ハイセイコーのブログ -47ページ目
先週、京都競馬場で3年ぶりに行われ
ましたクラシック最終戦第84回菊花賞は
4番人気のドゥレッツァがスタートして
まもなく先行馬2頭を一気に交わして
予想外の逃げる展開となり、向こう
正面ではいったん3番手に下がったものの
直線に入ると鋭く伸びて一気に抜け出して
先頭に立ち、圧倒的な強さでダービー馬
タスティエーラや皐月賞馬ソールオリエンス
を全く寄せ付けずに圧勝。
5連勝を飾ると共に重賞競走初挑戦で
GⅠ初制覇を果たしました。
この結果、今年のクラシック3冠レースは
関東馬が36年ぶりに全勝し、そして
38年ぶりに菊花賞での関東馬による
ワン・ツー・スリー決着となりました。
2着には2番人気のタスティエーラが入り
大外から追い込んだ1番人気のソール
オリエンスは3着に終わりました。
私も長年、菊花賞を見てきましたが
今回の菊花賞でのドゥレッツァの勝ち方は
今まで見たことは無く、正直驚きを
隠せません。

今週は、東京競馬場で第168回天皇賞秋
が行われます。
今年は天皇陛下が11年ぶりにご観覧に
なられる天覧競馬となります。
天皇賞の歴史は古く、昭和12年秋から
帝室御賞典という名称で行われました。
帝室御賞典は戦争のため昭和19年に
戦争のため中止され、昭和22年春に
平和賞の名称で再開し、同年秋からは
天皇賞と改称され現在に至っています。
そして創設以来、当初は1度優勝した馬は
再出走を認めないとされてきましたが、
昭和56年に制度が廃止され、過去の
優勝馬も再出走が可能になりました。
またその後、スタミナよりもスピードの強化
を重視する意見などにより、賛否両論が
あったものの、昭和59年から秋の天皇賞
は施行距離が2000mに短縮され、更に
古馬の最高峰として位置づけられてきた
天皇賞でしたが、昭和62年からは4歳馬
も出走が可能になり、これにより各馬は
様々な選択肢が取れるようになりました。
天皇賞への再出走が可能となったことで
引退時期が延び、天皇賞連覇や天皇賞馬
同士の激突や3歳馬と古馬の戦いが
見られることで新たな天皇賞に変貌
しましたが、一方で距離が短くなったことで
東京競馬場での1周目のストレッチで沸き
起こる大歓声が聞けなくなったことが
残念であると共に強い馬よりスピード馬を
つくることが、本当に世界の競馬に対応
できるのかという懸念も生まれました。
中距離馬にも天皇盾の夢をということでは
仕方がないことかも知れません。
私個人としては古馬の最高峰という伝統は
継承して欲しかったと今でも思っています。
思い出の馬は、牝馬でありながら
牡馬相手に競馬史上に残る大逃げで
優勝したプリテイキャストです。
プリテイキャストの父は、有馬記念を勝った
リュウズキや天皇賞馬カシュウチカラ、
桜花賞馬ワカクモ等を輩出した名種牡馬
カバーラップ二世で、プリテイキャストは
今は無き北海道の名門吉田牧場で誕生
しました。
プリテイキャストは昭和53年のクラシック
組で同期には桜花賞馬オヤマテスコ、
オークス馬ファイブホープやサンエム
ジョオー、サニーフラワー等がいます。
プリテイキャストは旧馬齢3歳の東京で
デビューしましたが、最初の新馬戦は
6着に敗れてしまいました。
後のスタッフの話として、
「もともとプリテイキャストは素質のある
馬で、期待されていましたが、新馬戦で
スタート直後に左右の馬に挟まれて立ち
後れたため、6着と敗れてしまい、この
出来事によってプリテイキャストは他馬を
怖がるようになってしまった。この出来事が
無く、順調にいっていれば桜花賞を狙えた
ほどの馬でした。」
とコメントしています。
結局、4歳の春に初勝利すら挙げることが
出来なかったため、クラシックに出走する
ことはありませんでした。
プリテイキャストが初勝利を挙げたのは
デビューから8戦目となる4歳夏の新潟の
未勝利戦でした。
その後函館に遠征して条件特別戦を2勝し
オープン競走でもホクトボーイの4着と
善戦したことで、当時の牝馬クラシック
最終戦、エリザベス女王杯に何とか
参戦することができました。
しかし好調を買われて3馬人気に支持され
ましたが、スタートでの出遅れが響き、
最後の直線で追い込むものの、リード
スワローの4着に終わりました。
しかし続く条件特別戦を勝ってオープン
入りを果たし、古馬になってからの飛躍を
期待されました。
年が明けて古馬となったプリテイキャストは
重賞競走に参戦したものの惨敗を繰り返し
遠征した夏の札幌で1勝をあげたものの、
5歳での勝利はこの1勝にとどまりました。
通常でしたら、この成績なら5歳をもって
繁殖にあがるのが一般的でしたが
牧場の代表者から、もしかしたらプリテイ
キャストは母タイプキャストも7歳になって
から全米最優秀牝馬となったことから、
母と同じように晩成型なのかも知れない
との考えで、6歳での現役続行が決まり
ました。
年が明けて6歳となったプリテイキャストは
3戦目の条件特別戦を勝つと続く、長距離の
重賞競走ダイヤモンドステークスを
8番人気ながら2着馬に7馬身差をつけて
圧勝して初重賞制覇を果たすと共に
晩成型の本領を発揮し始めました。
その後、天皇賞春では15着と大敗した
ものの、相性の良い札幌で札幌日経賞と
札幌記念で2着に入り、東京に帰っての
毎日王冠でも逃げ粘って、カネミノブの
3着に入る等、牡馬相手でも互角に戦える
ことを証明しました。
続く天皇賞秋の前哨戦だった当時の
目黒記念ではまさかの最下位の11着と
大敗しましたが、関係者はプリテイキャスト
の晩成型の力を信じて天皇賞秋に駒を
進めました。
この天皇賞秋には前走での目黒記念を
快勝したダービー馬カツラノハイセイコや
有馬記念馬カネミノブ、後に有馬記念や
天皇賞に勝つホウヨウボーイをはじめ
重賞優勝馬メジロファントム、シービー
クロス、グレートタイタン、シルクスキー等
蒼々たる一流馬達が顔を揃えました。
天皇賞当日はレース2日前に降った雨の
影響で馬場は重となり、1番人気は
ダービー馬カツラノハイセイコ、2番人気は
ホウヨウボーイとなり、前走の目黒記念で
大敗したプリテイキャストは8番人気での
出走となりました。
ゲートが開き、スタートすると予想どおり
プリテイキャストが逃げる展開になり
競りかけてくる馬もいなかったため、
ほどなく一人旅となりました。
当時は東京3200mでの天皇賞であった
ため、1週目のホームストレッチで
大歓声が沸く中、プリテイキャストは
一気に後続を引き離して大逃げをうつ
展開となりました。

