ハイセイコーのブログ -15ページ目
昨日、中山競馬場で行われました第99回
中山記念は2番人気のシックスペンスが
直線で抜け出してレコードタイムで優勝。
昨年の毎日王冠に続く重賞2連勝で、
重賞3勝目を挙げました。
2着には3番人気のエコロヴァルツが入り
1番人気のソウルラッシュは3着に
敗れました。

今週は中山競馬場でクラシックの登竜門
第62回弥生賞ディープインパクト記念が
行われます。
弥生賞ディープインパクト記念は
1964年に弥生賞という名称で4歳
(現3歳)馬限定の重賞競走として
創設されました。
施行距離やコースは幾度かの変遷を経て
1984年より皐月賞と同じ中山競馬場
芝2000mとして行われ、これにより
クラシック戦線に直結する重要な前哨戦
として位置づけられています。
2020年からは、2019年に亡くなった
名馬ディープインパクトの功績を称え
同馬の重賞初勝利となった弥生賞の
競走名を改称し、弥生賞ディープインパクト
記念として開催されることになりました。
そして長年に渡り、このレースの優勝馬
からはダービーをはじめとする数多くの
クラシック優勝馬が誕生しています。
思い出の馬は、数奇な運命に翻弄された
西から来た凄い馬サルノキングです。
サルノキングの父はテュデナムで代表
産駒にはホスピタリティ、テュデナムキング
キョウエイボーガン等、重賞勝ち馬を多く
輩出しました。
サルノキングは昭和57年のクラシック組で
同期にはダービー馬バンブーアトラス、
皐月賞馬アズマハンター、菊花賞馬
ホリスキー、華麗なる一族のハギノ
カムイオーやワカテンザン、アスワン
ロングヒエン、アサカシルバー等がいます。
サルノキングは旧馬齢3歳秋の阪神で
デビューし、最初の新馬戦では3着に
敗れたものの、2戦目の新馬戦を
快勝すると条件特別、京都3歳ステークス
オープンの3歳ステークスに勝って
4連勝を飾り、一躍クラシック候補に
名乗りを挙げました。
しかし、続いて出走した当時の関西3歳
チャンピオン決定戦、阪神3歳ステークス
では直前に体調不良となり、出走を取り
消してしまいました。
年が明けて4歳になったサルノキングは
馬体を立て直してクラシックに向けて東上し
東京4歳ステークスに参戦しました。
関西からスケールの大きい凄い馬が
やって来たと評判になる中、関東勢では
3歳チャンピオンのホクトフラッグが故障で
戦列を離脱したため、京成杯3歳
ステークスを勝ったアローエクスプレスの仔
イーストボーイが迎え撃ち、1番人気は
サルノキングで、イーストボーイは2番人気
となりました。
レースはサクラサワヤカが逃げる中
第3コーナーで早くもサルノキングが
仕掛け、サクラサワヤカに並びかけて
直線の攻防へ。
直線に入ったサルノキングは手綱を
持ったままで先頭に立って脚を伸ばし、
内から必死に追い込んで来るイースト
ボーイをおさえて圧勝。
力の違いを見せつけると共に重賞
初制覇を果たしました。

続いてサルノキングはクラシックの登竜門
当時の弥生賞に駒を進めました。
このレースには雪辱を期すイーストボーイ
京成杯を制したアスワンや3連勝中の
アサカシルバー等、関東の有力馬が
出走したものの、サルノキングが圧倒的な
1番人気に支持されました。
レースは東京4歳ステークスと同じように
サクラサワヤカの逃げで始まり、
その後からサルノキングが続き、アスワン
イーストボーイ、アサカシルバーは
中団からの競馬となりました。
向こう正面でサルノキングが抑えきれない
ように、早くもサクラサワヤカを交わして
先頭に立つとイーストボーイ、アサカ
シルバーも仕掛けてサルノキングとの
差を詰めて直線の勝負へ。
最後の直線に入って外をまわったサルノ
キングが差を広げようとする中、アサカ
シルバーも必死に追い込みを図りましたが
サルノキングがアサカシルバーをおさえて
圧勝。
重賞2連勝を飾ると共にクラシックの
最有力候補に躍り出ました。

