昨日、京都競馬場で行われました

2歳マイル王決定戦?第77回朝日杯

フューチュリティステークスは2番人気の

カヴァレリッツォが、直線で鋭く伸びて

逃げ込みを図るダイヤモンドノットを

捕らえて優勝を飾り、初のG1タイトルを

獲得しました。

2着には逃げ粘った5番人気のダイヤ

モンドノットが入り、1番人気に支持された

アドマイヤクワッズは追い込んだものの

3着に敗れました。

今週は、中山競馬場で今年の競馬を

締めくくるドリームレース、節目となる

第70回有馬記念が行われます。

有馬記念は、1955年当時の日本中央

競馬会理事長であった有馬頼寧氏が

中山競馬場の新スタンド竣工を機に

暮れの中山競馬場で日本ダービーに

匹敵する大レースを行いたいと提案し

当時としては他に類を見ないファン投票で

出走馬を選出する方式が採用され、

1956年(昭和31年)に最初は中山

グランプリの名称で創設されました。

しかし、第1回中山グランプリの興奮も

冷めやらぬ1957年1月に創設者である

有馬理事長が急逝してしまいました。

これまでの有馬氏の多大な功績を称える

ため、第2回開催から有馬氏の名前を

とって有馬記念に名称を変更し、これ以来

中央競馬の一年を締めくくるレースとして、

そしてファンが自ら投票して選んだ名馬達

による日本一決定戦というドリームレース

として定着し、現在行われています。

 

思い出のレースは、今日の競馬ブームの

立役者で昭和48年の顔にも選出され、

怪物やミスターサラブレッドの異名を持ち

全国の多くのファンを最後まで魅了した

国民的アイドル馬ハイセイコーのラストラン

となった昭和49年第19回有馬記念です。

 

この年の有馬記念は地方競馬の大井で

6連勝後に中央に移籍し、弥生賞、

スプリングステークス、皐月賞、NHK杯に

勝ってデビュー以来10連勝し、その後

ダービー、菊花賞、天皇賞では敗れた

ものの、中山記念では大差の圧勝劇を演じ

宝塚記念、高松宮杯にも優勝し、

競馬をギャンブルからスポーツに変え

全国の多くの人達に勇気と希望を与えた

国民的アイドル馬ハイセイコーのラストラン

であると共にハイセイコーには弥生賞、

京都新聞杯、中山記念、オープン競走では

敗れたもののダービー、菊花賞、天皇賞春

アメリカジョッキーカップではハイセイコーを

やぶったことでヒール役となってしまった

タケホープもまたこの有馬記念を最後に

引退することを発表。

ハイセイコーと宿命のライバルタケホープ

との最後の対決ということで、この年の

有馬記念はレース前から、ただならぬ

異様な盛り上がりを見せました。

そして、この2頭の前に立ちはだかるのは

ダービー馬タニノムーティエを兄に持ち

クラシックを前に骨折し、一時は予後不良と

診断されながらも1年8ヶ月後に不死鳥の

ごとく蘇り、天皇賞秋や京都大賞典等、

多くの重賞レースを勝ち、史上最強馬の

1頭としても名前があがるタニノチカラも

昨年の雪辱を果たすべく参戦を表明。

更に昨年の覇者ストロングエイト、

天皇賞馬ベルワイド、逃げる精密機械

トーヨーアサヒ、幻のクラシック馬カーネル

シンボリ、覆面の魔王ホウシュウエイトや

後の天皇賞馬イチフジイサミなど、まさに

日本一を決めるのに相応しい名馬達が

顔を揃えました。

また、この年の有馬記念は、これまでの

ハイセイコーとタケホープによる対戦成績

4勝4敗に決着をつける戦いとなると共に

この2頭の前に立ちはだかるタニノチカラ

という、まさに3強馬による今でも語り

継がれる伝説のレースとなりました。

 

