ハイセイコーのブログ -26ページ目
先日函館競馬場で行われました
サマー2000シリーズ第2戦、函館開催を
締めくくる伝統の第60回函館記念は
3番人気のホウオウビスケッツが、
第4コーナーで逃げるアウスヴァールに
並びかけ、直線に入ると鋭く伸びて
後続との差を広げて圧勝し、重賞初制覇を
飾りました。
2着には4番人気のグランディア、3着には
14番人気のアウスヴァールが逃げ粘り、
1番人気のサヴォーナは4着に敗れました。

今週、今年は小倉競馬場で伝統の
第72回中京記念が行われます。
中京記念は1953年に中京開設記念の
名称で旧馬齢4歳(現3歳)以上の馬による
重賞競走として創設され、1954年には
名称が中京記念に変更されました。
現在中京競馬場で行われている重賞競走
では最も古い歴史を持っています。
今年は小倉競馬場で行われます。
思い出のレースは、キングラナークが
勝った昭和53年第26回中京記念です。
キングラナークの父はグレイソブリン系
種牡馬ラナークです。
キングラナークは昭和51年のクラシック組
で同期にはTTGと言われた貴公子
テンポイント、天馬トウショウボーイ、
グリーングラスをはじめ、ダービー馬
クライムカイザー、天皇賞馬ホクトボーイ等
がいます。
キングラナークは旧馬齢3歳暮れの阪神で
デビューし、いきなり新馬、特別を連勝し
クラシックに向け好スタートを切りました。
しかし、年が明けて4歳になってから
1番人気となった特別競走の2戦で
敗れたことで春のクラシックへの出走は
叶いませんでした
4歳になってから9連敗していたキング
ラナークは10戦目でようやく勝利して
3勝目を挙げると、何とか菊花賞に
漕ぎつけ、21頭中21番人気で出走
しましたが人気通り、当時伏兵だった
グリーングラスの前に18着と惨敗に
終わりました。
年が明けて5歳になったキングラナークは
緒戦の条件特別を快勝し4勝目を挙げると
中日新聞杯に参戦しました。
このレースにはトウカンタケシバや西の
秘密兵器と言われたライデンポーラ、
シービークイン、タケデンジャガー等が
出走し、キングラナークは7番人気
という低評価での出走となりました。
レースはニシファイアが逃げ、
その後ろからキングラナークが続き、
ライデンポーラとシービークインは中団から
人気のトウカンタケシバは後方からという
展開となりました。
第3コーナーでキングラナークが
ニシファイアを交わしにかかり、
第4コーナーで先頭に立って直線へ。
直線に入ってキングラナークが一気に
伸びて後続馬を引き離して独走態勢となり
2着のジャンボキングに7馬身差をつけて
圧勝し、ついに重賞初制覇を果たしました。

しかし、続く中京記念では1番人気に
推されたものの4着に敗れてしまいました。
その後キングラナークは勝ち星には
恵まれず、暮れに行われた条件特別で
ようやく勝利し、6勝目を挙げました。
年が明けて6歳になったキングラナークは
連覇を狙って中日新聞杯に出走しましたが
4着に終わりました。
続いてキングラナークは昨年1番人気に
応えられなかった中京記念に参戦しました。
このレースには女傑アイノクレスピンや
クラシック戦線を賑わし、この年の有馬
記念に優勝し年度代表馬にも選出される
カネミノブ、九州の英雄ミヤジマレンゴや
前走の中日新聞杯優勝馬リキタイコー等
豪華なメンバーが参戦しました。
レースはリキタイコーが逃げ、その後ろから
ミヤジマレンゴとキングラナークが続き、
カネミノブは中団から、アイノクレスピンは
後方からという展開になりました。
第3コーナーでミヤジマレンゴが
リキタイコーを交わしにかかるとカネミノブ
アイノクレスピンも一気に仕掛けて先頭
集団に入り、キングラナークも負けずに
この先頭集団についていき、内を
つきながら直線の勝負へ。
直線に入ってミヤジマレンゴが先頭に立ち
内からキングラナーク、馬場の真ん中から
カネミノブ、外からアイノクレスピンが追い
込む中、ミヤジマレンゴとキングラナークが
が抜け出し、2頭による激しい競り合いと
なりましたが最後にクビ差キングラナーク
がミヤジマレンゴに競り勝って優勝を飾り
2つ目の重賞を獲得しました。