カツラノハイセイコは2番手、その後から
ホウヨウボーイが続き、カネミノブ、
シービークロスは中団、メジロファントムと
シルクスキーは後方からレースを進め
ました。
向こう正面に入るとプリテイキャストと
後続馬との差は100m近くにまで広がり
場内は騒然となり始めました。
それでもあんなに飛ばしたら逃げたら
最後は一気に差が縮まり、直線で
プリテイキャストは失速するだろうと
多くの人は思っていました。
大逃げをうたれても、淡々とレースを
進めていた2番手以降の人気馬達も
プリテイキャストをマークすることなく、
当初は後続馬同士で牽制しあって
いましたが、プリテイキャストのペースは
見た目ほどのハイペースではなく、いつの
間にか気分よく一人旅となって逃げて
いました。
第3コーナーに入っても、このプリテイ
キャストの大逃げに幻惑されてしまった
のか、カツラノハイセイコもホウヨウボーイ
も、それ以外の馬達も互いに牽制し合い、
どの馬もプリテイキャストを先に捉まえに
行くことで失速する事を恐れ、まるで
金縛りにあったかのように動けなくなって
しまいました。
この状況に慌てたメジロファントムが
最初に仕掛け、事の重大さに気付いた
後続馬達も一斉に追走しはじめましたが
時すでに遅く、大歓声の中、プリテイ
キャストは大差をつけたまま第4コーナー
から直線へ。

