昨日、京都競馬場で行われました
2歳マイル王決定戦?第77回朝日杯
フューチュリティステークスは2番人気の
カヴァレリッツォが、直線で鋭く伸びて
逃げ込みを図るダイヤモンドノットを
捕らえて優勝を飾り、初のG1タイトルを
獲得しました。
2着には逃げ粘った5番人気のダイヤ
モンドノットが入り、1番人気に支持された
アドマイヤクワッズは追い込んだものの
3着に敗れました。
今週は、中山競馬場で今年の競馬を
締めくくるドリームレース、節目となる
第70回有馬記念が行われます。
有馬記念は、1955年当時の日本中央
競馬会理事長であった有馬頼寧氏が
中山競馬場の新スタンド竣工を機に
暮れの中山競馬場で日本ダービーに
匹敵する大レースを行いたいと提案し
当時としては他に類を見ないファン投票で
出走馬を選出する方式が採用され、
1956年(昭和31年)に最初は中山
グランプリの名称で創設されました。
しかし、第1回中山グランプリの興奮も
冷めやらぬ1957年1月に創設者である
有馬理事長が急逝してしまいました。
これまでの有馬氏の多大な功績を称える
ため、第2回開催から有馬氏の名前を
とって有馬記念に名称を変更し、これ以来
中央競馬の一年を締めくくるレースとして、
そしてファンが自ら投票して選んだ名馬達
による日本一決定戦というドリームレース
として定着し、現在行われています。
思い出のレースは、今日の競馬ブームの
立役者で昭和48年の顔にも選出され、
怪物やミスターサラブレッドの異名を持ち
全国の多くのファンを最後まで魅了した
国民的アイドル馬ハイセイコーのラストラン
となった昭和49年第19回有馬記念です。
この年の有馬記念は地方競馬の大井で
6連勝後に中央に移籍し、弥生賞、
スプリングステークス、皐月賞、NHK杯に
勝ってデビュー以来10連勝し、その後
ダービー、菊花賞、天皇賞では敗れた
ものの、中山記念では大差の圧勝劇を演じ
宝塚記念、高松宮杯にも優勝し、
競馬をギャンブルからスポーツに変え
全国の多くの人達に勇気と希望を与えた
国民的アイドル馬ハイセイコーのラストラン
であると共にハイセイコーには弥生賞、
京都新聞杯、中山記念、オープン競走では
敗れたもののダービー、菊花賞、天皇賞春
アメリカジョッキーカップではハイセイコーを
やぶったことでヒール役となってしまった
タケホープもまたこの有馬記念を最後に
引退することを発表。
ハイセイコーと宿命のライバルタケホープ
との最後の対決ということで、この年の
有馬記念はレース前から、ただならぬ
異様な盛り上がりを見せました。
そして、この2頭の前に立ちはだかるのは
ダービー馬タニノムーティエを兄に持ち
クラシックを前に骨折し、一時は予後不良と
診断されながらも1年8ヶ月後に不死鳥の
ごとく蘇り、天皇賞秋や京都大賞典等、
多くの重賞レースを勝ち、史上最強馬の
1頭としても名前があがるタニノチカラも
昨年の雪辱を果たすべく参戦を表明。
更に昨年の覇者ストロングエイト、
天皇賞馬ベルワイド、逃げる精密機械
トーヨーアサヒ、幻のクラシック馬カーネル
シンボリ、覆面の魔王ホウシュウエイトや
後の天皇賞馬イチフジイサミなど、まさに
日本一を決めるのに相応しい名馬達が
顔を揃えました。
また、この年の有馬記念は、これまでの
ハイセイコーとタケホープによる対戦成績
4勝4敗に決着をつける戦いとなると共に
この2頭の前に立ちはだかるタニノチカラ
という、まさに3強馬による今でも語り
継がれる伝説のレースとなりました。
ただ、順調に来たタニノチカラとの裏腹に
何とか夏を過ごしたハイセイコーは
天皇賞秋を目指し、京都大賞典から始動。
トップ斤量62キロを背負って出走した
ハイセイコーは斤量が5キロも少ない
57キロのタニノチカラに圧勝されはした
ものの、他馬とは差のない4着に入るなど
健闘しました。
その後、ハイセイコーは東京に戻って
オープン競走に斤量60キロを背負って
出走。
最後の直線ではいつもの勢いがなく、
着外かと思われましたが、ゴール前で
NHK杯を彷彿させるような奇跡の脚を
使ってヤマブキオーの2着に入りました。
しかし、これまでの過酷なローテーション
により、身体がついに悲鳴を上げ、
レース後に鼻出血を発症し、天皇賞秋を
断念せざるを得なくなりました。
鼻出血を起こすほど体がもうボロボロに
なっていたハイセイコーは、引退も検討
されましたが、ファン投票1位に応えるべく
出走に踏み切りました。
そして有馬記念当日、私はテレビ観戦
していましたが、パドックの時から中山
競馬場はハイセイコーとの別れを惜しむ
多くのファンの熱気でいつもと違う異様な
そしてレース前には気合が入り過ぎたのか