ただ、順調に来たタニノチカラとの裏腹に

何とか夏を過ごしたハイセイコーは

天皇賞秋を目指し、京都大賞典から始動。

トップ斤量62キロを背負って出走した

ハイセイコーは斤量が5キロも少ない

57キロのタニノチカラに圧勝されはした

ものの、他馬とは差のない4着に入るなど

健闘しました。

その後、ハイセイコーは東京に戻って

オープン競走に斤量60キロを背負って

出走。

最後の直線ではいつもの勢いがなく、

着外かと思われましたが、ゴール前で

NHK杯を彷彿させるような奇跡の脚を

使ってヤマブキオーの2着に入りました。

しかし、これまでの過酷なローテーション

により、身体がついに悲鳴を上げ、

レース後に鼻出血を発症し、天皇賞秋を

断念せざるを得なくなりました。

鼻出血を起こすほど体がもうボロボロに

なっていたハイセイコーは、引退も検討

されましたが、ファン投票1位に応えるべく

出走に踏み切りました。

 

そして有馬記念当日、私はテレビ観戦

していましたが、パドックの時から中山

競馬場はハイセイコーとの別れを惜しむ

多くのファンの熱気でいつもと違う異様な

雰囲気に包まれていました。

そしてレース前には気合が入り過ぎたのか

ハイセイコーは増沢騎手を落として放馬

してしまうという大アクシデントが発生。

現在なら馬と騎手の大事をとって出走除外

になるような放馬でしたが、馬体検査を

経て、何とか出走に漕ぎつけました。

 

何が起こっても不思議ではなくなった

有馬記念。

昭和49年12月15日15時10分

各馬がゲートインし、場内から異様な

大歓声が沸き起こる中、運命のゲートが

開き、レースはスタートしました。

予想では逃げる精密機械と言われた

トーヨーアサヒが逃げると思われて

いましたが、昨年ハイセイコーを意識

しすぎて敗れたのと同じ轍は踏まないと

言わんばかりに何とタニノチカラが果敢に

ハナを奪って先頭に立って逃げる形となり

場内はまた騒然となりました。

そして、1週目のホームストレッチ、正面

スタンド前を各馬が通過している時には

場内からはハイセイコーへの惜別と応援の

大歓声が沸き起こりました。

フジテレビの盛山アナも「ハイセイコー

最後の拍手を浴びています」と実況。

レースはタニノチカラがマイペースで逃げ

2番手に逃げられなかったトーヨーアサヒ

3番手にハイセイコー、その後ろから

ストロングエイト、カーネルシンボリが続き

タケホープは6番手、ベルワイド、イチフジ

イサミ、ホウシュウエイトは後方からという

展開となりました。

向こう正面から3コーナーにかけて徐々に

タケホープがハイセイコーを見ながら

上がって行き、ハイセイコーも勝負どころと

見て仕掛けて2番手に上がると場内からは

また大歓声が起こりました。

第4コーナーではハイセイコーがタニノ

チカラに並びかけ、外からタケホープも

差にない3番手に上がると、場内からは

割れんばかりの大歓声が起き、3頭が

一団となって直線の勝負へ。

最後の直線でハイセイコーがタニノチカラ

を交わさんばかりに並びかけ、外からは

タケホープも必死に追い込んできましたが

タニノチカラが脚を伸ばして突き放しに

かかると、盛山アナは「ハイセイコー最後、

ハイセイコー最後」と大絶叫。

場内からもハイセイコーへの最後の

大声援が送られましたが、更に脚を

伸ばして差を広げたタニノチカラは

5馬身差をつけて圧勝。

タニノチカラの勝利とは別に2着争いでは

あるものの、今度はハイセイコーと

タケホープの最後の対決に場内からは

大歓声が起こり、まさに菊花賞を再現する

かのような両雄の激しい叩き合いとなり

ハイセイコーも最後と分かっていたのか

歯を食いしばって踏ん張り、菊花賞とは

反対にハイセイコーが今度はタケホープを

おさえて2着に入ってタケホープとの対決を

制し、対戦成績を5勝4敗にしてレースを

終えました。

場内からはタニノチカラの勝利に対して

よりも、ハイセイコーとタケホープとの

最後の死闘に対し、温かい拍手が沸き

起こりました。

テレビでは勝ったタニノチカラではなく

カメラはずっとハイセイコーを追い続け

テレビではレース終了直後、増沢騎手が

歌う「さらばハイセイコー」が流れ、

泣きながらレースを見ていた私も

更に号泣してしまいました。

もしタニノチカラが出走していなくて、

ハイセイコーとタケホープの叩き合いに

なって、ハイセイコーが勝ったならば、

日本中はもっと大変な騒ぎになっていたと

思います。

圧勝したタニノチカラはタイミングが悪く

本当に気の毒な勝利になってしまいました。

 

松原 愛さんYouTubeより

 