さすがにプリテイキャストも直線の坂で
失速したものの、それまでの圧倒的な
リードにものをいわせ、後続馬との差は
なかなか縮まらず、実況した盛山アナも
「あと200メートルしかありません
差は10メートル、8メートルくらいある
先頭はプリテイキャスト、逃げ切り濃厚
逃げ切り濃厚 2番手以下は届かない、
絶対に届かない、2番手以下絶対に
届かない」と絶叫。
そして最後は2着に7馬身差をつけて
圧勝し、プリテイキャストは第82代
天皇賞馬の栄冠に輝きました。


天皇賞後、有馬記念に参戦しましたが、
思うように逃がしてもらえず、最下位の
12着に敗れ、このレースを最後に
引退しました。
それでも天皇賞での優勝が評価され
プリテイキャストは、この年の優駿賞
最優秀古牝馬に選出されました。
引退後は生まれ故郷の吉田牧場で
繁殖牝馬となりましたが、目立った産駒は
菊花賞に出走して大逃げを打った
スティールキャストぐらいで、代表産駒には
恵まれませんでした。
記録によりますと
平成7年6月28日プリテイキャストは
喉頭がんに冒されてしまい、回復の
見込みなしと診断され、その後の癌による
痛みや苦しみが予想されたことから安楽死
の措置が執られ、プリテイキャストは
21歳の生涯に幕を下ろし、天国へと
駆け上がって行きました。

今週は、東京競馬場で伝統の第168回
天皇賞秋が行われます。
世界ランク1位のイクイノックス、天皇賞
春秋連覇を狙うジャスティンパレス
勢いに乗るプログノーシス、巻き返しを
図るスターズオンアースに注目しています。
今年は天皇陛下が11年ぶりにご観覧に
なられる天覧競馬となります。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、京都競馬場で行われました牝馬
クラシック最終戦第28回秋華賞は
中団でレースを進めた圧倒的1番人気の
リバティアイランドは徐々に外に持ち出して
進出し、第4コーナーで一気に先頭に
立って直線へ。
直線に入るとリバティアイランドは更に鋭く
脚を伸ばして他馬を突き放し、これぞ
まさに横綱相撲という異次元の圧倒的な
強さで秋華賞に優勝。
史上7頭目となる牝馬クラシック3冠を
達成しました。
2着には直線で大外から豪脚を繰り出して
リバティアイランドを追い詰めた3番人気の
マスクトディーヴァが入り、3着には
2番人気のハーパーが入りました。

今週は、3年ぶりに京都競馬場で混戦
クラシック3冠競走の最終戦第84回
菊花賞が行われます。
菊花賞はイギリスのセントレジャーを範に
とり、1938年に京都農林省賞典四歳呼馬
の名称で4歳 (現3歳)馬による重賞競走
として創設されました。
そして1948年より現名称の菊花賞となり
クラシック3冠競走の最終戦として
行われています。
昭和期から皐月賞は最も速い馬が勝つ
日本ダービーは最も運のある馬が勝つと
呼ばれるのに対し、菊花賞はスピードと
スタミナを兼ね備えた最も強い馬が勝つと
言われてきました。
また菊花賞の走行距離は3,000mの
長距離レースなのですが、菊花賞は
必ずと言っていいほど、スローペースに
なることが多く、そのため、昭和時代から
京都の3,000mはマイラーでも持つと
言われてきました。
思い出の馬は、菊に執念を燃やす
伊達一族の悲願を達成した昭和45年
第31回優勝馬ダテテンリュウです。
ダテテンリュウの父は皐月賞に優勝し
、昭和34年の年度代表馬にも選出された
伊達一族ゆかりの種牡馬ウイルデイール
で、種牡馬としても宝塚記念馬ダテ
ホーライや阪神大賞典を勝ったダテハク
タカ等を輩出しています。
ダテテンリュウは昭和45年のクラシック組
で同期には幻の3冠馬と言われた2冠馬
タニノムーティエや私も大ファンだった
美しき若大将アローエクスプレス、
天皇賞馬メジロムサシやトレンタム、
クリシバ、タマホープ等がいます。
旧馬齢3歳の暮れに阪神でデビューした
ダテテンリュウは新馬、特別戦を連勝し
クラシックに名乗りを挙げました。
しかし、年が明けて4歳になってクラシック
の登竜門となるシンザン記念やきさらぎ賞
に敗れたため、皐月賞への出走は叶い
ませんでした。
その後条件特別とオープン競走を勝って
2連勝を飾り、ダービーを目指して
東上しました。
この年のクラシック戦線は、東はアロー
エクスプレス、西はタニノムーティエが
快進撃を続け、アロー対ムーティエの
AT対決と称して両雄の対決にファンは
一喜一憂していました。
スプリングステークスと皐月賞では
タニノムーティエが勝利し、NHK杯では
アローエクスプレスが勝つなど、本番に
向けて両雄は一歩も譲らず、好勝負を
展開していました。
この東西両雄対決の中でダテテンリュウは
ダービートライアルNHK杯に出走し、
2着のタニノムーティエにハナ差迫る
3着と善戦し、日本ダービーに駒を進め
ました。

