今回は源氏の氏神として源頼義が由比ヶ浜にお祀りし、源頼朝か鎌倉に入って幕府を開く際に現在地に遷して鎌倉幕府の総社として町の中心となった鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)です
源氏、鎌倉武士といった武家の守護神として源頼朝によって建立された関東の八幡社中でも最大規模の鶴岡八幡宮
この八幡宮は冒頭のように当初西暦1063年に奥州の戦の戦勝を祈願した京都・石清水八幡宮を現在の材木座一丁目の地に鶴岡若宮として勧請したことが始まりです
そして源頼朝が鎌倉に入った時に現在地に遷して鎌倉幕府の氏神・中枢として整備され、鎌倉の町はこの社殿を中心として発展しました
八幡宮は武神・源氏の氏神として広まったのは源頼義の子で河内源氏の流れを汲む源義家が石清水八幡宮で元服した事が由来し、源義家は元服場所から“八幡太郎”と称していました
そうして八幡神は源氏の氏神として信仰され、八幡太郎の曾孫にあたる源頼朝が鎌倉幕府を開き、鎌倉幕府の総鎮守として八幡信仰が全国的に広がったという事です
ちなみに八幡太郎は源頼朝だけでなく室町幕府を開いた足利尊氏の先祖でもあります
こうして武家の崇敬を集めた鶴岡八幡宮ですが、鎌倉幕府が衰退したと共に衰退、戦国時代には鶴岡八幡宮の戦いにおいて焼き討ちされていますが、北条氏綱によって再建されています
そして江戸幕府が開かれると源氏の血筋を主張した徳川家康の影響もあり幕府の庇護を受けて社領が増えて大規模化しています
神仏習合だったので薬師堂や六角堂、多宝大塔もあり、東照宮も祀られていたそうです
しかし明治維新以降は神仏分離令と共に廃仏毀釈の動きとなり多宝大塔など寺院系のものはほとんど破壊されています
その後は神社として整備し、現在も鎌倉の町の中心として観光の人も多く訪れる人気の場所となっています
⚫︎大鳥居
それでは御朱印です
御朱印帳です
⚫︎表紙
この時は大ニュースとして騒がれましたね
現在は木株から若芽が出ていますので、また大きく育つ事を願ってます!