昨日、東京競馬場で行われました春の

マイル王決定戦第75回安田記念は

2番人気のジャンタルマンタルが好位

追走から直線で鋭く抜け出し、3回目の

G1勝利を果たしました。

2着には9番人気のガイアフォースが入り

1番人気に推されたソウルラッシュは

直線で追い込むものの3着に敗れました。

今週は阪神競馬場で春のG1戦線を

締めくくる第66回宝塚記念が行われます。

宝塚記念は有馬記念と同様にファン投票

で出走馬を決め、上半期の締めくくりを

飾る競走として関西地区の競馬を

華やかに盛り上げようとの趣旨で企画され

阪神競馬場の新スタンドが落成した翌春の

昭和35年(1960年)に創設されました。

「あなたのそして私の夢が走ります」の

杉本アナの名実況でもおなじみの夏の

グランプリレースとして親しまれています。

 

思い出の馬は、宝塚記念史上、唯一中京

競馬場で行われた宝塚記念の覇者、

日本ダービー馬の仔テルテンリュウです。

テルテンリュウの父は、ダービー馬ロング

エースで代表産駒には日経新春杯や

神戸新聞杯に勝ったスピードヒーローや

ワイドオー等の重賞勝ち馬がいます。

 

テルテンリュウは昭和54年のクラシック組

で同期にはダービー馬カツラノハイセイコ

皐月賞馬ビンゴガルー、菊花賞馬ハシ

ハーミットやリンドプルバン、ネーハジェット

リキアイオー、テルノエイト等の重賞

勝ち馬がいます。

テルテンリュウは旧馬齢3歳12月の

阪神でデビューして新馬戦を快勝。

続く条件特別戦でも、後の重賞勝ち馬

ネーハジェットをやぶって新馬・特別を

連勝し、いわゆるエリートコースに乗って

クラシックに名乗りを挙げました。

年が明けて4歳になったテルテンリュウは

4歳緒戦としてシンザン記念に参戦するも

5着に敗れてしまいました。

続く条件特別でもカツラノハイセイコの

2着に敗れ、その後もきさらぎ賞では

ネーハイジェットの2着、続く毎日杯でも

後の菊花賞馬ハシハーミットの3着に

敗れるなど、勝ち星に恵まれないレースが

続きました。

そのため、テルテンリュウは皐月賞を

回避してオープン特別に出走し、4歳に

なって初めて勝利して3勝目を挙げると

ダービーを目指し東上しました。

そして当時はダービートライアルだった

NHK杯に参戦すると、このレースに

出走していた後のダービー馬カツラノ

ハイセイコやヨシノスキー、テルノエイト等

をやぶって勝利し、重賞初制覇を

果たすと共にダービーに向けての有力

候補に躍り出ました。

本番のダービーでは3番人気に推された

テルテンリュウは、後方から徐々に

仕掛けて上がって行って、いい手応えで

最後の直線に入るとリキアイオーを

交わして先頭に立ち、内に斜行しながら

差して来たカツラノハイセイコと競り合う等

大いに見せ場は作ったものの3着に

敗れました。

そして続いて出走した高松宮杯で4着に

敗れたテルテンリュウは秋に入り、

菊花賞の前哨戦、神戸新聞杯で4着に

敗れると、その後体調を崩してしまい、

菊花賞への出走は叶いませんでした。

復帰戦となった暮れの愛知杯では

2着に入ると、年が明けて古馬になった

テルテンリュウは金杯に参戦して2着に

入り、古馬戦線に向けていいスタートを

切りましたが、続く日経新春杯では1番

人気に推されるも9着に大敗してしまい

ました。

しかし続くオープン競走を勝って久しぶりに

5勝目を挙げたテルテンリュウは天皇賞春

に挑みましたが、ニチドウタローがレコード

タイムで優勝を飾る中、6着に終わりました。

続いてテルテンリュウは、当時の古馬の王道

路線を歩み、この年宝塚記念史上唯一

中京競馬場で行われました夏のグランプリ

競走、宝塚記念に挑みました。

このレースには前走の天皇賞春を制した

ニチドウタロー、有馬記念馬カネミノブ