本番の日本ダービーではダテテンリュウは
4番人気に支持されました。
レースはトレンタムが逃げ、ダテテンリュウ
は、その後ろの先行集団を進み、アロー
エクスプレスは中団、タニノムーティエは
後方からという展開でレースは進みました。
第3コーナーでアローエクスプレスが
一気に仕掛けると、タニノムーティエも
いつも間にか、先行集団に追いついて
直線へ。
直線でダテテンリュウがトレンタムを
捉えて先頭に立ちましたが、真ん中から
鋭く脚を伸ばしてきたタニノムーティエが
今度はダテテンリュウを交わして先頭に。
それでもダテテンリュウも一歩も引かずに
2頭による激しい競り合いとなりましたが、
タニノムーティエが半馬身、ダテテン
リュウをおさえて優勝を飾り、2冠達成を
果たしました。

その後、ダテテンリュウは当時ダービー後
に行われていた毎日杯を快勝し、重賞
初制覇を果たしました。
夏を越して秋競馬が始まると、春の
クラシック戦線とは状況が一変して
いました。
2冠を制し、3冠達成は間違いなしと
言われていたタニノムーティエが休養中に
競走馬としては致命的となる、のど鳴り
(喘鳴症)を発症して体調を崩し、アロー
エクスプレスは感冒でセントライト記念の
出走を取り消すなど、秋は波乱の幕開け
となりました。
その状況のとおり当時の菊花賞トライアル
京都杯ではアローエクスプレスは2着、
ダテテンリュウは4着に終わり、のど鳴りを
発症してしまったタニノムーティエは全く
精彩を欠いて6着に敗退するなど、菊
に向けたトライアル戦は波乱を予感させる
結果となりました。
その一方で、夏の北海道で本格化した
メジロムサシやタマホープ等の新しい
勢力が台頭してくるなど、春とは違った
混戦模様での菊花賞となりました。
それでも本番の菊花賞ではアローエクス
プレスが1番人気に推され、ダテテンリュウ
も2番人気に支持されました。
レースはスタートするとシバデンコウが逃げ
アローエクスプレスは中団、その後ろから
ダテテンリュウとメジロムサシが続き、
タニノムーティエは後方からという展開に
なりました。
京都名物の第3コーナーの山の上で
アローエクスプレスが先頭に躍り出ると、
それをマークするようにダテテンリュウ、
メジロムサシ、タマホープが一斉に
仕掛けてアローエクスプレスと差を詰め、
後方にいたタニノムーティエも強かった
春のタニノムーティエ彷彿させるかの
ように第3コーナーで一気に4番手まで
上って行き、場内実況もそれを実況
すると、場内の大観衆からは、
やはりタニノムーティエは来るのか、
3冠達成の奇跡が起こるかもしれないと
大歓声が上がりました。
タニノムーティエは2冠馬としての最後の
意地を多くのファンに見せてくれたのかも
知れません。
私は当時体調が悪いタニノムーティエが
必死で上がっていく場面を見て、感動で
涙が溢れました。
あの時の大歓声は一生忘れることは
出来ません。
直線に入るとアローエクスプレスは伸びず
メジロムサシが先頭に立ちましたが、
それを交わして、カミタカ、ネバーフォード、
ダテテンリュウ、タマホープの4頭が接戦を
演じ、その中からダテテンリュウが鋭く
抜け出して優勝。
伊達一族にとって、悲願のクラシック
タイトル、菊花賞を獲得しました。


