ハイセイコーのブログ -27ページ目
阪神競馬場の改修工事により18年ぶりに
京都で開催された春のグランプリレース
第65回宝塚記念は重馬場の中、13頭に
よって行われ、3番人気のブローザホーン
が直線で大外から鋭く追い込んで優勝を
飾り、菅原騎手と共に悲願のG1初制覇を
果たしました。
2着には7番人気のソールオリエンス、
3着には5番人気のベラジオオペラが入り
圧倒的1番人気に推されたドウデュースは
終始後方からのレース展開となり、直線で
内をつかざるを得なくなり、必死に追い
込みを図りましたが、6着に敗れました。

今週からは、舞台を東京から福島に移し
夏の福島開幕週の風物詩となっている
3歳重賞、第73回ラジオNIKKEI賞が
行われます。
ラジオNIKKEI賞は、1952年に皐月賞の
前哨戦として4歳(現3歳)馬による重賞
競走中山4歳ステークスの名称で創設され
1954年からは春のクラシックシーズン
終了後に施行されるようになりました。
レース名の変遷は日本短波賞中山4歳
ステークスを経て、1961年からは日本
短波賞、1979年からはラジオたんぱ賞
となり、2006年からは現在の名称と
なっています。
出走資格が1955年から1967年までは
規定に「除東京優駿競走の勝馬」と
記されていたため、日本ダービーの
優勝馬は出走できませんでした。
そのため敗者復活戦的な要素を持ち、
規定が廃止されてからも昔の名残で
今でも残念ダービーという俗称が残って
います。
私も未だに日本短波賞という印象で
やはりダービーで敗れた馬やダービーに
出走できなかった馬達による残念ダービー
というイメージが強いレースです。
今年はJRA70周年記念競走の副称を
つけて施行されます。
思い出の馬は、青森県出身の綺麗な
栃栗毛の馬で、レースでは根性を前面に
出して活躍したスルガスンプジョウです。
スルガスンプジョウの父は昭和を代表する
中距離系種牡馬バーバーで代表産駒には
有馬記念馬カネミノブやカネミカサ、
カネオオエ、カネイコマ、ヨネミノル、
ハザマファースト等がいます。
スルガスンプジョウは昭和49年の
クラシック組で、同期には二冠馬キタノ
カチドキ、ダービー馬コーネルランサーを
はじめ、幻のクラシック馬カーネルシンボリ
ニシキエース、キクノオー、エリモマーチス、
ナスノカゲ等がいます。
旧馬齢3歳の新潟でデビューしたスルガ
スンプジョウは新馬、条件特別を連勝して
エリートコースに乗り、続く特別戦は後の
ダービー馬コーネルランサーの2着に
敗れたものの、実力があるところを見せ
ました。
その後脚部不安のため、4ヶ月の休養を
余儀なくされ、皐月賞への出走は
叶いませんでしたが、復帰戦の条件
特別戦を格の違いを見せて勝って
ダービーへの出走権を獲得し、念願の
日本ダービーに挑みました。
皐月賞を勝った西の怪物キタノカチドキが
単枠指定の1番人気に推され、中距離系
種牡馬バーバーの産駒であったスルガ
スンプジョウは、前年のダービーで人気を
背負いながら惨敗した同じバーバーの仔の
カネイコマと同様に距離を不安視された
のか、5番人気での出走となりました。
レースは直線の勝負所で大本命のキタノ
カチドキがレース前から懸念されていた
ように、大きくヨレて3着に敗れるという
大波乱の中、スルガスンプジョウは
第3コーナーや直線で大きな不利を受け
ながらも6着と善戦しました。
続いてスルガスンプジョウは当時の
残念ダービーと言われた日本短波賞に
出走しました。
このレースにはダービー組からは
NHK杯を勝ったナスノカゲが出走しました。
レースは高松厩舎のヒカルジンデンが
軽快に逃げる中、スルガスンプジョウは
3番手から進み、ナスノカゲは後方から
という展開となりました。
第3コーナーでスルガスンプジョウが
仕掛けるとナスノカゲも一気に差を詰めて
直線の攻防へ。
直線に入っても逃げ足が鈍らないヒカル
ジンデンが逃げ粘り、スルガスンプジョウ
との激しい競り合いになりましたが、根性を
前面に出して走るスルガスンプジョウが
ゴール前でヒカルジンデンを交わして勝ち、
重賞初制覇を果たしました。