続いてサルノキングは自身の運命を変える
こととなるスプリンターズステークスに
出走しました。
このレースには関西から新たに華麗なる
一族として2連勝中のハギノカムイオーと
きさらぎ賞を制したワカテンザン、そして
関東のアズマハンターが参戦し、ここでも
サルノキングが1番人気に支持されました。
力のサルノキングかスピードのハギノ
カムイオーか、関西両雄の対決が注目
される中、後世に語り継がれる疑惑を
呼んだレースがスタートしました。
スタートしてまもなく、ハギノカムイオーは
いつものように先頭に立つとハギノ
カムイオーに競っていくのではないかと
見られていたサルノキングは予想に反して
ハギノカムイオーから20馬身以上離れた
最後方から進むというレース展開となり、
場内は騒然となりました。
そしてその後サルノキングは第3コーナー
の手前で突然加速して、まさに異次元の
スピードで一気に先頭集団に取り付いた
ため、場内はまたしても騒然となりました。
私もテレビで観戦していましたが、まさに
1頭だけ別次元の走りに唖然となり、
このままサルノキングがもし勝ったならば、
この馬は怪物を通り越して化け物だと
思って観ていました。
軽快に逃げるハギノカムイオーを追って
ワカテンザン、アズマハンターも一気に差を
詰めて直線の勝負へ。
逃げ込みを図るハギノカムイオーを内から
ワカテンザン、外からサルノキングとアズマ
ハンターが猛然と追い込みましたが、
ハギノカムイオーが振り切って優勝を飾り
3連勝で重賞初制覇を果たしました。
サルノキング僅差の4着は確保したとは
いえ、このサルノキングの不可解なレース
ぶりは波紋を呼び、田原騎手の無謀な
騎乗は世間から大批判を浴びることに
なりました。
サルノキングがハギノカムイオーと同じ
馬主の所有馬であったことから、本賞金
の足りないハギノカムイオーに皐月賞の
出走権を確保させるため、サルノキングを
故意に後方からレースを進ませて負け
させたという八百長ではないかとの疑念が
マスコミやファン、関東の調教師から巻き
起こりました。
これが世にいうサルノキング事件です。
レース後、サルノキングに騎乗した田原
騎手は、これは決して八百長ではない
という弁明に終始しました。
後に田原騎手は自らの著書で「向こう
正面でペースが遅いと判断したため、
徐々に上がるイメージでハミ圧を少し
上げたところサルノキングが過剰反応し
一気に引っ掛かってしまった」と説明して
います。
レース後、サルノキングはレース中に
重度の骨折をしていたことが判明。
サルノキングは骨折から復帰することは
できず、そのまま競走馬として引退を
余儀なくされてしまいました。
サルノキングはスケールが大きくて
素晴らしい競走馬だっただけに、もし
無事であったならば、クラシックを大いに
賑わしてくれたのではないかと思うと
今でも本当に残念です。
引退後、サルノキングは種牡馬となり
代表産駒には恵まれなかったものの、
内国産種牡馬不遇の時代にあって
勝ち馬を出すなど、頑張ったと思います。
そして1993年10月付で用途変更という
名のもとに種牡馬を引退しましたが、
その後処分されたとの情報もある等、
処分されたことが事実であるならば
本当に残念だし悲しい限りです。
波乱万丈の馬生だったサルノキング、
今の時代なら静かな余生を送れたのでは
ないかと思うと返す返すも残念でなり
ません。
今週は中山競馬場でクラシックの登竜門
第62回弥生賞ディープインパクト記念が
行われます。
ナグルファル、ヴィンセンシオ、
ミュージアムマイル、ファウストラーゼンに
注目しています。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、東京競馬場で行われました今年
初のGⅠ競走第42回フェブラリー
ステークスは英国出身のレイチェル・キング
騎手騎乗の2番人気のコスタノヴァが
直線で鮮やかに抜け出して優勝を飾り
GⅠ初制覇を果たしました。
2着には5番人気のサンライズジパングが
入り、1番人気のミッキーファイトは3着に
敗れました。