この勢いのまま、ダテテンリュウは日本一
決定戦となる暮れのグランプリ競走、
有馬記念に参戦。
このレースには引退と連覇をかける老雄
スピードシンボリをはじめ、天皇賞馬
メジロアサマ、前年の菊花賞馬アカネ
テンリュウ、菊花賞の巻き返しを図る
アローエクスプレスなど、日本一決定戦に
相応しい豪華なメンバーが顔を揃えました。
1番人気はアカネテンリュウ、スピード
シンボリは3番人気となり、ダテテン
リュウは4番人気に支持されました。
レースは名門尾形厩舎のハクエイホウが
逃げ、アローエクスプレスとメジロアサマは
中団から進み、アカネテンリュウ、ダテテン
リュウ、スピードシンボリは後方からの
レース展開となりました。
第3コーナーでスピードシンボリ、アカネ
テンリュウ、ダテテンリュウが一気に
仕掛けて先頭集団に追いつき、
第4コーナーでアローエクスプレスが
先頭に立って直線の勝負へ。
コーナーワークを利用して一気にスピード
シンボリが抜け出して先頭に立つと
外からアカネテンリュウとダテテンリュウの
2頭が猛追してスピードシンボリに襲い
掛かり、3頭による名勝負となりましたが
老雄スピードシンボリがアカネテンリュウ、
ダテテンリュウを力でねじ伏せて優勝。
史上初の有馬記念連覇を果たすと共に
引退の花道を飾りました。
この有馬記念は競馬史上に残る名勝負
として今でも語り継がれています。

ダテテンリュウの有馬記念での善戦は、
古馬になってからの活躍が期待される
ものでした。
しかし、この後ダテテンリュウは脚部不安に
悩まされ、京都記念やマイラーズカップで
2着になったものの、勝つことはできず、
期待された天皇賞春では8着に惨敗して
しまいました。
そして、その後も故障続きに泣かされ、
1年半や1年の長期休養後に復帰した
ものの、勝つことは出来ずに引退しました。
引退したダテテンリュウは、生まれ故郷の
伊達牧場で種牡馬生活を始めましたが、
繁殖相手に恵まれず、代表産駒を輩出
することは出来ませんでした。
記録によりますと
種牡馬生活3年目の昭和52年1月5日の
昼下がり、午前中は普段と変わらなかった
ダテテンリュウが急にふらふらし始め、
異常に気付いたスタッフが駆け寄った瞬間
雪の上に倒れ、必死に耳元でスタッフが
名前を叫び続けるも、その呼びかけに
応えることはありませんでした。
昭和52年1月5日ダテテンリュウは
心臓発作のため、11歳という若さで、
一気に天国へ駆けあがっていきました。
今週は3年ぶりに京都競馬場で混戦
クラシック三冠競走の最終戦となる
第84回菊花賞が行われます。
皐月賞馬ソールオリエンス、トライアル
優勝馬サトノグランツ、上り馬ドゥレッツア
サヴォーナに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。
先週、京都競馬場で行われました第58回
京都大賞典は5番人気のプラダリア直線で
抜け出し接戦を制して優勝。
青葉賞以来となる重賞2勝目を挙げました。
2着には3番人気のボッケリーニが入り、
1番人気のディープボンドは直線で追い
込んで来たものの3着に敗れました。
また、2番人気のブローザホーンは直線で
心房細動の発症により競走を中止しました。
大事に至らないことを祈っています。

史上初の無敗3冠牝馬デアリングタクトの
引退が発表されました。
4歳時に脚を痛めた後も1年後にレースに
復帰する等、多くのファンに夢と感動を
与えてくれました。
第2の馬生を幸せに過ごしてくれることを
心から祈っています。
本当にお疲れさまでした。
そして多くの感動をありがとうございました。
デアリングタクト 最後の雄姿