天皇賞馬テンメイ、オークス馬アグネス

レディーやリンドプルバン、メジロイーグル

ハシクランツ等、グランプリレースに

相応しい古馬の精鋭達が顔を揃え、この

強豪馬が揃う中でテルテンリュウは

1番人気に支持されました。

レースは不良馬場という過酷な環境で

行われました。

ゲートが開きスタートすると快速を活かして

メジロイーグルが逃げ、ハシクランツ、

カネミカサが続き、テルテンリュウは4番手

カネミノブ、ニチドウタロー、アグネス

レディーは中団、リュウキコウ、リンド

プルバンは後方から、テンメイは最後方

からというレース展開になりました。

第4コーナーでハシクランツとカネミカサが

仕掛けて逃げるメジロイーグルを捉えて

直線の勝負へ。

直線馬場の真ん中からハシクランツが

先頭に立ち、内からはメジロイーグルが

差し返し、外からカネミカサが必死で

追い込む中、内からテルテンリュウが

豪快に追い込んで、ハシクランツと

カネミカサを差し切って優勝を飾り

第21代夏のグランプリホースに輝きました。

しかし、この勝利がテルテンリュウに

とっての最後の勝利となってしまいました。

続いてテルテンリュウは高松宮杯に駒を

進めましたが、繋靭帯炎を発症したため

出走取消となってしまい、以降復帰を

目指したものの、テルテンリュウが再び

競馬場に姿を現すことはありませんでした。

競走馬を引退したテルテンリュウは翌年の

1981年から九州で種牡馬となりました。

記録によりますと

1984年 わずか2年間の供用で早世と

となっており、死因についての記述が残って

いないのが残念です。

 

今週は阪神京都競馬場で夏のグランプリ

競走「あなたのそして私の夢が走る」

第66回宝塚記念が行われます。

ドゥレッツァ、ベラジオオペラ、

ショウナンラプンタ、ロードデルレイに

注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

昨日、東京競馬場で行われました

サラブレッド7950頭の頂点を決める競馬

の祭典、第92回東京優駿(日本ダービー)

は好位でレースを進めた1番人気の

クロワデュノールが最後の直線で鋭く

伸びて抜け出し、外から追い込んで来た

マスカレードボール3/4馬身抑えて優勝を

飾り、皐月賞2着のリベンジを果たすと

共に第92代日本ダービー馬に輝きました。

2着には外から追い込んだ3番人気の

マスカレードボール、3着には6番人気の

ショウヘイが入りました。

今週は東京競馬場で春のマイル王決定戦、

伝統の第75回安田記念が行われます。

安田記念は明治・大正・昭和にわたって

競馬に携わり、競馬法の制定や東京優駿

(日本ダービー)の創設などに尽力し、

日本中央競馬会の初代理事長も務めた

安田伊左衛門氏の功績を称えるため、

1951年に安田賞の名称で創設され

ました。

1958年に安田伊左衛門氏が亡くなった

ため、現在の名称に改称されました。

昭和期において、短距離系競走のレース

体系がまだ整備されていなかったため、

春に行われる安田記念が唯一、日本一の

マイル王決定戦として行われていました。

その後、1984年のグレード制導入に伴い

安田記念はGⅠに格付けされ、現在

中央競馬の上半期におけるマイル王

決定戦として位置づけられています。

 

思い出の馬は、華麗なる一族

名牝イットーの弟ニッポーキングです。

ニッポーキングの父はマイラー系種牡馬

プロントで代表産駒にはアマミプリンス

マサキビゼン、ヤマニンダンディー等の

重賞勝ち馬がいます。

また、ニッポーキングは姉には名牝イットー

弟にはシルクテンザンオーを持ち、姪には

ハギノトップレディ、甥にはハギノ

カムイオーがいる等、まさに華麗なる

一族の1頭として活躍しました。

 