また現地時間23日サウジアラビアで
行われたサウジカップは、坂井瑠星騎手
騎乗のフォーエバーヤングが香港最強馬
ロマンチックウォリアーとのマッチレースを
制して優勝を飾りました。
競馬史上に残る名勝負に感動しました。
8歳馬ウシュバテソーロも鋭く追い込んで
頑張って3着に入りました。

そしてアスコリピチェーノ、シンエンペラー
ピザンチンドリームも優勝を飾るなど
日本勢のみんな、本当によく頑張って
くれました。
どうか人馬共無事に帰国されることを
心から祈っています。
各馬、そして関係者の皆様、本当に
お疲れさまでした。
今週は、中山競馬場で第99回伝統の
中山記念が行われます。
中山記念は1933年に創設された中山
5歳馬特別競走を前身として1936年に
創設されました。
春の古馬GⅠレースを目指す古馬達
による伝統のレースとして定着しており
歴代の優勝馬には名立たる名馬達の
名前が連なっています。
そして2017年からは優勝馬に対し
GⅠ競走の大阪杯への優先出走権が
付与されています。
思い出の馬は、名門高松厩舎のヒカル
ジンデンです。
ヒカルジンデンは私もアローエクスプレスの
時から応援していた高松厩舎に入厩し、
父は万能系種牡馬チューダーペリオッドで
代表産駒には菊花賞馬ハシハーミットを
はじめ、宝塚記念馬ハマノパレード、
タケクマヒカル、ライトワールド、ザオー
リュウジン、ウチュウオー等の重賞勝ち馬
がいます。
ヒカルジンデンは昭和49年のクラシック組
で同期には二冠馬キタノカチドキをはじめ
ダービー馬コーネルランサー、快速馬
ニシキエースやスルガスンプジョウ、
キクノオー、ナスノカゲ等がいます。
ヒカルジンデンは旧馬齢3歳夏の札幌の
新馬戦を大差で圧勝する等、鮮烈な
デビューを飾りました。
しかし、その後は3戦するも勝てず、年が
明けて4歳になって出走した条件戦で
ようやく2勝目を挙げました。
その後、条件特別戦では6着に敗れ、
皐月賞には出られなかったものの、
続いてダービーへの出走をかけて格上の
NHK杯に出走するとナスノカゲの2着に
好走し、ダービーへの出走権を得る等
実力の片鱗を見せました。
しかし、当時は皐月賞を圧勝し三冠馬誕生
を期待された関西の怪物キタノカチドキが
いたためか、それとも距離の適性を見て
ダービーを断念したのか、私も記憶があり
ませんが、ヒカルジンデンはダービーに
出走することはありませんでした。
ヒカルジンデンはダービーの前日に
行われた断念ダービーの様相を呈した
オープン競走の4歳ステークスに出走し
ブルームーンやグアム、ツアールターフ等
をやぶって勝ち、3勝目を挙げました。
続いてヒカルジンデンは当時残念ダービー
とも言われた日本短波賞に出走し、直線で
スルガスンプジョウと激戦を演じましたが
スルガスンプジョウの根性が僅かに勝り、
クビ差の2着に惜敗しました。

