カルマ(業)とは一般的に行為を意味するが、行為には感情・思考が伴う。

良い行為(感情・思考)は良い結果をもたらし、悪い行為(感情・思考)は悪い結果をもたらす。

 

ヴェーダンタでは、以下のように分けられている。

1. サンチタ・カルマ(すでに蓄積されたカルマ)

2. プラーラブダ・カルマ(現在発現しているカルマ)

3. アーガーミ・カルマ(今から作られようとしているカルマ)

 

プラーラブダ・カルマを解消するには、それを経験し、自分自身で返済しなければならない。

しかしながら、良い行為・感情・思考、正しい努力、ヨーガ、信仰などによって、その悪影響を緩和することは出来る。

 

もし何か原因の分からない不幸な出来事があったとしても、それは悪いカルマを解消しているのかもしれない。

全ての人がカルマを克服して、運命の主人となれますよう。

 

 

 

 

古代インドの大聖仙アガスティアが残した予言書(アガスティアの葉)については、以前にも書いた。

女神パールヴァーティーはシヴァ神にある人の予言を語るよう頼み、アガスティアが椰子の葉に書き写した予言書は、将来適切な時期にその人に読まれる。

 

現在ではアガスティアの葉のコピーが氾濫しているそうだが、正統な継承者(ナディリーダー)は南インドに館を構えるシバサミーとマニバサカンの二人といわれる。

幸運にもマニバサカンの館で予言書を取得した私は、南インド・タミルナドゥ州のヴァイティスワランコビル(シヴァ神および火星を祀った寺院)を巡礼した。

寺院のすぐ隣にシバサミーの館があったので立ち寄ろうとしたが、あいにくその日は定休日だった。


帰国後しばらく経ってから、偶然ある女性と知り合い、再びアガスティアの葉の代行検索を依頼した。

約1ヵ月後、彼女から予言書の日本語訳が送られてきた。

それは、前回訪問できなかったシバサミーの館のアガスティアの葉で、そこには私が南インドの寺院を巡礼後に予言書を読むことが書かれていた。


もし、あの時シバサミーの館を訪れていても、私の予言書は見つからなかったのだろうか。

蒔いた種が発芽し、やがて花が咲き、実が熟すように、大いなる流れの中で適切な時期があるのだろうか…

 

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アガスティアの葉 (幻冬舎文庫)

 

アガスティアの葉―もしも未来がわかったら、あなたならどうしますか!

私たちは日常の中で、相対的な価値観にいつの間にか支配されてしまう。

 

是非、善悪、美醜、苦楽、悲喜、損得、害益、禍福、迷悟・・・。

相対的な価値観を表す言葉が日常にあふれていることからも、それは伺い知ることが出来る。

 

心は絶えず周囲の状況に振り回され、実に心をととのえることは難しい。

 

太古の偉大なるヨーギーや禅師は、心が呼吸と密接に関係していることを発見した。

これは人間が道具や火を発見したのと同じくらい驚嘆すべきことだと思う。

 

世俗の喧噪を離れても、ついに自分の心から逃れることはできないと気づいた時、人は二極化を超えて心を克服する道に向かうのだろう。

 

 

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ヨーガのヤマ(5つの禁戒)の内、ブラフマチャリア(梵行)ほど修行者を悩ませるものはないだろう。

 

直訳すれば、「ブラフマン(梵)+チャリア(行為)=梵の行為」ということだろうが、一般的には禁欲(性的エネルギーの節制)と訳されることが多い。

 

ヨーガスートラには、「禁欲(ブラフマチャリア)に徹した者は活力(ヴィーリャ)を得る」とあるが、なぜ性的エネルギーの節制が梵の行為なのだろうか?

 

おそらく、ウールドゥヴァレタ・ヨーギー(性的エネルギーが上方に向かって流れるヨーガ行者)は、スシュムナー管を通してクンダリニーを頭頂のブラフマランドラ(梵洞)まで導くことが出来るからだろう。

 

 

 

 

政治家の女性蔑視発言が世間を騒がせている。

 

20年以上前の話で恐縮だが、就職した当時は多くの会社で、お茶出しは女性の仕事、力仕事は男性の仕事という不文律があった。

(今でもそういう職場はあるとは思うが…)

 

私自身はお茶を淹れるのが好きだったこともあり、女性社員が不在の時など内心喜んで来客にお茶を出していたが、ある時上司からお茶出しは女性の仕事だから止めてくれと言われたのを覚えている。