ニッポーキングは昭和51年のクラシック組

で同期にはTTG3強と呼ばれたトウショウ

ボーイ、テンポイント、グリーングラスの他

ダービー馬クライムカイザー、天皇賞馬

ホクトボーイとカシュウチカラやトウカン

タケシバ、トウフクセダン等がいます。

ニッポーキングは旧馬齢3歳夏の札幌で

デビューし、ダートの新馬戦を評判通りの

強さで2着に9馬身差をつけて圧勝。

続く条件特別では2着に敗れ、その後

しばらく休養していましたが、年が明けて

4歳となったニッポーキングは条件特別と

オープン戦を連勝し、4戦3勝の好成績で

何とかダービーに間に合い、出走する

ことができました。

ダービーでは27頭中6番人気に支持され

ましたが、この年の春のクラシック戦線は

トウショウボーイ、テンポイント、クライム

カイザーの3強を中心に回っており、結局

ニッポーキングは第4コーナーで

3番手まで上がり見せ場は作ったものの、

9着に終わりました。

その後、当時残念ダービーと言われた

日本短波賞に参戦し、6着に敗れたものの

続く初の古馬との対戦となった札幌の条件

特別を快勝して秋競馬に挑みました。

秋競馬の緒戦、古馬のオープンクラスとの

対戦となる京王杯AHに挑み、1番人気に

指示されましたが、2着に終わりました。

そして続いて4歳限定となる菊花賞の

前哨戦セントライト記念に出走しました。

このレースには、トウショウボーイや

クライムカイザーが不在の中、春の

クラシック組からはフェアスポート、

メルシーシャダイ、前走の京王杯AHで

敗れたライバフットやカシュウチカラ等が

出走、ニッポーキングは1番人気に

支持されました。

レースはセツザンが逃げ、フェアスポートと

ランスロットが先行し、ニッポーキングは

中団から進みました。

最後の直線でニッポーキングが最内を

回って鋭く伸びて先頭に立つと、そのまま

後続馬を引き離し、追い込んで来たフェア

スポートに2馬身差をつけて快勝。

重賞初制覇を果たしました。

しかし、西下して挑んだ菊花賞では距離の

疑問か、当時伏兵だったグリーングラスの

前に13着に終わりました。

その後、東京に戻ったニッポーキングは

古馬との混合戦となる今は無きクモハタ

記念に参戦、天皇賞馬エリモジョージや

快速馬ニシキエースが出走する中、

1番人気に推されると最後の直線で逃げる

ニシキエースを捉えて差し切って勝ち

2つ目の重賞を獲得しました。

年が明けて古馬になったニッポーキングは

1番人気に推された金杯は3着、続く

2番人気推されたAJCC杯では7着に

敗れましたが、続いて京王杯SHに

出走すると1番人気に推されました。

レースは向こう正面でニッポーキングが

先頭に立って逃げる展開となり、最後の

直線に入ってニッポーキングが逃げ込みを

図る中、トップハンデ62.5キロを背負った

古豪ヤマブキオーやハーバーヤングが

必死に追い込みを図りましたが、ニッポー

キングのスピードは衰えず、更に後続馬を

引き離し、逃げ切って重賞3勝目を

挙げました。

そして、続く当時はオープン特別だった

ニュージーランドTにも勝ったものの、

その後は8ヶ月の休養を余儀なくされて

しまいました。

 

年が明けて6歳になったニッポーキングは

2月のオープン競走で復帰して5着、続く

中山記念では9頭立ての9着と大敗を

喫してしまいましたが、続くオープン競走を

7馬身差でレコード勝ちして復活を遂げると

伝統の安田記念に挑みました。

このレースには中山記念で敗れた

カネミカサをはじめ、ベロナスポート、ダイワ

テスコ、ヨシノリュウジン等が出走し、

最重量58.5を背負ったニッポーキングが

1番人気に支持されました。

レースはスタートして最軽量を背負った

ソーウンムサシが先頭に立つも、すぐに

ニッポーキングが交わして先頭に立ち

10頭を従えて逃げる展開となりました。

第4コーナーでベロナスポートが仕掛け

後続馬も差を詰めて直線の勝負へ。

最後の直線、内を通ってニッポーキングが

逃げ込みを図る中、カネミカサとコウチ

ライデンが必死に追い込みましたが、

ニッポーキングが更に鋭く伸びて後続馬を

引き離し、6馬身差をつけて圧勝。

まさに横綱相撲でマイル王に輝きました。

その後、夏の函館に参戦し、UHB杯でも

7馬身差のレコード勝ちで3連勝を

飾りました。

しかし、この勝利がニッポーキングに

とっての最後の勝利となりました。

次に出走した札幌の短距離ステークスでは

稍重ダートにスピードが殺されたのか

2着に敗れ、東京に戻って出走した

オープン競走でもホクトボーイの3着

そして続くクモハタ記念でも5着に敗れ

このレースを最後にニッポーキングは

現役を引退しました。

 

引退後、良血とスピードを買われ

種牡馬となったニッポーキングは

内国産種牡馬不遇の時代にあって代表

産駒こそ残せなかったものの、勝ち馬を

出すなど、ある程度の成績を残しました。

 

記録によりますと

1987年に14年の生涯に幕を下ろしたと

だけなっており、どのような形で生涯を

終えたかの記録が無いのが残念です。

 