その後、休養に入ったヒカルジンデンは
年が明けて古馬となった1月のオープン戦
2戦をいずれもブルームーンの前に2着、
3着とすると、続いて伝統の中山記念に
参戦しました。
このレースには野平祐二騎手引退競走と
なった目黒記念を制したカーネルシンボリ
天皇賞馬カミノテシオ、後の天皇賞馬
イチフジイサミ、快速馬スガノホマレ、
ローカルの鬼ノボルトウコウ、オープン競走
2連勝中のブルームーンやヒロクニ等、
多種多彩なメンバーが春の古馬戦線に
向けて参戦し、この精鋭達の中でヒカル
ジンデンは2番人気に支持されました。
レースはブルームーンが逃げ、3番手に
ヒカルジンデン、その後ろからスガノホマレ
カーネルシンボリ、ナスノカゲが続き、
カミノテシオとイチフジイサミは後方からの
競馬となりました。
第4コーナーでカーネルシンボリとイチフジ
イサミが仕掛けて直線の勝負へ。
逃げ込みを図るブルームーンを直線
半ばでヒカルジンデンが捕らえて抜け出し
2着のブルームーンに2馬身差をつけて
圧勝し、ようやく念願の重賞初制覇を
果たしました。

この勢いのままにヒカルジンデンは続いて
ダイヤモンドステークスに出走しました。
このレースには後の天皇賞馬となるフジノ
パーシアやイチフジイサミの他、快速馬
スガノホマレやキクノオー、ナスノカゲ等
現在のレースではなかなか見られない
ような名馬達が顔を揃えました。
1番人気はフジノパーシアで、距離への
不安か、ヒカルジンデンは5番人気での
出走となりました。
レースは予想に反してナスノカゲが逃げ
先手を取れなかったスガノホマレが2番手
ヒカルジンデンはいつものように3番手から
進み、フジノパーシアは中団から、イチフジ
イサミは後方からの競馬となりました。
第3コーナーでヒカルジンデンが仕掛けて
先頭に立つと、第4コーナーでフジノ
パーシアとイチフジイサミも一気に差をつめ
全馬一団となって直線の勝負へ。
先頭で直線に入ったヒカルジンデンは更に
加速して差を広げ、追い込みを図る
キクノオー、イチフジイサミ、フジノパーシア
を難なく引き離して圧勝し、重賞2連勝を
飾りました。

重賞2連勝で本格化したヒカルジンデンは
今後の活躍が期待されましたが、続く
アルゼンチン共和国杯では6着に敗れ、
更に日本経済賞でも精彩を欠いて7着に
敗れると、この日本経済賞を最後に
ヒカルジンデンが再び競馬場に姿を現す
ことはありませんでした。
何が原因で引退したかについては、私も
記憶がなく、またその後ヒカルジンデンが
どのような運命を辿ったかについての
記録も無いのが、とても残念です。
今週は、中山競馬場で第99回伝統の
中山記念が行われます。
エコロヴァルツ、シックスペンス、
アルナシーム、サイルーンに注目して
います。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。
昨日、東京競馬場で行われました
クラシックの前哨戦、伝統の第59回
共同通信杯トキノミノル記念は1番人気の
マスカレードボールが直線で抜け出し
前走の大敗から巻き返し、重賞初制覇を
飾りました。
2着には6番人気のカラマティアノス、
3着には外から追い込んだ4番人気の
リトルジャイアンツが入りました。

