今週、中山競馬場ではクラシックの登竜門である弥生賞

ディープインパクト記念が行われます。

今年からシンザン以来43年ぶりに冠名に競走馬名が入って

行なわれることになり、昨年亡くなった名馬ディープインパクト

の名が入って弥生賞ディープインパクト記念として実施されます。

現在、冠に競走馬名が入った重賞としては、シンザン記念の他、

セントライト記念と共同通信杯の副称としてトキノミノル記念が

あります。

昭和期にはカブトヤマ記念やクモハタ記念などもありましたが、

レース構成の見直しにより残念ながら廃止になってしまいました。

名馬達の功績を後世に伝えていくためにも、 今回のJRAが

行なった改称は、本当に素晴らしいことだと思っています。

今後も名馬達の名前が冠名となるレースを多く創設し、実施して

欲しいと願っています。

弥生賞は昔からクラシックの登竜門として重要なレースであり、

歴代の優勝馬を見ても、ダービー馬をはじめ、数々のクラシック馬

を輩出しています。

昭和58年までは中山の1,800mで行われていましたが、昭和59年

からは皐月賞と同じ中山の2,000mで行われており、クラシックを

狙う馬としては、皐月賞前に出走させたい重要なレースとなって

います。

昔は、弥生賞またはスプリングSから皐月賞、日本ダービーに

向かうのが王道でしたが、馬に合わせた調教方法等の進化や、

クラシック路線に対する考え方も多様化している等、無理して

王道を進むことに固執することなく、馬の能力や体調や適性に

合わせた路線を選択するになってきたと思います。

残念ながら今週も無観客開催が継続するようですが、令和初の

名馬ディープインパクトの名が入った記念すべき弥生賞が今週

行われるだけにJRAも多くの企画を準備していたと思います。

多くの観客も改めて名馬ディープインパクトを功績を称え、

懐かしみながらレース観戦するでしょうから、さぞかしレースが

盛り上がったと思うだけに本当に残念です。

今年もディープの子で有力視されている馬が出走していますが、

果たしていきなり親子制覇となるのか、それとも他のサンデー系

の子が優勝するのか、はたまた別系統種牡馬の子が優勝する

のか、クラシックを占う上で重要なレースになるのは間違いなく、

天国で見守っているディープインパクトに思いを馳せながら、

そして全馬の無事を祈りながら、テレビ観戦したいと思います。

 

今週は、中山競馬場で伝統の中山記念が行われますが、

 新型コロナウイルスの影響で無観客で実施されるという

前代未聞の開催になります。

世界中に蔓延している厳しい状況の中では、しょうがない

のかも知れません。

私も長年競馬を見てきましたが、天災や感冒の影響での

延期等での開催はあっても、無観客での競馬は初めてです。

果たしてどのような競馬になるのでしょうか。

馬にとっては静かな状況の方が、大歓声に驚くことがなく、

競馬ができるのかも知れませんが、レースに慣れている馬だと

歓声がないのがかえって不安で落ち着かなくなる馬もいるかも

知れません。

昭和時代、関東の古馬のオープン馬達はAJC杯から始動し、

中山記念または日経賞から春の天皇賞に向かったものですが、

最近は中距離の中山記念を使ってくる馬は、中距離路線を

目指し、GⅠに昇格した大阪杯に向かい、関東馬で春の天皇賞

を目指す馬は、長距離路線をとって日経賞または元々12月の

暮れに行われていたキーストンの悲劇で有名な阪神大賞典か

京都記念から春の天皇賞に向かいます。

中山記念での思い出の馬は昭和49年に優勝したハイセイコー

です。

ダービーで3着に敗れた後、秋になって京都新聞杯、菊花賞、

有馬記念に惜敗し、AJC杯では宿敵タケホープの後塵を拝して

9着に惨敗。

マスコミは手のひらを返したように「怪物返上」「地に落ちた英雄」

「早熟馬だった」「メッキがはがれた」等と書き立てました。

しかし復活を願うファン達はハイセイコーを信じて1番人気に押し、

その期待に応えてハイセイコーは宿敵タケホープも参戦する中、

不良馬場をものともせずに、2着に逃げ粘った逃げる精密機械

と言われたトーヨーアサヒと3着のタケホープを直線で置き

去りにし、今までのうっぷんを晴らすかのように、大差での

圧勝劇を演じてくれました。

まさに千両役者でした。

その圧勝劇にスタンドに詰めかけた観客は歓喜し、今でも

あのハイセイコーに対する大歓声は、忘れられません。
私もテレビを見ながら、嬉し涙を流しました。

次の日マスコミはまた手のひらを返し、「怪物復活」だの、

「日本の英雄が帰ってきた」等と持ち上げて報道しました。

 