夏を休養したスルガスンプジョウは秋緒戦
セントライト記念に参戦。
このレースには菊花賞を目指すフェアー
リュウやナスノカゲが出走しました。
レースはサクラセンプウが逃げる中、
スルガスンプジョウは内から中団を進み
フェアーリュウとナスノカゲは後方からの
展開となりました。
第4コーナーで一気にフェアーリュウが
外から仕掛けて差を詰め、直線の勝負へ。
サクラセンプウが粘って各馬横一線の
好勝負となる中、内々を通って鋭く
伸びてきたスルガスンプジョウが
先頭に立ち、外から猛然と追い込んで
来たフェアーリュウとの激しい競り合いに
なりましたが、持ち前の根性でフェアー
リュウを振り切って優勝。
1番人気に応えると共に2つ目の重賞を
獲得しました。

しかし、その後距離への不安からか
菊花賞には向かわずにダービー卿
チャレンジトロフィーに参戦、ここでも
1番人気に推されましたが、同期で
人気薄のザオーリュウジンの前に
3着に敗れてしまいました。
その後スルガスンプジョウは当時存在した
重賞競走クモハタ記念に参戦しました。
このレースには古馬精鋭のスガノホマレ、
カミノチドリ、イナボレス、キョウエイ
グリーンや古豪メジロゲッコウの他、
同期のナスノカゲ、ブルームーン、前走の
ダービー卿CTで敗れたザオーリュウジンが
出走しました。
そして、ここでもスルガスンプジョウは
1番人気に推されました。
レースはブルームーンが逃げ、2番手に
スガノホマレが続き、その後ろからカミノ
チドリ、スルガスンプジョウは内々を通って
4番手からという展開となりました。
ブルームーンが逃げる中、第4コーナーで
スルガスンプジョウが一気に仕掛けて
直線の勝負へ。
ブルームーンが逃げ粘る中、内から
キョウエイグリーン、真ん中からカミノチドリ
外からスルガスンプジョウが追い込み
スルガスンプジョウ、カミノチドリ、ブルー
ムーンの3頭による大接戦となりましたが
スルガスンプジョウが根性をむき出して
競り合いに勝って抜け出し、有力古馬を
おさえ、1番人気に応えて優勝。
3つ目の重賞を獲得しました。

しかし、この勝利がスルガスンプジョウに
とっての最後の勝利となってしまいました。
当時まだ中距離重賞路線が整備されて
いなかったため、年が明けて古馬になった
スルガスンプジョウは距離の長い重賞
戦線を歩まざるを得なくなりました。
また4歳時での重賞競走での激戦の
疲れや脚部不安にも悩まされるように
なっていました。
それでも古馬となって3戦目の日本経済賞
で1番人気に推され、善戦はしたものの
ホワイトフォンテン、フジノパーシアの前に
3着に敗れてしまいました。
その後、長年不安を抱えていた脚部の
悪化によりスルガスンプジョウは二度と
競馬場に姿を現すことはありませんでした。
生涯成績は12戦6勝 12戦中10戦が
1番人気だったことからも、当時の
競馬ファンのスルガスンプジョウへの
期待と人気の高さがわかります。
私も大好きな馬でした。
引退し種牡馬になったスルガスンプジョウ
でしたが、当時は内国産種牡馬の不遇の
時代であったため、種付けも数も少なく、
代表産駒には恵まれませんでした。
そして根性で走り抜いたスルガスンプ
ジョウでしたが、記録によりますと
1982年にわずか11年の生涯を終え、
静かに天国に旅立って行きました。
今週は、福島競馬場で第73回ラジオ
NIKKEI賞が行われます。
ウインマクシマム、ショーマンフリート
ミナデオロ、オフトレイルに注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
先週、東京競馬場で行われました第29回
マーメイドステークスは4番人気で
永島まなみ騎手騎乗のアリスヴェリテが
スタートしてハナを奪って後続を大きく
引き離した大逃げを打ち、5馬身差を
つけたまま直線に入ると、場内からの
大歓声の中、追い込んで来る後続馬を
振り切り、見事な逃げ切りで優勝を
飾りました。
2着は1番人気のエーデルブルーメ、
3着には6番人気のホールネスが入り
ました。
重賞初制覇を果たした永島まなみ騎手
本当におめでとうございます。

