった
ものの、初めての距離であり、スタミナが
持つかどうかと不安視されていました。
しかし、メジロアサマは距離の壁はいっさい
関係なく、直線で力強く抜け出して、人気の
アカネテンリュウやフイニイをやぶって
優勝を飾り、メジロ一族にまた新たな
天皇盾をもたらしました。

一方、クラシックでは善戦しメジロアサマの
1年後輩となるメジロムサシも古馬に
なって徐々に頭角を現わしはじめ、当時の
京王杯スプリングハンデキャップ競走で
韋駄天タマミの2着に惜敗後、天皇賞(春)
を目指し、当時は春秋2回行われていた
伝統の目黒記念(春)に出走しました。
この目黒記念(春)には同族の先輩メジロ
アサマも参戦し、両雄が初めて激突する
ことになりました。
天皇賞を制したメジロアサマのハンデは
61キロ、メジロムサシは55キロでの
出走となりました。
レースでは、両雄とも一歩も譲りません
でしたが、メジロムサシが頭差で優勝を
飾り、終わってみればメジロのワンツー
で決まり、まさに第一回メジロ記念となり
ました。
この後、メジロムサシは西下し天皇賞(春)
に参戦。
不良馬場の中、最後まで食い下がった
オオクラをゴール前で振り切って優勝を
飾り、メジロ一族にまた新たな天皇盾を
もたらしました。

天皇賞(春)を制したメジロムサシと目黒
記念2着後、アルゼンチン共和国杯を
制したメジロアサマは共に宝塚記念への
出走が決まり、再び宝塚記念で両雄が
激突することとなりました。
この宝塚記念にはメジロアサマ、メジロ
ムサシの両天皇賞馬の他、前年の春の
天皇賞馬リキエイカン、阪神大賞典等を
勝ったスピーデーワンダーや後の京都記念
に勝つシュンサクリュウ等の重賞常連組や
天皇賞でメジロムサシに食い下がった
オオクラ等が出走し、頭数は8頭でしたが
夏のドリームレースに相応しい豪華な
メンバーが揃いました。
レースはケイタカシが逃げ、メジロアサマは
2番手を進み、その後からリキエイカン、
メジロムサシは後方からという展開になり
ました。
第四コーナーでメジロアサマが仕掛け、
逃げるケイタカシに並びかけるとメジロ
ムサシも一気に差をつめて直線へ。
逃げ粘るケイタカシをメジロアサマが交わし
先頭に立ったところにメジロムサシが
襲い掛かり、アサマとムサシの2頭による
壮絶な一騎打ちとなりましたが、ゴール前で
メジロムサシがメジロアサマをクビ差
交わして優勝。
目黒記念に続いて、メジロムサシとメジロ
アサマの実力馬2頭によるワンツーで
決着し、この宝塚記念もまたメジロ記念
として、そして競馬史上に残る名勝負として
語り継がれています。

余談になりますが、その後、秋になり
現在の京都大賞典であるハリウッドターフ
クラブ賞でメジロムサシは斤量60キロ、
メジロアサマは斤量56キロで出走、両雄
による三度目の対決となり、レースでは
またしても2頭による接戦となりましたが、
今度は先輩のメジロアサマがメジロムサシ
を押さえて優勝。
またしてもメジロアサマとメジロムサシ
によるワンツー決着となり、この年は
まさにメジロ一族の全盛期でした。
両馬とも昭和46年第16回有馬記念で
再び激突する予定でしたが、当時流行した
馬インフルエンザが猛威を振るったため
出走予定だったアカネテンリュウや
メジロアサマが出走を取り消す事態となり
ました。
メジロムサシは何とか出走したものの、
やはり流感の影響があって体調を崩して
いて、いつもの力が発揮できないまま
5着に敗れてしまいました。
メジロアサマもメジロムサシもまさに
全盛期だったので、有馬記念で2頭の
無事の状態での対決をぜひ見て
みたかったと今でも思っています。
今週は阪神競馬場で夏のグランプリ競走
「あなたのそして私の夢が走る」
第64回宝塚記念が行われます。
世界ランキング1位のイクイノックス
巻き返しを図るアスクビクターモア、
ジェラルディーナ、ヴェラアズールに
注目しています。
そしてライスシャワーの悲劇から28年の
歳月が流れました。
私達は決してライスシャワーを忘れる事は
ありません。

今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。