今週は、3年ぶりに京都競馬場で牝馬
クラシック三冠目第28回秋華賞が
行われます。
秋華賞は昭和期、4歳(現3歳)牝馬
クラシック路線の三冠目という位置づけで
1970年にビクトリアカップが創設され
ました。
その後1975年にエリザベス女王の来日
を記念して1976年にエリザベス女王杯が
創設されと距離や競走条件はビクトリア
カップを踏襲したものの、エリザベス女王
への敬意を表するため、ビクトリアカップ
からの引き続きではなく第1回エリザベス
女王杯として行われ、1995年まで牝馬
クラシック三冠目という位置づけで4歳
牝馬限定競走として行われていました。
その後、1996年に牝馬競走体系の
見直しに伴い、エリザベス女王杯は競走
条件が4歳牝馬限定から4歳以上牝馬に
変更され行われることになりました。
このエリザベス女王杯の位置づけの
変更により、エリザベス女王杯に代わる
4歳牝馬クラシックの三冠目として新たに
秋華賞が新設され、現在に至っています。
思い出の馬は牝馬クラシック二冠を制し、
私も大ファンだった名牝ニットウチドリ
です。
ニットウチドリは昭和48年のクラシック組で
同期にはオークス馬ナスノチグサや快速馬
キシュウローレル、レデースポート、
ケイリュウシンゲキ、ケイスパーコ等が
います。
ニットウチドリは旧馬齢3歳秋の中山の
新馬戦でデビューしましたが、後の重賞
勝ち馬サンポウやホワイトフォンテンに
敗れ、新馬2戦とも勝つことは出来ません
でした。
しかし、その後未勝利戦、特別戦を連勝し
クラシックに名乗りをあげました。
年が明けて4歳の緒戦となる新春牝馬
ステークスに勝ち、続くクイーンカップは
3着に敗れたものの、桜花賞を目指して
西下しました。
この年、西には快速馬キシュウローレルが
向かうところ敵なしの圧倒的な強さで
デビュー以来5連勝を飾り、当時桜花賞は
キシュウローレルで決まりとまで言われて
いました。
キシュウローレルのあまりの速さと強さに
桜花賞を断念する馬もいました。
そして当時の桜花賞トライアル阪神4歳
牝馬特別で関東のニットウチドリは関西の
快速娘キシュウローレルと初対戦すること
になりました。
レースは第4コーナーで先頭に立った
キシュウローレルを直線でニットウチドリが
並びかけ、2頭による一騎打ちとなり
ましたが、ニットウチドリがこの競り合いを
制してレコードタイムで優勝。
圧倒的な人気を集めたキシュウローレルは
初の敗戦を喫してしまいました。

そして迎えた本番の桜花賞、キシュウ
ローレルを負かして成長著しいニットウ
チドリが1番人気となり、キシュウローレル
は2番人気となりました。
レースは好スタートを切ったニットウチドリを
外枠からの発走となってしまったキシュウ
ローレルが外から追い上げ、ニットウチドリ
をかわして先頭に立って、2頭による激しい
レース展開となりました。
この2頭のスピードに他馬はついて行けず
ニットウチドリとキシュウローレルのマッチ
レースとなりました。
第4コーナーでニットウチドリが追い上げて
2頭が並んで直線へ。
直線に入ってニットウチドリが一気に抜け
出して先頭に立つと、キシュウローレルは
粘り切れず、ニットウチドリがキシュウ
ローレルに3馬身差をつけて圧勝、第33代
桜の女王に輝きました。

桜花賞を制したニットウチドリは東京に戻り
クラシック二冠目オークスを目指し、
トラアイル競走に出走しましたが、レデース
ポートとナスノチグサに続く3着に敗れて
しまいました。
その結果、クラシック二冠目の優駿牝馬
(オークス)ではトライアルレースを勝った
レデースポートが1番人気、ナスノチグサが
2番人気となりニットウチドリは距離の適性
への疑問もあったのか3番人気での出走と
なりました。
レースは向こう正面過ぎで早くも先頭に
立ったニットウチドリが直線でも逃げ粘り、
レデースポートはねじ伏せたものの
直線半ばでナスノチグサに交わされ
惜しくも2着に敗れてしまいました。