かつて、石田三成は豊臣秀吉や大谷吉継に対して、言葉ではなく一杯の茶で才能や思いやりを伝えたという逸話がある。


趙州禅師が修行僧にも高僧にも「喫茶去」(お茶でもどうぞ)と接したように、せめて分け隔てない心で接することが出来たら良いのだが。

 

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<4日目>

 早朝より朝靄の中、ホテルから徒歩でタージマハルに向かう。

 

 タージマハルはムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが妻の死を悼んで建てた巨大な墓である。

 その美しい大理石の建造物を一目見ようと、世界中から観光客が絶えない。

 

 期待に胸を膨らませて、最も美しく見える場所に案内してもらったが、深い霧のためほとんど何も見えない。

 仕方なく近くまで寄って見ると乳白色の大理石は意外と傷や汚れが目立つ。

 

 未練を残しながら、アグラ城に向かう。

 

 5代皇帝シャー・ジャハーンは、息子によりアグラ城に幽閉された。

 彼はヤムナー川の対岸に建つタージマハルを見ながら、亡き妻を偲んでいたのだろうか。

 

 タージマハルの建築に携わった職人達は指を切り落とされたが、その末裔が大理石の加工技術を伝承したと伝えられる。

 そんな伝説を聞きながら、精緻な加工が施された大理石の小物入れを購入。

 

 アグラ郊外にて、ファテープル・シークリーを見学。

 ムガル帝国3代皇帝アクバルが息子を授かった記念に遷都したが、わずか14年で水不足により放棄。

 

 ある時、世継ぎに恵まれなかったアクバルは、占い師に相談した

 占い師は、彼の息子として生まれ変わると予言して自ら命を絶った。

 

 インディラ・ガンディー国際空港到着。

 苦しくて楽しいインドの旅が間もなく終わる。

 

 なぜか、ジャイプールで出会ったサドゥーのことを思い出した。 

 空港の免税店で最後にガネーシャ神の置物を購入。

 

<まとめ>

 今回の旅は季節が冬だったせいか、警戒していた下痢などもなく快調だった。

 余計な土産物を随分と買わされたような気もするが、それもまた思い出。

 

 そして積年の夢、インドへの扉が開かれた。

(おわり)

 

※この文章は新型コロナウィルス感染症拡大による自粛期間中、2012年の旅行記を基に書いています。

 

ガネーシャ神像

 

この一年は、新型コロナウィルスに始まり、新型コロナウィルスに終わったという気がする。

あくまで私個人の話で恐縮だが、思いつくままに良かった点・悪かった点を挙げてみたい。

 

<良かった点>

・在宅勤務が増えて、通勤によるストレス(満員電車など)が減った。

・家族と過ごす時間が増えて、子供の平日の様子なども分かるようになった。

・街の空気がきれいになって、鳥など生物も増えた。(近所で狸にも遭遇した。)

 

<悪かった点>

・家族と過ごす時間が増えた一方で、家事の分担などを巡って小競り合いも増えた。

・自粛生活で、運動不足により体重が増加した。

・海外旅行に一度も行けなかった。

 

社会的には、やはり何と言っても「Go to キャンペーン」だろう。

旅行業界・飲食業界を救済するために多額の税金を投入したが、結果的には感染症拡大により中断を余儀なくされた。

医療・福祉の最前線では過重労働や賃金カットなどにより離職する方も多く、政府の方針や税金の使途に疑問が残る結果となった。

 

社会的な活動とは関係なく、せめて私自身が出来ることとして、空間を浄化するためにマントラ(真言)を唱えている。

ある時、私の部屋の前の植栽が、他と比べて明らかに成長していることに気付いた。

 

やはり何かしらの効果があるのだろう。

来年は皆さんにとって良い年になることを願います。

 

 

経済学者は新型コロナウィルス感染症の拡大によって、世界経済が停滞しているという。

一方、2020年上半期の二酸化炭素排出量は過去最大の減少になった。

 

今年は千葉県の自宅から富士山の見える日が多くなった。

私の視力が良くなったのではなく、都心周辺の空気がきれいになったのだろう。

 

人間は車の排気ガスや工場からのばい煙などによって、大気を汚染してきたことに改めて気付かされる。


新型コロナウィルスは、人類に対する自然界からの警鐘なのかもしれない。



<3日目>

早朝。ホテル周辺の長距離バスターミナルまで散策。バスを待つ旅行者に交じって1杯10ルピー(約16円)のチャイ(スパイス入りミルクティー)を飲む。

冷えた体が芯まで温まって美味しい。インドでは食事の値段と味は必ずしも一致しない。

 