本格化したキングラナークは阪神に戻り、
オープン特別で3着となった後、今は
G1競走となっているサンケイ大阪杯に
参戦しました。
このレースには天皇賞馬ホクトボーイ
雪辱を期すアイノクレスピン、後に
天皇賞馬となる名牝トウメイの仔
テンメイが出走しました。
3番人気に推されたキングラナークは
果敢な逃げを展開し、直線で追い込んで
来るアイノクレスピンやホクトボーイを
おさえて優勝を飾り、3つ目の重賞を
獲得すると共に一流オープン馬への
仲間入りを果たしました。

続くオープン競走もレコードで快勝した
キングラナークは天皇賞春に駒を
進めました。
しかし、距離の疑問からかグリーングラス
の7着に敗れ、続く宝塚記念でもエリモ
ジョージの5着に敗退しました。
その後、キングラナークは大好きな中京
競馬場で行われる当時の高松宮杯に
出走しました。
このレースには宝塚記念を勝った
エリモジョージが62キロ、天皇賞馬
ホクトボーイが60キロという重い斤量で
出走の他、シルバーコレクターのクラウン
ピラード、4連勝中の新星ヤマニンゴロー
走る労働者トウフクセダン等、個性溢れる
馬達が参戦しました。
過酷なローテーションと当日の不良馬場で
人気を落としたか、キングラナークは
8頭中の8番人気での出走となりましたが
レースはヤマニンゴローが果敢に逃げる中
第4コーナーでエリモジョージ、直線で
ホクトボーイが失速し、内をついたキング
ラナークとヤマニンゴローとの直線での
激しい競り合いとなって、最後は2頭による
首の上げ下げの勝負となり、アタマ差で
ヤマニンゴローが勝ち、キングラナークは
惜しくも2着に敗れてしまいました。

その後、夏を休養したキングラナークは
1番人気となった秋緒戦のオープン競走で
6着に敗れ、このレースがキングラナーク
にとっての最後のレースとなってしまい
ました。
引退後、キングラナークはどのように
なったか、そしてどのように亡くなった
のかの記録が無いのが残念です。
今週は、小倉競馬場で第72回
中京記念が行われます。
エピファニー、エルトンバローズ、セオ、
アルナシームに注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
先週、福島競馬場で行われました夏競馬の
訪れを告げるサマーシリーズ第1戦、
第60回七夕賞は重賞初参戦だった
2番人気のレッドラディエンスが道中は中団
後方を進み、第4コーナーで仕掛けると
直線でダンディズムが先頭に立つ中、
外から鋭く伸びてダンディズムを交わして
一気に先頭に立ち、2着に2馬身差を
つけて圧勝、重賞初制覇を果たしました。
2着にはゴール前で追い込んで来た
1番人気キングズパレスが入り、3着には
8番人気ノッキングポイントが入りました。