今週は東京競馬場で春のマイル王決定戦

第75回安田記念が行われます。

ソウルラッシュ、トロヴァトーレ

ウォーターリヒト、ジャンタルマンタルに

注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

昨日、東京競馬場で行われました牝馬

クラシック第2戦第86回優駿牝馬

(オークス)は中団でレースを進めた

4番人気のカムニャックが最後の直線で

先に抜け出したアルマヴェローチェを

外から鋭く追い込んでゴール前で

アタマ差交わして優勝を飾り、G1初制覇を

果たしました。

2着には2番人気のアルマヴェローチェ、

3着には10番人気のタガノアビーが入り

1番人気に推されたエンブロイダリーは

道中終始折り合いを欠いてしまい9着に

終わりました。

今週は、東京競馬場で春のクラシックの

クライマックス、競馬の祭典、第92回

東京優駿(日本ダービー)が行われます。

東京優駿は1932年(昭和7年)に

イギリスのダービーステークスを範として

目黒競馬場にて創設されました。

後に創設された皐月賞・菊花賞と共に

三冠競走を構成しています。

そしてダービーに優勝することは日本の

競馬に関わるすべてのホースマンが

憧れる最高の栄誉あるレースとされて

います。

昭和期では皐月賞は最も速い馬が勝つ、

菊花賞は最も強い馬が勝つ、ダービーは

運のある馬が勝つと言われていました。

日本の競馬における日本ダービーの

存在は特別で、創設期より日本競馬に

おける最大の栄誉ある大競走とされて

います。

その年の競馬を語る時は必ず東京優駿

(日本ダービー)優勝馬が挙げられるように

日本競馬界の象徴であり、ホースマンに

とっての最大の目標であるとことには

創設以来、変わっていません。

 

思い出の馬はのど鳴り(喘鳴症)に泣いた

幻の三冠馬タニノムーティエです。

タニノムーティエの父は昭和を代表する

ステイヤー系種牡馬ムーティエで代表

産駒には菊花賞馬ニホンピロムーテー

天皇賞馬カミノテシオをはじめホースメン

ホープ、レデースポート、ニッショウキング

ゼットアロー、フセノスズラン等の重賞

勝ち馬がいます。

また、弟には兄同様、史上最強馬とも

言われている天皇賞・有馬記念等を

制したタニノチカラがいます。

タニノムーティエは、昭和45年の

クラシック組で同期には永遠のライバル

アローエクスプレス、天皇賞馬メジロムサシ

菊花賞馬ダテテンリュウやトレンタム、

クリシバ、スイノオーザ等の重賞

勝ち馬がいます。

タニノムーティエは旧馬齢3歳夏の函館で

デビューし、立ち遅れて後方からの競馬に

なったものの、最後は手綱をもったままで

6馬身差をつけてデビュー戦を圧勝、続く

条件特別でも5馬身差をつけて圧勝する等

ど派手なデビューを飾りました。

しかし、続く函館3歳ステークスでは

スタートで大きく出遅れてしまい、2着に

敗れたものの、次の札幌でのダートの

条件特別戦では大差勝ちしました。

その後、タニノムーティエは関西に戻って

参戦したデイリー杯3歳ステークスに

出走すると、ここでも圧倒的な強さで勝ち

重賞初制覇を果たしました。

続くオープン特別戦では4着に敗れる

という今でも謎とされる敗戦はあった

ものの、次のオープン戦をレコード勝ちし

更に続く京都3歳ステークスにも勝って

当時は関西3歳ナンバーワン決定戦

という位置づけだった阪神3歳ステークス

に駒を進めました。

このレースでもタニノムーティエは、最後の

直線に入ると、いつものように豪快に

末脚を伸ばして圧勝し、関西の3歳

チャンピオンに輝きました。

しかし、この年は関東のアローエクスプレス

が5戦無敗で朝日杯3歳ステークスに

優勝したことで、最優秀3歳牡馬には

アローエクスプレスが選出され、3歳時

9戦7勝2着1回と酷使されながらも優秀な

成績を収めたタニノムーティエは

残念ながら選出はされませんでした。

 

