元プロレスラーのタイガー・ジェット・シンさんに旭日双光章が贈られる。

ターバンを巻いたインドの狂虎という悪役レスラーのイメージが強かったが、現在は実業家で慈善団体を運営しているとのこと。

シンという名前、頭に巻いたターバンはシーク教徒の男性の特徴であるが、10年前にシーク教の総本山アムリトサルの黄金寺院を訪れたことを思い出した。


酷暑期のインド、排泄物の匂いが漂うデリー駅から、アムリトサルに向かう急行列車に乗り込んだ。1等車両はターバンを巻いたシーク教徒の男性で溢れていた。

気温50℃対して車内の冷房温度は20℃に設定され、外気温との差はマイナス30℃、重ね着をしても冷凍庫の中にいるようだった。

インド人は寒くないのかと不思議に思って尋ねると、1等車両が一番冷房が効いて贅沢とのこと。

彼らは日本人とは皮膚の感覚が違うのだろう。こんなことなら、2等か3等車両に乗れば良かったと気づいた頃には、すっかり全身が冷え切っていた。


アムリトサルに到着後、再び気温50℃の灼熱地獄の中を朦朧としながら、黄金寺院を参拝した。

遠方から列車やバスなどに乗らず、徒歩でやって来た巡礼者は、暑さと疲労のため倒れ込むように日陰で横たわっていた。

インドで熱波で死亡というニュースを見てもピンと来なかったが、この時初めてその意味が分かった。


冷房病と熱中症の苦しい旅から帰国後、日本は何と清潔で快適な国なのだろうと思った。

贅沢な暮らしに慣れてしまうと、些細な事でも苦痛に感じるからこそ、苦行(タパス)が必要なのだと気付いた当時のことを懐かしく思い出した。




最近は日本でもスリランカカレーが流行しているが、スリランカカレーを食べると、私は南インドのアムリタプリに滞在した事を思い出す。
アムリタプリは、アンマのダルシャン(祝福)を受けようと、世界中から人々が集まってくる。
宿泊施設は質素だが、平和な雰囲気に満ちており、アンマのダルシャンを受けた人は必ず不思議な体験をすると言う。
私はアメリカ人の青年と相部屋になった。彼はバックパッカーで、チベットで買った大きな仏像を見せてくれた。
その後、私はスリランカに滞在して日本に帰国する予定だったが、スリランカの空港で偶然彼を見かけた。彼は仏像や楽器など余分な荷物を持ち歩いており、心配になって思わず声をかけた。
彼も私の事を覚えており、ちょっとトイレに行きたいので荷物を見ていて欲しいと頼まれ、そのまま私のスリランカ旅行に同行する事になった。
見知らぬ外国人と旅をするのは少し心配だったが、とても楽しく思い出深い旅になった。彼との出会いはアンマの計らいだったのだと思う。


入学試験の合否が発表された。

受験生を持つ親としては、合格して一安心というところだが、自身の経験から言えば、今までの人生で不合格から学ぶことの方が多かったように思う。

かつて、戦国時代最強の武将と言われた武田信玄は「戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする」と言った。成功は慢心を生みやすいが、失敗は多くの教訓を与えてくれる。

合格した生徒は驕ることなく、不合格となった生徒は悔しさをバネに、それぞれ飛躍して欲しい。


公務員と言っても、官公庁職員、教員、警察官、消防士、自衛隊員など様々だが、今回は自身の経験から、地方自治体の職員の実態について記してみたい。

 

事務職の場合は、何かと細部にまでこだわる傾向が強く、効率よりも正確さを重視する傾向が強い。


繁忙期は残業が月100時間を超える部署も多く、ストレスから心身を病んだり、家庭崩壊に至るケースも多く、いわゆるブラック企業並みの職場も多い。


職場環境も決して良いとは言えず、人数に対してトイレが少なかったり、狭い空間に押し込められて、空調が不快なケースも多い。

新型コロナウィルス感染症が流行しても、一つの電話機を複数の人が共有していたり、職場にカラーコピーが1台も無いなど機器が不足しているケースもある。

昼休みに若手に電話当番をさせるなど、前時代的な傾向も強い。

 

社会が多様化・複雑化していく一方、公務員への誹謗中傷は相変わらず多く、民間企業との人財獲得競争に敗れた結果、公務員志望者は減少していくだろう。

 

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一昔前と比較して、転職は珍しいことではなくなったが、日本では終身雇用を理想とする風潮は今だに根強い。

私自身は40代後半に3回の転職を経験したが、転職サイトなどではあまり公表されていない実態をお伝えできればと思う。


1.転職後の給与は、前職の給与から2〜3割減が相場。仮に給与が同じであれば、労働時間が2〜3割増。

企業の給与体系は、勤続年数に比例した年功序列になっていることが多いが、転職によって勤続年数がリセットされる。


2.転職回数が多いことが、企業からプラスに評価されることは滅多にない。

企業は採用した人物が短期間で退職した場合、採用にかけた費用を回収できないため、リスクの高い人物の採用を極力避ける。


3.給与、職場環境、仕事内容など全ての面で満足できる職場はない。一時的にそうであっても、状況は常に変化する。

もっと良い職場があるかもしれないと思って転職した後、自分には合わないと気付いても元の職場には戻れない。

さらに転職を繰り返すと、上記2の理由により、最終的には採用されることが困難になる。


4.上記1〜3の理由により、転職には様々なリスクが伴う。

家庭の事情、自身の健康などやむを得ない場合以外は、転職によるリスクは極力避けたい。




ある時、神は自身の力を顕わしたいと考えた。

 