今週は、函館競馬場で節目となる伝統の
第60回函館記念が行われます。
函館記念は現行の函館記念が創設される
以前、1951年から1964年まで函館記念
というオープン特別競走の形式で競走が
施行されていました。
その後1965年に4歳(現3歳)以上の
競走馬によるハンデキャップの重賞競走
として創設されました。
函館競馬場で行われる重賞競走では
最も歴史が長く、昭和期における歴代
優勝馬には名立たる名馬達が名を連ねて
います。
思い出の馬は、函館エリモ伝説の始まりと
なった昭和48年第9回函館記念優勝馬
エリモカップです。
エリモカップの父は昭和30年代から
40年代に活躍した日本を代表する
大種牡馬ヒンドスタンで代表産駒には
五冠馬シンザンを筆頭にダービー馬
ハクショウ、天皇賞馬ヤマニンモアー、
リユウフオーレル、ヒカルポーラ、ヤマト
キョウダイ、菊花賞馬ダイコーター、
アサカオー、皐月賞馬ワイルドモア、
最後の傑作と言われたハクホオショウ等
名前を挙げれば切りがない程、数多くの
名馬をこの世に送り出し、1961~68年
の間に7度も日本リーディングサイアーに
輝くなど1960年代の日本競馬を
牽引しました。
エリモカップは昭和46年のクラシック組で
同期には二冠馬ヒカルイマイ、菊花賞馬
ニホンピロムーテー、天皇賞馬ベルワイド
オンワードガイ、フィドール、カツタイコウ、
ヤシマライデン、ゼンマツ等がいます。
エリモカップのデビューは遅れ、旧馬齢
4歳1月の京都の新馬戦でデビューし
見事、新馬戦を圧勝しました。
その後、3戦目の条件特別戦を勝って
2勝目挙げると皐月賞を目指し、東上
しました。
出走馬14頭中13番人気で挑んだ
皐月賞でしたが、疾風の差し足と言われた
ヒカルイマイの前になす術も無く 8着に
終わりました。
この結果を受けてエリモカップは
ダービーへの出走を断念し、関西に
戻って阪神での条件特別に出走すると
このレースに勝利して3勝目を挙げました。
夏を休養したエリモカップはぶっつけで
菊花賞に出走、19頭中15番人気と
低評価でしたが、ニホンピロムーテーの
5着に入り、善戦しました。
ついにヒンドスタンの血が開花し始めた
エリモカップは、当時は暮れに行われて
いた阪神大賞典でもスインホウシュウの
2着に入るなど、本格化し、古馬になって
からの活躍が期待されました。
年が明けて古馬になったエリモカップは
ガーネットSを1番人気で勝つと、続く
スワンSでは暮れの阪神大賞典で敗れた
スインホウシュウや菊花賞馬ニホンピロ
ムーテーに先着して2着に入りました。
そして、この勢いのまま、中京記念に
出走すると3歳チャンピオン等に輝いた
ロングワンやシュンサクリュウをやぶって
優勝し、重賞初制覇を果たしました。
しかし、せっかく本格化し、これからという
矢先、脚部不安に見舞われ、長期休養を
余儀なくされてしまいました。
1年の長期休養後、中京競馬場開設
20周年記念競走で復帰、1番人気に
推されましたが、休み明けが原因か
しんがり負けを喫してしまいました。
続くオープン競走でナオキの2着に入り
復活の兆しが見えたエリモカップでしたが
天皇賞春では10着に惨敗し、宝塚記念に
出走するも見せ場なくハマノパレードの
5着に終わりました。
その後、エリモカップは活路を見出すため
夏の北海道シリーズに参戦し、初戦の
短距離Sは4着だったものの、続く巴賞
では天皇賞馬メジロムサシやタイホウ
シロー、オンワードガイ等、豪華なメンバー
が出走する中、メジロムサシやオンワード
ガイには先着したものの、タイホウシロー
の2着に敗れてしまいました。
続いてエリモカップは、函館記念に駒を
進めました。
このレースには同じヒンドスタンを父に持つ
ハクホオショウやオープン大将のコーヨー
ブロンズコレクターと言われたソロナオール
シンザンの仔ブルスイショー等、個性派が
顔を揃えました。
当日は不良馬場となり、1番人気は最重量
ハンデ61キロを背負ったハクホオショウで
2番人気にソロナオール、エリモカップは
9頭中4番人気での出走となりました。
レースは軽量ハンデのスイートバンズが
逃げ、エリモカップは2番手を進み、
ハクホオショウは4番手、その後ろから
コーヨー、ブルスイショーが続き、ソロナ
オールは後方からの競馬となりました。
第3コーナー手前でエリモカップが一気に
スイートバンズを交わして先頭に立ち、
これを追ってハクホオショウもエリモカップ
に並びかける勢いで2番手に上がり、
この2頭が3番手以下に6、7馬身差を
つけて競り合う形となりました。
コーヨーがようやく3番手に上がりましたが
エリモカップとハクホオショウがお互いに
譲らず、2頭によるマッチレースのような
形で3番手以下に6馬身差をつけて
直線の勝負へ。
エリモカップとハクホオショウは馬場の良い
大外をまわり、コーヨーはコーナーワークを
利して内をまわりましたが、全く伸びず
エリモカップとハクホオショウによる一騎
打ちとなりましたが、ハンデの差もあってか
ゴール手前で勢いあるエリモカップが
ハクホオショウを振り切って優勝を飾り
2つ目の重賞を獲得しました。

その後エリモカップは脚元も不安もあって
秋競馬に出走することは出来ませんでした。
年が明けて7歳になったエリモカップは
現役を続行し、オープン競走に2回
出走しましたが、いずれも精彩を欠いて
惨敗したことで引退となってしまいました。
引退後、エリモカップは種牡馬となり
ましたが、昭和期の内国産種牡馬不遇の
時代だったため、勝ち馬や地方での重賞
勝ち馬は輩出したものの、代表産駒には
恵まれませんでした。
記録によりますと1983年に15歳で
亡くなったとありますが、死因などに
ついては不明となっています。
今週は、早くも函館競馬場で第60回
函館記念が行われます。
デビットバローズ、リカンカブール
エンパイアウエスト、チャックネイト
に注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、福島競馬場で行われました第73回
ラジオNIKKEI賞は6番人気のオフトレイル
が、直線で大外から鋭く追い込んで
差し切り、重賞初勝利を飾りました。
2着は4番人気のシリウスコルト、3着には
5番人気のヤマニンアドホックが入り、
1番人気のサトノシュトラーセは9着に
敗れました。