その後、ハイセイコーは12月26日

競馬のない日にも関わらず競走馬では

異例の送別会が東京競馬場で行われ

約4000人のハイセイコーファンが

集まりました。

私も参加したのですが、最後の方では

ファンが馬場内に入ってしまうということが

起こり、誘導馬は当然驚いて入れ込み

ましたが、ハイセイコーは全く動ぜず、

堂々としていました。

そして翌年の1月6日には東京競馬場で

引退式が行われ、ハイセイコーは北海道の

明和牧場で種牡馬となるため、競馬場に

別れを告げました。

ハイセイコーは種牡馬としても成功を収め

産駒からは自分の無念を晴らしてくれた

ダービー馬カツラノハイセイコや皐月賞馬

ハクタイセイ、エリザベス女王杯を制した

サンドピアリスの他、中央のみならず

地方競馬でも多くの重賞勝ち馬を世に

送り出してくれました。

1997年種牡馬を引退したハイセイコーは

明和牧場で余生を過ごしていましたが、

2000年5月4日、心臓麻痺のため、

30年の生涯を終え、天国に旅立って

行きました。

5月18日には新冠町のレ・コード館で

「お別れの会」が催され、およそ500人の

ファンや関係者が参列しました。

私はハイセイコーの引退後も、牧場を訪ね

牧場関係者のご厚意によりハイセイコーに

会って、自分の昔からの思いを伝える

ことができましたし、送別会、引退式

そして、お別れの会にも参列できたことは

私にとっての一生の思い出です。

ハイセイコーの墓碑には「人々に感銘を

与えた名馬、ここに眠る」と記されています。

 

最後に故寺山修司さんが書いた

「さらばハイセイコー」の詩を紹介します

ふりむくと

一人の少年が立っている

彼はハイセイコーが勝つたび

うれしくてカレーライスを三杯も食べた

 

ふりむくと

一人の失業者が立っている

彼はハイセイコーの馬券の配当で

病気の妻に手鏡を買ってやった

 

ふりむくと

一人の足の悪い車椅子の少女がいる

彼女はテレビのハイセイコーを見て

走ることの美しさを知った

 

ふりむくと

一人の酒場の女が立っている

彼女は五月二十七日のダービーの夜に

男に捨てられた

 

ふりむくと

一人の親不幸な運転手が立っている

彼はハイセイコーの配当でおふくろを

ハワイへ連れていってやると言いながら

とうとう約束を果たすことができなかった

 

ふりむくと

一人の人妻が立っている

彼女は夫にかくれてハイセイコーの馬券を

買ったことがたった一度の不貞なのだ

 

ふりむくと

一人のピアニストが立っている

彼はハイセイコーの生まれた三月六日に

交通事故にあって目が見えなくなった

 

ふりむくと

一人の出前持ちが立っている

彼は生まれて初めてもらった月給で

ハイセイコーの写真を撮るために

カメラを買った

 

ふりむくと

大都会の師走の風の中に まだ一度も

新聞に名前の出たことのない

百万人のファンが立っている

人生の大レースに自分の出番を待って

いる彼等の一番うしろからせめて手を

振って別れのあいさつを送ってやろう

ハイセイコーよ

お前のいなくなった広い師走の競馬場に

希望だけが取り残されて

風に吹かれているのだ

 

ふりむくと

一人の馬手が立っている

彼は馬小屋のワラを片付けながら

昔 世話をしたハイセイコーのことを

思い出している

 

ふりむくと

一人の非行少年が立っている

彼は少年院のオリの中で

ハイセイコーの強かった日のことを

みなに話してやっている

 

ふりむくと

一人の四回戦ボーイが立っている

彼は一番強い馬はハイセイコーだと信じ

サンドバックにその写真を貼って

たたきつづけた

 

ふりむくと

一人の老人が立っている

彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ

やけ酒を飲んで終電車の中で眠って

しまった。

 

ふりむくと

一人の受験生が立っている

彼はハイセイコーから挫折のない

人生はないと教えられた

 

ふりむくと

一人の騎手が立っている

かつてハイセイコーとともにレースに出走し

敗れて暗い日曜の夜を家族と口をきかずに

過ごした

 

ふりむくと

一人の新聞売り子が立っている

彼の机の引き出しにはハイセイコーの

はずれ馬券が今も入っている

 