年が明けて4歳になったタニノムーティエは

きさらぎ賞に参戦。

不良馬場と悪コンディションの中にも

係わらず、いつものように直線で豪快に

伸びて圧勝し、堂々と関西のクラシック

候補として東上しました。

関東での初出走となった弥生賞は前日の

降雪により施行馬場が芝からダートへと

異例の変更がされ行われました。

関東馬との初対戦となったタニノムーティエ

は、スタート時にゲートで負傷するという

アクシデントに見舞われたものの、

直線ではダートへの変更をも物ともせず

いつものように豪快に伸びて楽勝し、

4つ目の重賞を獲得。

このタニノムーティエのあまりの強さに

関東ファンは驚きを隠せませんでした。

続いてタニノムーティエはスプリング

ステークスに出走。

関東に雄アローエクスプレスも出走した

ことで、無敗のアローエクスプレスか、

関西の豪脚タニノムーティエか、ついに

東西の両雄が激突しました。

レースはキクノハッピーが逃げ、その後ろ

からメジロムサシ、タニノモスボローが

続き、アローエクスプレスは5番手、

タニノムーティエは中団よりやや後方から

レースを進めました。

第3コーナーでアローエクスプレスが

仕掛けて上がって行くと、それを見るように

タニノムーティエも大外から上がっていって

直線の勝負へ。

直線に入って鋭く伸びて抜け出したアロー

エクスプレスが先頭に立ち、このまま

スピードで押し切ると思いましたが、

大外からタニノムーティエが豪脚を

炸裂させ、ゴール前でアローエクスプレスを

交わして3/4馬身差を付けて優勝。

東西両横綱の対決はタニノムーティエに

軍配が挙がり、改めて関東の競馬ファンは

タニノムーティエの強さに度肝を抜かれ

ました。

そして迎えたクラシック第一冠目皐月賞、

再びタニノムーティエとアローエクスプレス

東西両雄の対決に注目が集まりました。

1番人気はタニノムーティエでアローエクス

プレスは2番人気となりました。

レースはスタートしてアローエクスプレスが

先頭に立ちましたが、すぐにプランジャーが

交わして逃げ、その後ろからアローエクス

プレスが続き、タニノムーティエは中団より

やや後方からレースを進めました。

第3コーナーでアイアンモア、トレンタムが

仕掛けて、先行すると何故かアローエクス

プレスは大きく後方に下がるという

予想外の展開になりました。

後に加賀騎手はアローエクスプレスが

下ってしまったのは、自分の迷いによる

騎乗ミスだと語っています。

それでもアローエクスプレスは態勢を

立て直して第4コーナーで一気に仕掛け

タニノムーティエもアローを見るように

外から上がって行って直線の勝負へ。

外をついて伸びるアローエクスプレス

大外から豪脚を繰り出すタニノムーティエ

直線で両雄一歩も譲らずの激しい

競り合いとなりましたが、ゴール前で

タニノムーティエがアタマ差競り勝って

優勝を飾り、クラシック第一冠目を

制しました。

その後、タニノムーティエは直前に軽い

外傷を負ったことで、ダービーへは直行と

思われていましたが、オーナーからの強い

指示によって、当時はダービートライアル

だったNHK杯に出走。

このNHK杯にはアローエクスプレスも

出走を表明したことで、東西の両雄は

本番のダービーを前に3度目の対戦を

することになりました。

レースは最後の直線で抜け出したアロー

エクスプレスをいつものように豪快に

追い込んで来たタニノムーティエでしたが

鞍上の安田騎手がゴール板を勘違いして

手綱をゆるめてしまうという痛恨のミスを

冒してしまったことでアローエクスプレスに

2馬身半差の2着と初めて先着を許して

しまいました。

しかし、そんな状況の中でも2着に来た

タニノムーティエは、負けてなお強しと

言われました。

 