その無限の力によって、微細な電子・原子・分子から、広大な惑星・銀河・宇宙まで、あらゆるものを創造した。

 

やがて、地球の表面は水と大気に覆われ、気の遠くなるような時間を経て生命が進化した。人類によって文明も誕生した。

 

私たちは、人生において様々な体験をする。

 

幸福や歓喜だけではなく、苦痛や悲惨さも経験するが、それすらも神の栄光の一部を体現しているのかもしれない。

 

 

天啓聖典の一つヤジュルヴェーダのカタ・ウパニシャッドには、死神(ヤマ)を訪ねた少年ナチケータスの有名な話がある。

 

ヤマに3つの願いを叶えてやると言われたナチケータスは、2つの願いを叶えてもらい、最後の3つめに「人は死ぬとどうなるのか教えてほしい」と頼んだ。

 

ヤマはナチケータスに言った。

「神々さえもこのおきてを理解することは容易ではない。富でも長寿でも享楽でも、どんな願いでも叶えよう。だから、死後のことは聞かないでほしい。」

 

ナチケータスはそれでも諦めなかった。

「享楽は束の間のこと。長生きしても一生は短い。あなたに会うときには富を持ち続けることも出来ません。死後のことを知ることだけが、私の願いなのです。」

 

ナチケータスの聡明さに感激したヤマは彼に教えを説いた。

 

現代では、健康と富に恵まれて人生を楽しみたいと誰しも願うところだが、一方でそれが永遠に続かないと知りながら、どうして良いか分からない人も多いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

12月8日は私達日本人にとって、意義深い日である。
 
約2500年前にインドでお釈迦様が悟りを開いた日であり、80年前に日本が太平洋戦争に突入した日でもある。
 
戦争当時の日本は、欧米列強の植民地支配に対抗して領土拡張を目指したが、経済封鎖によって窮地に追い込まれていた。
 
奇襲攻撃こそ成功したものの、戦力の差は著しく、やがて万策尽きて人間魚雷、神風特攻隊などにより多くの若い命が失われた。
 
幼少期の頃、私は自分の誕生日が近づくと「人は死んだらどうなるのだろう。死んだら終わりの人生に一体どんな意味があるのだろう。」と考えて一人暗澹たる気持ちになっていた。
 
最近では、戦争によって生きたくても生きることができなかった命に思いを馳せ、この世に生を受けた意味を問いつつも、日々を真剣に生きていこうと誓いを新たにしている。
 
 
南インドの定食ミールス(本文とは直接関係ありませんが)

 

 新型コロナウィルス感染症の拡大により、1年遅れで開催された東京2020オリンピックも残すところあと一日。

 史上初の無観客開催となったが、実に悲喜こもごものドタバタ劇が繰り広げられた。

 

 大会前から女性蔑視発言や大会関係者の辞任・解任が相次ぎ、大会期間中は選手の獲得したメダルをかじるなど、政治家の愚挙は痛々しく見るに堪えないものだった。

 

 競技ではメダル確実と言われた選手の敗退。あまり注目されていなかった選手の予想外の活躍。

 この日のために全てを捧げてきて、報われた選手もいれば、そうでない選手もいただろう。

 

 財政面ではチケット収入の減少、大会関係者の新型コロナウィルス感染対策費用、弁当の大量廃棄など結局は国民が負担することになるのだろう。

 

 饗宴の舞台裏で増え続ける新型コロナウィルス感染者と医療崩壊、自粛要請で廃業に追い込まれる飲食店など、オリンピックの光と影は選手だけではないようだ。

神前会議で生き物達が訴えた。

 

「私は何の罪もない幼い我が子を殺され、食べられてしまいました。どうか、そんな極悪非道な生き物に天罰を与えて下さい。」

 

また、別の生き物は、「私は住処に毒を撒かれて、家族も親戚も皆殺しにされました。どうかそんな残虐な生き物に苦痛を与えて下さい。」

 

そして、慈悲深いはずの大地の神様さえも怒りを露わにした。

 

「全ての生き物は私から必要な分だけもらって生きているのに、その生き物は必要以上に私から奪い、自分の都合で多くの生き物達を殺しています。そんな恩知らずな生き物は破滅させましょう。」

 

戦と武器の神様は言った。

「それならば、私にお任せ下さい。彼らを互いに憎しみあい、戦わせることで殲滅させてみせます。」

 

他の神様から異論が出た。

「それでは、罪のない生き物達まで巻き添えになってしまう。他に何か良い方法はないか。」

 

疫病の神様が言った。

「それならば、私の出番です。その生き物だけに疫病を流行らせて、皆殺しにしてみせます。」

 

それに対して、愛の神様が言った。

「私にとっては、どの生き物であっても、幼い子供を失うのは辛いのです。どうか幼い命だけでも助けて下さい。」

 

議論の末、神々の王は結論を出した。

「その生き物の罪は万死に値する。ただし、今回は愛の神に免じて子供達の命を奪うことは極力避けたい。疫病の神よ、お前は余命の短い者に限って命を奪い、その他の者には苦痛を与えよ。以上」