先週、阪神競馬場で行われました第75回

朝日杯フューチュリティステークスは

1番人気のジャンタルマンタルが道中、

中団を進み、直線に入ると内から力強く

抜け出して優勝。

新馬戦、デイリー杯2歳ステークスからの

3連勝で同世代牡馬最初のGⅠタイトルを

手にしました。

2着には大外から追い込んだ4番人気の

武豊騎乗のエコロヴァルツ、3着には

ただ1頭の牝馬だった5番人気のタガノ

エルピーダが入り、2番人気に推された

シュトラウスは10着に敗れました。

 

今週は、中山競馬場で今年の競馬を

締めくくるドリームレース、第68回

有馬記念が行われます。

有馬記念は、1955年当時の日本中央

競馬会理事長であった有馬頼寧氏が

中山競馬場の新スタンド竣工を機に

暮れの中山競馬場で日本ダービーに

匹敵する大レースを行いたいと提案し

当時としては他に類を見ないファン投票で

出走馬を選出する方式が採用され、

1956年(昭和31年)に最初は中山

グランプリの名称で創設されました。

しかし、第1回中山グランプリの興奮も

冷めやらぬ1957年1月に創設者である

有馬理事長が急逝してしまいました。

これまでの有馬氏の多大な功績を称える

ため、第2回開催から有馬氏の名前を

とって有馬記念に名称を変更し、これ以来

中央競馬の一年を締めくくるレースとして、

そしてファンが自ら投票して選んだ名馬達

による日本一決定戦というドリームレース

として定着し、現在行われています。

 

思い出の馬は、昭和50年第20回優勝馬

イシノアラシです。

イシノアラシは昭和50年のクラシック組で

同期には二冠馬カブラヤオー、天皇賞馬

エリモジョージ、菊花賞馬コクサイプリンス

関西の両雄ロングファスト、ロングホーク

ハーバーヤング、ファイブワン等がいます。

イシノアラシはデビューが遅く、旧馬齢4歳

1月の東京の新馬戦でデビューし、初戦は

4着に敗退しました。

当時の1月のレースは芝を保護するため、

ダート戦が多く、また新馬・未勝利戦は

短距離戦がほとんどで、芝や長距離で

力を発揮する馬は、実力のある馬でない

限り、苦戦を強いられました。

ステイヤー系種牡馬マロットを父に持つ

イシノアラシは当然苦戦を強いられました。

5戦目でようやく初勝利を挙げたイシノ

アラシは春の福島開催に参戦し、特別

競走を連勝して3勝目を挙げ、何とか

ダービーへの出走権を獲得しました。

ダービーでは10番人気となり、人気は

無かったものの、それでも皐月賞を制し、

ダービーでも常識を超えた狂気の逃げで

優勝を飾ったカブラヤオーの5着に入る

大健闘を見せました。

しかし、三冠馬を目の前にして二冠馬

カブラヤオーは、その後故障を発症し、

戦線を離脱してしまいました。

イシノアラシは夏を休養し、菊花賞を

目指して秋の条件競走からスタートを

切りましたが、2戦連続で敗れてしまい、

それでも菊花賞への出走を目指して、

格上のセントライト記念に参戦すると、

ダービー3着のハーバーヤングや後の

菊花賞馬コクサイプリンスをやぶって

優勝し、菊花賞への参戦が決まりました。

西下してまさに昭和47年のイシノヒカルを

再現するかのようにオープン競走に勝った

イシノアラシは得意とする長距離戦という

こともあってか、菊花賞で1番人気に

推されました。

カブラヤオー不在で行われた菊花賞は

トップジローの逃げで始まり、コクサイ

プリンスは4番手から、イシノアラシは

後方からの競馬となりました。

第3コーナーでコクサイプリンスが先頭に

立つと、イシノアラシも一気に仕掛けて

直線へ。

直線でコクサイプリンスが抜け出して先頭

に立ち、追い込んでくるロングファストや

ハーバーヤングをおさえて優勝。

イシノアラシも外から懸命に追い込み

ましたが、4着に敗れ、先輩イシノヒカルの

再現はなりませんでした。

そして、菊花賞の雪辱を期して4歳馬として

ただ1頭、有馬記念に参戦を決めました。

このレースには、秋の天皇賞を制した

フジノパーシア、休み明けの二冠馬

キタノカチドキとそのライバルのカーネル

シンボリ、オークス馬ナスノチグサと

トウコウエルザ、白い逃亡者ホワイト

フォンテン、米国帰りのツキサムホマレ

野武士ヤマブキオー、ローカルの鬼

ノボルトウコウ、天皇賞1番人気での

敗退の雪辱を期すキクノオー等、

グランプリレース、日本一決定戦に

相応しい豪華メンバーが揃いました。

1番人気は秋の天皇賞を制したフジノ

パーシアで2番人気は長期休養明けの

キタノカチドキ、3番人気には復調した

カーネルシンボリが推され、イシノアラシは

7番人気での出走となりました。

スタートすると大方の予想どおりホワイト

フォンテンが逃げ、スズタカツバサ、

ツキサムホマレが先行集団を形成し、

その後からフジノパーシアが追走、

キタノカチドキとカーネルシンボリは

中団から進み、イシノアラシ、キクノオー

ヤマブキオー、ノボルトウコウは後方から

という展開でレースが進みました。

第3コーナーでフジノパーシアが仕掛けると

後続馬も一斉に仕掛け、第4コーナーで

フジノパーシアがホワイトフォンテンに

並びかけて直線の勝負へ。

直線に入ってフジノパーシアが先頭に

立ち、スズタカツバサとツキサムホマレが

懸命に追い込む中、馬群をぬってイシノ

アラシが先輩イシノヒカルを彷彿させる

豪脚で一気にフジノパーシアを

差し切って優勝。

第20代グランプリホースに輝きました。

当時の4歳馬の優勝は奇しくも同じ馬主の

イシノヒカル以来、有馬記念史上3年ぶり

3頭目ということになりました。

年が明けて古馬となったイシノアラシは、

今後の活躍が期待されましたが、5歳時は

11戦して常に人気を背負いながらも、

なかなか勝ち星には恵まれず、目立った

成績としては、春と秋の目黒記念での2着

春の天皇賞での3着とオープン競走での

1勝ぐらいでした。

6歳になったイシノアラシは復活を目指して

現役を続行したものの、4戦して勝つことは

できず、テンポイントが勝った春の天皇賞

での8着を最後に二度と競馬場に姿を現す

ことはありませんでした。

 

7歳で現役を引退したイシノアラシは

1979年から青森県で種牡馬になり

ましたが、内国産種牡馬不遇の時代

であり、引退の時機も逸したためか、

種牡馬として全く人気はなく、産駒も

3頭しか残すことは出来ませんでした。

記録によりますと

1981年に種牡馬を引退すると、同年

11月に10歳で亡くなったとのことです。

死因については不明で、種牡馬を引退した

同じ年に亡くなったことから、本当に天寿を

全うできたのか、疑問が残ります。

 

今週は中山競馬場で今年のクライマックス

第68回有馬記念が行われます。

イクイノックスが引退したのは残念ですが

今年も名馬達による共演の中、

ドウデュース、スルーセブンシーズ

ジャスティンパレス、スターズオンアースに

注目しています。

今年を締めくくる大一番、今週も全馬の

無事を祈りながらレースを観ます。