そして迎えた本番の日本ダービー

関東馬、関西馬という地域的要因も絡み、

アローエクスプレスとタニノムーティエが

雌雄を決する舞台となりました。

NHK杯でアローエクスプレスが勝った

ことでアローエクスプレスが1番人気に

推され、タニノムーティエは2番人気での

出走となりました。

レースはトレンタムが逃げ、先行集団には

ダテテンリュウ、シュウチョウ、アイアンモア

いて、アローエクスプレスは5,6番手

タニノムーティエは中団から進みました。

第3コーナーで外からタニノムーティエが

一気に仕掛けて先頭集団を捕らえると

それを見たアローエクスプレスも内から

仕掛け、東西の両雄が内外に分かれて

直線の勝負へ。

最後の直線でダテテンリュウが先頭に

立つと内をついたアローエクスプレスは

距離の問題か、伸び脚を欠く中、外から

タニノムーティエが鋭く伸びて直線半ばで

ダテテンリュウに並びかけ、2頭による

競り合いになりましたが、最後は

タニノムーティエがダテテンリュウを

3/4馬身退けて優勝を飾り、第37代

ダービー馬に輝くと共にクラシック二冠を

制しました。

夏を無事に越せば三冠馬誕生は間違い

なしと言われたタニノムーティエは当初

北海道の牧場で放牧という予定でしたが

オーナーの強い意向で琵琶湖畔にある

放牧場で夏を越すことになりました。

しかし、この選択がタニノムーティエの

運命を大きく変えることになってしまう

ことになるとは。

この放牧場での環境が原因なのか、

タニノムーティエは競走能力に著しい

悪影響をおよぼすノド鳴り(喘鳴症)を

発症してしまいました。

そして喘鳴症の事実は伏せられたまま

秋初戦、タニノムーティエは60キロの

斤量を負わされながらも朝日チャレンジ

カップに1番人気で出走するも8頭立ての

大差での最下位8着という信じられない

惨敗を喫してしまいました。

続く菊花賞の前哨戦京都杯に再び1番

人気に推されて出走するも、ここでも

9頭立ての6着に敗退してしまいました。

 

この秋2戦の惨敗はノド鳴りが原因と知った

多くのファンは、もはやあの強かったタニノ

ムーティエは戻って来ないとショックを

受けました。

 

タニノムーティエ陣営は菊花賞を前に引退も

検討していましたが、またしてもオーナーの

強引な希望により出走に踏み切りました。

そして迎えたクラシックの最終戦菊花賞

1番人気は今度こその関東の期待を

背負ったアローエクスプレスで2番人気は

ダテテンリュウ、タニノムーティエは

それでもファンからはシンザン以来の

三冠馬誕生という奇跡を信じ、5番人気

での出走となりました。

レースはハナを奪ったシバデンコウが逃げ

アローエクスプレスは3番手を進み、

その後ろからダテテンリュウ、タマホープが

続き、注目のタニノムーティエは中団より

やや後ろからという展開となりました。

第3コーナーでアローエクスプレスが

先頭に立つと、ダテテンリュウ、メジロ

ムサシが仕掛け、メジロムサシが

アローエクスプレスに並びかけようとする中

タニノムーティエが徐々に上位に進出し、

タニノムーティエが第4コーナー手前で

大外を回って一気に3番手まで上がって

行くと実況アナや場内アナが

「タニノムーティエが上がってきました」

とアナウンスすると、やはりタニノ

ムーティエが来たかと、スタンド全体が

大歓声と拍手で沸き返りました。

この大歓声と拍手は今でも私の心に残って

忘れられません。

しかし、やはり奇跡は起こらずタニノ

ムーティエは直線で伸びず沈んで行き、

史上3頭目の三冠達成は成りませんでした。

大病を抱えながらも、タニノムーティエは

多くのファンに最後の見せ場を作って、

二冠馬としての意地を見せてくれたと

思います。

そして、この菊花賞がタニノムーティエに

とっての現役最後のレースとなり、

1970年11月29日、京都競馬場で

引退式が行われました。

引退後、北海道で種牡馬となったタニノ

ムーティエは内国産種牡馬不遇の

時代にあって、少ない産駒の中から

中央でのオープン競走の勝ち馬や

地方での重賞勝ち馬を輩出する等、

まずまずの成績を収めたと思います。

その後、1990年に種牡馬を引退した

タニノムーティエは故郷のカントリー牧場で

余生を送りました。

ちょうどその頃、私も牧場めぐりで

カントリー牧場を訪ね、タニノムーティエに

会わせて頂き、その時のタニノムーティエは

だいぶ痩せてしまってはいたものの、

気品あふれ、威厳ある姿は現役時代と

変わっていませんでした。

最後にタニノムーティエに会って労を

ねぎらうことができて良かったです。

 

タニノムーティエは種牡馬を引退してから

急速に体力が衰え、ノド鳴り(喘鳴症)の

影響もあって呼吸困難に悩まされ続けた

ことで衰弱に拍車をかけたそうです。

記録によりますと

1991年2月9日 タニノムーティエは

多くのスタッフ見守られる中で、特に

苦しむこともなく、25年の生涯を終え

永遠の眠りにつきました。

 

今週は東京競馬場で春のクラシックの

クライマックス、競馬の祭典、第92回

東京優駿(日本ダービー)が行われます。

マスカレードボール、クロワデュノール

ジョバンニ、ファイアンクランツに

注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。