ハイセイコーは増沢騎手を落として放馬
してしまうという大アクシデントが発生。
現在なら馬と騎手の大事をとって出走除外
になるような放馬でしたが、馬体検査を
経て、何とか出走に漕ぎつけました。
何が起こっても不思議ではなくなった
有馬記念。
昭和49年12月15日15時10分
各馬がゲートインし、場内から異様な
大歓声が沸き起こる中、運命のゲートが
開き、レースはスタートしました。
予想では逃げる精密機械と言われた
トーヨーアサヒが逃げると思われて
いましたが、昨年ハイセイコーを意識
しすぎて敗れたのと同じ轍は踏まないと
言わんばかりに何とタニノチカラが果敢に
ハナを奪って先頭に立って逃げる形となり
場内はまた騒然となりました。
そして、1週目のホームストレッチ、正面
スタンド前を各馬が通過している時には
場内からはハイセイコーへの惜別と応援の
大歓声が沸き起こりました。
フジテレビの盛山アナも「ハイセイコー
最後の拍手を浴びています」と実況。
レースはタニノチカラがマイペースで逃げ
2番手に逃げられなかったトーヨーアサヒ
3番手にハイセイコー、その後ろから
ストロングエイト、カーネルシンボリが続き
タケホープは6番手、ベルワイド、イチフジ
イサミ、ホウシュウエイトは後方からという
展開となりました。
向こう正面から3コーナーにかけて徐々に
タケホープがハイセイコーを見ながら
上がって行き、ハイセイコーも勝負どころと
見て仕掛けて2番手に上がると場内からは
また大歓声が起こりました。
第4コーナーではハイセイコーがタニノ
チカラに並びかけ、外からタケホープも
差にない3番手に上がると、場内からは
割れんばかりの大歓声が起き、3頭が
一団となって直線の勝負へ。
最後の直線でハイセイコーがタニノチカラ
を交わさんばかりに並びかけ、外からは
タケホープも必死に追い込んできましたが
タニノチカラが脚を伸ばして突き放しに
かかると、盛山アナは「ハイセイコー最後、
ハイセイコー最後」と大絶叫。
場内からもハイセイコーへの最後の
大声援が送られましたが、更に脚を
伸ばして差を広げたタニノチカラは
5馬身差をつけて圧勝。
タニノチカラの勝利とは別に2着争いでは
あるものの、今度はハイセイコーと
タケホープの最後の対決に場内からは
大歓声が起こり、まさに菊花賞を再現する
かのような両雄の激しい叩き合いとなり
ハイセイコーも最後と分かっていたのか
歯を食いしばって踏ん張り、菊花賞とは
反対にハイセイコーが今度はタケホープを
おさえて2着に入ってタケホープとの対決を
制し、対戦成績を5勝4敗にしてレースを
終えました。
場内からはタニノチカラの勝利に対して
よりも、ハイセイコーとタケホープとの
最後の死闘に対し、温かい拍手が沸き
起こりました。
テレビでは勝ったタニノチカラではなく
カメラはずっとハイセイコーを追い続け
テレビではレース終了直後、増沢騎手が
歌う「さらばハイセイコー」が流れ、
泣きながらレースを見ていた私も
更に号泣してしまいました。
もしタニノチカラが出走していなくて、
ハイセイコーとタケホープの叩き合いに
なって、ハイセイコーが勝ったならば、
日本中はもっと大変な騒ぎになっていたと
思います。
圧勝したタニノチカラはタイミングが悪く
本当に気の毒な勝利になってしまいました。
松原 愛さんYouTubeより
その後、ハイセイコーは12月26日
競馬のない日にも関わらず競走馬では
異例の送別会が東京競馬場で行われ
約4000人のハイセイコーファンが
集まりました。
私も参加したのですが、最後の方では
ファンが馬場内に入ってしまうということが
起こり、誘導馬は当然驚いて入れ込み
ましたが、ハイセイコーは全く動ぜず、
堂々としていました。
そして翌年の1月6日には東京競馬場で
引退式が行われ、ハイセイコーは北海道の
明和牧場で種牡馬となるため、競馬場に
別れを告げました。
ハイセイコーは種牡馬としても成功を収め
産駒からは自分の無念を晴らしてくれた
ダービー馬カツラノハイセイコや皐月賞馬
ハクタイセイ、エリザベス女王杯を制した
サンドピアリスの他、中央のみならず
地方競馬でも多くの重賞勝ち馬を世に
送り出してくれました。
1997年種牡馬を引退したハイセイコーは
明和牧場で余生を過ごしていましたが、
2000年5月4日、心臓麻痺のため、
30年の生涯を終え、天国に旅立って
行きました。
5月18日には新冠町のレ・コード館で
「お別れの会」が催され、およそ500人の
ファンや関係者が参列しました。
私はハイセイコーの引退後も、牧場を訪ね
牧場関係者のご厚意によりハイセイコーに