今週、今年は阪神ではなく京都競馬場で
春のG1戦線を締めくくる第65回
宝塚記念が行われます。
宝塚記念は有馬記念と同様にファン投票
で出走馬を決め、上半期の締めくくりを飾る
競走として関西地区の競馬を華やかに
盛り上げようとの趣旨で企画され、阪神
競馬場の新スタンドが落成した翌春の
昭和35年(1960年)に創設されました。
「あなたのそして私の夢が走ります」の
杉本アナの名実況でもおなじみの夏の
グランプリレースとして親しまれています。
思い出の馬は、中京に散った悲劇の
グランプリホース ハマノパレードです。
ハマノパレードの父は中・長距離系種牡馬
テューダーペリオッドで代表産駒には
菊花賞馬ハシハーミットをはじめ、ライト
ワールド、タケクマヒカル、ヒカルジンデン
ザオーリュウジン、サカエカホー等
中央、公営共に多くの重賞勝ち馬を
輩出しています。
ハマノパレードは私が日本の競馬史上
最強の世代と思っている花の昭和47年の
クラシック組で、同期にはダービー馬
ロングエース、皐月賞馬ランドプリンス、
菊花賞馬イシノヒカル、天皇賞馬
タイテエム、有馬記念馬タニノチカラ、
ストロングエイト、ハクホオショウ、
トーヨーアサヒ、スガノホマレ、タケクマ
ヒカル等、蒼々たるメンバーがいます。
ハマノパレードは旧馬齢3歳の10月の
京都でデビューする予定でしたが、出走
直前に骨膜炎を発症して出走を取り消し
翌月の新馬戦でデビューしたものの
精彩を欠いて4着に敗れ、初勝利は
デビューから4戦目となる年が明けて
4歳になった1月の未勝利戦でした。
その後、条件特別戦で2勝をあげたことで
クラシック出走への権利が生まれましたが
小さな馬体で休みなく出走していた疲れが
出たのか、ハマノパレードは皐月賞への
前哨戦毎日杯で9着に大敗したことで
クラシックを断念し、長期の休養に入り
ました。
秋競馬で復帰すると復帰初戦の条件戦を
快勝し、続くオープン競走でも菊花賞馬
ダテテンリュウやフィドール、ショウフウ
ミドリの名立たる古馬陣をやぶって優勝し、
いきなり2連勝を飾りました。
そしてこの勢いのまま、阪神大賞典に
参戦しました。
このレースには天皇賞秋の優勝馬
ヤマニンウェーヴ、菊花賞馬ニホンピロ
ムーテーや前年の宝塚記念を制した
ショウフュウミドリ、ロングワン等、古馬の
蒼々たるメンバーが顔を揃えました。
不良馬場の中で行われた阪神大賞典は
スタートしてマサイチモンジが先手を取り
かつて天皇賞春で同じような戦法をとった
タイヨウやオオクラを彷彿させるかのように
あえて馬場が悪い、内々の経済コースを
通って逃げ、その他の10頭は少しでも
馬場の良いところの大外を回るという
極端なレース展開となりました。
先行集団にはニホンピロムーテーがいて
ハマノパレードとヤマニンウェーヴは中団
から進みました。
第2コーナーから第3コーナーにかけて
ハマノパレードが大外を通って一気に
2番手に上がり、ニホンピロムーテーと
ヤマニンウェーヴも追いかけるように
差を詰めて直線の勝負へ。
内を通っていたマサイチモンジが直線で
今度は外に切れ込んでくる中、鋭く伸びた
ハマノパレードが先頭に立ち、大外から
強襲してきたヤマニンウェーヴをおさえて
優勝。
念願の初重賞制覇を果たしました。