後にハイセイコーは母の父である短距離血統だったカリムの血

の影響で2,200Mまでの中距離とダートや重馬場馬を得意とする

中距離の名馬だったと言われました。

しかし、ハイセイコーに関わった関係者から聞いた話によると、

大井から移籍した時点で、無理な使われ方によってハイセイコー

の脚は悪く、中央に移籍後の馬主都合(賞金)により、通常、

そのような無理な間隔では、出走しないスプリングSやNHK杯に

出走し、ダービーの時点では、ハイセイコーの脚はかなり悪化

していたとのことでした。

タラレバの世界になりますが、もしハイセイコーがきちんとした

ローテーションを組んでレースに出走していたら、いつも一生懸命

に走った馬だっただけにダービーをはじめとする重賞レースは

違った結果になっていたかも知れません。

これも競馬歴史ロマンですね。

今年の伝統の中山記念は、初の無観客レースであり、また

ウインブライトの3連覇がかかっています。

果たしてどのようになるのでしょうか。

不安と期待を抱きながら、レースを観たいと思います。

 

今週、東京競馬場ではダートのGⅠ重賞競走フェブラリーS

が行われます。

早いもので最初の開催から26年目を迎えました。

昭和期においては、クラシックをはじめとする重賞競走は、

芝コースで行われており、大雪などで芝コースが使えない等の

特別な場合にのみダートコースでレースが行われていました。

そのため、芝コースで優勝する馬が強い馬と称され、ダートで

いくら強い勝ち方をして優勝してもダートだからとかダート馬

だからと言われ、低くみられていました。

それでも私は生でのレースは見ていませんが、芝でもダートでも

強さを誇った歴代最強馬の1頭と言われるタケシバオーや

大井競馬で圧倒的な強さを見せ、中距離や芝の重馬場では

他馬を全く寄せつけない圧倒的な強さを見せた怪物ハイセイコー

、当時ダートで行われていた札幌記念で天馬トウショウボーイと

ダービー馬クライムカイザーをまとめて負かしたダートの王者

グレートセイカンという馬がいましたが、もしその時代に

今の時代のようにダート競走を重んじた重賞レースが多く存在

していたら、これらの馬達は、どのような強さでどれだけ優勝して

いたか等と時々競馬歴史ロマンに思いを馳せてしまいます。

 

そして今週のフェブラリーSでの思い出の馬は1996年の優勝馬

ホクトベガです。

牝馬のクラシックでも活躍してエリザベス女王杯に優勝し、その後

の重賞レースでも健闘するも当時のレース体系の中で苦戦し、

なかなか勝てない時期がありましたが、ダート路線に変更すると

ダートでの素質が開花し、地方交流戦を含めて7連勝を飾るなど

圧倒的な強さを見せ、あまりの強さにファンは、彼女のことを

いつしか砂の女王と呼ぶようになりました。

しかし、1997年川崎記念で圧勝後、ドバイに遠征し、一時体調

を崩していたものの、回復して挑んだドバイワールドカップレース

において、最終コーナーで転倒し、他馬とも接触して複雑骨折を

負い、現地において安楽死の処置がとられました。

遺体は検疫の関係で日本に帰ることは出来ずに、たてがみ

のみが遺髪として無言の帰宅をしました。

異国の地でホクトベガは、天に召され本当の星になってしまい

ました。

後に放映されたホクトベガ物語で、オーナー夫妻はホクトベガ

について「異国の地にわざわざ連れていき、あんな死なせて方

をさせてしまったことは、本当にかわいそうで、かわいそうで

本当に申し訳ないことをした」と涙ながらに語った。

心から悲しんでいるオーナー夫妻の姿に私は涙がとまり

ませんでした。

明日のフェブラリーS、全馬の無事を祈りながら令和の時代を

引っ張るダート王の誕生を楽しみにしています。