今週は東京競馬場で今年初のGⅠ競走
第42回フェブラリーステークスが行われ
ます。
フェブラリーステークスはJRAが施行する
ダート重賞競走では、最も古い歴史を持つ
競走で、1984年に前身となるフェブラリー
ハンデキャップ競走として創設されました。
1994年にはGⅡ昇格し、それと共に
名称もフェブラリーステークスに改称され
ました。
その後、中央競馬と地方競馬の交流競走
が拡大される中で1997年には中央競馬
のダート重賞競走として初めてGⅠ競走に
格付けされ、国内の上半期のダート最強馬
決定戦として位置付けられています。
思い出のレースはロバリアアモンが勝った
昭和59年記念すべき第1回フェブラリー
ステークスです。
ロバリアアモンの父はサーペンフロで
代表産駒には重賞勝ち馬のランニング
フリー、サーペンプリンス、トーワトリプル
メジロシートン、マルブツサーペン等が
います。
また兄には京成杯を勝ったファースト
アモンがいます。
ロバリアアモンは昭和57年のクラシック組
で同期にはダービー馬バンブーアトラス
皐月賞馬アズマハンター、菊花賞馬
ホリスキーや快速馬ハギノカムイオー
エリモローラ、アンドレアモン等がいます。
ロバリアアモンは旧馬齢4歳1月の東京の
ダートの新馬戦で見事1番人気に応えて
新馬戦を快勝しました。
その後、芝のレースでは3戦して勝て
なかったものの、ダート競走では2戦2勝
を挙げる等、ダートに適性を見出した
ロバリアアモンはその後、ダート競走を
中心に出走することになりました。
年明けて古馬になったロバリアアモンは
やはり芝では苦戦したものの、ダートの
条件特別等を2勝してオープン入りを
果たし、続く芝のオープン競走でも
ダスゲニーやハワイアンイメージ、ドウカン
ヤシマをやぶって本格化しました。
年が明けて6歳になったロバリアアモンは
芝の重賞競走金杯に参戦するも7着に
敗退しましたが、続くダートの準オープン
競走を快勝し、初のダートの重賞競走
として創設された現在のフェブラリー
ステークスの前身となるフェブラリーハンデ
キャップに出走しました。
このレースにはダートのオープン特別を
大差で勝利し、続くダートで行われた
中日新聞杯でも2着馬に2秒以上の差を
つけてレコードで大差勝ちしたアスコット
エイトや皐月賞馬ハワイアンイメージ
後の重賞勝ち馬キョウエイレア等が
出走しました。
この年は雪が多く降り、前週の中山の
AJCCもダートに変更されており、この日も
東京競馬場のコース周辺には雪が多く残り
当日は快晴ながらもダートはビチャビチャの
酷い不良馬場の中でレースは行われました。
1番人気は圧倒的支持を集めたアスコット
エイトで、ロバリアアモンは2番人気で
レースに挑みました。
レースはスタートして予想どおりアスコット
エイトがスピードを活かして軽快に逃げ、
その後ろからキョウエイレア、ハワイアン
イメージが続き、ロバリアアモンは後方から
レースを進めました。
各馬が全身泥だらけになる中、アスコット
エイトは綺麗なままの姿で直線の勝負へ。
直線に入って更に脚を伸ばしたアスコット
エイトが今回もこのまま圧勝劇を
演じるのかと誰もが思った瞬間、外から
真っ黒になって追い込みのスペシャリスト
吉永正人騎手を背にしたロバリアアモンが
まるで脚に水かきが付いているかのように
ベチャベチャのダートで水しぶきを
あげながら豪脚を繰り出して追い込み、
逃げ込みを図るアスコットエイトを
ゴール前で捕らえて優勝を飾り、
記念すべき第1回の優勝馬に輝きました。

その後、評価が低かったダート競走の
レース体系も徐々に整備され、重賞競走も
どんどん増えていき、1998年からは
フェブラリーステークスはGⅠ競走に
格付けられ、現在、年明け最初のGⅠ競走
として行われています。
初の重賞競走となった第1回フェブラリー
ハンデキャップに優勝し活躍が期待された
ロバリアアモンでしたが、その後レースで
善戦するも勝ち星には恵まれず、7歳に
かけて16連敗を喫してしまいました。
年が明けて8歳になったロバリアアモンは
初戦のオープンステークスを久しぶりに
快勝しましたが、この勝利がロバリア
アモンにとっての最後の勝利となりました。
この年夏の函館の青函ステークスで
最下位の7着に終わったのを最後に引退し
種牡馬になりました。
内国産種牡馬不遇の時代でありましたが
地方の重賞に優勝する代表産駒を輩出
する等、種牡馬としても成績を残しました。
記録によりますとロバリアアモンは
2000年8月1日に用途変更となっている
だけで、その後の消息が不明となっている
のが、とても残念です。
今週は東京競馬場で今年初のGⅠ競走
第42回フェブラリーステークスが行われ
ます。
エンペラーワケア、ミッキーファイト
ガイアフォース、ペプチドナイルに
注目しています。
今週も全人尾馬の無事を祈りながら
レースを観ます。