もう誰も振り向く者はないだろう

うしろには暗い馬小屋があるだけで

そこにはハイセイコーはもういないのだから

 

ふりむくな ふりむくな

うしろには夢がない

ハイセイコーがいなくなっても

すべてのレースは終わるわけじゃない

人生という名の競馬場には

次のレースをまちかまえている百万頭の

名もないハイセイコーの群れが

朝焼けの中で追い切りをしている地響きが

聞こえてくる

 

思いきることにしよう

ハイセイコーは

ただの数枚の馬券にすぎなかった

ハイセイコーは

ただひとレースの思い出にすぎなかった

ハイセイコーは

ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった

ハイセイコーはむなしかったある日々の

代償にすぎなかったと

 

だが忘れようとしても

眼を閉じると あのレースが見えてくる

耳をふさぐと あの日の喝采の音が

聞こえてくるのだ

 

今週は中山競馬場で今年のクライマックス

節目となる第70回有馬記念が行われます。

ジャパンカップほどではありませんが、

今年もラストランとなる馬など、素晴らしい

メンバーが揃いました。

ダービー馬ダノンデサイル、

ドラマを再現し日高に夢を届けるのか

宝塚記念馬メイショウタバル、

ラストランとなる天皇賞馬ジャスティン

パレス、シンエンペラーに注目しています。

一年を締めくくる大一番、

「あなたとそして私の夢が走ります」

今年はどんなドラマが繰り広げられるので

しょうか。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

昨日、牝馬限定となった2歳女王決定戦

第77回阪神ジュベナイルフィリーズは

2番人気のスターアニスが最後の直線で

外から鋭く伸びて抜け出して勝ち、G1

初勝利を飾りました。

2着には4番人気のギャラボーグ、

3着には6番人気のタイセイボーグが入り

1番人気に推されたアランカールは直線で

追い込んで来たものの、5着に敗れました。

今週は、阪神競馬場で第77回朝日杯

フューチュリティステークスが行われます。

1949年関東地区3歳(現2歳)馬の

チャンピオン決定戦として朝日杯3歳

ステークスが創設されました。

2001年から名称を朝日フューチュリティ

ステークスと変更し、2013年までは中山

競馬場で行われていましたが、2014年

からは舞台を阪神競馬場に移して

行われています。

昭和期に暮れの中山競馬場での朝日杯

3歳ステークスとして見て来た私としては

2週連続で牡馬牝馬の2歳馬チャンピオン

決定戦が大人の事情とはいえ、関西地区

で行われることやその代わりとして

昭和59年に関西で行われるG3競走

として新設され、平成29年よりG1競走

となって現在は中山で行われている

ホープフルステークスが存在する等、

未だに違和感を拭い去ることが出来ません。

 

思い出の馬は、早世が惜しまれた当時の

名称、第29回朝日杯3歳ステークスの

優勝馬 外車ギャラントダンサーです。

ギャラントダンサーの父は海外種牡馬の

ギャラントマンで日本での代表産駒には

スプリンターズステークスを連覇した

メイワキミコがいます。

ギャラントダンサーは社台グループが

アメリカに作った牧場で生産した馬でしたが

日本への輸入後は外国産馬として

扱われました。

そして母の父にノーザンダンサーを持つ

ギャラントダンサーは血統と共に素晴らしい

馬体の持ち主で、デビュー前から評判と

なっていました。

 

ギャラントダンサーは外国産馬のため、

クラシックへの出走はできませんでしたが

同期にはダービー馬サクラショウリ、

皐月賞馬ファンタスト、菊花賞馬インター

グシケン、天皇賞馬スリージャイアンツ

安田記念馬タケデン、メジロイーグル、

メジロファントム、シービークロス、

バンブトンコート等の重賞勝ち馬がいます。

 