今週は福島競馬場で夏の到来を知らせる
第60回七夕賞が行われます。
七夕賞は1965年に旧馬齢4歳(現3歳)
以上の馬による重賞競走として創設され
ました。
1960年と1970年代の一時期において
10月にレースが行われていたことが
ありましたが、時期と名称が合わないとの
理由で一時期、レース名を東北記念と
改称しました。
その後、1980年からは施行時期を
夏開催に戻したことから七夕賞の名称が
復活し、2006年からは夏競馬を
盛り上げるために設けられたサマー
シリーズの第1戦に指定されています。
私が毎年、新潟や福島等のローカル競馬
というとノボルトウコウ、サンヨウコウ、
スイジン、アマノガワといった馬が真っ先に
思い浮かびます。
今回の思い出の馬は、昭和期ローカル
と言えば、この馬を語らざるを得ない
サンヨウコウです。
サンヨウコウは花の昭和47年組で
同期にはロングエース、ランドプリンス、
イシノヒカル、タイテエム、タニノチカラ、
ストロングエイト、ハクホオショウ、ナオキ
トーヨーアサヒ、スガノホマレ、グランド
マーチス等、名立たる名馬達がいます。
サンヨウコウは旧馬齢4歳の中山で
デビューしたものの、初戦のダートの
新馬戦で第差の8着に敗れ、5月に
行われました4戦目の福島での
未勝利戦でようやく勝ち上がりました。
そのため、クラシックへの出走は叶い
ませんでした。
その後中央場所では勝てなかったものの
新潟でも特別レースに連勝して3勝目を
挙げると、続く関屋記念では最低の10番
人気での出走でしたが、古豪パッシング
ゴールには敗れたものの、桜花賞馬
ナスノカオリをやぶって2着に入りました。
しかし、その後中央場所に帰るとなかなか
勝つことは出来ませんでした。
年が明けて古馬になったサンヨウコウは
夏の福島に参戦すると、やはり水が
合うのか、条件特別で久しぶりに勝利を
挙げると、続いて格上の重賞競走の
七夕賞に挑みました。
この年の七夕賞は今では成立しない
4頭立てで行われました。
このレースには弥生賞でハイセイコーを
苦しめたニューサントが出走し、1番人気
に推されましたが、サンヨウコウが
ニューサントに2馬身差をつけて圧勝し
重賞初制覇を果たすと共に最強の世代と
言われた花の昭和47年組の実力を
まざまざと見せつけました。
続く福島記念では人気薄にも関わらず
オープン大将と言われたコーヨーを
やぶって2着に入り、次の関屋記念では
ローカルの鬼と呼ばれたノボルトウコウや
タクマオーを撃破して優勝を飾り、
2つ目の重賞を獲得しました。
そして次の新潟記念では軽量ハンデの
ヤマテスコに敗れはしたものの
2着に入る等、まさに福島、新潟にサンヨウ
コウありと言わしめるほど、サンヨウコウに
とっての絶頂期を迎えていました。
しかし、中央場所に帰ると、やはり水が
合わなかったのか、力不足だったのか
負けが続き、6歳時は勝ち星には恵まれ
ませんでした。
年が明けて7歳になったサンヨウコウは
現役を続行したものの、もう往年の走りは
期待できないと思われていました。
しかし、7歳の夏の新潟開催に参戦すると
昔を思い出したかのように関屋記念で
快速馬スガノホマレやオークス馬ナスノ
チグサ、イシノマサルに先着し、快速馬
ファイブワンのレコードタイムでの
勝利の前に2着に入る大健闘を見せました。

その後、秋の福島に遠征すると福島
民友カップを制して、2年ぶりの勝利を
あげました。
しかし、このレースがサンヨウコウにとって
最後の勝利となりました。
不確かな情報ですがその後サンヨウコウは
地方競馬に移籍し、旧馬齢で10歳まで
走って5勝をあげたとのことです。
そしてサンヨウコウが現役を引退後、
どこで余生を過ごしたのか、最後はどの
ように亡くなったのかの記録は残って
おらず、今となっては知る術もありません。
夏競馬が始まると毎年サンヨウコウという
馬がいたことをふと思い出してしまいます。
今週は福島競馬場で5年ぶりに七夕の日に
夏競馬の訪れを告げる第60回七夕賞が
行われます。
キングズパレス、レッドラディエンス
リフレーミング、ノッキングポイントに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。