年が明けて古馬になったハマノパレードは
日本経済新春杯に出走、1番人気に
推されましたが、逃げたユーモンドの前に
6着に敗れてしまいました。
そして、天皇賞春を目指して京都記念に
駒を進めました。
このレースにはニホンピロムーテーの他
前走で敗れたユーモンドや古豪パッシング
ゴール等が出走しました。
このレースでもハマノパレードは1番
人気に推されました。
レースはパッシングゴールの逃げで始まり
第3コーナーでパッシングゴールが差を
広げ始めましたが、第4コーナーで
ハマノパレード、ユーモンドが一気に差を
詰めて直線の勝負へ。
パッシングゴールが逃げ込みを図る中
外からハマノパレードが鋭く差して交わし
内から突っ込んで来たニホンピロムーテー
差し返してきたパッシングゴールを退けて
優勝を飾り、2つ目の重賞を獲得しました。

その後ハマノパレードはサンケイ大阪杯と
オープン競走で2着後、天皇賞春に挑み
ましたが無冠の「貴公子に春が訪れます」
という杉本アナの名実況の中で優勝した
タイテエムの前に8着に終わりました。
続いてハマノパレードは天皇賞春での
雪辱を果たすため、宝塚記念に挑み
ました。
このレースにはまるで天皇賞春の
再戦かのようにタイテエム、ナオキ、
カツタイコウ、シンザンミサキ、エリモ
カップ等が出走。
1番人気はタイテエムでハマノパレードは
4番人気に推されました。
レースは、当初ナオキが逃げると予想
されていましたが、天皇賞春とは打って
変わってハマノパレードが果敢に先手を
取って逃げ、タイテエムが2番手を追走し
ナオキは3番手から進みました。
向こう正面でハマノパレードが更に
加速して2番手タイテエムに8馬身以上の
差をつける大逃げとなったため、場内は
どっと沸きました。
第3コーナーでタイテエムとナオキが
仕掛けてハマノパレードとの差を縮め
直線の勝負へ。
逃げるハマノパレードにタイテエムが
必死追い込んで馬体を併せ、ナオキも
外から差して来ましたが、ハマノパレードが
先頭を譲ることなくタイテエムをクビ差
振り切り、日本レコードを更新するタイムで
優勝。
ついに念願のビックタイトル第14代春の
グランプリホースに輝きました。