ギャラントダンサーは旧馬齢3歳秋の

中山でデビューし、初戦の新馬戦を

好スタートから他馬を引き離して大きく

逃げ、前年のマルゼンスキーを彷彿させる

かのように2着馬に1秒7の大差をつけ

圧勝。

まさに評判どおりの強さを見せつけました。

続く条件特別でも後にクラシックに出走する

シルバーペガサスに7馬身差をつけて

このレースも圧勝しました。

続いて当時オープン特別として行われて

いた府中3歳ステークスに出走する予定

でしたが、ギャラントダンサーの強さに

圧倒されたのか、頭数が揃わずレースは

不成立になってしまいました。

このため次にギャラントダンサーは当時の

関東の3歳チャンピオン決定戦、朝日杯

3歳ステークスに参戦しました。

このレースには京成杯3歳ステークスの

勝ち馬で4戦4勝のタケデン、後の

ダービー馬サクラショウリや皐月賞馬

ファンタストが出走。

ギャラントダンサーはタケデンをおさえ

1番人気に推されました。

レースはスタートして、やはり舶来の

スピードなのか、ギャラントダンサーが

先手をとって逃げ、2番手は何とか食い

下がってスピリットガンモが続き、

ファンタストが3番手、タケデンは5番手

から進み、サクラショウリは中団からという

展開になりました。

軽快に逃げるギャラントダンサーを何とか

負かそうと、第3コーナーから4コーナーで

ファンタスト、タケデン、サクラショウリが

仕掛けてギャラントダンサーとの差を詰め

4頭が一団となって直線の勝負へ。

逃げ込みを図るギャラントダンサーを

内からサクラショウリ、外からタケデンが

追い込み、最後はギャラントダンサーと

タケデンの一騎打ちとなりましたが、

ギャラントダンサーがタケデンを振り切り

1馬身半差をつけて優勝飾り、初重賞制覇

を果たすと共に関東の3歳チャンピオンに

輝きました。

当時の中央競馬では外国産馬には

クラシック三冠の出走権がなかったことから

ギャラントダンサー陣営は欧州のクラシック

競走へ挑戦することを決め、ギャラント

ダンサーは直ちにフランスへ出発しました。

しかし、海外での環境の変化からか急激に

体調を崩したギャラントダンサーは1戦も

走ることができないまま帰国し、その後

1年4ヶ月の休養を余儀なくされて

しまいました。

長期休養後、ギャラントダンサーは新潟で

行われたオープン特別で復帰しましたが

長期休養明けが影響したのか、1番人気

に推されたものの6着に終わり、デビュー

以来初の敗戦を喫してしまいました。

しかし、続いて出走した当時オープン特別

だったニュージーランドトロフィーでは

2着馬に7馬身の差を付け圧勝、完全

復活を果たしました。

そして、レース後、宝塚記念に向けて

西下したギャラントダンサーでしたが、

栗東トレセンでの調教中に左第1指骨

複骨折を発症してしまいました。

 

記録によりますと

安楽死処分の診断が下されるほどの

重症でしたが、何とか種牡馬にしたいとの

関係者の意向で懸命の治療が行われ

ましたが、事故から1ヶ月後、前年に

亡くなったテンポイントと同様に右前脚に

蹄葉炎を発症、その後は衰弱が著しく

なってしまい、1979年8月27日

心不全のため、4年という短い生涯を終え

天国に旅立ってしまいました。

 

今週は阪神競馬場で伝統の第77回

朝日杯フューチュリティステークスが

行われます。

リアライズシリウス、アドマイヤクワッズ

ガヴァレリッツォ、エコロアルバに注目して

います。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。

一昨日、阪神競馬場で行われました伝統の

第78回鳴尾記念は、道中4番手を進んだ

2番人気のデビットバローズが直線で

抜け出して重賞初制覇を果たしました。

2着は7番人気センツブラッド、3着には

3番人気のマテンロウレオが入り、1番

人気のグランヴィノス4着に終わりました。

また、昨日中京競馬場で行われました

第26回チャンピオンズカップは3番人気の

ダブルハートボンドが最後の直線での

ウィルソンテソーロとの激しい叩き合いを

制し、牝馬としては10年ぶり勝利と共に

G1初勝利を飾りました。

2着にはハナ差で2番人気ウィルソン

テソーロが入り、ウィルソンテソーロは

3年連続の銀メダルとなりました。

3着には追い込んで来た7番人気の

ラムジェットが入りました。

今週は、阪神競馬場で第77回阪神

ジュベナイルフィリーズが行われます。

1949年、関西所属の旧3歳馬による

チャンピオン決定戦として阪神ジュベ

ナイルフィリーズの前身となる阪神3歳

ステークスが創設されました。

その後1991年より牡馬・牝馬の旧3歳馬

のチャンピオン決定戦を明確にすることを

目的に阪神3歳ステークスは牝馬限定戦

とし、競走名も阪神3歳牝馬ステークスに

変更され、旧3歳牝馬によるチャンピオン

決定戦として位置づけられました。

そして2001年からは馬齢表記が国際

基準に改められたことに伴い、現在の

阪神ジュベナイルフィリーズの名称になり

今日に到っています。

歴代優勝馬からはクラシックや重賞

勝ち馬が多く出ており、3歳のクラシックに

直結する競走として重要視されています。

 