通りの向こうからサドゥー(ヒンドゥー教の巡礼者)らしき老人がガネーシャ神(シヴァ神の息子で象の頭をもつ)の彫像を抱えてこちらに歩いてくる。

おそらくヒンディー語であろうか、何か話しかけられたが意味が良く分からない。いくらかお布施をしたら、額にティラク(赤い顔料)を塗って祝福してくれた。

 

ジャイプール市内観光。街全体がピンク色であまり趣味が良いとは言えない。

風の宮殿を観光後、路上でラクダ革のサンダルを購入。柔らかくて履きやすいが、匂いがきつい。

 

山上に聳え立つアンベール城を見学。車から降りるとすぐに物売りに囲まれる。

少年が見晴らしの良い場所に案内して記念写真を撮影してくれたが、すかさずチップを要求された。なかなか抜け目がない。

水の宮殿でも物乞いの子供がまとわりついて離れない。インドの現実を垣間見る。

 

宝石店で買い物。他にも何人かの買い物客がいたので日本人相手のぼったくりではなさそうだ。

昨晩、占い師から薦められたエメラルドを見せてもらうが、とても高くて買う気にならない。

同行したガイドが「日本に帰って、あの時買っておけば良かったと後悔している日本人が沢山いますよ」と言った。

 

その一言を聞いて「もう二度とインドを訪れることはないかもしれないので、一生の思い出にこの宝石の町で何か買ってみようかな」と思った。実際にはその後、何度もインドを訪れるのたが・・・

 

いつの間にか価格交渉になり、気付いた時にはエメラルドのリングを購入していた。今まで色々な国を旅行したが、インド人の交渉術の凄さに驚いた。

帰国後、鑑定してもらい価格相応の価値があると分かって安心したが、むしろ「あの時買わなければ良かった」と後悔している日本人も多いかもしれない。

 

アグラまで車で移動6時間。途中の道端でニームの木を発見。アーユルヴェーダではこの木の枝で歯を磨くことを薦めている。

試しに口に含んでみると苦いが、後味は爽快。数本採取して鞄に詰め込む。

 

アグラ市内のホテルに到着。部屋は真冬なのに蚊が多くて寝苦しい。

明日はいよいよ世界遺産タージマハルを見学。

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<2日目>

鳥のさえずりと聖典の読誦で目覚める。

ここは市街地のホテルなのに、なぜか神聖なものを感じる。確かにインドなのだ。

 

デリー市内を観光。朝のラッシュを縫うようにオートリキシャーが駆け抜ける。

あちこちでクラクションが鳴り響く。路端には物乞いの姿も見える。

 

私の乗っていたタクシーが赤信号で止まった瞬間、小学生くらいの少女が座席の窓の隙間からボールペンを入れてきた。

私は何が起きたか分からず、とっさに窓を閉めたのでボールペンが車の窓の隙間に挟まってしまった。

 

慌てて窓を開けて少女にボールペンを返したが、どうやら少女は車が赤信号で止まる度にボールペンを売っているようだ。

学校に行けない貧しい子供たちが危険に身をさらしながら路上で働く姿に胸が痛んだ。

 

オールドデリーの繁華街チャンドニーチョークを散策。喧噪と雑踏の中、路上で昼寝をしている犬や乞食を踏みそうになる。

 

ジャイプールまで車で移動6時間、高速道路をなぜかラクダや象に乗った人が通行している。

日が暮れると、暗闇の中で眼光の鋭い人々が毛布にくるまって焚火で暖をとっている姿が見える。砂漠の夜は冷えるらしい。

 

ジャイプール市内のホテルに到着。地元で評判という占い師に手相鑑定を依頼。

 

占い師はホテルのロビーに到着後、開口一番、手相を見るための懐中電灯を忘れたので取りに帰るという。

何とも頼りない占い師だと思いながら、日本から持参した懐中電灯を渡して鑑定開始。

 

まずは名前と生年月日を紙に書いて、いくつか簡単な質問に答える。

私の手のひらを覗き込んで「結婚前に異性との交際があったが、その内の一人はこの世にいない」と意味深なことを言った。

 

仕事・恋愛・結婚など人間関係に支障があるため、エメラルド(水星)もしくはルビー(太陽)の指輪を身に着けることを推奨された。

 

インドでは占いは科学として認められ、大学では占星術・手相術の授業さえあるという。

優秀な占い師は国家から表彰される。

 

結婚の際は、お互いのホロスコープ(出生時の惑星配置)によって相性を占う。

占い師の助言によって、自分の運命・体質・気質に合う宝石を身に着ける人も多い。

 

2日目にして早くも、私の常識は大きく揺らいでいた。

(続く)