グランプリホースに輝いたハマノパレードは
続いて高松宮杯への参戦が決まり、
運命の1973年6月24日を迎えます。
このレースには前年の天皇賞春の優勝馬
ベルワイドをはじめ、シンザンミサキ、
キョウエイアタック、グットキラメキの他
競馬史上に残る誤審判定と言われた
前年のクモハタ記念でいわく付きの勝利を
得て、後に魔性の馬の異名をとった
タケデンバードも出走しました。
1番人気は天皇賞馬ベルワイドでハマノ
パレードは2番人気に推されました。
レースはハマノパレードが宝塚記念と
同様に軽快な逃げを展開し、前走の安田
記念で12着と大敗したタケデンバードが
この日はやたら動きが良く、がっちり
ハマノパレードをマークしながら2番手を
進み、ベルワイドは後方からという展開と
なりました。
第3コーナーでベルワイドが仕掛けて
3番手まで上がって直線の勝負へ。
先頭のまま直線に入ったハマノパレードは
タケデンバードを更に突き放して差を広げ
誰もがこのままハマノパレードが圧勝する
と思った瞬間でした、突然ハマノパレードが
前のめりに崩れるように転倒し、まさかの
落馬競走中止となってしまいました。
この突然の出来事に場内は騒然となり
ました。
この落馬で田島騎手は肩甲骨を骨折し、
馬運車で運ばれたハマノパレードは
左第一関節脱臼および左第一指節種子骨
粉砕骨折のため、予後不良との診断が
下されました。
この悲惨な光景は、私がテレビの生中継で
初めて見た悲劇で、今でも決して忘れる
ことは出来ません。


しかし、悲劇はこれで終わりませんでした。
現在は予後不良となった場合、馬の
苦しみを防ぐため安楽死という仕組みが
出来ていますが、当時はその仕組みが
まだ確立されていませんでした。
ハマノパレードが安楽死処分されたと
される日の翌日、愛知県の食肉市場に
さくら肉「本日絞め」400kgという商品が
入荷、すぐに出入りの業者の間で「あれは
ハマノパレードの肉ではないか」という
噂が流れ、あるスポーツ紙の取材で
ハマノパレードは予後不良の診断後
すぐに安楽死処分を執行されず、軽減
措置もされないまま一晩放置され、翌朝に
なって食肉業者に送られて屠殺されたとの
衝撃的な記事が掲載されました。
あまりの悲惨な出来事として、今でも
ハマノパレード事件として語り継がれて
います。
グランプリホースのハマノパレードに対する
劣悪かつ許しがたい扱いにファンや動物
愛護団体からの非難が殺到しました。
これを受けて日本中央競馬会もようやく
動き、競走中に重度の故障を発症した
競走馬の屠殺を原則禁止とし、安楽死の
処置は手続きが完了次第即刻行うという
規定を整備し、施行しました。
悲しく辛い出来事でしたがハマノパレードの
苦痛の死が無駄にならず、最期まで世に
残した功績は大きかったと思います。
ハマノパレードのたてがみは京都のお寺に
納められ、キーストンと共に静かに眠って
います。
今週、今年は京都競馬場で夏のグランプリ
競走「あなたのそして私の夢が走る」
第65回宝塚記念が行われます。
ドウデュース、ジャスティンパレス
ブローザホーン、ローシャムパークに
に注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
先週、東京競馬場で行われました第41回
エプソムカップは前走の新潟大賞典11着
から巻き返しを図る1番人気のレーベン
スティールが直線で鋭く抜け出して圧勝、
昨年のセントライト記念以来となる
2つ目の重賞を獲得しました。
2着には9番人気のニシノスーベニア、
3着には7番人気シルトホルンが入り
2番人気のサイレーンは4着に終わり
ました。

今週は阪神競馬場が改修工事のため
今年は京都競馬場で第29回マーメイド
ステークスが行われます。
マーメイドステークスは1996年に
行われた牝馬競走体系の整備に伴って
4歳(現3歳)以上の牝馬による重賞競走
として新設されました。
創設当初の負担重量は別定でしたが
2006年よりハンデキャップに変更され
ました。
2002年からは特別指定交流競走となり、
地方競馬所属馬が2頭まで出走可能に
なりました。
2005年からは国際競走に変更され、
外国調教馬が4頭まで出走可能となり、
2007年からは外国調教馬の出走枠が
8頭まで拡大されました。
今週は京都競馬場で3歳以上牝馬による
ハンデキャップ競走、第29回マーメイド
ステークスが行われます。
ミッキーゴージャス、エーデルブルーメ
ベリーヴィーナス、アリスヴェリテに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。