秋になってニットウチドリ、ナスノチグサ、
レデースポートの関東の3強は無事に夏を
越して、当時の牝馬クラシック三冠目の
ビクトリアカップを目指して西下しました。
3頭ともビクトリアカップの前哨戦ともいえる
古馬との混合レース京都牝馬特別に出走。
春から頭角を現してきたレデースポートが
優勝し、不良馬場が影響したのかニットウ
チドリは8着、ナスノチグサは12着に敗退
しました。
そして迎えた牝馬クラシック三冠目
ビクトリアカップ、レデースポートが1番人気
に推され、ナスノチグサが2番人気となり
ニットウチドリは前走の大敗が影響した
のか、3番人気となりました。
レースは西の快速馬ケイリュウシンゲキと
ニットウチドリとの先行争いで始まり、
ケイリュウシンゲキが先手を取ると、
そのまま大逃げをうち、離された2番手で
ニットウチドリが続き、3番手以降は縦長の
全馬バラバラの展開となり、ナスノチグサと
レデースポートは3番手集団の中でニットウ
チドリをマークするような形でレースが進み
ました。
第3コーナーでニットウチドリが仕掛けると
一気に後続馬も差を詰めて直線の勝負へ。
最終コーナーでニットウチドリが逃げる
ケイリュウシンゲキを捕らえると、一気に
差を広げて先頭に立ち、何とか追い上げて
来たナスノチグサに2馬身半差をつけて
圧勝し、牝馬クラシック二冠制覇を果たし
ました。

その後ニットウチドリは唯一牝馬として
怪物ハイセイコーや天皇賞優勝馬のタニノ
チカラ、ベルワイド、ヤマニンウェーブ等
超一流馬が顔を揃えたグランプリレース
有馬記念に参戦。
レースはニットウチドリがハナを奪って
スローペース逃げ、人気薄のニットウチドリ
を軽視した後続の人気馬達はそれぞれで
牽制し合い、ニットウチドリが単独先頭の
まま直線へ。
後方からはストロングエイトだけが先に
仕掛けて追い上げて来ましたが、
ハイセイコーやタニノチカラは仕掛けが
遅れたため、追い上げきれず、逃げ粘る
ニットウチドリとストロングエイトが並んで
ゴールを通過しました。
写真判定の結果、クビ差でストロングエイト
が優勝し、ニットウチドリは惜しくも2着と
なりました。
条件馬だったストロングエイトと牝馬の
ニットウチドリという人気薄馬同士の決着と
なったため、有馬記念史上初めてとなる
万馬券となりました。
この年の活躍が評価されニットウチドリは
優駿賞最優秀4歳牝馬に選出されました。

年が明けて5歳古馬となったニットウチドリ
は更なる活躍が期待されましたが、まるで
4歳までで全てを燃焼しきってしまったかの
ように、かつてのスピードや迫力は影を
潜め、7戦するも勝つことはおろか、着順
表示板に載ることさえ出来ませんでした。
後に分かったことは、5歳時、歴戦の疲れで
ニットウチドリの体はボロボロになって
いたとのことです。
牝馬東京タイムズ杯を最後に引退し
繁殖牝馬となったニットウチドリは11頭の
産駒を輩出し、シンザンとの仔となる
エスパルが6勝を挙げるなど活躍を
しましたが、重賞を勝つような代表産駒
には恵まれませんでした。
記録によりますと1990年5月1日に
ニットウチドリは11頭目の仔を無事に
出産した後、体調がおかしくなり、獣医に
よる診断の結果、産後の肥立ちが悪く、
子宮破裂を起こしていて、既に手の施し
ようがない状態となってしまいました。
そして1990年5月6日、ニットウチドリは
競走馬として母として全てのエネルギーを
燃焼させたかのように21歳で永遠の
眠りにつきました。
今週は、いよいよ3年ぶりに京都競馬場で
牝馬クラシック三冠目、第28回秋華賞が
行われます。
二冠馬リバティアイランド、素質が開花した
モリアーナ、堅実なハーパー、巻き返しを
図るラヴェルに注目しています。
今週も全馬の無事を祈りながらレースを
観ます。