会って、自分の昔からの思いを伝える
ことができましたし、送別会、引退式
そして、お別れの会にも参列できたことは
私にとっての一生の思い出です。
ハイセイコーの墓碑には「人々に感銘を
与えた名馬、ここに眠る」と記されています。
最後に故寺山修司さんが書いた
「さらばハイセイコー」の詩を紹介します
ふりむくと
一人の少年が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくてカレーライスを三杯も食べた
ふりむくと
一人の失業者が立っている
彼はハイセイコーの馬券の配当で
病気の妻に手鏡を買ってやった
ふりむくと
一人の足の悪い車椅子の少女がいる
彼女はテレビのハイセイコーを見て
走ることの美しさを知った
ふりむくと
一人の酒場の女が立っている
彼女は五月二十七日のダービーの夜に
男に捨てられた
ふりむくと
一人の親不幸な運転手が立っている
彼はハイセイコーの配当でおふくろを
ハワイへ連れていってやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった
ふりむくと
一人の人妻が立っている
彼女は夫にかくれてハイセイコーの馬券を
買ったことがたった一度の不貞なのだ
ふりむくと
一人のピアニストが立っている
彼はハイセイコーの生まれた三月六日に
交通事故にあって目が見えなくなった
ふりむくと
一人の出前持ちが立っている
彼は生まれて初めてもらった月給で
ハイセイコーの写真を撮るために
カメラを買った
ふりむくと
大都会の師走の風の中に まだ一度も
新聞に名前の出たことのない
百万人のファンが立っている
人生の大レースに自分の出番を待って
いる彼等の一番うしろからせめて手を
振って別れのあいさつを送ってやろう
ハイセイコーよ
お前のいなくなった広い師走の競馬場に
希望だけが取り残されて
風に吹かれているのだ
ふりむくと
一人の馬手が立っている
彼は馬小屋のワラを片付けながら
昔 世話をしたハイセイコーのことを
思い出している
ふりむくと
一人の非行少年が立っている
彼は少年院のオリの中で
ハイセイコーの強かった日のことを
みなに話してやっている
ふりむくと
一人の四回戦ボーイが立っている
彼は一番強い馬はハイセイコーだと信じ
サンドバックにその写真を貼って
たたきつづけた
ふりむくと
一人の老人が立っている
彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ
やけ酒を飲んで終電車の中で眠って
しまった。
ふりむくと
一人の受験生が立っている
彼はハイセイコーから挫折のない
人生はないと教えられた
ふりむくと
一人の騎手が立っている
かつてハイセイコーとともにレースに出走し
敗れて暗い日曜の夜を家族と口をきかずに
過ごした
ふりむくと
一人の新聞売り子が立っている
彼の机の引き出しにはハイセイコーの
はずれ馬券が今も入っている
もう誰も振り向く者はないだろう
うしろには暗い馬小屋があるだけで
そこにはハイセイコーはもういないのだから
ふりむくな ふりむくな
うしろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
すべてのレースは終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で追い切りをしている地響きが
聞こえてくる
思いきることにしよう
ハイセイコーは
ただの数枚の馬券にすぎなかった
ハイセイコーは
ただひとレースの思い出にすぎなかった
ハイセイコーは
ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった
ハイセイコーはむなしかったある日々の
代償にすぎなかったと
だが忘れようとしても
眼を閉じると あのレースが見えてくる
耳をふさぐと あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ
今週は中山競馬場で今年のクライマックス
節目となる第70回有馬記念が行われます。
ジャパンカップほどではありませんが、
今年もラストランとなる馬など、素晴らしい
メンバーが揃いました。
ダービー馬ダノンデサイル、
ドラマを再現し日高に夢を届けるのか
宝塚記念馬メイショウタバル、
ラストランとなる天皇賞馬ジャスティン
パレス、シンエンペラーに注目しています。
一年を締めくくる大一番、
「あなたとそして私の夢が走ります」
今年はどんなドラマが繰り広げられるので
しょうか。
今週も全人馬の無事を祈りながら
レースを観ます。