思い出の馬は前年のキタノカチドキに続き

関西期待の星と言われた昭和49年当時の

名称第26回阪神3歳ステークス優勝馬

ライジンです。

 

ライジンの父は昭和そして日本を代表する

名種牡馬テスコボーイで代表産駒には

二冠馬キタノカチドキ、天馬トウショウ

ボーイ、女傑テスコガビー、皐月賞馬

ランドプリンス、天皇賞馬ホクトボーイ・

サクラユタカオー、菊花賞馬インター

グシケン、桜花賞馬オヤマテスコ・ホース

メンテスコ、宝塚記念馬他、挙げれば

切りがないほど、数多くの名馬を世に

送り出すなど、日本の競馬の発展に

多大な貢献をした名種牡馬でした。

 

ライジンは脚部不安によりクラシックへの

出走は叶いませんでしたが、同期には

二冠馬カブラヤオー、有馬記念馬イシノ

アラシ、天皇賞馬エリモジョージ、菊花賞馬

コクサイプリンスやロングホーク、

ロングファスト、ハーバーヤング、イシノ

マサルなどの重賞勝ち馬がいます。

 

ライジンは旧馬齢3歳秋の京都の新馬戦で

デビューし、初戦の新馬戦は2着に敗れた

ものの2戦目の新馬戦で圧勝し、初勝利を

挙げました。

続く条件特別では1番人気に支持された

ものの、後にクラシックを賑わすロング

ファストの前に2着に敗れました。

その後、ライジンは当時、関西の3歳

チャンピオン決定戦だった格上となる

阪神3歳ステークスに挑戦しました。

このレースには後にクラシックを賑わし

重賞勝ち馬となるエリモジョージや

ロングホークの他、函館3歳チャンピオン

ホシバージ、ディリー杯3歳ステークスを

制した4勝馬ニルキング、4戦3勝の

ダイフクミツ、シンザンの娘ウラカワ

チェリーなど、関西3歳の精鋭達が

出走しました。

1番人気は前走のオープン競走を圧勝して

いるロングホークでライジンは2番人気での

出走となりました。

レースはスタートしてエリモジョージが

先手を取って逃げ、2番手にウラカワ

チェリー、その後ろからロングホーク

ライジンが続きニルキング、ダイフクミツは

中団から、ホシバージは後方からという

展開になりました。

軽快な逃げを展開するエリモジョージを

追って、第3コーナーから4コーナーに

かけて内からライジン、外からホシバージ

ロングホーク、ニルキングが仕掛け、

一気にエリモジョージとの差を詰めて

直線の勝負へ。

最後の直線に入って、更に脚を伸ばして

後続馬を引き離し、逃げ込みを図る

エリモジョージをライジンが鋭く伸びて

エリモジョージを追い込み、外から

ダイフクミツも追い込んで来ましたが

ゴール前でライジンがエリモジョージを

交わして優勝を飾り、重賞初制覇を

果たしました。

この優勝により、ライジンは、この年の

最優秀3歳牡馬にも選出されました。

 

しかし、その後ライジンは故障を発症して

しまい、春のクラシックに出走することは

出来ませんでした。

10ヶ月の休養後、京都のオープン競走で

復帰し、後に有馬記念を制するイシノ

アラシの4着に入ったものの、このレースが

ライジンにとっての最後のレースとなって

しまいました。

引退後、テスコボーイの血を継ぐ種牡馬

として期待されたライジンでしたが、内国産

種牡馬不遇の時代にあって、勝ち馬は

出したものの、代表産駒には恵まれ

ませんでした。

記録によりますと

競走を引退した7年後の1982年に

種牡馬引退となっていますが、その後

ライジンがどのような運命を辿ったかは

残念ながら不明となっています。

 

今週は、阪神競馬場で第77回阪神

ジュベナイルフィリーズが行われます。

アランカール、アルバンヌ、ギャラボーグ

マーゴットラヴミーに注目しています。

今週も全人馬の無事を祈りながら

レースを観ます。